※この節より先は残酷な描写が多く含まれます。
ミュール島に着いた俺とシェリーは、昼下がりにアルの家で此処の情報を得た。それから地図を片手にミュール宮殿へ向かうと、荘厳な建物がそびえ立つ。
煌めきを放つ黄金の門扉。その両脇に立つのは二人の衛兵だ。彼らは俺たちに近づき、うち一人が厳格な態度で槍の柄をかざす。
「お前がミュール族である事を証明せよ」
シェリーは凛然な姿勢を保ったまま、片手で柄に触れる。すると淡い光が槍全体を包み込んだのだ。衛兵はそれを確認すると、一礼して扉を開けてくれた。
「失礼いたしました。それでは、中へお入りください」
衛兵は先ほどの態度から一変し、柔和な声音で引き下がる。
門をくぐると、踏みしめるたびに硬い感触を覚える。床を見れば、乳白色の大理石が際限なく埋め込まれていた。
見上げれば、青空の下で大きな宮殿が横一面に佇む。緑の屋根、無数に並ぶ縦長の窓。こんなところにアリスが住んでいたと思うと、悪魔の俺がいかにお粗末か痛感させられる。
一方、右隣に立つシェリーもこの宮殿の前で唖然としていた。特に彼女に関しては、複雑な気持ちが渦巻いていることだろう。
正面の二枚扉が開くと、女性らしき人物がこちらに向かって粛々と歩き出す。その背後に複数の衛兵がいる辺り、権力者か何かに違いない。
右目を包帯で覆った女神官。柳色の編み込んだ長髪を靡かせ、額にはミュール族の紋章が刻まれている。えんじ色の瞳で俺たちを見つめるも、奥底には何かを秘めている気がした。
神官と末裔の邂逅が、暑い空気を冷ます。
一礼する瞬間が重なった末、神官は艶のある声で語り掛けた。
「御神子さま。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。私めが、神官の“アマンダ・ミュール”と申します」
「初めまして、私はシェリー・ミュール・ランディです。私に眠る霊力を解放したく、此方へ参りました。隣にいるのは、付き人のアダムです。私が神族であることを受け入れてくださった、数少ない身内ですわ」
「はい、書状で伺っております」
……なんだ? 今の目つきは──。
明らかに付き人に向けるべき視線ではない。それはまるで、異端者を睨みつけるかのよう。だがそれはほんの一瞬で、シェリーに目線を戻せば優雅な立ち振舞を見せる。これは、どうもきな臭いな……。
「さて。御神子様がたをおもてなししたい一心でございますが……あいにくこの情勢ですので手短とさせていただくことを、どうかご容赦ください。それでは、礼拝所へご案内いたします」
先程の視線が気になる俺だが、ここで変に暴れるわけにもいかない。とりあえずアマンダについて行き、エントランスに入る。
白い廊下が奥まで続くせいで、このまま引き込まれてしまいそうだ……。右手には窓が並び、左手には歴代の同族と思しき銅像が置かれている。
大理石の床を暫く歩くと、大きな赤い扉がある。衛兵がそれを開けると、神聖的な装飾の後陣が顔を出した。
「……この景色……!」
「口を慎め。教皇さまの前だぞ」
衛兵の叱咤を忘れて、思わず此処の景色に目を奪われてしまう。
桃色と水色に分かれた花柄の柱に、青空を描く天井。中央の巨大な一枚絵は、祈りを捧げるアリスが描かれていた。彼女が身に纏う白いドレスは、最後の逢瀬で見たものとほぼ一致する。その上には、紋章を模った像が壁掛けられていた。
そうだ、この地だ……! あの時の夢──デュラハンを倒した晩の夢──は、この場所だったんだ! 一枚絵を除けば、柱の位置も面子も相違ない。
眺めていると、アマンダは聖書台に立つ男を手で示した。
「あちらが教皇さまでございます」
長い杖を右手に持ち、白い司祭服に身を包む仮面男。こいつの容姿も夢とそっくりだ。頭部を司教冠で覆う故、毛束一つ見えやしない。
「教皇さまは銀月軍団の一味に酸を撒かれ、顔を負傷しました。そのショックで、お言葉も閉ざしてしまわれたのです」
……もし俺らがもう少し早く向かえば、そんな事にはならなかったのだろうか。いや、悔やんでも時間が戻るわけではない。
不憫な教皇を見つめていると、シェリーは声を震わせて彼の手を握り締める。
「教皇さま……私達のせいでこんな……」
「いいえ、御神子さまのせいではございません」
アマンダが横に立ち、シェリーの肩に手を添える。
「これも、我が一族に課せられた試練なのでしょう。御神子さまがお越しになられたおかげで、きっと風向きが変わるはずです」
その時、後ろから人々がぞろぞろとやってきた。暗い顔をした者たちが次々と木製の長椅子に座り、誰もが聖書台の方をじっと見つめる。
俺も座るべきなのか?
直後──
「動くな」
「!!」
何者かの手が俺の口を覆い、後ろ手を組まされる。背後で金属音が聞こえると、両手首を動かせなくなった。もしや、付近に立つ衛兵たちが仕組んだのか?
だが何故だ? シェリーの付き人である俺が、なぜ捕らわれて……。
俺を気に掛ける者は誰一人いない。シェリーとアマンダは教皇たちのとこにいるし、助けを求めようにも声が出ない。いったいどうなってんだよ……!
「それでは始めましょうか、御神子さま」
待て! 俺をどうする気だ!!
くそ、マジで嫌な予感しかしねえ!
「無駄な抵抗はするなよ? お前が苦しい思いをするだけだ」
「…………!」
嗚呼、ついに儀式が始まってしまう。
シェリーは聖書台の前で両膝をつき、一枚絵のように祈りを捧げる。教皇が杖を高くかざすと、金色の光が彼女の全身を覆い始めた。
刹那、彼女の肩がビクッと上がり──
「ああぁぁあああぁあぁぁああ!!!!」
それは断末魔に近しく、いつぞやのデーモン戦を想起させる程の絶鳴だった。
彼女が頭を抱えてうずくまるも、アマンダは淡々と言葉を続ける。
「継承者よ。全てを思い出し、過去を受け止めなさい。貴女に眠るアリスの魂を呼び起こせば、奇跡は起こるでしょう」
「来ないで……来ないでぇぇええ!!!」
継承者──その単語を耳にした俺は、アルの言葉が脳裏をよぎる。
『女神様のお力は太古より存在するもので、永い時の流れを経て継承される──と聞き及んでおります』
シェリーがアリスの記憶と力を引き継ぐ事は判っていた。けれど……『極限解放が全てを思い出すことに繋がる』──これは、盲点だった。
ただ見守るだけで良いのか、俺? 彼女を助けるのが俺の務めじゃないのか?
答えは明白だった。
怒りに身を任せ、枷を外そうとしたつもりが──
「ぐふっ!」
脇腹に加わる衝撃。槍の柄で殴られたせいで、身体が少しよろめいてしまう。
ならば──!
「ふがぁぁ!!」
意識を集中させた途端、手首に稲妻が走った。
「大人しくしてろ」
くそ、力を封じるための手枷だったのか!
激痛と同時に、無力な自分への苛立ちが込み上がる。
「アレックスさん……助けて……! ヨルムンガンドの子なんか産みたくない……!」
『ヨルムンガンド』──それはルーセの本来の姿であり、猛毒の大蛇としてティトルーズ王国の支配を企てた存在。息子であるジャックもまた、同じ事を繰り返そうとしているんだ。
ああ、判ったよ。
日記が幻視病の消滅で途切れた理由が。
アリスは誘拐されて、無理矢理ジャックを産まされたんだ。
だから彼女は、
自身の胸に剣を──。
『アレッ……クス、さん……』
『おい、アリス!!!!』
アリスと別れてから一年後。ティトルーズ率いる連合軍は、ルーセ王国を襲撃。しかし──その再会は、あまりに残酷なものだった。
俺は単身でルーセ城に乗り込み、黒魔法でステンドグラスを破壊。直後、眼前に広がる光景に目を疑った。
その粗雑な寝台の上で、一人の女が仰向けになっていたのだ。乱れた銀髪に、無惨に引き裂かれた白のドレス。長剣が突き刺さる胸元からは、鮮血がドクドクと溢れ出す。寝台を赤く染め上げる彼女は──ほかならぬ初恋相手だった。
それでもアリスは、血を吐きながら声を振り絞る。
『私は……もう、生きたって……』
『バカ野郎!! 俺を置いてったら一生恨むぞ!!!』
『知って、ますわ……。ですが……』
やめてくれ、その手を離さないでくれ。
お前、やけに冷たいじゃねえか……こんなの、夢に決まってるだろ……!
『生まれ変わったら……次、こそは……』
『必ずお前を助ける! だから、んな事──ッ!!』
だが、俺の言葉はもう耳に届いちゃいない。
手を包み込む温もりは、
するりと
滑り落ち──
『う……うあぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!』
その時、俺の中にある何かが壊れた。
何もかもがどうでもよくなった。
疫病が消えたからって。
人間どもがヨルムンガンドを倒したって。
平和を取り戻したって。
『そこまでだ! 侵入者!!』
アリスのいない世界なんか──
『……要らねえんだよ』
『な!?』
『こいつのいない世界なんか、要らねえんだよ』
怒りを通り越し、感情すら失った俺は
人喰い悪魔として生きることを選んだ。
『やめろ、やめ……ぎゃあぁぁぁああああ!!!!!!』
俺の牙は兵の腕を千切り、頭からは目玉や歯が飛び散った。人間が放つ生臭さに、他種では味わえない食感。
本来の俺がそういう種族である以上、やみつきになるのも時間の問題だ。
もはや人ですら無い一人のルーセ軍兵士。
それをよそに血だらけの口を拭おうとすると、今度はティトルーズ軍兵士が現れた。今度は二人だ。
『き、貴様! まさか女神さまを……!』
今更『違う』なんて事実を吐くのも面倒だ。
恐怖を抑え、剣で脅す彼ら。
俺は、彼らの腕を伸びた爪で切り離し──
『あぎゃぁぁあああああ!!!』
『た、助け──』
どんなに人を喰らっても、俺の心は満たされなかった。
ルーセ王国を滅ぼし、平穏を取り戻してもなお憤りが鎮まらなかった。
『アリスってそんなにすげえ人なの?』
『あの幻視病がいきなり終息したのも、彼女のおかげらしいぜ』
『へえ。一部のイカれた信者が持ち上げてるだけじゃねえの』
『それ言えてる。美人なのにいっつも浮いてたよなー。彼氏いなさそうだったし』
『あんな変わり者の恋人なんて疲れるだけだろ』
『まあ、黙ってりゃ普通に使えそうだがねぇ』
ヘラヘラと笑うその辺の連中を、俺は許せなかった。この国に平和が訪れたのはあいつのおかげだと云うのに。
恩を忘れたヤツに生きる資格などあろうか?
……否。
『うわぁあぁぁあああ!!!!』
『おい、どうし……ひえっ!!?』
もう一人の男が振り向いた頃には、既にヒトとしての形が失われていた。
未だ人間である彼はただ怯えるだけだ。あれだけ大口を叩いてたのが嘘のように、腰を抜かしている。無論、そんなヤツを見過ごす俺ではない。
『く、来るな……わぁぁぁああぁぁあ!!!!!』
それからは、礼儀知らずを片っ端から喰い散らかす事だけが生きがいだった。
だが、それも長くは続かない。
俺はついに騎士団に捕らえられ、牢獄で死を待つ事になる──。
頭に襲い掛かる激痛。痛みを堪えてでも、思い出す甲斐があった。
偶然にも、俺はあいつの最期を見届けることができた。でも、その最期はあまりに悲しいもの。
判ってるさ。
アリスがラウクと結ばれなかったら、シェリーは生まれてこなかったってことを。
それでも、辛いものは辛いんだよ……!
全身の痛みで意識が朦朧とするなか、シェリーの耳元で囁くアマンダがいた。距離がある以上、何を言っているのか全く聞き取れない。
信者どもは彼女らに希望を託し、ただ祈るだけ。
『ああ、女神さま。どうか私たちに救いの手を……』
『俺の腕を返してくれ……』
『お父様、お母様……!!』
やがて視界は白くなり
何も
聞こえなくなった
あれからどれ程の時が過ぎただろう。
此処は、錆と湿気にまみれた空間。背中が冷ややかな壁に触れ、視界が晴れやかになる。鉄臭い何かが俺の口を封じているようで、舌を動かす事も儘ならない。
上半身にはマントや衣服の感触すら無い。抵抗しようにも、枷が四肢を引っ張るせいで何もでずにいた。どんなに暴れても、金属音が虚しく響くのみ。助けが来る気配は無かった。
そういや、シェリーは……?
結局霊力を解放できたのか? いったい何処にいるんだ?
「気が付いたようね」
俺の前に立つのはアマンダ。その声からは、聖職者の面影が何一つ感じられない。それどころか手中には革製の一本鞭があり、上がった口角は狂気すら覚える。
「御神子さまに纏わりつく虫……やはりアレクサンドラだったわね。此処であなたを始末したいところだけど」
彼女は鞭を持ち上げ、長い紐を振り──下ろすことはなかった。
身体が動いた反動で鎖が揺れる。アマンダはそんな俺を貶すように乾いた笑みを浮かべた。
「ふふ、歴戦の悪魔でもこんな玩具に怯えるのね。それとも……欲しいのかしら?」
違う、俺はそんな趣味など無い!
どんなに首を振っても、アマンダは「あらあら」と嘲笑うだけだ。
屈辱に苛まれる中、彼女は身動き取れない俺に追い打ちを掛ける。
「残念ね、今日の遊び相手は私じゃないの」
お前以外に誰がいる……?
誰かの足音が近づき、左手のドアが開かれる。
現れたのは教皇だ。仮面から垣間見える瞳は鋭く、満月のような色を見せる。この獲物を捉えるような目つきに見覚えがあった。
いやまさか、んなわけ──!
「どうだ? 存分に夢を見れたか?」
司祭服を一気に脱ぎ捨て、黒尽くめの銀髪男が現れる。
教皇の正体があの男だと知るのに、僅かな時間を要した。
頭の中が真っ白になり、何も考えられない。顔を火傷したと云うのも、シェリーとのやり取りも嘘だったのか……?
彼は不敵な笑みを浮かべ、俺に真実を叩きつけてくる。
「極限解放をして無事戻れると思ったか? 貴様は支払ったのだよ、『俺の女を返却する』という代償をな!」
「────!!」
胸中を支配する敗北感。
全てはこの男が仕組んだ罠だ。それに気づかず踏み込んでしまう俺は、ただの大馬鹿野郎だ……!
関節を鳴らす音が鼓膜を伝い、背筋が凍りつく。
そして彼は、これが絶望の始まりである事を伝えた。
(第四節へ)
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