クロエに案内されたのは、一人用の部屋だ。大きな格子窓の付近には天蓋付きベッドが置かれてあり、足下には芝生で染めたような絨毯が敷かれている。青緑色の壁と相まって副交感神経が優位になりそうだが、シェリーが囚われている以上はゆったりする暇など無い。
周囲を見渡せば、ソファーや書斎デスクはもちろん、クローゼットと思しきものまで用意されている。ここ数日の振り返りや明日以降の予定を組み立てるには、申し分ない環境だ。
この城で寝泊まりした事があった気がするが、それはいつだったか……。おそらく今回のような非常時では無かったはずだし、思い出しても得は無いので気にしないでおこう。
俺はクロエに言われた通り、ソファーに腰掛けて使用人を待つ。すると数分後に扉を叩く音が聞こえたので、すぐさま扉を開けて執事を迎えた。背後にある荷台には、二メートル前後のトランクが積まれている。
「お休みのところ、失礼致します。新たなお召し物と武器をご用意致しました」
「サンキュ! ちょうど欲しかったとこなんだ。入ってくれ」
俺は執事が中に入れるよう横へずれると、トランクの後ろからもう一人の執事が現れる。それから二人掛かりで黒壇の長方形を縦に置くと、小さな鍵を回して蓋を開けた。
姿を表したのは、ベルトで頑丈に固定された白銀の鎧だ。俺がこれまで使用していたモノとそっくりだが、細部に違いがある。蓋部分に視線を移せば、長剣が鞘に収まった状態で側面に掛けられていた。また、鎧の下には三段の白い引き出しがあり、そこに軍用の衣類を収納しているのだろう。
「早速ではありますが、確認としてご着用頂けますでしょうか。不備がございましたら、取り急ぎ代用をご用意致しますので」
「わかった」
俺が頷くと、執事は引き出しから一段ずつ衣類を取り出した。上段から上衣と下衣を受け取った後、すぐに袖を通す。サイズと着心地を確認すると、彼らは下段に手を掛けて革ベルトと腕時計・小袋を用意してくれた。
「こちらが鎧となります」
いよいよ防具を身に纏う時だ。執事たちは手早くベルトを解き、鎧を俺に差し出す。これでいつも通りの格好になると、一気に身が引き締まった。長剣だってほぼ差異が無い。
「大丈夫だ。これまでと変わらないどころか新鮮だよ」
「ご満足頂けたようで何よりでございます。それからお粗末ですが、こちらの方で今晩のお食事をご用意致しました」
俺に手渡してきたのは、紙箱に入ったチョコレート。すなわち戦闘糧食だ。先程俺がクロエに『飯は要らない』と話したのが耳に届いたのだろう。必要な栄養をすぐに取れるし、彼らには感謝の念が絶えなかった。
ちなみに大剣と通信機については『完成までに数週間掛かる』との事で、すぐに用意できなかったらしい。彼らはそれについて申し訳なさそうに告げるが、俺は「十分だ」と礼を添えた。
執事らがトランクを持って去ると、再び一人になる。時刻を確認すれば、短針は七を指していた。本来なら夕食の時間──と言いたいところだが、同じく此処で泊まる花姫たちも簡易的な食事を取っているに違いない。
もう一度ソファーに腰掛けて紙箱を開けようとした時。窓辺から気配が迫ってくる気がした。煌めく星の下、蝙蝠の影がだんだんと大きくなる。正体を察した俺はすぐに窓の片側を開け、そいつを迎え入れた。
部屋に入った蝙蝠は人の形となり、褐色肌で黄金の短髪男──ジェイミーが姿を表す。俺が窓を閉じると、彼は重要な事を冷淡に打ち明けた。
「シェリーの居場所が判ったぞ。“セレスティーン大聖堂”だ。彼女だけじゃない。酒場のおっさんもそこで捕まってる」
「何だと……!?」
シェリーはさておき、何故マスターが……? まさか、俺を引き寄せるためにそんな真似を?
ジェイミーは引き続き、大聖堂の現況について報告を続ける。
「あの感じだと、あんた一人で行ったほうが良さげだよ。おっさんの目つきはどう考えてもまともじゃなかったし、万が一女子に戦わせるのは酷だ」
「……あまり相手にしたくねえが、やるしかないのか」
思い出すのは、マスターとの鍛錬。本来の力に頼らず殴り合ったわけだが、大きな体躯でありながら軽い身のこなしには散々苦労させられた。ジャックが彼をも捕らえる以上、檻の中に留める事は有り得ないだろう。
「一人で行く分には問題ない。シェリーが誘拐されたのは俺の過失だし、何よりジャックをこの手で仕留めたい」
「そうだろうと思って、俺様が色々用意してやったよ。有り難く思いな」
ジェイミーが懐から取り出したのは、治癒薬に魔力回復剤・筋力増強剤などの消耗品。偉そうな口を利く彼だが、今は強気な笑みが頼もしかった。その笑顔は、ヘプケンで共に戦った騎士たちを思い出させる。
「お前が不死の存在で良かったよ」
「え?」
「こっちの話だ。で、他に判る事はあったか?」
「そうだね。魔物だけじゃなくて、機械人形も数体うろついてたよ。あいつらは侵入者に敏感だから、調査するのに苦労したよね」
「判れば良い。ありがとな」
「良いって。ま、俺様としてはもうちっと話したいとこだけど、あんたはそれどころじゃないだろ。大人しく退散するさ」
「おうよ」
ジェイミーが背を向け、部屋のドアノブに手を掛ける。
だが、彼は「あっ」と声を漏らした後、振り向きざまに真剣な表情を俺に見せた。
「それから、シェリーの事だけど──しっかりケアしてやれ。何か不吉な予感がする」
「不吉……? いったい何が?」
「俺様ですら判らないし、考えたくもない。……少なくとも、あんたにとってもキツい事だよ」
ジェイミーは目線を落とし、嫌なものを見たかのように告げる。俺が考えを巡らせていると、彼は緊迫した声音で「俺様からは以上だ」と付け加えた。
「あとジャックは医者である以前に、他人の生死を簡単に操れる上級呪術師だ。くれぐれも魂取られんなよ」
ジャックがそれだけ強い存在なのは知っていたが、改めて教えてくれるのは有り難い。ジェイミーはその言葉と緊張感を残し、この広い部屋を後にした。
「……ぼうっとしてる暇はない」
今度こそレーションに手をつけ、硬いチョコレートを口にする。マリアが考案した特製品も、今では美味く感じられる。それは、先ほど彼女の信念を直に感じ取ったからだろう。
飯を食った後は仮眠だ。そのままソファーで横たわり、目を瞑る。長くは眠れない以上、廊下から聞こえる雑音が今の俺にとって丁度良いものだった。
腕時計を見れば、午後十時を回っている。睡眠時間はおよそ三時間、これだけ休めば十分だ。
俺は壁に立て掛けていた長剣を手に取り、腰に下げる。それから必需品を確認した後、廊下に出た。
廊下には変わらず使用人が行き来するが、深夜だからか人気は少ない。花姫たちも今頃就寝中だろうし、黙って行った方が迷惑は掛けないだろう。
……しかし、それは俺の思い込みだった。
正面階段への大扉に辿り着くと、使用人が粛々と開門する。
眼下に広がったのは、赤い絨毯の上で横に並ぶ花姫たちだった。
「あいつら、まさか……!」
意外な光景に、思わず立ち止まってしまう。
だが誰もが俺に視線を向ける以上、降りないといけないと感じた。
階段を一段ずつ降り、床を踏みしめる。
そして彼女らの前に立ち止まると、中心に立つマリアが一歩近づいた。
「あなたがこの時間に向かう事、判ってたわ」
俺の前で微笑む彼女は、既に髪を二つに纏めて令嬢服を着こなしている。シェリーを除く花姫たちは勿論、ヒイラギやジェイミー・クロエまで佇んでいた。
「『うちらも連れてけ』と言っても、あんたは絶対に応じないだろ。なら、せめてあんたを見送りたいのさ」
「城下町の魔物退治はボク達に任せて。終わり次第、そっちに向かうからね!」
「少し寂しいのですけど……わたくし、アレックス様の為に頑張りますから!」
「頼りにしてるわよ、隊長」
「お嬢様方を、必ず連れ戻してくださいね」
「良いかアレク、絶対に死ぬなよ? あんたは今、英雄も同然なんだからさ」
こいつらはバカか……なんで、わざわざ俺を見送るんだよ。そんなに俺が弱く見えるのか?
このまま彼らの温もりを正面から受け止めれば、涙腺が壊れちまうだろ……!
「……お前ら、さっさと寝ろよ……」
勝手に溢れる涙を誤魔化すように、一同から顔を逸らす。するとアンナが俺の顔を覗き込み、不安そうに声を掛けてきた。
「アレックス……泣いてるの?」
「んなわけ、ねえだろ……」
「嘘をつくとか、あんたらしくないねー」
「バカ、それは女にやれよ……!」
ジェイミーが俺の肩に腕を回すせいで、思わず嗚咽をあげてしまう。
俺としたことが、情けねえな……。まだ何も解決しちゃいねえ上に、女の前で泣くとかよ……。
でも不思議だ。大悪魔の力を封じられたってのに、今なら何でもできる気がしてくる。それもこれも、彼女らや国の皆が俺に勇気を与えてくれたからだ。
ならば、皆の期待を胸に救出せねばならない。
女神の化身にして、大事な恋人をな──。
「……ありがとな。行ってくるよ」
「ええ。シェリーをよろしくね」
ついに扉は開かれ、希望の星々が俺を迎える。
そして──
「待っててくれ。シェリー、マスター。今から俺が助けに行く」
孤独の救出劇が今、序奏に移ろうとしていた。
(第十三章へ)
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