眼下に広がる陸地と海。時に竜や鳥が飛び交うが、此方に近づく事は決して無い。野生と云えど、彼らは自国の中で飛び回る習性があるからだ。
飛行機に揺られ、白い雲をくぐり抜けていく。この澄み切った空の上で舵を切るのは、前席に座るアルベルト──以降は『アル』と呼ぶ──だった。
少し離れた場所で飛行するのはヒイラギだ。魔族である彼女は、空を飛ぶためだけにダークエルフとしての姿に変わっている。こうして揺られるのも悪くないが、悠々と飛べる彼女が少しだけ羨ましかった。
ジャックに本来の力を封印された俺は今、アルの飛行機でティトルーズ王国へ移動している。しかし、到着まではまだまだ時間があるだろう。投獄から脱出までの経緯を話しても余る。
アルは複雑そうな操作盤に触れながら、俺に話し掛けてきた。
「貴方の本名は、アレクサンドラさん……ですよね?」
「ああ。ヒイラギから訊いたのか?」
「はい。先ほどまで街中が荒れていて、僕は信者に襲われ掛けました。そこでヒイラギさんが助けてくださり、共に宮殿へ向かったんです」
ヒイラギは俺らと距離がある以上、この話が聞こえていないようだ。
俺が「なるほど」と答えると、アルは話を続ける。
「アレクさんの胸に埋め込まれているのは、“封印の石”ですよね? それは、魔族本来の力を封じるために作られたモノです。あちらで投獄された魔族は、みんなアレクさんと同じ道を辿っているんです」
「それだけ霊力を求めてやってくると云う事か」
「ええ。お陰様で攻め入る魔族も一段と減りましたが、今回の件は彼らの油断も起因していると思われます」
「本物の教皇はどうした?」
「教皇さまは、ティトルーズ王国に救援を要請しようとしたところ……銀月軍団の者によって……」
「……言論統制もいいとこだ。それでアマンダもああなってしまったわけか」
「はい。……その様子ですと、もう僕の知る彼女では無さそうですね」
イカれる前のアマンダを知らないが、きっとアルや国民にとって大切な存在だったのだろう。誰かに心を壊される事は、本人はもちろん周囲の者達にとっても胸の痛い話であるに違いない。
アルは加えてこう言った。
「いずれにせよ、島を離れなければなりませんね。今回の件は、あの国にとって大きな傷跡となる事でしょう」
「……どのみち彼らは魔族に殺されたんだ。もう俺はあの島に立ち入る事は許されない」
「ですが、傷ついた彼らが理想郷を求めていたのは事実です。次こそは、平穏な世界で生まれ変われるかと」
『生まれ変わる』──か。彼らが再びヒトとして転生できるなら、俺の来世は魔物かもしれない。殺生を行った者は魔物として生かされる運命──それが世の常と云われてきているからだ。
己の生死について考えていると、アルは突然「あっ」と声を漏らす。俺も視線を落としてみれば、黒い煙が立ち昇るのが見えた。
「もしかしてあそこが、ティトルーズ王国ですか!?」
「間違いねえ。アル、付近に下ろしてくれねえか?」
「はい! 僕たちもヒイラギさんについて行きましょう!」
「なんて酷い……焼き尽くされてるじゃないか」
そう声を漏らしたのはアルだ。高度を下げれば、街中は炎の海に飲まれ、魔物が徘徊している。人々が慌てふためく中、救助活動を行う小さな影が幾つか見受けられた。
「あれが姉貴達だ。すまんが、うちは先に向かってる」
「おう!」
同じく浮遊していたヒイラギはそう声を張り上げて降下。姿を解く事なく、救助活動に徹した。フィオーレは俺の家もあるんだ、高みの見物はしていられない。
「アル、俺は此処で降りる」
「えっ!? ですが、この高さでは……!」
「これぐらい平気だ。昨日・今日とありがとな」
「あっ!! アレクさん!!」
地上までの高さはおよそ二十メートルと云ったところか。許容範囲だ。
俺はシートベルトを外し、胴体に足を掛ける。それから息を大きく吸った後、思い切って地上へ飛び降りた。
熱い風が頬に触れる中、何とか石畳へ着地。片膝と拳をつけた後、ゆっくりと身体を起こした。
「……絶対に許さねえ」
色とりどりの家も、アパルトマンも、世話になった店も、全て炎に包まれている。悲鳴と怒号の入り混じった声が、初戦を想起させた。
だが、今回ばかりは違う。あの時はシェリーの霊術によってこの街が元通りになったが、彼女がいなければ損害は大きい。どんなに魔術師が消火活動を行っても、消える気配が無かった。
「アレク!!」
こちらに駆け寄る男──それはジェイミーだ。彼は緊迫した様子で現況を話す。
「俺様は、ついさっきまでアンナと一緒に魔物を倒してたとこだ。けど、何度倒してもキリがねえ……! 手伝ってくれるか?」
「勿論だ。エレはどうした?」
「エレはヒイラギと一緒に避難所へ誘導させてるよ。騎士団も戦ってくれちゃいるが、肝心の団長がいねえんだ」
「ルナが? 連絡つかねえのか?」
「ああ。とにかく今は退治が優先だ!」
慌てた様子で、アンナの元へ行くジェイミー。俺もついていくと、早速獣人の一人がリザードマンに襲われているのが見えた。筋肉質のトカゲは手中に剣を収め、今にも振り下ろそうとしている。
「そうだ、剣……!」
いつもの癖でベルトに手を掛けるが、感触が無い事に気付く。アマンダとの戦いでさっきの剣を手放してしまったんだ。
辺りを見回せば、偶然にも大剣が落ちている。この黒鉄の鎧を纏った兵士──ルーセ軍の死体か。
俺は大剣を拾い、すぐさま獣人の元へ駆けつける。その間に剣を構え、二足歩行の巨体に斬りかかった!
トカゲの首が見事吹き飛び、胴体は糸が切れたように倒れる。尻餅をつく獣人に対し、俺は迷わず手を差し伸べた。
「逃げろ」
「は、はいぃ!」
よし、これで一人逃げてくれた。
さて、次は──。
「息子には手を出さないでぇ!!」
赤子を抱える女性を追うのは、ルーセ軍の兵士だ。
此処は気配を殺そう。兵士の背後に周り、切っ先で突き刺す。鎧を貫かれた兵士は、呻き声を上げながら最期を遂げた。
「ああ、ありがとうございます! 騎士様!!」
「あとは俺らに任せろ」
女性たちが逃げたのを確認したあと、周囲を見回す。
以降も敵を片っ端から始末し、住民たちを逃していった。
「皆、早く逃げて!」
「大丈夫ですか!? もうすぐで救護が駆け付けてくれるのです!」
「ありがとう……ああ……私達の、大切な場所が……」
アンナが叫び、エレが民間人を救う。いくら花姫たちが動いてるとはいえ、この地は混沌に満ちていた。
その混沌を更に深めようとする不届き者が現れる。蠢く黒い幻影──ファントムが俺を囲み、一斉に襲い掛かってきた。彼らは腕らしきものを突き出すも全てを回避。隙が見えると、纏めて蹴散らしてみせた。
飛び散る漆黒の飛沫。影は呻き声を上げ、露と化していく。ミュール島で準備運動をしたからか、身体は思うよりも軽やかに動いてくれた。
影は縄となり、俺を捉えようと迫りくる。剣を一振りすれば、人間のような手応えが罪悪感をよぎらせるのだ。──まるで、罪無き者たちを切り刻むかのようで。
その罪悪感を振り切り、残るファントムも次々と一掃。向こうに立ち尽くす魔術師が召喚しているのだろう。彼の両手からは月の氣が漏れ出している。
「ふっ!」
近づけば此方のものだ。距離を詰めて真っ二つにすると、今度は背後から複数の足音が聞こえてきた。
「次は……ルーセの連中か」
兵士を相手にするのは慣れている。彼らは槍や剣を以ってして俺を狙うが、どの攻撃も全て剣身で受け止めた。力で彼らの武器を弾き飛ばし、鎧に鮮血を彩らせる。何世紀もの培われた勘を活かして、剣を確実に振り回した。
ある程度掃討はできたか。
誰かの視線に気づき、ふと横を見てみる。するとアンナが俺の名を呼んで駆け付けてきた。
「アレックス!」
「アンナ! そっちはどうだ!?」
「こ、こっちは……何とか……」
息を切らし、片膝をつくアンナ。俺が彼女の背に手を回そうとすると、「大丈夫だから」と手を払い除けて治癒薬を飲み始めた。
「火竜がいるんだって? そいつは何処にいる?」
「それは──」
狙い澄ましたかのように、雷のような咆哮が聞こえてきた。
建物を遥かに超える背丈に、暴風を呼び起こせるであろう巨大な双翼。朱色の鱗で屈強な肉体を覆う竜は、サラマンドラだった。
「……もう手加減無しで戦うしかないよ」
「ああ。いくら巫女部隊のモノとは云えな」
軽く数人は踏み潰せそうな足が、徐々に迫ってくる。『もしこんな時でも飛行できれば』とこの身を恨みたくなるが、今は地道に足を傷つけてしまおう。
「アレク! 俺様も行くぞ!」
「助かる! 俺が足元を狙う間、お前らは誘導してくれ!」
「おうよ!」
「わかった!」
ちょうど良いタイミングで強力な助っ人が来てくれた。おかげで事が進みそうだ。
アンナは橙色の翼を広げ、ジェイミーと共にサラマンドラの頭上へ近づく。
二手に分かれた彼らを目で追う火竜。何度も長い爪を振り回すも、二人は難なくかわし続けた。
よし、想定通りだ。俺は大きな刃を唸らせると、竜の足首に深い傷が刻まれた。
竜は一瞬にしてよろめき、俺を睨みつける。その隙にジェイミーが清魔法を放ったようで、大粒の氷弾が顔面に着弾した。
歯軋りをする竜。怒りが最高潮に達したのか、口元を光らせていた。
それは火炎放射の合図。刹那、剣を傷口へ突き刺せば苦鳴と共に口から黒煙を吐き出した。
さあ、次は右足も──
「うわぁ!!」
火竜が身体を一回転させ、尻尾を振り回す。その勢いで周囲の建物を突き崩し、俺の身体がまんまと吹き飛ばされた。
「っ!!」
宙へ投げられた身体は瓦礫に打ち付けられ、背を焦がす。鎧の隙間から入り込む熱が、俺を反射的に起き上がらせた。
すぐさま瓦礫の山を脱し、火の粉を振り払う。ジェイミーとアンナは依然と魔法を使うが、ヤツはまだ動ける様子だ。
「受け取れ!」
上空にいるジェイミーが、俺に瓶のような物を投げつける。見事掴み取ると、それは魔力回復剤である事が判った。
薄花色の液を一気に飲み干すと、魔力が僅かに戻る。同時に確信が生まれた俺は、ミノタウロスを倒した時の魔法を詠唱した。
「一気に畳み掛ける! 氷柱!」
右手の紋章が淡く灯り、サラマンドラの頭上に魔法陣が展開される。剣にも似た氷柱が火竜の頭上に刺さると、激痛に悶えて前に倒れた。
地震のような縦揺れが起こり、建物から瓦礫が崩れ落ちる。周囲の住民は避難できた為か、悲鳴が聞こえてこなかった。
「あれは……銀の心臓!?」
声を上げるアンナ。彼女の言う通り、顎の部分には白銀の宝石が反射して光っていた。
「《目を覚まして》! 光芒!!!」
彼女が大剣を両手でかざすと、金色の光が剣身に収束。同時に空から放たれる光の柱は、瞬く間に心臓を粉砕した。
火竜が花弁に包まれるも、いつものように姿を消す事は無い。顎が欠けた竜は静かに目を瞑り、先程までの禍々しい氣がたちまち消え去った。
どうやら俺達がサラマンドラと戦っている間に、殆どの建物が鎮火されたようだ。急に立ち止まると、汗が身体中の毛穴から噴き出るのがわかる。
しかし、この戦いはまだ終わる気配が無い。それは、目の前で生じる黒い靄が証明してくれた。
「蒸気機関に甘える凡愚どもにしては、随分とやりますねぇ」
その時、俺は目を疑った。
何故なら──黒いマントに身を包み、眼鏡を掛けた男ヴィンセントが佇んでいたからである。彼の復活に衝撃を覚えたのは俺のみならず、アンナも同じだった。
「ヴィンセント!? 死んだはずじゃ……!?」
「生かして頂いたのですよ。ジャック様にね」
「……あいつならやりかねぇだろうが……」
ヴィンセントはアンナとジェイミーに睨まれるが、依然と勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ジェイミー……あなたは確か、ジャック様を裏切った愚か者。そんな輩をさっさと始末せねばなりませんね」
「やれるもんならやってみな」
「くっくっく……」
先に手を打ってきたのはヴィンセントだ。彼の杖から漂う煙は魔手を生み、ジェイミーに迫る。
しかし、ジェイミーが両手を突き出すと眼前に魔法陣を展開。そこから射出される複数の刃によって、魔手はバラバラに裂かれた。
「不死の吸血鬼にして上級魔術師──あなたのような者が銀月軍団に加われば、どんなに便利なことか」
「あいつ、まだ俺様に目を付けてるの? ほんっとに執念深いねー」
「だからこそ、私は惹かれたのですよ。……彼らのように!!」
ヴィンセントが、黒い光に包まれた!? その光が消えると、彼もまた違う姿に変わり果てている。それを目の当たりにした俺は、開いた口が塞がらなかった。
「それが、お前の本当の姿なのか……?」
短かった茶髪は背中まで伸び、黒いマントは随所で破けている。メガネはモノクルに変化し、顔には焼け爛れた痕があった。杖も錆びつくせいか、禍々しいというより──悲痛さが伝わってくる。
無論、彼は俺に考える余地など与えず、高らかに叫ぶ。
「さあ、私が相手です!!」
そして今──
哀しき男との戦いの火蓋が切られた。
(第八節へ)
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