儀式室を後にすると、リリトは俺の前で低空飛行を始める。彼女は苦労する事なく敵たちを始末すると、背を向けたまま俺との会話を始めた。
「うぬは悪魔のくせにルーセ王国の再建を望んでおらぬのか?」
「ああ。辛気臭い国には興味なくてね」
「珍しい男よのう。ルーセは余の出生地でもあるからな、二世についていったが……いかんせんアルフレードのような覇気が感じられぬ」
「さしずめ、四百歳前後ってとこか」
「うむ」
「その感じだと、『再建なんてどうでもいい』って感じだな」
「かもしれぬ。何だかんだで世界を回るのに慣れてきたからな」
「なんで世界を?」
「下僕を集めるためじゃ。しかし、どいつもこいつもゴミ男ばかり。もうこの国に住もうかの」
呆れた様子で首を振るリリト。俺には夢魔の習性を理解できないが、彼女なりに不満を抱いているのだろう。
彼女は俺を見るや、『うーんうーん』と唸る。考えを巡らせた末、何か思いついたようだ。
「アレクよ。今後もうぬの下僕として余に仕えよ」
「勝手に決めつけるな。だいたい、ドMの癖になんでそんな偉そうなんだよ」
「余はいじめるのが趣味だ! ……でも、いじめられるのは、もっと趣味じゃ。……う、うぬが下僕だから、特別に言ってやったのだぞ!」
なんで顔が赤いんだこいつ……。まさか俺に惚れてるわけ、ねえよな……?
「な、何なのだその目つきは!? ゴミを見つめるようなその眼差し……余が感じるのを判ってて見てるだろ!?」
「別にそういうわけじゃねえよ……」
想像以上にやべー女と遭遇しちまったな。
そう思って視線を戻すと、洗練された一枚扉が視界に飛び込む。
「此処ぞな」
「よし、鍵を開けるぞ」
俺は懐から聖具室の鍵を取り出し、小さな鍵穴に差し込む。そのまま鍵を回すと解錠の音が聞こえたので、ドアノブに手を掛けた。
その扉を開けたとき、アーチ型の柱が俺たちを出迎えた。両脇には無数の燭台が並び、奥へ伸びる赤い絨毯の先で女神官が佇む。燭台とシャンデリアに灯る火のおかげで、黄金の世界を創り出していた。
アマンダは俺たちに気づいたようで、臙脂色の隻眼を細めて鞭を構える。その赤い唇から漏れたのは、夢魔への苛立ちだった。
「やはり裏切ったのね。これだから女は信用ならないわ」
「うぬのような女とは、顔を合わせたくないからのう」
「不実な癖によくも飄々と…………滅ッ!!」
革製の一本鞭が振り下ろされたとき、衝撃波が絨毯を駆ける。俺たちは二手に分かれるように回避すると、リリトが両手に月の氣を込めた。
「下僕! 余が後方に回る間に突き刺すが良い!」
「簡単に言う」
この夢魔のせいで少し調子が狂うが、一人よりはマシだ。
扉の前に鉄格子が降りた時、神族との戦いの火蓋が切られた。
アマンダがもう一度鞭を振り下ろすと、幾つもの衝撃波が宙を舞う。暴風のように唸る攻撃を二人で躱せば、数本の蝋燭から火が消えた。微かな暗がりが不気味さを呼び、緊迫感が更に増す。
「うふふ♡ 特別に支援してやろうぞ」
後方にいるリリトが両手を掲げると、俺の身体が一気に軽やかになる。これを機にアマンダとの距離を詰めると、長剣に清魔法を宿した。
「氷刃!!」
舞うように剣を振り回し、突きの姿勢を取る。交錯する冷気の残像はアマンダを捉え、鞭を持つ右手に霜が下りた。
「うう……っ!!」
凍傷で顔を歪める神官。だが、それで終わりではない。
凍りついた右腕を剣で切り落とすと、彼女は金切り声を上げた。
「あぁぁぁぁあぁぁああああぁあぁぁああ!!!!!」
鞭を持つ右腕は床に転がり落ち、血溜まりを作り出す。彼女は左手で右肩を押さえるも、断面からは大量の鮮血が溢れていた。
「ああぁぁ……女神様、どうかお慈悲を……」
「苦しい時の神頼みってか?」
泣き崩れるアマンダの頬に、切先で紅い直線を刻む。涙が傷口に染み込んだようで、彼女は更に泣き喚いた。
「いやぁあああああ!! ジャック様に捨てられたくないのぉぉおおお!!!!!!」
「どうしてもよこさねえってなら、その腕も使えなくしてやる」
彼女は拒むように首を振るが、俺は構わず刃先を左肩にめり込ませた。
「くぅうう!!!」
前に倒れ、自らの血を顔に浴びるアマンダ。その鉄臭い体液を吸い込んでしまったようで、げほげほと噎せ返した。
「こないだの借りは返させてもらうぜ」
俺はこの女とジャックに散々傷めつけられたんだ。それに、ミュール島の連中を駒として扱ったのもこいつだ。
もはや俺には“情け”という言葉は存在しない。
再び刃を氷漬けにし、右足首に向かって振り下ろす!
「ぎゃああぁぁぁあああああぁぁああああ!!!!!」
「お〜? やはり悪魔らしいところがあるではないか」
「やられたらやり返すってだけだ」
リリトは、そんな俺を見て興味津々のようだ。残忍な光景に興奮するのは、魔族特有の習性だろう。
一方で右足を切断されたアマンダは、白目剥き出しで口を魚のように開閉させる。敢えてとどめは刺さず、放置する事で鍵を渡すはずだ。
しかし──。
「渡さない……絶対に、渡さない……」
「随分とご主人に執着しているな」
あの男なら、目の前の彼女が無惨な状態なら尚更見捨てるだろう。それすら見抜けないこの聖職者は、あまりに不憫である。
「鍵を渡せば……小娘が、この国を……この世界を……そうすれば、私めは……何の、ために……」
独り言を延々と呟く彼女。その全身からは、見覚えのある黒いオーラが溢れていた。
そう。そのオーラとは、以前シェリーが暴走した時と同じもの。
虚ろ目の彼女は奇妙な笑い声を上げ、瘴気を大きくしていく──!
「ふ……ふフふ……ふふふフフふふ……アはハははハハハはははハハは!!!!」
黒い光は俺たちの視界を奪い、高笑いが鼓膜をつんざく。
光が晴れた末、彼女の四肢は修復していたのだ。
「そンなにあノ小娘が大事ナの!? あなタのよウな下等悪魔に身ヲ捧ゲた女なド、さっサとルーセの奴隷ニなってシまエば良イのヨ!!」
「霊力の、暴走……!? ふんっ、メスゴリラに進化したぐらいで余は折れぬぞっ!」
いや、メスゴリラでは無えけどな……。
それはさておき、リリトも臨戦態勢で心強い。
アマンダが鞭を持ち上げると、三メートル程あった縄の部分が黒い粒子に包まれ、倍の長さに変化した。油断すれば、遠方に立つリリトをも容易く狙えるだろう。
「さア、かかッてらっシゃい! 命乞イすルなら今ノうチよ!!」
「何を今さら! 今度こそぶっ飛ばしてやる!!」
長剣を構え直し、もう一度アマンダに迫る!
「はァあぁァ!!」
しなやかな鞭が俺を狙う。何とか躱せたものの、リーチが長いせいで回避に苦労するな。
「出デよ!」
アマンダが召喚したのは、中空に浮かぶ巨大な剣──霊剣だ。
彼女が左手を振り上げると剣は青白く光り、俺に斬りかかった。
二つの剣は幾度も火花を散らし、金属の音を打ち鳴らす。
アマンダが霊力を圧力に変換させる事で、霊剣の重量は増す一方だ。先程と一変し、反撃の余地が全く見えてこない。そして彼女の剣撃をまた受け止めたとき、刃が零れそうな程の重圧が圧し掛かってきた。
「くっ……!!」
「そノ手を緩めレば、アなたハ真ッ二つよ」
余裕そうに左手を突き出し、更に霊力を注ぐアマンダ。
くそ、このままじゃ本当に真っ二つになっちまう……!
「さテ、こちらも」
彼女の右手──鞭を持つ手に力がこもり、縄がリリトを捕らえようとしている。
俺は彼女を護るべく、この重すぎる霊剣を弾き飛ばしてみせた。
「ナに!?」
アマンダが驚愕する間、直ちにリリトの元へ駆け寄る。
縄が彼女の身体に触れる直前、俺は剣を以ってバラバラに切り裂いた。分断された縄が床に落ち、使い物にならなくなっ──
「ふゥぅウん!!」
アマンダの掛け声で一気に元に戻った……だと!?
それだけではない。彼女は左手を突き出し、霊術で俺を苦しめる!
「うあぁっ!!」
まるで雷に打たれたかのように、鈍痛と痺れが全身を襲う。その痛みに絶えきれず片膝をつくと、幾重にも重なる縄がリリトの首を締め付けた。
「ぐぇ……ッ!!!」
「リリ、ト……!」
くそ……身体が麻痺するせいで動けやしねえ。
だが硬直と闘う最中、悪夢はついに実現してしまう。
鞭に棘が生え、リリトの首から紅い飛沫が舞う
その瞬間、俺の背筋が完全に凍りついた
「裏切リ者はこウよ!!!」
聖職者が鞭を振り上げた時
憎たらしい童顔は、目を見開かせたまま宙を舞った
やがて夢魔の首は俺の足下に転がり、絨毯を血の海にしていく
もうその目は、その口は──決して、動かないのだ
俺のせいで彼女は死んだ
その事実を受け止める前に、アマンダは次の一手を繰り出す
「次ハあなタの番……でモ、簡単に殺ルのはもッたいナいワね。ハァぁぁア!!!!!」
……大丈夫だ、まだ立てる。
こうなれば、彼女の分も背負って生きるまでだ。
霊剣は四本に分身し、こちらへ突進する。……目の前で味方が死んだと云うのに、不思議と冷静だ。
無の魔法を込めた剣で次々と叩き落とし、アマンダを見据える。
その直後──
「ぐふっ!」
トゲだらけの鞭が俺の脇腹を抉り
燭台付近の床へ弾き飛ばされた
「い、て……っ!」
せっかくの鎧が穴だらけじゃねえか……。腹部は紅く染まり、ズキズキと痛みだす。
それでも立ち上がろうとした矢先、再び鞭が迫──
「まダこれカらよ!!」
「うぉお!!」
「コれはどウ?」
「く……っ!!」
「気持チ良いンでシょ?」
「あぁぁ!!!」
「うふフ……良い鳴キ声ね……」
棘が鎧を貫き、俺の全身に掻き傷を作っていく。
視界も指先も紅く濡れ、意識があやふやになろうとしていた。
「マだ起き上がル気!? そンな悪イ子には……」
「それぐらいにしておけ」
なぜジャックの声が……? しかも、あたかも最初からそこにいたようにアマンダの背後に立っている。
「ジャック様!? 私めはタだ、こノ者たちヲしま──」
「俺に逆らう気か?」
ジャックがアマンダの言葉を遮り、片手で彼女の首を持ち上げる。彼女は必死に抗うも、全く以て無力だった。
「この女は不要だ。貴様の手で刺せ」
「……何を企んでやがる」
「憂さ晴らしをしたかったのだろ? 彼女を刺せば、特別に内陣まで連れて行ってやるぞ」
くっ、足許を見やがって……! だが、これ程運の良い出来事はそうそう無いだろう。
足を引きずりながらも、彼らの元へ何とか近づく。
そして朦朧とする意識の中、彼女の背に目を凝らし──胸を貫いた。
「ぐはァ!!!」
剣を引き抜いた時、鮮血がジャックの顔に飛び散る。しかし彼は表情一つ変えず、アマンダを絨毯の上に手放した。
床上で倒れたアマンダは、吐血しながらも救いの手を伸ばす。ジャックの氷のような視線は、満身創痍の彼女に追い打ちを掛けた。
「なゼ……でスか」
「貴様に飽きた。それだけだ」
「イ……いや……」
涙を流し、首を振るアマンダ。ジャックは自ら捨てた女の手を拾うことは──決して無かった。
「見捨テ、ないで……ジャック、様…………──っ」
アマンダ・ミュールはその言葉を最期に、左手がだらりと垂れ下がった。
「おいジャック、一体どういう……」
ジャックは前屈し、彼女の首元に手を添える。直後、彼の身体は蝙蝠の群れと化し、あの夢魔へと姿を変えたのだ。
「リリト!? お前、死んだんじゃ……?」
「うふふっ。このような分身も見抜けぬとは、と〜んだおバカさんじゃの!」
聖職者の亡骸を前に、両手を腰に当てて威張るリリト。今ではその罵倒も温かいものだ。
彼女は傷だらけの俺を見るや、「おおっ」とわざとらしく驚き、両手を俺の頬に添えてきた。
「ホント、アレクったらザコよのう」
その言葉とは裏腹に、柔らかな何かが額に重なる。その正体は彼女の唇であり、緑色の光が傷と鎧を修復させた。シェリーの霊力とは異なるが、リリトの魔術によって魔力も回復していくのが判る。
リリトは「よいしょ」と膝を折ると、アマンダの服の中を探る。彼女がそこから取り出したのは、複数の鍵を繋げたキーリング。リリトはそれを得意げに摘まみ、俺に見せつけてきた。
「この中に内陣の鍵が含まれておる。決して失くすでないぞ?」
「ありがとな」
片手を振り上げ、キーリングを俺に向かって投げる。軽い金属の塊を受け取ると、リリトはアマンダの身体を踏み越えて俺に近づいてきた。
「さっさと行くぞ、のろま。あと少しで夜明けだからな」
「のろまは余計だ」
視界を出入り口に移せば、下ろされた鉄格子も既にない。
鉄の臭いが漂う黄金の空間──肉を断つ音も悲鳴も無に飲まれ、ただ絨毯を踏む音だけが響き渡った。
「ようやく着いたのう」
「ああ……」
俺たちが辿り着いたのは、入って最初に見つけた両開きの扉。
一度見たはずなのに、ここに来て今さら心臓が浮くような感覚でしかない。緊張を抑えるようにキーリングを取り出し、此処の鍵穴に適したものを探し当てる。
「……これか」
見つけたのは、ミュールの紋章が刻印された鍵。鍵山を穴に通せばすんなりと奥まで入り、本気で心臓が飛び出そうになる。
深呼吸をしながら鍵を回した時、錠の音が全体に響いた。もし此処にジャックがいるなら、絶対に聴いていただろう。この音が聴こえてくる瞬間を、ずっと待っていたに違いない。
「リリト。ここからは俺一人にさせてくれ」
「言わずとも、余は太陽が嫌いだから帰るわ。言っとくが、うぬは下僕なのだから死んだら承知せぬぞ?」
「判ってる。あと俺は下僕じゃない」
俺がそう言うと、リリトは蝙蝠の群れとなって何処かへ消え去った。彼女の存在が無くなると、息が詰まる程の静寂が戻る。
いよいよこの扉を開けるときだ。
重い扉を押せば、木の軋む音が響き渡る。この広い内陣で真っ先に目についたのは、蒼い羽根模様のステンドグラスと黄金の女神像。
そして──聖書台の前には、ガラスの棺が置かれていた。
「略奪者め、ようやく来たか」
その棺に腰掛ける不躾なクソ野郎は、黒ずくめの蛇男だ。彼は赤い薔薇を手に持ち、悠々と棺を見下ろす。
「美しいと思わぬか? 貴様を最期まで想い、安らかに眠る女をな」
言葉につられ、硝子の世界に視線を移した。
刹那、俺の中にある何かが音を立てて崩れだす。
蒼き薔薇に囲まれ、静かに眠る者。
それは──輪廻を超え、俺と愛し合う彼女だった。
「嘘だろ…………シェリィィィイイィィィイイイイ!!!!!」
(第七節へ)
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