いよいよミュール島へ向かう時だ。黒いマントで身を隠し、フードを深く被って城を訪れる。シェリーやアイリーンと合流して飛行場に案内されると、花姫たちとヒイラギが待ってくれていた。付近には、俺達を待ち構える飛行船──以前、リヴィやエンデ鉱山に行くときに搭乗したものだ。
「それでは、行ってまいります」
純白のドレスに身を包むシェリーが、深々と一礼する。使用人たちが挨拶に応える中、真っ先に声を掛けたのはアンナだった。
「二人とも、気を付けてね……!」
「もう、アンナったら大げさよ……! 今生の別れってわけじゃないんだから!」
瞳を潤ませるアンナに対し、シェリーがそっと両手を握り締める。そこへ腕を組んだヒイラギが前に出て、級友に忠告をする。
「いくらあんたの身内だからって油断するな。宴に誘われても断ってこい」
「大丈夫だ。マリアちゃんが事前に手紙を送ってくれたって話だし、すぐに帰ってくるつもりだ」
「シェリー様にアレックス様、どうかご無事で!」
「お二方のご無事をお祈りしております」
「エレさんにアイリーンさんまで……ありがとうございます!」
シェリーは笑みを浮かべながら、花姫の一人ひとりと握手していった。
そして──。
「絶対に帰ってきなさいよ」
「うん!」
マリアがシェリーに近寄り、強く抱き締める。そのときシェリーの肩が震えた気がしたが、胸の中に顔を埋めだした。
「アレックス、あなたもね」
「皆、ありがとな。この使命、果たしてみせる」
マリアが俺に向けたのは、信頼の眼差しだった。着任した頃は強気な態度を見せていたのだから、今じゃとても考えられない。
だから俺は──こんな自分を信じてくれる彼女と花姫たちに感謝したくて、自ずと片膝をついた。
「隊長様、お嬢様。恐れ入りますが、間もなく離陸の時間です」
「わかりましたわ。……改めまして皆さん、ごきげんよう!」
執事が頭を下げ、淡々と報せる。俺達はもう一度全員に手を振り、鋼鉄の空間に乗り込んだ。
「シェリーに何かあったら承知しないんだからねっ!! 二人共、生きて帰ってきなさいよ!?」
「わかってるさ!」
マリアが前へ駆け寄り、出入り口の向こう側から叫ぶ。声を震わせ、眉を下げる彼女は刺々しい言葉とは裏腹に寂しさを訴えているようだ。
だが、時は待ってくれない。
執事が少し申し訳なさそうに扉を閉めた後、飛行船は轟音を立てて客室を揺らす。
やがて宙に浮き、浮遊島がある方角へと羽ばたく。
俺たちが窓辺から見下ろす中、船は彼女らの影を小さく、小さく見せていった──。
「アレックスさん」
「今は“アダム”と呼べ」
離陸してから一時間は経過した事だろう。俺とシェリーは座席に座り、戦闘糧食を食す。事務的に顎を動かしたあと、ダストボックスに紙類を投下。それからは、ミュール島の事についてシェリーと話し合う。
マリアは予めミュール族に手紙を出している。その際、次の二点を伝えてくれたらしい。
・シェリーに護衛をつけるため送迎は不要。
・銀月軍団が自国を襲撃する都合上、日程を定めて日中に帰還する。向こうも『宴をする余裕が無い』との事で、本当に霊力を極限解放するだけになりそうだ。
ミュール島はティトルーズと長い付き合いのある国で、通貨もこっちと共通なぐらいだ。よってマリアが国の情勢を気に掛けるのは至極当然の事だが、どうもはぐらかされてしまっと云う。そのため、彼女はもちろん俺達も現在のミュール島について判らずにいた。
とにかく俺は魔族である事がバレぬよう、慎重に動かねばならない。この世界には隠者も存在する事を上手く利用して、シェリーの護衛に徹したい。
不測の事態が起きた場合は、彼女の力を借りて島を脱出しよう。そのための通信機なのだし、シェリーも必要に応じて開花するつもりのようだ。どのみち、マリアに信号を送らねばならない。
「──とまあ、こんな感じだ。判らない事があるか?」
「いいえ。それにしても、嫌な予感しかしませんわ……」
「俺もだ。あの感じだと、銀月軍団が手を下したとしか思えん」
きっと彼処にも魔物が潜んでいる事だろう。普段はミュール族によって平穏が保たれているが、銀月軍団が桁違いの力を誇る以上過信はできない。
その時、メイドが「失礼致します」と着陸の時を報せてくれた。船内がやや蒸し暑いためか、彼女は二人分の小さな水筒を差し出す。塩気のある水で喉を潤すと、既にこめかみから汗が流れるシェリーに視線を移した。
「そろそろか……。シェリー、気を引き締めろ」
「はい」
脱出口のドアに取り付けられた丸い窓には、緑豊かな浮島が映り込む。飛行船はやがて集落の先にある草原へ向かい、降り立つ準備を始めた。
飛行船の着陸と共に、草一面が揺らめく。無論、送迎する者は誰一人いなかった。
使用人たちへの挨拶を済ませると、飛行船は再び浮いて青空に霞む。シェリーと共に見届けたあと、彼女は眼下に広がる景色を眺め始めた。
「……記憶が、微かに存在しますわ。魔術機関がある程度進んだようですわね」
「流石に蒸気機関までは採用できなかったらしいがな」
見下ろせば、集落には古めかしい建物が色鮮やかに並ぶ。どれもがパステル調に彩る他、小さな湖も垣間見える。マリア曰く、その集落を通る乗合馬車を使えば都心部に到着だ。
まずは右手にある緩やかな石段を降りよう。空に浮かぶせいか、強い陽射しが当たって黒いマントの下で汗が噴き出す。脱ぎたい気持ちを堪えるように一段ずつ踏みしめ、都心部行きの停留所へ進むことにした。
「アレ──いえ、アダムさんは此方に足を運んだことが?」
「あまり憶えてない。仮にあったとしても、長居できなかったはずだ」
本当に憶えてないのか、それとも思い出したくないのか。それは俺ですら判らないが、此処の技術はかつてより進んでいるようだ。
階段を降りると、停留所を示す看板がぽつんと佇む。そこに辿り着いた直後、陽炎から白い幌馬車が姿を現した。その馬車が止まると、御者は俺たちを見つめる。口を結ぶ彼から訝しげな表情が窺える辺り、俺達を怪しんでいるのかもしれない。俺はそんな事も気にせず祖国の通貨を手渡した後、奥の空席に座った。
その傍らで、向かいに座る二人の少女が一瞥しては耳打ちを繰り返す。断片的に聞こえてくる言葉と好奇の目線は俺の方を向くが、仕方の無い事だろう。
「あの人たち、銀月軍団の仲間かも」
「……だよねー。このご時世だし」
少女たちの間で乾いた笑い声が耳に届く。
その一方で、右隣のシェリーはさっきから目を泳がせている。……もしかすると、学生時代の事を思い出してしまったのかもしれない。だから彼女を安心させるべく、無言で左手を握り締めてやった。
「アダムさん……」
掠れた声で偽名を呼び、俺を見つめるシェリー。俺は少女たちに気づかれぬよう、耳元で「気にするな」と囁いた。
彼女らはまだ俺たちを見て笑うが、もうすぐ到着のようだ。どうせ降車すれば別れるのだから、心を無にして目を合わさぬようにしよう。
都心部に辿り着き、ようやく少女たちの目から解放される。そこは先程の色彩豊かな壁と違って、茜色の屋根が立ち並ぶ。ティトルーズ王国とゆかりがあるからか、雰囲気はそっくりだが──違和感があった。
行き交う人々の表情には、何処か陰りがある。身体の一部が欠け、慣れない手付きで働く者も散見された。もしかして生存者か? いや、長らくは戦争など起きてないはずだし、それでは若い重傷者が存在する理由に示しがつかない。
そういえば、さっきの少女たちは『銀月軍団がどうたら』って言っていたし、やはりこの地も──。
「お前、ばっちいんだよ!」
俺の予感を遮るように、少年の騒ぎ声が西の方から聞こえてきた。
俺達が声のする方へ駆けつければ、広場と思しき場所に着く。その片隅で、複数の少年らが誰かを囲っているのが見えた。
輪の中心にいるのは、茶髪でそばかすが目立つ丸眼鏡の男の子。歳の近い少年たちは、汚い物を跳ね除けるかのように笑いながら突き飛ばし合っていた。
「やめろ! こんな事したって、何も解決しないぞ!」
「おいおい、こいつ何か言ってるぞ。聞こえたか?」
「幻聴じゃねえの? こんなヤツが俺らと同じ言語を話すわけないじゃん」
……なんて醜い連中だ。彼らに何があったか知らんが、見過ごして良いわけがない。
公憤に身を任せ、俺が半歩踏み入れたとき。シェリーがこの腕を強く掴んできた。
──蒼い瞳の奥に、過去の痛みを宿して。
(第二節へ)
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