騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第三節 代償

公開日時: 2021年7月2日(金) 12:00
文字数:5,556

※この節より先は残酷な描写が多く含まれます。

 ミュール島に着いた俺とシェリーは、昼下がりにアルの家で此処の情報を得た。それから地図を片手にミュール宮殿へ向かうと、荘厳な建物がそびえ立つ。

 煌めきを放つ黄金の門扉。その両脇に立つのは二人の衛兵だ。彼らは俺たちに近づき、うち一人が厳格な態度で槍のをかざす。


「お前がミュール族である事を証明せよ」


 シェリーは凛然な姿勢を保ったまま、片手で柄に触れる。すると淡い光が槍全体を包み込んだのだ。衛兵はそれを確認すると、一礼して扉を開けてくれた。


「失礼いたしました。それでは、中へお入りください」

 衛兵は先ほどの態度から一変し、柔和な声音で引き下がる。


 門をくぐると、踏みしめるたびに硬い感触を覚える。床を見れば、乳白色の大理石が際限なく埋め込まれていた。

 見上げれば、青空の下で大きな宮殿が横一面に佇む。緑の屋根、無数に並ぶ縦長の窓。こんなところにアリスが住んでいたと思うと、悪魔の俺がいかにお粗末か痛感させられる。


 一方、右隣に立つシェリーもこの宮殿の前で唖然としていた。特に彼女に関しては、複雑な気持ちが渦巻いていることだろう。


 正面の二枚扉が開くと、女性らしき人物がこちらに向かって粛々と歩き出す。その背後に複数の衛兵がいる辺り、権力者か何かに違いない。

 右目を包帯で覆った女神官。柳色の編み込んだ長髪を靡かせ、額にはミュール族の紋章が刻まれている。えんじ色の瞳で俺たちを見つめるも、奥底には何かを秘めている気がした。


 神官と末裔の邂逅が、暑い空気を冷ます。

 一礼する瞬間が重なった末、神官は艶のある声で語り掛けた。


御神子みこさま。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。私めが、神官の“アマンダ・ミュール”と申します」


「初めまして、私はシェリー・ミュール・ランディです。私に眠る霊力を解放したく、此方へ参りました。隣にいるのは、付き人のアダムです。私が神族であることを受け入れてくださった、数少ない身内ですわ」


「はい、書状で伺っております」


 ……なんだ? 今の目つきは──。

 明らかに付き人に向けるべき視線ではない。それはまるで、異端者を睨みつけるかのよう。だがそれはほんの一瞬で、シェリーに目線を戻せば優雅な立ち振舞を見せる。これは、どうもきな臭いな……。


「さて。御神子様がたをしたい一心でございますが……あいにくこの情勢ですので手短とさせていただくことを、どうかご容赦ください。それでは、礼拝所へご案内いたします」


 先程の視線が気になる俺だが、ここで変に暴れるわけにもいかない。とりあえずアマンダについて行き、エントランスに入る。

 白い廊下が奥まで続くせいで、このまま引き込まれてしまいそうだ……。右手には窓が並び、左手には歴代の同族と思しき銅像が置かれている。


 大理石の床を暫く歩くと、大きな赤い扉がある。衛兵がそれを開けると、神聖的な装飾の後陣アプスが顔を出した。


「……この景色……!」

「口を慎め。教皇さまの前だぞ」

 衛兵の叱咤を忘れて、思わず此処の景色に目を奪われてしまう。


 桃色と水色に分かれた花柄の柱に、青空を描く天井。中央の巨大な一枚絵は、祈りを捧げるアリスが描かれていた。彼女が身に纏う白いドレスは、最後の逢瀬で見たものとほぼ一致する。その上には、紋章を模った像が壁掛けられていた。


 そうだ、この地だ……! あの時の夢──デュラハンを倒した晩の夢──は、この場所だったんだ! 一枚絵を除けば、柱の位置も面子も相違ない。

 眺めていると、アマンダは聖書台に立つ男を手で示した。


「あちらが教皇さまでございます」


 長い杖を右手に持ち、白い司祭服に身を包む仮面男。こいつの容姿も夢とそっくりだ。頭部を司教冠ミトラで覆う故、毛束一つ見えやしない。


「教皇さまは銀月軍団シルバームーンの一味に酸を撒かれ、顔を負傷しました。そのショックで、お言葉も閉ざしてしまわれたのです」


 ……もし俺らがもう少し早く向かえば、そんな事にはならなかったのだろうか。いや、悔やんでも時間が戻るわけではない。

 不憫な教皇を見つめていると、シェリーは声を震わせて彼の手を握り締める。


「教皇さま……私達のせいでこんな……」

「いいえ、御神子さまのせいではございません」

 アマンダが横に立ち、シェリーの肩に手を添える。


「これも、我が一族に課せられた試練なのでしょう。御神子さまがお越しになられたおかげで、きっと風向きが変わるはずです」


 その時、後ろから人々がぞろぞろとやってきた。暗い顔をした者たちが次々と木製の長椅子に座り、誰もが聖書台の方をじっと見つめる。


 俺も座るべきなのか?

 直後──



「動くな」

「!!」



 何者かの手が俺の口を覆い、後ろ手を組まされる。背後で金属音が聞こえると、両手首を動かせなくなった。もしや、付近に立つ衛兵たちが仕組んだのか?


 だが何故だ? シェリーの付き人である俺が、なぜ捕らわれて……。

 俺を気に掛ける者は誰一人いない。シェリーとアマンダは教皇たちのとこにいるし、助けを求めようにも声が出ない。いったいどうなってんだよ……!


「それでは始めましょうか、御神子さま」


 待て! 俺をどうする気だ!!

 くそ、マジで嫌な予感しかしねえ!


「無駄な抵抗はするなよ? お前が苦しい思いをするだけだ」

「…………!」


 嗚呼、ついに儀式が始まってしまう。

 シェリーは聖書台の前で両膝をつき、一枚絵のように祈りを捧げる。教皇が杖を高くかざすと、金色の光が彼女の全身を覆い始めた。


 刹那、彼女の肩がビクッと上がり──



「ああぁぁあああぁあぁぁああ!!!!」



 それは断末魔に近しく、いつぞやのデーモン戦を想起させる程の絶鳴だった。

 彼女が頭を抱えてうずくまるも、アマンダは淡々と言葉を続ける。


よ。全てを思い出し、過去を受け止めなさい。貴女に眠るアリスの魂を呼び起こせば、奇跡は起こるでしょう」

「来ないで……来ないでぇぇええ!!!」


 継承者──その単語を耳にした俺は、アルの言葉が脳裏をよぎる。


『女神様のお力は太古より存在するもので、永い時の流れを経て継承される──と聞き及んでおります』


 シェリーがアリスの記憶と力を引き継ぐ事は判っていた。けれど……『極限解放が全てを思い出すことに繋がる』──これは、盲点だった。


 ただ見守るだけで良いのか、俺? 彼女を助けるのが俺の務めじゃないのか?


 答えは明白だった。

 怒りに身を任せ、枷を外そうとしたつもりが──


「ぐふっ!」


 脇腹に加わる衝撃。槍の柄で殴られたせいで、身体が少しよろめいてしまう。

 ならば──!


「ふがぁぁ!!」


 意識を集中させた途端、手首に稲妻が走った。


「大人しくしてろ」


 くそ、力を封じるための手枷だったのか!

 激痛と同時に、無力な自分への苛立ちが込み上がる。


「アレックスさん……助けて……! ヨルムンガンドの子なんか産みたくない……!」


『ヨルムンガンド』──それはルーセの本来の姿であり、猛毒の大蛇としてティトルーズ王国の支配を企てた存在。息子であるジャックもまた、同じ事を繰り返そうとしているんだ。


 ああ、判ったよ。

 日記が幻視病げんしびょうの消滅で途切れた理由が。


 アリスは誘拐されて、無理矢理ジャックを産まされたんだ。

 だから彼女は、


 自身の胸に剣を──。




『アレッ……クス、さん……』

『おい、アリス!!!!』


 アリスと別れてから一年後。ティトルーズ率いる連合軍は、ルーセ王国を襲撃。しかし──その再会は、あまりに残酷なものだった。


 俺は単身でルーセ城に乗り込み、こく魔法でステンドグラスを破壊。直後、眼前に広がる光景に目を疑った。


 その粗雑な寝台の上で、一人の女が仰向けになっていたのだ。乱れた銀髪に、無惨に引き裂かれた白のドレス。長剣が突き刺さる胸元からは、鮮血がドクドクと溢れ出す。寝台を赤く染め上げる彼女は──ほかならぬ初恋相手だった。

 それでもアリスは、血を吐きながら声を振り絞る。


『私は……もう、生きたって……』

『バカ野郎!! 俺を置いてったら一生恨むぞ!!!』

『知って、ますわ……。ですが……』


 やめてくれ、その手を離さないでくれ。

 お前、やけに冷たいじゃねえか……こんなの、夢に決まってるだろ……!


『生まれ変わったら……次、こそは……』


『必ずお前を助ける! だから、んな事──ッ!!』


 だが、俺の言葉はもう耳に届いちゃいない。


 手を包み込む温もりは、

 するりと



 滑り落ち──



『う……うあぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!』



 その時、俺の中にある何かが壊れた。

 何もかもがどうでもよくなった。


 疫病が消えたからって。


 人間どもがヨルムンガンドを倒したって。


 平和を取り戻したって。



『そこまでだ! 侵入者!!』



 アリスのいない世界なんか──



『……要らねえんだよ』

『な!?』


『こいつのいない世界なんか、要らねえんだよ』


 怒りを通り越し、感情すら失った俺は

 人喰い悪魔として生きることを選んだ。



『やめろ、やめ……ぎゃあぁぁぁああああ!!!!!!』



 俺の牙はつわものの腕を千切り、頭からは目玉や歯が飛び散った。人間が放つ生臭さに、他種では味わえない食感。

 本来の俺がそういう種族である以上、やみつきになるのも時間の問題だ。


 もはや人ですら無い一人のルーセ軍兵士。

 それをよそに血だらけの口を拭おうとすると、今度はティトルーズ軍兵士が現れた。今度は二人だ。


『き、貴様! まさか女神さまを……!』


 今更『違う』なんて事実を吐くのも面倒だ。


 恐怖を抑え、剣で脅す彼ら。

 俺は、彼らの腕を伸びた爪で切り離し──


『あぎゃぁぁあああああ!!!』

『た、助け──』



 どんなに人を喰らっても、俺の心は満たされなかった。

 ルーセ王国を滅ぼし、平穏を取り戻してもなお憤りが鎮まらなかった。



『アリスってそんなにすげえ人なの?』

『あの幻視病がいきなり終息したのも、彼女のおかげらしいぜ』

『へえ。一部のイカれた信者が持ち上げてるだけじゃねえの』


『それ言えてる。美人なのにいっつも浮いてたよなー。彼氏いなさそうだったし』

『あんな変わり者の恋人なんて疲れるだけだろ』

『まあ、黙ってりゃ普通に使えそうだがねぇ』


 ヘラヘラと笑うその辺の連中を、俺は許せなかった。この国に平和が訪れたのはあいつのおかげだと云うのに。


 恩を忘れたヤツに生きる資格などあろうか?

 ……否。


『うわぁあぁぁあああ!!!!』

『おい、どうし……ひえっ!!?』


 もう一人の男が振り向いた頃には、既にヒトとしての形が失われていた。


 はただ怯えるだけだ。あれだけ大口を叩いてたのが嘘のように、腰を抜かしている。無論、そんなヤツを見過ごす俺ではない。


『く、来るな……わぁぁぁああぁぁあ!!!!!』



 それからは、礼儀知らずを片っ端から喰い散らかす事が生きがいだった。


 だが、それも長くは続かない。

 俺はついに騎士団に捕らえられ、牢獄で死を待つ事になる──。




 頭に襲い掛かる激痛。痛みを堪えてでも、思い出す甲斐があった。

 偶然にも、俺はあいつの最期を見届けることができた。でも、その最期はあまりに悲しいもの。


 判ってるさ。

 アリスがラウクと結ばれなかったら、シェリーは生まれてこなかったってことを。


 それでも、辛いものは辛いんだよ……!


 全身の痛みで意識が朦朧もうろうとするなか、シェリーの耳元で囁くアマンダがいた。距離がある以上、何を言っているのか全く聞き取れない。


 信者どもは彼女らにを託し、ただ祈るだけ。


『ああ、女神さま。どうか私たちに救いの手を……』


『俺の腕を返してくれ……』


『お父様、お母様……!!』



 やがて視界は白くなり



 何も


 聞こえなくなった



























 あれからどれ程の時が過ぎただろう。


 此処は、錆と湿気にまみれた空間。背中が冷ややかな壁に触れ、視界が晴れやかになる。鉄臭い何かが俺の口を封じているようで、舌を動かす事も儘ならない。

 上半身にはマントや衣服の感触すら無い。抵抗しようにも、枷が四肢を引っ張るせいで何もでずにいた。どんなに暴れても、金属音が虚しく響くのみ。助けが来る気配は無かった。


 そういや、シェリーは……?

 結局霊力を解放できたのか? いったい何処にいるんだ?



「気が付いたようね」



 俺の前に立つのはアマンダ。その声からは、聖職者の面影が何一つ感じられない。それどころか手中には革製の一本鞭があり、上がった口角は狂気すら覚える。


「御神子さまに纏わりつく虫……アレクサンドラだったわね。此処であなたを始末したいところだけど」


 彼女は鞭を持ち上げ、長い紐を振り──下ろすことはなかった。

 身体が動いた反動で鎖が揺れる。アマンダはそんな俺を貶すように乾いた笑みを浮かべた。


「ふふ、歴戦の悪魔でもこんな玩具がんぐに怯えるのね。それとも……欲しいのかしら?」


 違う、俺はそんな趣味など無い!

 どんなに首を振っても、アマンダは「あらあら」と嘲笑うだけだ。


 屈辱に苛まれる中、彼女は身動き取れない俺に追い打ちを掛ける。


「残念ね、今日の遊び相手は私じゃないの」


 お前以外に誰がいる……?

 誰かの足音が近づき、左手のドアが開かれる。


 現れたのは教皇だ。仮面から垣間見える瞳は鋭く、満月のような色を見せる。この獲物を捉えるような目つきに見覚えがあった。

 いやまさか、んなわけ──!



「どうだ? 存分に夢を見れたか?」



 司祭服を一気に脱ぎ捨て、黒尽くめの銀髪男が現れる。

 教皇の正体があの男だと知るのに、僅かな時間を要した。


 頭の中が真っ白になり、何も考えられない。顔を火傷したと云うのも、シェリーとのやり取りも嘘だったのか……?

 彼は不敵な笑みを浮かべ、俺に真実を叩きつけてくる。


「極限解放をして無事戻れると思ったか? 貴様は支払ったのだよ、『俺の女を返却する』という代償をな!」

「────!!」


 胸中を支配する敗北感。

 全てはこの男が仕組んだ罠だ。それに気づかず踏み込んでしまう俺は、ただの大馬鹿野郎だ……!


 関節を鳴らす音が鼓膜を伝い、背筋が凍りつく。

 そして彼は、これが絶望の始まりである事を伝えた。




(第四節へ)






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