暑さに拍車を掛けるペリドットの月。エク島で約束した通り、俺はシェリーと共に辺境の地“リタ平原”でピクニックする事になった。駅前で待ち合わせした後、蒸気機関車に乗って景色を眺める。流れる景色は、見慣れた街並みから豊かな自然へと滑らかに変わっていった。
青空をバックに、もくもくと膨らむ積乱雲。そびえ立つ緑の山々と、そよ風に揺れるひまわり畑。身を乗り出すなら程良くも、全景を見渡すにはあまりに小さい窓。俺とシェリーは向き合う形で、側面に映る真夏を眺めていた。
合成繊維で作られたであろう緑の座席が、適度な座り心地を与える。背中と木製の仕切りを挟む布地は申し訳程度の厚さだが、恋人と過ごせるならさして問題ではない。
俺の正面に座るシェリーは、先日──エク島の海辺で遊んだとき──とはまた違う白いワンピースを身に纏っている。スカート丈は足首までふんわりと伸び、肩が見えるほどの襟ぐりにはフリルがあしらわれている。顔を覆えるほどの麦わら帽子と土色のサンダルが、彼女自身の可憐さをさらに強調させた。
彼女の膝上には、竹で編まれた直方体のバスケットがある。小麦の香ばしさがごく僅かな隙間をくぐり抜け、俺の嗅覚をさりげなく煽ってきた。
シェリー曰く、中身はサンドイッチらしい。朝早くから手間隙掛けて作ったのだろう。だからこそ、それを食べる時が楽しみだ。
一方で、『列車からの景色をずっと眺めていたい』とも思う。乗客も疎らで、ほどよい静けさが漂っているのだ。
「このままお前と遠い処へ行けたらな」
「私も同じことを考えていましたわ。そして、新たな地で子どもと一緒に過ごしたいとも……」
もしシェリーとの間に子どもが産まれたら、どんな子に育つのだろう。やはりツノは生えるのかな? 俺らの力はどう受け継がれる? 息子なら逞しく育ってほしいし、娘なら妙なヤツに盗られぬよう大事にしたい。
この際だし、話題を振ってみよう。
「もし娘ができたら何て名付けたい?」
「“ソフィア”と名付けようと思いますの」
「どうして?」
「ちょうど昨晩、私がそう名乗る夢を見たんです。なぜか城で過ごしていたのですが、アイリーンさんにずっと甘える一方、マリアとは喧嘩ばかりでしたわ」
「変わった夢だな……。俺は出てきたか?」
「いいえ」
「そうか……」
首を横に振るシェリーを見て、少し落胆してしまう。
その時、奥まで伸びる足場と時計台が見え始めた。
列車が徐々に速度を緩め、間もなく停車する事を物語る。
「あ、そろそろ着きますわね」
いよいよ例の平原に到着のようだ。シェリーに合わせて立ち上がり、近くのドアへ向かう。
列車が完全に停車した時、彼女は閂を外してホームへ降りる。ホームというにはあまりに殺風景だが、都心から離れればこんなものだ。
見渡す限り草原が広がり、随所で大きな樹が立つ。アリスと別れてからも向かう事はあったが、一世紀に一度と云う感じだ。それも、何かに導かれたかのように……。
「懐かしい場所ですわね……」
「ああ」
俺たちは緩やかな階段を降り、気ままに足を運ぶ。
「……もし、嫌な事思い出させてたら……」
「いいえ。むしろ私も『あなたと行きたい』と思っていましたから」
「それなら良かったよ。ああ、早くお前の作った飯が食いたい」
「うふふ。気合を入れて作ってきましたから、楽しみにしていてくださいね」
胸の痛みは僅かにあれど、今は『シェリーの手作りサンドイッチが食べたい』という気持ちが勝っていた。静かな場所で、好きな人と一緒に飯が食える──そう思うだけで、自然と頬が緩むのだ。当の本人も幸せそうで何よりだよ。
「では、こちらにしましょうか」
シェリーが選んだ場所は、偶然にも大樹の下。それは、アリスと愛を誓った場所に酷似しており、どこか安心感を覚えた。廃屋までの森もよく見えるし、実に絶景だと思う。
赤いチェック柄の敷物を広げると、俺たちの午餐は始まりを迎えた。柑橘類の輪切りと果汁を詰めた二本の口広瓶に、肉と野菜を挟んだサンドイッチ、そして一房のブドウが用意された。
俺たちを包み込む木陰は、茂る緑葉の間から光が漏れる。時に夏の小鳥が訪れるも、俺らを見て小首を傾げてはすぐに飛び去った。
胡座をかく俺の右隣には、帽子を外したシェリーが女性らしく座っている。小鳥の歌が聞こえる中、俺は「いただきます」と告げてから肉入りのサンドイッチを手に取った。
「やっぱ美味えな」
このサンドイッチは、俺が予めお願いしたものだ。肉汁と野菜の瑞々しさが合わさってたまらない。それに、緑の地平線が広がるこの地だと、より美味く感じられる。
美しい場所で恋人の好きな物を一緒に食べる。それは俺が密かに抱いていた淡い希望であり、今それが実現した瞬間でもあるのだ。
「アレックスさん、すっかり頬張るようになりましたね」
「全部お前のおかげだ」
まさに微笑む女神を見つめながら、搾りたての果汁を飲む。うん、これも最高だ。酸味と甘味が効いてて、もっと味わいたくなる。
「なあ。食い終わったら寄りたいところがあるんだが、いいか?」
「もちろんですわ。……もしかして、例の場所へ?」
「ああ」
話が早くて助かる。俺と会っていない間も、ちょっと思い出してきたのだろう。
「此処で俺とアリスが何したか……憶えてるんだよな?」
「はい、私の中でしっかりと」
シェリーとは何度もキスしているはずなのに、改めて口にするのは恥ずかしい。しかし、それは彼女も同じようで、胸に手を当てて顔を赤らめる。
「私本人がされたわけでもないのに、あの頃の感触を憶えているんです。……思い出すだけで恥ずかしくなる一方、胸も少し痛みますわ」
当の本人は複雑なはずだ。自身としての記憶と、断片的ながらアリスとしての記憶の両方を持ち合わせている。……それでも、俺のためにそう言ってくれたのだろう。
だから俺はシェリーの肩に手を回し、強く抱き締めた。
「ありがとう」とな。
「この痛みのおかげでお前と付き合えた。でもその一方で、『忘れさせてやりたい』とも思う。俺と初めて会ったときから、何度も苦しい思いをさせて……本当にすまない……」
「……あなたのせいじゃないわ」シェリーが抱き返す。
「なぜ私のような者が、女神の記憶や力を持っているのか判りません……。ですが、もしあなたという隊長がいなければ、私は……ずっとジャックへの気持ちを引きずって、一生暴走していたかもしれませんの。純真な花をとっくに辞めて、銀月軍団の一人になっていた事も……十分に考えられますわ」
意外なことに、マリアとは真逆の考え方だった。シェリーの潜在意識の中で、次期隊長──それも俺を必要としていたのだ。
だからこそ、本来なら憚るべき問いを敢えて投げ掛けてみる。
「俺と会うまで、マリアちゃんのことをどう思ってた? お前たちは寄り添う関係だったんだろ?」
「マリアはちょっとワガママですけど、とても綺麗で魅力的な子だと思っています。でも、彼女はルドルフ兄さんのモノ。どんなにあの子と心を通わせても、彼にとって私は邪魔な存在であることを常々感じておりました」
……あいつがシェリーにどんなことをしたのかは知らないが、イラつくことは確かだ。しかし、彼が身勝手な真意で次期隊長を探し求めていた事は、明かさない方がいいだろう。
「俺がルドルフをぶん殴って、マリアちゃんのワガママを通すことができれば良いんだがな」
「アレックスさん!?」
シェリーが胸の中で息を呑み、大きく開かれた目で俺を見上げる。
「許せ。俺はもう、『皇配殿下』と呼べるほどの敬意が微塵も残ってねえんだ」
「ですが、悪いのは私で──!」
まだそんなこと言うか。
声を震わす彼女の顎を持ち上げ、唇で黙らせる。柔らかな感触を重ねた後、俺はゆっくりと離してやった。
「何度も言う。これはお前のせいじゃない。今度自分を責めたら、ただじゃ済まねえぞ」
「……判りましたわ」
何故だろうか。彼女は俺の話を聞いてくれたのに、罪悪感が一気に押し寄せる。俺は、頭に血が上っていた自分が惨めだと感じた。
「……すまん。あいつに腹が立って、つい」
「いいえ。それだけ私たちのことを思ってくれてるって事ですよね」
その言葉に素直に頷けない自分がいる。こんな事でせっかくの日を台無しにするなど、彼氏としてあるまじき言動だ。ほんのりと灼けた肌と、白い布地のコントラスト──それも、俺にだけ見せてくれていると云うのに。
「アレックスさんこそ、そうやって自分を責めないでください」
「え……?」
「今度ご飯を作る時、あのソースをかけちゃいますよ?」
「それだけはダメだ!!!!!!」
あのソースというのは、酒場で味わったデスソースを指す。だが、それだけはマジで避けたい。しかもあの時は、エレが『水』だと言ってウイスキーを飲ませてきたのだ。二度とあの悪夢を体験してなるものか──!
「ああ、私もお伝えしなくては……ですね」
「どうした?」
シェリーはしばし溜めたあと、驚くべき真実を口にした。
「つい張り切りすぎて……例のソースを混ぜちゃいました」
(第二節へ)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!