騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第五節 お前はバカで最低だ

公開日時: 2021年4月12日(月) 12:00
更新日時: 2021年4月12日(月) 14:21
文字数:5,838

 メルキュール迷宮二階。冷え切った通路を抜けた俺とシェリーは、貯水池と思しき場所に辿り着く。

 だが、そこで見た光景は凄惨なもので、俺は勿論シェリーも一気に青ざめた。


「こんなの……酷すぎますわ……」


 ローブを羽織る者に、鎧に身を包む者など──水上に浮かぶ戦士たちの身体には何処かしら欠損があり、骨が露出する者も存在する。その周囲で散乱する肉片もまた直視しがたいもので、この汚れた池にはが棲んでいる事を物語った。


 いま俺たちがいる足場は横に広がるものの、その先は赤黒く濁った池だ。更に先には扉があるが、飛行も許されているとは思えない。そして追い打ちを掛けるように、明文化しがたい悪臭が俺達の嗅覚を狂わせた。


「うぅっ……」

 シェリーが前屈みになり、床を汚してしまう。幸い事は無いが、死体を見慣れた俺でも嫌悪感を催すのは事実だ。


「此処の魔物は俺が倒そう」

「いえ……私も、戦わねば、なりませんから……」


 膝を曲げてシェリーの背中を支えるが、彼女は頑なに立ち上がろうとする。俺が「其処にいろ」と言葉を残して前に立ったとき、水中に大きな影が映り込んだ。


──バシャァァアア!

 その影が宙を舞う瞬間、大量の黒い飛沫が俺達の身体に付着した。青朽葉あおくちばの鱗を持つ巨大飛び魚──バハムートか。全長六メートル程の巨体がこの池に収まっていると思うと、戦慄せずにはいられない。尾まで伸びた銀のヒレは時に虹色に輝くも、長年の戦闘経験が恐怖を思い出させる。──あのヒレには、実は電流が流れているのだ。


 バハムートの頬が膨らむ時、嫌な予感を覚える。ちょうどシェリーが立ち上がった時、彼女に指示を出した。


「避けろ!」


 ヤツの口から放射される、ドブのような粘液。それが弧を描くように撒き散らされると、俺とシェリーは後ろへステップした。

 しかし、彼女についてはタイミングが悪かったようだ。彼女の左足に纏わりつく粘液には、相手を鈍化させる効果がある。そのせいで、上手く立ち上がれないようだ。


 助けてやりたいところだが、どうやらそれも叶わないらしい。バハムートの血走る目が光ったとき、ヒレから稲妻が駆け抜けた。


 音速でシェリーに迫る雷撃。

 数歩で彼女の前に立った時、俺の身体に鞭打たれるような激痛が走る!


「うああぁぁああぁああ!!!!!」

「アレックスさ──」


 ぐっ……身体が麻痺して、まともに身動き取れねえ……! つか、シェリーに何が、あった……!?

 無理やり首を動かし、彼女が居た方を見るが──そこに彼女は居なかった。それどころか、図体のでかい魚がただ後方転回して棲家に戻ろうとしているだけだ。


 まさかあの化け物、食いやがったのか……!?

 いや、今ならまだ間に合う!!


 麻痺が徐々に緩和されるうちに、翼を広げてバハムートを追う。今、ヤツは頭部を池につけているが、尾ひれはまだ空気に晒されたままだ。

 その尾ひれに斬りかかろうとした瞬間、黒い波が眼前に迫ってきた! すぐさま顔の前に剣身をかざすも、首より下に再び痺れが起きる。


「くぅ……っ!!」


 これぐらい何だってんだ!

 俺は……絶対ぜってえにあいつを助けるからな!!


「うおぉぉぉおおおぉおお!!!!!!」


 全身に血を巡らせ、右手に命令を下す。

 その手はマグナムを懐から取り出すと、のうのうと浮く魔物の片目に狙いを定める!!


 鉛の銃弾は大きな目玉をぶち抜き、白と緋色の肉片と撒き散らす。こいつの身体が水中に落ちる前に、膨らんだ腹部に瞬時で近づいた。


「ふんっ!!!」

 長剣を両手に構え、腹部の表面を縦に切り裂く。それから剣を鞘に収めたあと、両手で傷口を押し広げてやった。電流は硬質な鱗から指先へと流れるも、胃袋で因われたに手を差し伸べた。


 彼女もまた、黙って手を取る。

 例えその身がけがれようと、彼女の無事が何よりも大事だ。微かに感じる温もりを握り締め、繊細な身体を抱き上げる。


 直後、極彩色ごくさいしきの光がバハムートを包み込む。

 強大な力を予期した俺は固く瞼を閉ざし、シェリーに声を──


 ……違う。

 目を焼く程の爆発は、何らかの力で遮られた。


 恐る恐る瞼を開けてみれば、彼女は片手を突き出し結界を張っている。それが霊術によるものか否かは判らないが、もしこの結界が無ければ俺たちの目に光が失われただろう。

 光が反射したことで、飛び魚がジリジリと焦がれ始める。その際、腹の下から銀色に光る宝石“銀の心臓”が露出。とどめをどう刺すか躊躇していると、シェリーが俺の腕から離れて羽ばたいた。


 彼女が両手を振りかざすと、筒の長い銃器を召喚。銃の扱いに長けるシェリーは、既に射撃の構えを取っていた。


 そして彼女は──

 トリガーを引くのと共に、高らかに叫ぶ。



「先程の……お返しですわ!!!」



 銃口が光の散弾を放ち、銀の心臓を粉々に打ち砕く。

 バハムートは今度こそ水中へ落ちるはずが、闇の花弁となって昇天していったのだ──。


「……はあ……はあ……」

「俺の代わりに……。ありがとな」


 シェリーの肩が上下する。辛い状況だったにも拘わらず、戦ってくれた彼女の背に腕を回したくなった。


「行きましょう。一刻も早く、人々を助けないと!」

「いや、清神せいじん像を見つけたら一旦休め。今の俺達には小休止が必要だ」

「……わかりました」


 渋々といった様子で頷くシェリー。そんな彼女の反応を振り切り扉付近の足場に着地すると、一足早く通路に出た。




 少し歩いた先に、一枚の扉があった。その扉を開ければ澄んだ空気が俺たちを包み込み、心に安らぎを与えてくる。


 四隅に設置された石柱も壁も──波のような彫刻と浅葱鼠あさぎねず色の石材──、これまでの造りとほぼ同じもの。けれど、横長に広がる水の溜まり場には濁りが一切感じられない。壁に生じた穴はまばらで小さいものの、降り注ぐ陽が水の揺らめきを天井に映す。

 この円形な部屋の中央には、一体の女神像が在る。髪を一つに束ね、扇情的なドレープを纏うこの女こそが“清神ウンディーネ”だ。彼女がこの清らかな空気を与える中、わざわざ入る魔物など何処にいよう?


 シェリーは水を見て立ち尽くすが、胸に手を当てる仕草から不安が窺える。そこで俺が先んじて深さを測ってみる事にした。


 入口から溜まり場までの距離は僅か五、六歩程度。水辺で片膝をつき、右手を入れてみる。すると毛穴がキュッと引き締まり、戦いで上昇した体温が一気に下がるのを感じた。

 思い切って手首まで入れると、掌がすぐに底へ到達する。皮膚を刺激する岩肌の凹凸ですら、今では心地良いものだ。アイリーンは『お嬢様シェリーは溺れた経験がある』と言ってたけど、この深さなら心配要らない。


「全然浅いぞ」

「よ、良かった……!」


 背後で怯える銃士は安心してくれたようだ。彼女は俺の隣──すなわち水辺に近寄ると、両足を外へ投げ出すように座り込む。両手ですくい上げられた水は指の隙間から零れ落ちるが、彼女は構わずそれを飲み干した。喉を潤した後は、髪に張り付く粘液を濡れた手で落とす。汚れを手短に洗っているだけなのに、とても上品な動作だ。


 そういやこいつは『戻ってきたら話がしたい』と言ってたけど、魔物が蔓延る状況下での平穏は奇跡に等しい。だからきちんと話をするには今しかないだろう。


「昨晩俺に話してたことだけど、やっぱ頭から離れられねえんだよ」

「……そうですね。合流できたのも何かの縁ですから、あちらでお話しませんか?」

「おう」


 シェリーが右手にある柱と柱の間を指差す。確かにあそこなら亀裂は無さそうだし、少しは安らげるかもな。

 俺たちはそこへ移動し、壁に寄りかかって腰掛ける。片足を正面へ投げ出し、天井に反射する水面に視線を移してみた。一方でシェリーは、何の変哲もない正面に物憂げな眼差しを注ぐ。そして彼女は俺に顔を向けることなく、話を始めた。


「薄々お気づきかと思いますが、私は神族と人間のハーフなんです。実はお母さんがミュール族で、幼い頃から『本当の姓を隠しなさい』と教えられてきました」


「ミュール族って、あのアリスの?」

「はい。……でも、お母さんや他の親族は、を思い出す事が無いそうで。勿論、誰かを見て胸を痛めることも」

「在りも、しない記憶……」


「どうやら私には、五人の仲間がいたようです。いずれも女の子で、その中に“クレア”という大切な親友がいました。でも、『彼女の他にどんな子がいたか』までは憶えていません。その後は男の人に捕まり、を産んでいました。それは私の意志に反するもので、何もできない私は……あなたに似た人を思い浮かべていたそうです」

「!!」


『意志に反して、誰かを産む』──その言葉だけで頭に激痛が走った。けど此処は誤魔化さねえと、彼女は気を遣ってしまうかもしれない。だからさりげなく頭に手を置き、俯いたまま耳を傾けた。


「あの、大丈夫ですか……!?」

「気にするな。話を続けてくれ」


「でも……」

「良いから」


 躊躇したのか、少しの間沈黙が流れる。ちょうど頭痛が和らいだとき、彼女は体勢を変えて膝を揃えだした。


「アレックスさん、こちらへ」

 シェリーが儚げな笑みを浮かべつつ、自身の腿を手先で示す。もしかしてこいつ、俺に膝枕をする気か?


「お前、それがどういう意味か判ってるのか?」

「ええ。だから、あなたさえ良ければ来て」


 ……あれだけ妄想を膨らませてたのに、いざ現実で起きるとドキドキするものだな。言葉に甘えて後頭部を預けると、程よく膨らんだ双丘が視界に飛び込む。この時点で結構キてるのに、指先が髪を撫でるせいで理性を保つのに精一杯だ。

 頼む、下半身を見ないでくれ。その空のように美しい瞳を、ずっと俺の顔に向けててくれ。……今、かなりヤバいから。


「お前に迷惑を掛けちまったな」

「いいえ。ずっと戦ってばかりでしたから、お疲れでしょ?」


 こいつは良い嫁になる。考えたくないが、こんな奉仕が社交辞令って事も有り得るんだ。昔気になってた竜族の遊女も膝枕をしてくれたけど、結局は仕事の域を超えなかったし。


 もし彼女が俺の恋人になってくれたら、何が何でも大事にする。

 そう心に誓うと、シェリーはようやく過去を明かしてくれた。



 七歳の頃、私はマリアやルーシェと一緒に城内のプールで泳いでいました。ですが、せいの邪神アイヴィに襲われたため、思わず霊力を解き放ってしまったのです。その結果、ルーシェが私に代わってこの世を去ってしまいました。……彼女が、私の近くに居たばかりに。

 当時のルドルフ兄さんからは『化け物』と呼ばれました。そりゃあ、そうですよね。だって私が力を制御できないせいで、初恋の人の妹を殺してしまったんですもの。


 あの事件がきっかけで私は水が怖くなり、人との距離も置くようになりました。学校内に友達がいないせいでどう接すればわからなくて、同い年相手に敬語を使ってしまうんです。……それは、第七学年になっても同じことでしたわ。

 やがて高学年になった私は、ベレさんとエレさんに出会いました。でも、最初から仲が良かったわけではありません。むしろベレさんは……他の女の子と一緒に私に嫌がらせをしていたのです。そこでも馴染めない私は、またもや孤立してしまいました。


 先程、『アイヴィに襲われた』とお話したでしょう。あの頃、邪神が種を植え付けたせいで、十三の頃に孵化ふかさせられそうになりました。陣痛に悶える私を病院に連れて行ってくださったのはランヘルさんで、治療してくれたのは……ジャック・ルーセです。


 あの人は強引ですし言葉もキツいのに、どんどん惹かれてしまったんです。冷たい眼差しに秘めた優しさが、大好きで……退院後は、会うたび肌を重ねておりました。

 ですが、私達の愛も終わりを迎えます。マリアと両親に、反対されたからです……。いずれあの人が銀月軍団シルバームーンを率いるなんて思ってもみませんから、彼女らとぶつかった事もありました。


 未練を抱えながら三年の時が経ち、今に至ります。コーラルの月に魔物と初めて遭遇した時、花姫フィオラとして覚醒しました。


『我は、“純真な花ピュア・ブロッサム”を率いしアリス・ミュール。霊力を以って花姫となり、再び厄災を討たん』


 これは私の中で聞こえてきた言葉です。あたかも私が思っているような感覚で、ちょっと気持ち悪かった……。あなたが来るまで隊長はマリアが務めていましたが、ミュールの奇跡が無ければ彼女らは戦えません。ですから、通信機に霊力を注ぐことで単体でも力を解放できるようになったのです。


 お母さんに『本当に危ない時だけ、あなたの力を使いなさい』と教えられてきたのに、幼馴染を殺して、学校でも暴走してしまったんです。ホント……最低ですよね。化け物、ですよね。


 こんな話を聞いて、アレックスさんもきっと……嫌になったでしょう? どうぞ、『お前と一緒にいた俺がバカだった』と……一蹴、なさってください……。



「……そうだな。確かにお前はバカで最低だ」

「っ、ああぁ……!」


 よせよ。涙が俺の頬に当たってやがる。

 だいたい、お前みたいな女はあまりに惨めで……イライラするんだよ。


 お前を苦しめた運命にな。


 それに、女にずっと甘えるのは性に合わねえんだ。いつまでも膝上で寝てられっかよ。

 ああ、これが落ち着く……。『俺から抱き締める』って事に。


「どうして、私に構うの……! そんなこと、されたら……」

「お前を抱き締めたいヤツが此処にいるのに、自分を貶すなんてバカのやる事なんだよ。苦しむたびに胸を痛めるヤツが此処にいるってのに、勝手に『気に掛けてくれる人はいない』みたいに振る舞いやがって……最低なんだよ……」

「……あぁぁああぁあああああぁぁ!!!!」


 それでいい。

 俺の胸の中でずっと泣けば良いさ。気の済むまでな。


 惚れた女が泣いて、胸が締め付けられるなんて……随分と久しいぜ。隊長としての責務も、戦いも、全部全部捨て去って、この頭をずっと撫でてやりてえよ。


 今は時を忘れて、彼女を抱き締めていたい。


 こいつの声が。涙が。

 二度と泣けなくなるくらいに枯れるまで──。




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 ──────。


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 懐中時計の針が一周したようだ。もっと長く居た気がするのに、案外そんなに経ってないのな。

 あれだけ泣いてたシェリーも、今じゃ俺に背を向けて扉に近づいていく。歩くたびに揺れる蒼い毛先──それは、『未来つぎに進む』という意志の表れみたいだ。


 そして彼女は振り向く。

 腫れた目を誤魔化すように、笑顔を浮かべながら。



「行きましょう、アレックスさん」



 その声は枯れていながら、凛としていて美しかった。




(第六節へ)






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