騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第五節 エプロンドレスを脱ぎ捨てても

公開日時: 2021年6月16日(水) 12:00
文字数:3,322

 城を出た俺とアイリーンは、以前一緒に立ち寄った喫茶店で奥の席に座った。

 木製のカフェテーブルの上に置かれた二つのタンブラー。手前にあるのは、ダークブラウンが基調のアイスコーヒー。その奥にあるのは、飴色に煌めくレモンティーだ。各々に含まれた氷が時に軽やかな音を立てながら、俺たちは控えめな声音で会話をしていた。


「あの男は、お嬢様をただの道具としか見ていないわ」


 ブラウスを羽織るアイリーンは長い指先を伸ばし、グラスの縁に嵌められたレモンの輪切りを手に取る。それから軽く絞って透明の雫を数滴垂らすと、静かに縁に戻した。


 開け放たれた胸元にサングラスを引っ掛け、谷間を覗かせるアイリーン。真面目な話をしていると云うのに、なぜ心の片隅で衝動と闘わねばならないのだろう。

 俺はそんなしょうもない本心を隠し、彼女との会話に徹する。


「如何にもみたいで腹が立つんだ。だいたい上級魔術師なら沢山いるってのに、よりによってアング──いや、あの家と結婚とはな……」


『アングレス』という家名を上げようとして急遽濁す。ルドルフが婦人たちに注目されやすいからこそ、より言葉を慎まねばならなかった。


「彼の血統もまた魔術に優れているからね。この国が未だ魔術機関を残す以上、上級の中でも更に優秀な相手を選ばねばならないの」


「お偉いさんって大変だよな……」

「ええ。国民が思うよりもずっと、ね」


 ソファーに腰掛けるアイリーンは目線を移し、今日こんにちも会話に花を咲かす庶民を一望する。聞こえてくる内容は恋愛話や世間話から、政治や銀月軍団シルバームーンの事まで様々である。

 彼女の視線が俺に向いたと思いきや、憂うように落とす。下がった肩はメイド長として働く苦労を示すかのようだ。


「非番の時ぐらいは国の事から離れたいのだけど、そうもいかないわよね」

「俺も同じように思うさ。ところで、休みの日はいつも一人なのか?」


「いいえ、時々義妹シスターとも遊ぶわよ」

「シスター?」

「……ご主人の事ね」


『マリアが笑って過ごせるなら、何度でも立ち上がるわ!』

『……お姉、様……』


 これは、まだエレとアンナが力に目覚める前の出来事。吸血獅子ヴァンレオーネと戦う中、アイリーンとマリアは意味ありげな会話をしていたのだ。

 アイリーンはきっと、エプロンドレスを脱げば自分の主を『義妹シスター』と他称するのかもしれない。それもそうか。『陛下』と言えば明らかに勤務状態だし、『マリア』と呼び捨てすれば国民から顰蹙ひんしゅくを買うだろうから。


 彼女は嬉しそうな表情を見せながら話を続ける。


「あの子、ああ見えて街の人たちの作るご飯が大好きなの。だから一緒に外食する事もあるわ。それはもう昔から。いつも美味しそうに食べるから、彼らも大喜びよ」


「あいつが飯を作る事はあるっけ?」

「彼女が作る時は……そうね、『世界が終わる時』と云っても過言では無いかも。あの子がオムレツを作って、お嬢様がケチャップで絵を描いたときと来たら……」


 嫌な記憶を思い出したのか、首を横に振るアイリーン。いったいどんなオムレツが完成したんだ?


「相当やべえのかよ」

「『ヤバい』という話では無いわ。名誉国王様お義父さまがそれを口にした瞬間、三日も寝込んでしまったもの。以降、台所に立つ時は『得意な役割にだけ徹しなさい』と話してあるわ」


「まさか、シェリーちゃんもなのか……?」

「あのセンスはもはや神域かもね。違う国に行けば評価されると思うけど。いずれ拝める時が来るんじゃない?」


 ……その口ぶりからして、絶対に何処の国にも評価されないヤツだ。怖いもの見たさで是非見たいけども。

 恐怖で乾いた喉をコーヒーで潤し、気持ちを落ち着かせる。苦味の中に含まれた僅かな甘みは、今の俺にとってかなりの癒やしだ。


 アイリーンもグラスの縁に唇を当て、口の中に紅茶を流し込む。口紅の痕がついたグラスを卓上に置くと、「きっと笑わないと思うけど」と前置きしてきた。


「自分はね、男性も好きだけど可愛らしい女性も同じように好みなのよ」

「クロエちゃんがああなったのも?」


「あの子は前からかもね。仕事もきっちりこなすし、自分のために色々してくれるのも嬉しいけど……ちょっと重いの」

「まあ、『ちょっと』どころじゃないのは伝わってくるぜ」


 クロエは黙っていれば美人なのに、口を開ければアイリーンの事ばかり。俺がメイド長と話をする時、いつも罵倒してくるんだよなぁ……。

 ふと気掛かりになった俺は、周囲を見回す。此処には鳥人も深緑色の髪の女もいるが、いずれも別人なので安堵の溜息をついた。


「うふふ、大丈夫よ。今日の主な仕事は全部クロエに任せてあるから」

「それなら良かったぜ……」


「色んな子を見てきたけど、やっぱり彼女が一番ね。ああ見えて脱ぐと凄いのよ」

「えっ……」

「気になる?」


 そんな話をされて気にならない男を探す方が、遥かに難しいだろう。

 思えば、アイリーンがマリアにマッサージするのはかなりんだっけ……。それだけ聞くとマリアが敏感すぎるとも取れるし、アイリーンが故意でやってるとも取れる。いずれにせよ、想像するだけでただのパンを幾つも食えるのは確かだ。


「そういや『昔恋人を階段から突き落とした』ってクロエちゃんから聞いたが、何があったんだ?」


「ああ、あれは大体十二年くらい前の話ね。好きな男の子に告白されたから当時は喜んでたんだけど、いざ付き合うとやぱり修行に目がいっちゃうのよね。そうしたら彼が浮気していたから、頭に来て(階段から)落としてやっただけよ。今思えば、あんな男なんてどうでも良かったのかも。だって、自分はそれ以上にクラスメートの子が気になってたから……」


「じゃあ次はその子と付き合ってたのか?」

「ううん。告白する勇気が無くて、伝えられぬままお別れしちゃった。お友達だったんだけどね」


 アイリーンもまたとんでもない過去を持っているものだ。俺も何かの拍子で突き落とされないようにしないと……。


「ところでアレックス、この後も暇?」

「そうだが……どうした?」


「せっかくだから、エク島で必要なものを買い揃えない? 本当はそのための非番なの」

「良いぜ。いくらでも付き合おう」




 それから俺とアイリーンは、城下町フィオーレにある雑貨店や鍛冶屋をまわって必需品を買い揃えた。中には俺らを恋人同士と勘違いする者もいたが、幸い彼女を狙う輩が現れなくて良かったよ。


 無事買い物を終えた俺たちは、雑談しながらティトルーズ城へ向かう。彼女を一歩前に歩かせ、俺は全ての荷物を持ち歩く事にした。


「荷物持ちはいつも自分がやってたから新鮮ね」

「こういう時ぐらい、羽を伸ばしてほしいからな」


 俺からすればそこそこの重量だけど、女性が持てば苦労する事は想像に難くない。


「少しは気分転換になったか?」

「ええ、おかげさまで。またこうして出掛けたいわ」


 アイリーンは突如立ち止まったかと思いきや、俺の手中から一部の布袋を取り上げる。それから軽々と肩に掛けると、デニムに包まれた長い脚を交差させながら歩いた。


「別に気遣わなくて良いのに」

「やっぱり、ある程度持たないと気が済まないの。これも使用人のさがね」


 オフであろうと、背筋を伸ばして歩く様はやはりメイド長そのものだ。今後探索の準備をするなら、彼女も誘った方がよりスムーズかもしれない。


 城下町をしばらく歩くと、城までの遊歩道に出る。アイリーンが事前に頼んだのか、数両の馬車が道に沿って並んでいる。その周囲には数人の使用人が立ち尽くしており、俺たちを見るや深々と一礼してきた。


「ヴァンツォ隊長、マスター。手荷物は私達がお持ちします」

「ありがとう。じゃ、後は頼む」


 俺はお言葉に甘え、近くに立つ執事に荷物を差し出す。苦労一つ見せずに持ち運ぶ様子は、その細い身体からは全く想像がつかない。

 また、軽い荷物はメイドに任せた。彼らはティトルーズ王家に仕えるだけあって、凛然とした振る舞いを崩す事は無い。そんな使用人たちが集うのは、ほかならぬ王族の人望あってこそだろう。


 アイリーンもいよいよ馬車に乗るようだ。俺が彼女の背を見届けていると、振り向きざまに優しげな笑顔を見せる。



「今日はありがとう。やっぱり、お嬢様が羨ましいわ」



 妖艶な声でそう言われた俺の胸は跳ね上がり、しばらく鼓動が高鳴るのだった──。






読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート