【これまでのあらすじ】
アレックスら純真な花は、ヴェステル迷宮でアイリーンを救出。ヴィンセントを撃退後、メイド長の生還を祝う宴が行われた。
一方で、シェリーはアレックスに過去を打ち明けるべきか思い悩む。果たして、アレックスは彼女が懐く波瀾の記憶をどう受け止めるか。
血の臭い、冷えた空間、錆だらけの檻。この狭い世界で耳にするのは、誰かの飢えや断末魔だけだ。そこにオスもメスも関係ない。身ぐるみを剥がされた彼らは、いつかは業火に呑まれて灰となるのだ。
無論、俺もその一人。首輪のせいで大悪魔の力を封印された俺は、格子から漏れる光の筋を見つめるほか無かった。
「もうすぐお前のところへ行くよ」
不思議と恐怖心が湧かない。
名前は思い出せないが、初めて愛した女に会えると思うと期待で胸いっぱいになるのだ。
足音が近づく。いよいよか。
なら、この言葉を最後に──
「あんたがアレクサンドラか」
あ? 随分と威厳のある低声だ。看守の声はもっとねちっこいし、耳に入れるだけでイラつくからな。……だとしたら、きっと俺を買いに来た輩だろう。
振り向くと、檻の前には隻眼の狼男が立っている。露わになった上半身は、厚い胸板と鍛えられた腕が目立つ。加えて身長は二メートル程あるせいか、ただそこにいるだけで威圧を与えてきた。
でも、それが何だってんだよ。こんな図体でけえ男に殴られるくらいなら、大人しく焼かれる方がマシだ。
「あんたの行き先は地獄じゃねえ。戦場だ」
「ふっ。そんなクセえこと言って、どうせ俺を奴隷にするつもりだろ」
「そうじゃねえ。『この牢獄はあんたにはもったいねえ』って言ってるんだ」
「ほっといてくれ。生きがいを失くした俺にはちょうど良い」
「ならば……」
狼男が小さな金属を鳴らし、穴に挿し込む。
檻が開いた瞬間、頬に飛んだのは──
「ぐぁっ!!」
音速の鉄拳。それは俺の顔に痺れと痛みを与え、口から赤い雫を噴出させた。
この、狼野郎がぁぁあぁぁあっ!!!
今すぐ怒りをぶつけてえのに、口も身体も動かねえ……。なんで俺が殴られなきゃならねえんだよ!
「ちとやりすぎたか」
狼男の猛攻はこれで終わりじゃない。
抵抗する力を奪われた俺は、そのまま馬乗りを許してしまう。岩のような重圧で骨が折れそうだ……!
首に向かって振り下ろされる長い爪。
くそ、このままじゃ……!!
──ザシュッ……。
厚手の布が破れた音。彼が引き裂いたのは俺の皮膚ではなく──魔力を制御する首輪だ。
狼男が離れると、しぼむ風船のように力が抜けていく。本当は魔力が漲るはずだが、今はその感覚すら掴めない。
「来い」
身体が突如浮き、乱暴に担がれる。
このまま何処へ連れ去るってんだ……。
温い風が肌を撫で、陽光が目を眩ます。
罪を犯した俺なら尚更気づくまい。
これから向かう先が、王室ギルドの本拠地って事にな──。
「……んな事もあったな」
「連れ出されたおかげで、此処の女神と出会えたんだ。感謝してる」
ルーンの月──湿った夜空に、銀の満月が浮かんだある日の事だ。数日前にマスターから手紙を受け取った俺は、約束通り酒場に向かう。
その約束とは、『俺と彼だけで酌み交わす』と云うもの。マスター曰く、『どうせ店を空けるなら貸し切りにしちまおう』との事だ。しかもタダで飲み食いできるんだから、これ程お得な事は無え。
せっかくだから、内輪の話を肴に各々の好きな銘柄を嗜む。親しいヤツと飲む酒は当然美味いものだ。彼は顔を綻ばせて先程の追憶に言及する。
「親父さんからの力に頼んなくても、あんたならもっと羽ばたける。そう信じて連れ出したまでだ」
「でもよ、それまではお互い話したこと無いだろ?」
「『単独で(ギルドの)任務をこなしてるヤツがいる』って周りがうるさかったんだ。それが……アレクサンドラって男だとな」
「へえ。あの時は単に『つるむのが嫌だった』ってだけなのに」
「どおりで……。あんたを飼い馴らすの、すげえ大変だったんだぞ」
「『飼い馴らす』言うなって!」
アルコールに身を任せて冗談を言い合い、高らかに笑い合う。マスターとこんな風に盛り上がったの、いつぶりだろうな。
思えば、当時の自分は恥ずかしいぐらいに聞かん坊だった。ふつうはヒトが獣を調教するはずなのに、『なんで俺が獣に調教されなきゃならんのだ』って散々愚痴ってたっけ。
「そんなアレックスも、今じゃこんなに丸くなってホッとしてるよ。ま、女を片っ端から喰ってるとこは変わらんがね」
「おいおい、それじゃまるで“女たらし”って言ってるようなもんだろ」
「違うのか?」
「断じて!」
いかにも『信じられない』って顔してるな……。まあいいや。
マスターはカウンターに置かれたグラスを手に取り、「そういやよぉ」と話題を変える。
「シェリーから聞いてるか? わしとあいつが初めて会った時の事」
「いや?」
「なら、今のうちに話しておこう。本人にも他言無用だぞ」
「おう」
朗らかな空気は一変し、静寂に満ちる。ウイスキーで喉を潤した後、彼は落ち着いた声音で話し始めた。
「あいつが十三の頃だったか。わしがいつものように店に向かおうとしたら、街中で女の子が倒れてたんだよ。だから救護馬車に乗せて病院に連れてったわけだ。……そしたら、三年後にこの店にやってきて。あいつ、なんつったと思う?」
「『恩を返しに来た』と?」
「ああ。んなの要らねえってのに、あいつは変なとこで強情だからよぉ」
「ははは、シェリーらしいな」
マスターとシェリーって、かなり前から知り合ってたのか……。ちょうど俺が隣国のヘプケンにいた頃だし、その時にいればもっと早く出会えてたかもしれん。
マスターは葉巻たばこで紫煙を燻らせると、それを手に持ったままある事を提案してくる。
「あんたらがもう少し仲良くなったら、そん時は三人で飲もう。ピアノもあることだしな」
「俺としては、あいつに制服を着てもらいたい」
「よくそんな事言えるな。どうせわしが居ない間に良からん事をする気だろ」
「あっちがオッケーしてくれたらの話だよ。どっかの蛇じゃねえんだから」
「蛇、か……」
「どうした?」
俺が尋ねても、マスターは「こっちの話だ」と躱すだけだ。疑問に思わないわけじゃないが、貴重な一時を保つべく敢えて他愛ない話を振った。
日付が変わってから数時間が経った。酒場で大いに盛り上がった俺たちは、閑散とした城下町の中をゆっくり歩く。今宵の月は、いつにも増して強い光を放っている。魔物への警戒心を片隅に留めつつ、引き続きマスターとの会話を続けた。
しかし、彼は突如立ち止まり、大きな左手で右眼を覆い始めた。ズキズキと痛むのか、眉をひくつかせて歯を食い縛る。隣を歩く俺も立ち止まると、真っ先に彼を気に掛けた。
「おい、どうした!?」
「……古傷が痛むだけだ」
そういや、出会った頃も同じような仕草をしていたっけ。それも確か満月の時だ。
長年魔物を狩っていた経験からして、狼人と満月は切っても切れない関係だ。月光を浴びた狼は血が目覚め、誰彼構わず食い殺す。それが例え同族だとしても容赦はしない。マスターが言うには、『己を誇示するために、あるいは生きるために』本能に従うらしい。……それがマスターにも適用されるかはわからんがな。彼は『病気で右眼を失くした』って言ってたし。
とりあえず腕を彼の背に回し、家まで送る事にする。持病が悪化しては困るので、俺たちは急ぎ足で向かった。
〜§〜
翌日、マリアは通信機経由で俺たち純真な花を城に招集した。向かった場所は会議室。先に待っていたマリアは、手中にある朝刊と俺たちを交互に見た。
それから隊員たちが席に着くと、彼女は軍議を開始。現在起きている事件について、次のように述べた。
水に纏わる行事が開催された昨今、人々が大きな渦に飲み込まれる事件が相次ぐ。始めはアルタ川と其処を繋ぐ“サファイアの湖”で起こったため、住民たちはプールに移行。しかし、何らかの魔物はその場にも目を光らせ、今日も何処かへ連れ去るらしい。彼らは現在も行方不明で、手掛かりが一切見当たらないようだ。
その報告を受けたマリアは、ただちに各地の湖及びプールの閉鎖を指示。災いをもたらす魔物の正体は、未だ判明できていないと云う。
「そういうわけで、あなた達には巫女部隊と一緒に水辺を調査してもらうわ。彼女らが囮になるから、皆は正体を突き詰めてちょうだい」
「囮、ですか……!? でしたら、わたくしがその役目を──」
「エレ、花姫であるあなたが巻き込まれたら大変よ。……あたしもそんな事はしたくないけど、彼女らが『お役に立ちたい』と聞かなくてね……」
それだけ『マリアが人の信頼を買っている』という事だろう。事件を解決するには、部下の忠誠心が必要不可欠だ。俺も、もっと皆に信じてもらえるよう頑張らねえとな。
「さあ、早速調査するわよ。アレックスはアンナと一緒にサファイアを、シェリーはあたしとアルタ川に向かうわよ。それからエレとアイリーンは、一等級士官学校のプールを調べてきて。他の地域は騎士団と防衛部隊に任せるわ」
「「はいっ!!」」
こうして俺たちはそれぞれの場所に向かい、調査を始める。誰もが中庭で開花した後、俺は翼を使ってアンナと一緒に現地へ飛び立った。
例の場所に着くと、木々に囲まれた大きな湖が目を引く。普段は釣りやボートなどで賑わっているが、今日は不気味なくらい静かだ。水面が真っ青な空と豊かな緑を映す一方で、甲冑姿の男たちが水際を見張るという不釣り合いな光景である。それに俺らが加わるのだから、この状況がいかに非常か見て取れる。
ちょうどそこに、乳白色のローブを纏う数人の女性がやってきた。彼女らこそが巫女部隊で、俺とアンナに一礼すると、そのうちの一人が「ご準備はよろしいですか?」と尋ねる。
「それでは私達が水面上で魔物を呼び寄せますので、隊長様とアンナ様は迎撃願います」
「おう」
「わかった」
彼女らは湖の前に立ち、それぞれが両手を広げて魔力を注ぐ。身体が一斉に宙に浮くと、ローブの裾を揺らしながら水面へと向かっていった。
各々が水面に踵をつけると、水紋が共鳴するように外側へと広がる。その上で中心を囲む様子は、まるで氷上の舞台だ。巫女部隊は魔物を呼び寄せるべく、次のように唱える。
悪しき魔物よ。我らの前に姿を表し、汝の罪を──
「そんな事しなくたって、私はちゃんと居るわよ! 蒼碧の大渦!!!」
災いは詠唱を遮るように訪れる。水面が小刻みに揺れ、大きな波へ進化しようとしていた。
異変に気付いた巫女部隊は詠唱をやめ、水面から離れるべく宙に浮こうとする。だが、その頃には水が彼女らの脚を絡め取り、水中へと引き込み始めた。水は大きな渦を描いたと思いきや、上流して竜巻へと変化。絶え間なく溢れる水しぶきが、俺たちの身体に付着していった。
「「きゃぁぁぁああぁぁああ!!!!」」
「みんな!!」
「こうなったら俺らも行くぞ!!」
この少女の声、まさか──! アンナと俺は同時に翼を広げ、水の竜巻へと向かう。彼女は自身の大剣に陽魔法をを込めようとするが、竜巻が吹き出す飛沫で後ろへ吹き飛ばされた。
「うあぁぁあああぁ!!!!」
「アンナーーー!!!」
俺は真っ先に彼女を抱き留め、今一度竜巻を見遣る。湖の面積を超える程に肥大化しており、今にも天に届きそうな高さだ。
次は俺たちを飲み込むかもしれん。そう思って空中で距離を取ってみるのだが、竜巻は前進する前に霧散した。さっきまで湖を囲っていた巫女どころか、見張りの騎士たちすらも居ない。この場所にいる自軍は、俺とアンナの二人だけだ。
俺らの前で、小柄な人影が姿を表す。金色のツインテールを揺らすドレス姿の少女。……やっぱりこいつだったか。
「ルーシェ、何故こんな事をする!!」
「こうでもしないと、あの女は来ないでしょ?」
「そんな……全部、シェリーを呼び寄せるためだったの!?」
なんて下劣な女なんだ……! 俺の中で苛立ちが沸々と湧き上がる中、あの女は不敵に笑ってやがる。右手に三叉槍を構える彼女はバトンのように振り回した後、矛先で俺たちを睨みつけた。
「さあ、シェリーは何処!? さっさと教えないと、この街を飲み込むわよ!」
シェリーは今頃、(マリアと一緒に)アルタ川で調査をしている事だろう。でも、あのでかい竜巻を彼女らも見たはずだ。
彼女が来るまでは時間を稼ごう。
長剣を構えた刹那、真っ先に突進したのは──
「それ以上やらせるかっ!! たぁぁぁあぁぁあああぁぁああ!!!!!!!」
義憤を覚えずにはいられない剣士だった。
(第二節へ)
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