月の都アルテミーデの住宅街を後にした俺たちは、廃墟となった都市エリヴィラに辿り着いた。立ち並ぶ石造の建物はいずれも雪のように白く、灰色の空と相まって虚空にいるような感覚だ。遠くで楕円形の屋根が見え隠れするが、あそこが神殿なのだろうか。
住宅街で会った親子曰く『魔物がいるかもしれない』との事だが、幸い不穏な気配は感じられない。それどころか、シェリーやアンナは観光に来たかのように感動している様子だ。
「す、すごい……! 本当に誰も住んでないんですか?」
「何年前から在ったんだろう……」
「ご先祖様が生きてた頃、此処には多くの人が住んでたみたいよ。“スネッグ”という国の一部だったわね」
「そもそも、元素の都自体が別の国の所有地だったんだよな」
「ええ。だから文化もフィオーレとはちょっと違うわけ」
およそ四世紀前。ティトルーズ初代国王は、オルガ大陸に存在する数多の国を実力で制した。その圧倒的強さに敵わず、降伏した国もあったぐらいだ。
しかし、元来の文化を制する事は考えていなかったらしい。賛否両論こそあったものの、国王の人柄を知った彼らはいずれ心から従うようになったのだ。ちなみに俺と両親が人間界に降りたのはもう少し後の話だ。
「それにしても、お前のご先祖は相当良いヤツだったんだな」
「おじいちゃんからよく聞かされてたわ。『お前は父に似てる』ともね」
「すげえ事じゃねえか」
「そう言われるとちょっと恥ずかしいわね……」
王家と云えど、こうして話を聞けば庶民の親子と変わりねえな。『似ている』というのは人柄のみならず、素質もだろうか。だとすれば、彼らが今もティトルーズ王家に敬意を示すのも納得だ。
だが、朗らかな空気は歪な影たちによって破られる。建物の死角に何かが潜んでいる気がしたのだ。
「止まれ。魔物が来るぞ」
俺の言葉で一同が立ち止まり、武器を構える。
そして彼らは、俺たちの動きを察するように飛び掛かってきた!
現れたのは、ゴブリンのように醜い顔を持つ狼男──いや、コボルトだ。
小柄な彼らは敏捷性を活かして迫りくる。しかし、そう安々とやられる花姫たちでは無かった。
「せいっ!!」
コボルトが手にする槍を躱し、お得意の回し蹴りを決めるアイリーン。相手がよろめくと、巨大な鉤爪を召喚して心臓を貫いた。
一方、シェリーは二丁拳銃の乱射で三体ものコボルトを牽制。彼らが突進するも、アンナが前に出る事で瞬く間に両断された。
コボルトたちは彼女らの前に散り、鼠色の石畳を赤く染め上げる。しかし、張り詰めた空気は和らぐどころか、ある女の声で増す一方だった。
「なかなかやるのね、お前達」
妖艶な声と共に、一人の女が舞い降りる。襟足を伸ばした黒髪の女は、紅い唇を三日月のように上げた。
つり上がった目で俺たちを見据え、レオタードで豊満な肉体を包み込む。大きな胸を隠すための布地はあまりに小さく、今にも溢れそうだ。加えて膝上までのブーツが太ももを魅せるせいで、男の俺は思わず視線を泳がせてしまう。
背から生えた翼は烏を彷彿させる。一瞬『鳥人か天使のいずれか』だと思ったが、耳はエルフのように長い。この誘惑的な女が、どうにも味方と認識できずにいた。
彼女は緋色の瞳でアイリーンを捉え、見下すように言葉を並べる。
「ああ、なんて美しいのでしょう。敬意を称して痛めつけてあげるわ」
「何者? 陛下を狙うならタダでは済まないわよ」
「わたしはチェルデイン。この世で一番美しい女は、わたし以外に存在しないの。そうでしょ? 悪魔さん」
「そうか? 俺は美人が沢山いればそれで良いぜ」
チェルデインは俺に視線を移すが、俺が首を横に振ると露骨に舌打ちする。
いかにも性格が悪そうなこの女は、苛立つように言葉を放った。
「お前の目は節穴なのね。良いわ、そこの武闘師さんを潰せばわたしが再び一番になれるもの。……はっ!」
消えた!?
彼女を探るべく、辺りを見回すが──
「そぉれ!」
「ぐあぁあっ!!」
気づけばアイリーンの背後に立ち、高身長の彼女を抱き上げる。アイリーンはそのまま後方へ投げられ、石畳に頭を強打する事となった。
強い衝撃のせいで身動き取れぬ彼女。チェルデインは追い打ちを掛けるように、高いヒールでアイリーンの胃を踏みつけた。
「がは……っ!」
「ほらほら、どうしたの? 純真な花の女はこの程度ぉ?」
「アイリーンさんを……よくも!」
アンナが歯軋りし、大剣をチェルデインに振りかざす。
だが、チェルデインは想像もつかぬ行動に出た。
「え!?」
「武術相手に剣は反則よ? お嬢さん」
なんだあいつ……剣を素手で受け止めてやがる!? あの女の皮膚はどんだけ強靭なんだ!?
刃先を握り締めたまま、不敵な笑みを浮かべるチェルデイン。アンナが剣を引き抜こうとしたとき、彼女の身体を稲妻が包み込んだ。
「うあぁぁあぁぁああぁあああ!!!!」
「うふふ、悪い子はそこで反省なさい」
稲妻がアンナから離れるも、彼女は為す術もなく倒れ込んでしまう。シェリーが彼女の身体を支えて回復に専念する一方、俺たちはチェルデインの気迫に圧倒されたままだ。
チェルデインは依然としてアイリーンを踏みつけたまま、俺たちに氷のような眼差しを注ぐ。
「お前達もああなりたくないなら、そこで大人しく見ていなさい。これはわたしと彼女の戦いなの」
「アイリーン様……今わたくしが助けるのですっ!」
「待って、エレ! 迂闊に魔女に近づけば、彼女が危ないわ!」
「その通りよ、マリアさん。まあ、お前たちがそういうのがお好みなら別に構わないけど?」
「俺らは見てるしかないってのか……?」
「大丈夫、アイリーンならきっと……!」
マリアが確信を呟いた直後、チェルデインはアイリーンから足を離す。が、それは束の間だ。彼女はアイリーンの脇腹を何度も蹴り、起き上がるよう促す。
「ほぉら、さっさと起きなさい。抗ってくれた方が悲鳴も格別なのよ?」
「……はぁああ!!!」
アイリーンが立ち上がり、目にも留まらぬ速さでパンチを何度も繰り出す。チェルデインは彼女の攻撃を全て受け止めるが、この状況を愉しんでいるようだ。
「うふふふ! それでこそ花姫! こんな辺鄙な場所で花を散らす事になるなんて、とんだおバカさんよねぇ。うぉりゃあああ!!!」
アイリーンが気づいたときには既に遅し。チェルデインは彼女の拳を受け止め、そのまま背負い上げる。アイリーンは受け身を取った後、回し蹴りで何度もチェルデインを追い込んだ。
「ふうん? 少しはやるのね。ならば!」
また消えた!?
俺が瞬きした直後、チェルデインはアイリーンの懐に潜ってアッパーを決める!
「きゃぁぁあ!」
身体が宙に浮くアイリーン。
しかし、チェルデインの追撃はそれで終わりでは無かった。
チェルデインは烏の翼を翻し、アイリーンを捕獲。
空中で一回転した後、アイリーンの身体を建物の壁へ放り投げた。
「が……っ!!」
壁に背を打ち付けられたアイリーンは、口から紅い飛沫を撒き散らして落下。チェルデインは対角位置にある壁を蹴った直後、肩肘を突き出してダイブした。
肘を胸に当てる事で、アイリーンは唾液を吐き出す。魔女は立ち上がって両手を叩く一方、武闘師が起き上がる事は決して無かった。
「はあ。思ったほか歯応えが無かったわね。さて、次は……」
チェルデインの視線がマリアを捉えた矢先、俺は国王の前に立って長剣を構えた。
次の手を探るべく、敢えて瞬きせずに凝視したが──彼女は指を唇に当てて腰を艶かしく動かす。
「悪魔さんにわたしの魅力を教えるのも悪くないわ。で・もぉ♡」
彼女は俺に向けて片手を掲げ、トンボの目を回すように指先でぐるぐると弄ぶ。そこから現れた乙女色の靄は、渦を巻きながら俺に迫ってきた。
「今はお前を男の子にしてやりたいわぁ」
「は!?」
チェルデインの突拍子もない発言で、剣を握る手が緩んでしまう。
その靄がいよいよ近づく矢先──
彼女は赤橙の髪を揺らし、俺を守るように立ちはだかる。
「く……っ!!」
「あら?」
満身創痍の女──アイリーンは靄に包まれると、俺の視界から突如いなくなってしまう。
……いや、違う。俺の膝下にいるんだ。
「けほっ、けほっ……いい加減になさい、チェルデイン!!」
「ふ……ふふふふふふふ、あはははははははは! いい気味だわぁ!」
チェルデインが腹を抱えて笑い出す。そう、俺を庇ったアイリーンは七歳程の少女に変えられてしまったのだ。服装は開花時のままだが、髪の長さは項までしかない。おそらく幼少期は髪が短かったのだろう。
アイリーンはチェルデインに向かって怒るが、幼い声もあってどうも迫力に欠ける。
「な、何がおかしいのよ!」
「これは予想外だけど、結果オーライね。一生その姿で苦しむが良いわっ! あっははははははは!!」
チェルデインは平静さを取り戻すと、勝ち誇るような笑みを浮かべて飛び去る。黒い羽根がはらりと落ち、魔女の影は雲の中へ呑まれていった。
それにしても、こういう場合はどうしたら良いんだ……? 今まで色んな魔女を見てきたが、あそこまで意味不明な女は初めてだぞ。
花姫の誰もがアイリーンを見つめ、憐れな視線を注いでいるかと思いきや。
「か、かわいい……」
最初に発したのはマリアだ。元々美人なのもあって幼少期も可愛いが、それまで魔女に滅多打ちにされていたんだよな……。
「あ、アイリーンさん……? どうなってますの……?」
「ボクもわからない……こんな事ってある?」
「あの、できればずっとそのお姿でいてほしいのです。きっとベレが喜ぶので……」
「いやよっ! はあ、これじゃロクに戦えないじゃない……」
花姫が様々な反応をする中、アイリーンは溜息をつく。身体が幼少期に戻ってしまった以上、成人のように上手くはいかないだろう。
そこで俺は膝を折り、手を差し伸べる。今まで通りに接するつもりだが、こうして見るとつい子供扱いしそうになるな。
「その状態じゃ疲れがすぐに来る。魔物が現れるまでは俺が抱っこするぞ」
「気にしないでちょうだい。自分一人で歩けるし──きゃっ!」
言ったそばからバランスを崩し、身体が前に傾くアイリーン。俺はすぐに抱き上げると、彼女は顔を赤らめて拳で俺の頭を叩いてきた。
「は、放して! こんなの屈辱よ!」
「いて、痛えって!」
「わたくしもあんな風になれば、アレックス様に抱き上げてもらえるのでしょうか……」
「大変そうだからボクはいい……」
魔女の気まぐれで幼い姿になってしまったアイリーン。
案外意地っ張りで溜息つきそうになった──なんて所感は、墓場に持っていく事にしよう。
(第三節へ)
◆チェルデイン(Ceridwen)
・外見
髪:鉄色/ウルフカット
瞳:緋色/つり目
体格:身長176センチ/B93
備考:烏のような翼/長耳
・種族・年齢・属性・能力:すべて不明
・攻撃手段:武術(主に投げ技)
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