騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第六節 哀れな末路

公開日時: 2021年8月6日(金) 12:00
文字数:5,721

 儀式室を後にすると、リリトは俺の前で低空飛行を始める。彼女は苦労する事なく敵たちを始末すると、背を向けたまま俺との会話を始めた。


「うぬは悪魔のくせにルーセ王国の再建を望んでおらぬのか?」

「ああ。辛気臭い国には興味なくてね」


「珍しい男よのう。ルーセは余の出生地でもあるからな、二世についていったが……いかんせんアルフレードのような覇気が感じられぬ」

「さしずめ、四百歳前後ってとこか」

「うむ」


「その感じだと、『再建なんてどうでもいい』って感じだな」

「かもしれぬ。何だかんだで世界を回るのに慣れてきたからな」


「なんで世界を?」

「下僕を集めるためじゃ。しかし、どいつもこいつもゴミ男ばかり。もうこの国に住もうかの」


 呆れた様子で首を振るリリト。俺には夢魔の習性を理解できないが、彼女なりに不満を抱いているのだろう。

 彼女は俺を見るや、『うーんうーん』と唸る。考えを巡らせた末、何か思いついたようだ。


「アレクよ。今後もうぬの下僕として余に仕えよ」

「勝手に決めつけるな。だいたい、ドMの癖になんでそんな偉そうなんだよ」


「余はいじめるのが趣味だ! ……でも、いじめられるのは、もっと趣味じゃ。……う、うぬが下僕だから、特別に言ってやったのだぞ!」


 なんで顔が赤いんだこいつ……。まさか俺に惚れてるわけ、ねえよな……?


「な、何なのだその目つきは!? ゴミを見つめるようなその眼差し……余が感じるのを判ってて見てるだろ!?」

「別にそういうわけじゃねえよ……」


 想像以上にやべー女と遭遇しちまったな。

 そう思って視線を戻すと、洗練された一枚扉が視界に飛び込む。


「此処ぞな」

「よし、鍵を開けるぞ」


 俺は懐から聖具室の鍵を取り出し、小さな鍵穴に差し込む。そのまま鍵を回すと解錠の音が聞こえたので、ドアノブに手を掛けた。

 その扉を開けたとき、アーチ型の柱が俺たちを出迎えた。両脇には無数の燭台しょくだいが並び、奥へ伸びる赤い絨毯の先で女神官アマンダが佇む。燭台とシャンデリアに灯る火のおかげで、黄金の世界を創り出していた。


 アマンダは俺たちに気づいたようで、臙脂えんじ色の隻眼を細めて鞭を構える。その赤い唇から漏れたのは、夢魔リリトへの苛立ちだった。


「やはり裏切ったのね。これだから女は信用ならないわ」

「うぬのような女とは、顔を合わせたくないからのう」

「不実な癖によくも飄々ひょうひょうと…………めつッ!!」


 革製の一本鞭が振り下ろされたとき、衝撃波が絨毯を駆ける。俺たちは二手に分かれるように回避すると、リリトが両手にげつの氣を込めた。


「下僕! 余が後方に回る間に突き刺すが良い!」

「簡単に言う」


 この夢魔のせいで少し調子が狂うが、一人よりはマシだ。

 扉の前に鉄格子が降りた時、神族との戦いの火蓋が切られた。


 アマンダがもう一度鞭を振り下ろすと、幾つもの衝撃波が宙を舞う。暴風のように唸る攻撃を二人で躱せば、数本の蝋燭から火が消えた。微かな暗がりが不気味さを呼び、緊迫感が更に増す。


「うふふ♡ 特別に支援してやろうぞ」


 後方にいるリリトが両手を掲げると、俺の身体が一気に軽やかになる。これを機にアマンダとの距離を詰めると、長剣にせい魔法を宿した。


氷刃ギアラマ!!」

 舞うように剣を振り回し、突きの姿勢を取る。交錯する冷気の残像はアマンダを捉え、鞭を持つ右手に霜が下りた。


「うう……っ!!」


 凍傷で顔を歪める神官。だが、それで終わりではない。

 凍りついた右腕を剣で切り落とすと、彼女は金切り声を上げた。


「あぁぁぁぁあぁぁああああぁあぁぁああ!!!!!」


 鞭を持つ右腕は床に転がり落ち、血溜まりを作り出す。彼女は左手で右肩を押さえるも、断面からは大量の鮮血が溢れていた。


「ああぁぁ……女神様、どうかお慈悲を……」

「苦しい時の神頼みってか?」


 泣き崩れるアマンダの頬に、切先で紅い直線を刻む。涙が傷口に染み込んだようで、彼女は更に泣き喚いた。


「いやぁあああああ!! ジャック様に捨てられたくないのぉぉおおお!!!!!!」

「どうしてもよこさねえってなら、その腕も使えなくしてやる」


 彼女は拒むように首を振るが、俺は構わず刃先を左肩にめり込ませた。


「くぅうう!!!」

 前に倒れ、自らの血を顔に浴びるアマンダ。その鉄臭い体液を吸い込んでしまったようで、げほげほとせ返した。


「こないだの借りは返させてもらうぜ」


 俺はこの女とジャックに散々傷めつけられたんだ。それに、ミュール島の連中を駒として扱ったのもこいつだ。


 もはや俺には“情け”という言葉は存在しない。

 再び刃を氷漬けにし、右足首に向かって振り下ろす!


「ぎゃああぁぁぁあああああぁぁああああ!!!!!」


「お〜? やはり悪魔らしいところがあるではないか」

「やられたらやり返すってだけだ」


 リリトは、そんな俺を見て興味津々のようだ。残忍な光景に興奮するのは、魔族特有の習性だろう。

 一方で右足を切断されたアマンダは、白目剥き出しで口を魚のように開閉させる。敢えてとどめは刺さず、放置する事で鍵を渡すはずだ。


 しかし──。


「渡さない……絶対に、渡さない……」

「随分とご主人に執着しているな」


 あの男なら、目の前の彼女が無惨な状態なら尚更見捨てるだろう。それすら見抜けないこの聖職者は、あまりに不憫である。


「鍵を渡せば……小娘が、この国を……この世界を……そうすれば、私めは……何の、ために……」


 独り言を延々と呟く彼女。その全身からは、見覚えのある黒いオーラが溢れていた。


 そう。そのオーラとは、以前シェリーが暴走した時と同じもの。

 虚ろ目の彼女は奇妙な笑い声を上げ、瘴気を大きくしていく──!



「ふ……ふフふ……ふふふフフふふ……アはハははハハハはははハハは!!!!」



 黒い光は俺たちの視界を奪い、高笑いが鼓膜をつんざく。

 光が晴れた末、彼女の四肢は修復していたのだ。


「そンなにあノ小娘が大事ナの!? あなタのよウな下等悪魔に身ヲ捧ゲた女なド、さっサとルーセの奴隷ニなってシまエば良イのヨ!!」

「霊力の、暴走……!? ふんっ、メスゴリラに進化したぐらいで余は折れぬぞっ!」


 いや、メスゴリラでは無えけどな……。

 それはさておき、リリトも臨戦態勢で心強い。


 アマンダが鞭を持ち上げると、三メートル程あった縄の部分が黒い粒子に包まれ、倍の長さに変化した。油断すれば、遠方に立つリリトをも容易く狙えるだろう。


「さア、かかッてらっシゃい! 命乞イすルなら今ノうチよ!!」

「何を今さら! 今度こそぶっ飛ばしてやる!!」


 長剣を構え直し、もう一度アマンダに迫る!


「はァあぁァ!!」


 しなやかな鞭が俺を狙う。何とか躱せたものの、リーチが長いせいで回避に苦労するな。


デよ!」


 アマンダが召喚したのは、中空に浮かぶ巨大な剣──霊剣だ。

 彼女が左手を振り上げると剣は青白く光り、俺に斬りかかった。


 二つの剣は幾度も火花を散らし、金属の音を打ち鳴らす。


 アマンダが霊力を圧力に変換させる事で、霊剣の重量は増す一方だ。先程と一変し、反撃の余地が全く見えてこない。そして彼女の剣撃をまた受け止めたとき、刃が零れそうな程の重圧が圧し掛かってきた。


「くっ……!!」

「そノ手を緩めレば、アなたハ真ッ二つよ」


 余裕そうに左手を突き出し、更に霊力を注ぐアマンダ。

 くそ、このままじゃ本当に真っ二つになっちまう……!


「さテ、も」


 彼女の右手──鞭を持つ手に力がこもり、縄がリリトを捕らえようとしている。

 俺は彼女を護るべく、この重すぎる霊剣を弾き飛ばしてみせた。


「ナに!?」


 アマンダが驚愕する間、直ちにリリトの元へ駆け寄る。

 縄が彼女の身体に触れる直前、俺は剣を以ってバラバラに切り裂いた。分断された縄が床に落ち、使い物にならなくなっ──


「ふゥぅウん!!」


 アマンダの掛け声で一気に元に戻った……だと!?

 それだけではない。彼女は左手を突き出し、霊術で俺を苦しめる!


「うあぁっ!!」


 まるで雷に打たれたかのように、鈍痛としびれが全身を襲う。その痛みに絶えきれず片膝をつくと、幾重にも重なる縄がリリトの首を締め付けた。


「ぐぇ……ッ!!!」

「リリ、ト……!」


 くそ……身体が麻痺するせいで動けやしねえ。

 だが硬直と闘う最中さなか、悪夢はついに実現してしまう。


 鞭に棘が生え、リリトの首から紅い飛沫が舞う

 その瞬間、俺の背筋が完全に凍りついた


「裏切リ者はこウよ!!!」



 聖職者が鞭を振り上げた時

 憎たらしい童顔は、目を見開かせたまま宙を舞った



 やがて夢魔の首は俺の足下に転がり、絨毯を血の海にしていく

 もうその目は、その口は──決して、動かないのだ


 俺のせいで彼女は死んだ

 その事実を受け止める前に、アマンダは次の一手を繰り出す


「次ハあなタの番……でモ、簡単にルのはもッたいナいワね。ハァぁぁア!!!!!」


 ……大丈夫だ、まだ立てる。

 こうなれば、彼女の分も背負って生きるまでだ。


 霊剣は四本に分身し、こちらへ突進する。……目の前で味方が死んだと云うのに、不思議と冷静だ。


 無の魔法を込めた剣で次々と叩き落とし、アマンダを見据える。

 その直後──


「ぐふっ!」


 トゲだらけの鞭が俺の脇腹を抉り

 燭台付近の床へ弾き飛ばされた


「い、て……っ!」


 せっかくの鎧が穴だらけじゃねえか……。腹部は紅く染まり、ズキズキと痛みだす。

 それでも立ち上がろうとした矢先、再び鞭が迫──


「まダこれカらよ!!」

「うぉお!!」


「コれはどウ?」

「く……っ!!」


「気持チ良いンでシょ?」

「あぁぁ!!!」


「うふフ……良い鳴キ声ね……」


 棘が鎧を貫き、俺の全身に掻き傷を作っていく。

 視界も指先も紅く濡れ、意識がになろうとしていた。


「マだ起き上がル気!? そンな悪イ子には……」

「それぐらいにしておけ」


 なぜジャックの声が……? しかも、あたかも最初からそこにいたようにアマンダの背後に立っている。


「ジャック様!? 私めはタだ、こノ者たちヲしま──」

「俺に逆らう気か?」


 ジャックがアマンダの言葉を遮り、片手で彼女の首を持ち上げる。彼女は必死に抗うも、全く以て無力だった。


「この女は不要だ。貴様の手で刺せ」

「……何を企んでやがる」

「憂さ晴らしをしたかったのだろ? 彼女を刺せば、特別に内陣まで連れて行ってやるぞ」


 くっ、足許あしもとを見やがって……! だが、これ程運の良い出来事はそうそう無いだろう。


 足を引きずりながらも、彼らの元へ何とか近づく。

 そして朦朧もうろうとする意識の中、彼女の背に目を凝らし──胸を貫いた。


「ぐはァ!!!」


 剣を引き抜いた時、鮮血がジャックの顔に飛び散る。しかし彼は表情一つ変えず、アマンダを絨毯の上に手放した。

 床上で倒れたアマンダは、吐血しながらも救いの手を伸ばす。ジャックの氷のような視線は、満身創痍の彼女に追い打ちを掛けた。


「なゼ……でスか」

「貴様に飽きた。それだけだ」

「イ……いや……」


 涙を流し、首を振るアマンダ。ジャックは自ら捨てた女の手を拾うことは──決して無かった。



「見捨テ、ないで……ジャック、様…………──っ」



 アマンダ・ミュールはその言葉を最期に、左手がだらりと垂れ下がった。


「おいジャック、一体どういう……」


 ジャックは前屈し、彼女の首元に手を添える。直後、彼の身体は蝙蝠の群れと化し、あの夢魔へと姿を変えたのだ。


「リリト!? お前、死んだんじゃ……?」

「うふふっ。このような分身も見抜けぬとは、と〜んだおバカさんじゃの!」


 聖職者の亡骸を前に、両手を腰に当てて威張るリリト。今ではその罵倒も温かいものだ。

 彼女は傷だらけの俺を見るや、「おおっ」とわざとらしく驚き、両手を俺の頬に添えてきた。


「ホント、アレクったらザコよのう」


 その言葉とは裏腹に、柔らかな何かが額に重なる。その正体は彼女の唇であり、緑色の光が傷と鎧を修復させた。シェリーの霊力とは異なるが、リリトの魔術によって魔力も回復していくのが判る。

 リリトは「よいしょ」と膝を折ると、アマンダの服の中を探る。彼女がそこから取り出したのは、複数の鍵を繋げたキーリング。リリトはそれを得意げに摘まみ、俺に見せつけてきた。


「この中に内陣の鍵が含まれておる。決して失くすでないぞ?」

「ありがとな」


 片手を振り上げ、キーリングを俺に向かって投げる。軽い金属の塊を受け取ると、リリトはアマンダの身体を踏み越えて俺に近づいてきた。


「さっさと行くぞ、のろま。あと少しで夜明けだからな」

「のろまは余計だ」


 視界を出入り口に移せば、下ろされた鉄格子も既にない。

 鉄のにおいが漂う黄金の空間──肉を断つ音も悲鳴も無に飲まれ、ただ絨毯を踏む音だけが響き渡った。




「ようやく着いたのう」

「ああ……」


 俺たちが辿り着いたのは、入って最初に見つけた両開きの扉。

 一度見たはずなのに、ここに来て今さら心臓が浮くような感覚でしかない。緊張を抑えるようにキーリングを取り出し、此処の鍵穴に適したものを探し当てる。


「……これか」

 見つけたのは、ミュールの紋章が刻印された鍵。鍵山を穴に通せばすんなりと奥まで入り、本気で心臓が飛び出そうになる。


 深呼吸をしながら鍵を回した時、錠の音が全体に響いた。もし此処にジャックがいるなら、絶対に聴いていただろう。この音が聴こえてくる瞬間を、ずっと待っていたに違いない。


「リリト。ここからは俺一人にさせてくれ」

「言わずとも、余は太陽が嫌いだから帰るわ。言っとくが、うぬは下僕なのだから死んだら承知せぬぞ?」

「判ってる。あと俺は下僕じゃない」


 俺がそう言うと、リリトは蝙蝠の群れとなって何処かへ消え去った。彼女の存在が無くなると、息が詰まる程の静寂が戻る。


 いよいよこの扉を開けるときだ。

 重い扉を押せば、木の軋む音が響き渡る。この広い内陣で真っ先に目についたのは、蒼い羽根模様のステンドグラスと黄金の女神像。


 そして──聖書台の前には、ガラスの棺が置かれていた。



「略奪者め、ようやく来たか」



 その棺に腰掛ける不躾なクソ野郎は、黒ずくめの蛇男だ。彼は赤い薔薇を手に持ち、悠々と棺を見下ろす。


「美しいと思わぬか? 貴様を最期まで想い、安らかに眠る女をな」


 言葉につられ、硝子の世界に視線を移した。

 刹那、俺の中にある何かが音を立てて崩れだす。



 蒼き薔薇に囲まれ、静かに眠る者。

 それは──輪廻を超え、俺と愛し合う彼女だった。



「嘘だろ…………シェリィィィイイィィィイイイイ!!!!!」




(第七節へ)






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