騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第一節 二人だけの午餐

公開日時: 2021年6月24日(木) 12:00
文字数:3,644

 暑さに拍車を掛けるペリドットの月。エク島で約束した通り、俺はシェリーと共に辺境の地“リタ平原”でピクニックする事になった。駅前で待ち合わせした後、蒸気機関車に乗って景色を眺める。流れる景色は、見慣れた街並みから豊かな自然へと滑らかに変わっていった。


 青空をバックに、もくもくと膨らむ積乱雲。そびえ立つ緑の山々と、そよ風に揺れるひまわり畑。身を乗り出すなら程良くも、全景を見渡すにはあまりに小さい窓。俺とシェリーは向き合う形で、側面に映る真夏を眺めていた。


 合成繊維で作られたであろう緑の座席が、適度な座り心地を与える。背中と木製の仕切りを挟む布地は申し訳程度の厚さだが、恋人と過ごせるならさして問題ではない。


 俺の正面に座るシェリーは、先日──エク島の海辺で遊んだとき──とはまた違う白いワンピースを身に纏っている。スカート丈は足首までふんわりと伸び、肩が見えるほどの襟ぐりにはフリルがあしらわれている。顔を覆えるほどの麦わら帽子と土色のサンダルが、彼女自身の可憐さをさらに強調させた。


 彼女の膝上には、竹で編まれた直方体のバスケットがある。小麦の香ばしさがごく僅かな隙間をくぐり抜け、俺の嗅覚をさりげなく煽ってきた。


 シェリー曰く、中身はサンドイッチらしい。朝早くから手間隙てまひま掛けて作ったのだろう。だからこそ、それを食べる時が楽しみだ。

 一方で、『列車ここからの景色をずっと眺めていたい』とも思う。乗客も疎らで、ほどよい静けさが漂っているのだ。


「このままお前と遠いとこへ行けたらな」

「私も同じことを考えていましたわ。そして、新たな地で子どもと一緒に過ごしたいとも……」


 もしシェリーとの間に子どもが産まれたら、どんな子に育つのだろう。やはりツノは生えるのかな? 俺らの力はどう受け継がれる? 息子なら逞しく育ってほしいし、娘なら妙なヤツに盗られぬよう大事にしたい。

 この際だし、話題を振ってみよう。


「もし娘ができたら何て名付けたい?」

“ソフィア”と名付けようと思いますの」

「どうして?」


「ちょうど昨晩、私がそう名乗る夢を見たんです。なぜか城で過ごしていたのですが、アイリーンさんにずっと甘える一方、マリアとは喧嘩ばかりでしたわ」


「変わった夢だな……。俺は出てきたか?」

「いいえ」

「そうか……」

 首を横に振るシェリーを見て、少し落胆してしまう。


 その時、奥まで伸びる足場と時計台が見え始めた。

 列車が徐々に速度を緩め、間もなく停車する事を物語る。


「あ、そろそろ着きますわね」


 いよいよ例の平原に到着のようだ。シェリーに合わせて立ち上がり、近くのドアへ向かう。

 列車が完全に停車した時、彼女はかんぬきを外してホームへ降りる。ホームというにはあまりに殺風景だが、都心から離れればこんなものだ。


 見渡す限り草原が広がり、随所で大きな樹が立つ。アリスと別れてからも向かう事はあったが、一世紀に一度と云う感じだ。それも、何かに導かれたかのように……。


「懐かしい場所ですわね……」

「ああ」

 俺たちは緩やかな階段を降り、気ままに足を運ぶ。


「……もし、嫌な事思い出させてたら……」

「いいえ。むしろ私も『あなたと行きたい』と思っていましたから」


「それなら良かったよ。ああ、早くお前の作った飯が食いたい」

「うふふ。気合を入れて作ってきましたから、楽しみにしていてくださいね」


 胸の痛みは僅かにあれど、今は『シェリーの手作りサンドイッチが食べたい』という気持ちがまさっていた。静かな場所で、好きな人と一緒に飯が食える──そう思うだけで、自然と頬が緩むのだ。当の本人も幸せそうで何よりだよ。



「では、こちらにしましょうか」


 シェリーが選んだ場所は、偶然にも大樹の下。それは、アリスと愛を誓った場所に酷似しており、どこか安心感を覚えた。廃屋までの森もよく見えるし、実に絶景だと思う。


 赤いチェック柄の敷物を広げると、俺たちの午餐ごさんは始まりを迎えた。柑橘類の輪切りと果汁を詰めた二本の口広瓶くちひろびんに、肉と野菜を挟んだサンドイッチ、そして一房のブドウが用意された。

 俺たちを包み込む木陰は、茂る緑葉の間から光が漏れる。時に夏の小鳥が訪れるも、俺らを見て小首を傾げてはすぐに飛び去った。


 胡座をかく俺の右隣には、帽子を外したシェリーが女性らしく座っている。小鳥の歌が聞こえる中、俺は「いただきます」と告げてから肉入りのサンドイッチを手に取った。


「やっぱ美味えな」


 このサンドイッチは、俺が予めお願いしたものだ。肉汁と野菜の瑞々みずみずしさが合わさってたまらない。それに、緑の地平線が広がるこの地だと、より美味く感じられる。

 美しい場所で恋人かのじょの好きな物を一緒に食べる。それは俺が密かに抱いていた淡い希望であり、今それが実現した瞬間でもあるのだ。


「アレックスさん、すっかり頬張るようになりましたね」

「全部お前のおかげだ」


 まさに微笑む女神を見つめながら、搾りたての果汁を飲む。うん、これも最高だ。酸味と甘味が効いてて、もっと味わいたくなる。


「なあ。食い終わったら寄りたいところがあるんだが、いいか?」

「もちろんですわ。……もしかして、例の場所へ?」

「ああ」


 話が早くて助かる。俺と会っていない間も、ちょっと思い出してきたのだろう。


「此処で俺とアリスが何したか……憶えてるんだよな?」

「はい、私の中でしっかりと」


 シェリーとは何度もキスしているはずなのに、改めて口にするのは恥ずかしい。しかし、それは彼女も同じようで、胸に手を当てて顔を赤らめる。


「私本人がされたわけでもないのに、あの頃の感触を憶えているんです。……思い出すだけで恥ずかしくなる一方、胸も少し痛みますわ」


 当の本人は複雑なはずだ。自身としての記憶と、断片的ながらアリスとしての記憶の両方を持ち合わせている。……それでも、俺のためにそう言ってくれたのだろう。


 だから俺はシェリーの肩に手を回し、強く抱き締めた。

「ありがとう」とな。


「こののおかげでお前と付き合えた。でもその一方で、『忘れさせてやりたい』とも思う。俺と初めて会ったときから、何度も苦しい思いをさせて……本当にすまない……」


「……あなたのせいじゃないわ」シェリーが抱き返す。


「なぜ私のような者が、女神の記憶や力を持っているのか判りません……。ですが、もしあなたという隊長がいなければ、私は……ずっとジャックへの気持ちを引きずって、一生暴走していたかもしれませんの。純真な花ピュア・ブロッサムをとっくに辞めて、銀月軍団シルバームーンの一人になっていた事も……十分に考えられますわ」


 意外なことに、マリアとは真逆の考え方だった。シェリーの潜在意識の中で、次期隊長──それも俺を必要としていたのだ。

 だからこそ、本来なら憚るべき問いを敢えて投げ掛けてみる。


「俺と会うまで、マリアちゃんのことをどう思ってた? お前たちは寄り添う関係だったんだろ?」


「マリアはちょっとワガママですけど、とても綺麗で魅力的な子だと思っています。でも、彼女はルドルフ兄さんのモノ。どんなにあの子と心を通わせても、彼にとって私は邪魔な存在であることを常々感じておりました」


 ……あいつがシェリーにどんなことをしたのかは知らないが、イラつくことは確かだ。しかし、彼が身勝手な真意で次期隊長を探し求めていた事は、明かさない方がいいだろう。


「俺がルドルフをぶん殴って、マリアちゃんのワガママを通すことができれば良いんだがな」

「アレックスさん!?」


 シェリーが胸の中で息を呑み、大きく開かれた目で俺を見上げる。


「許せ。俺はもう、『皇配殿下』と呼べるほどの敬意が微塵も残ってねえんだ」

「ですが、悪いのは私で──!」


 まだそんなこと言うか。

 声を震わす彼女の顎を持ち上げ、唇で黙らせる。柔らかな感触を重ねた後、俺はゆっくりと離してやった。


「何度も言う。これはお前のせいじゃない。今度自分を責めたら、ただじゃ済まねえぞ」

「……判りましたわ」


 何故だろうか。彼女は俺の話を聞いてくれたのに、罪悪感が一気に押し寄せる。俺は、頭に血が上っていた自分が惨めだと感じた。


「……すまん。あいつに腹が立って、つい」

「いいえ。それだけ私たちのことを思ってくれてるって事ですよね」


 その言葉に素直に頷けない自分がいる。こんな事でせっかくの日を台無しにするなど、彼氏としてあるまじき言動だ。ほんのりと灼けた肌と、白い布地のコントラスト──それも、俺にだけ見せてくれていると云うのに。


「アレックスさんこそ、そうやって自分を責めないでください」

「え……?」

「今度ご飯を作る時、をかけちゃいますよ?」

「それだけはダメだ!!!!!!」


 あのソースというのは、酒場ランヘルで味わったデスソースを指す。だが、それだけはマジで避けたい。しかもあの時は、エレが『水』だと言ってウイスキーを飲ませてきたのだ。二度とあの悪夢を体験してなるものか──!


「ああ、私もお伝えしなくては……ですね」

「どうした?」


 シェリーはしばし溜めたあと、驚くべき真実を口にした。



「つい張り切りすぎて……例のソースを混ぜちゃいました」




(第二節へ)






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