月が満ちる日の夕暮れ。この日の俺は、シェリーの家を訪ねていた。
俺が台所のテーブル席に着いていると、エプロン姿のシェリーがトレーを両手に歩み寄る。食卓に置かれたのは、トマトソースで味付けした鶏もも肉のステーキに焼きたてパン、そしてルッコラのサラダだ。相変わらず食欲がそそるものばかりで、思わず唾液を飲み込んでしまう。
「大変な時にありがとな」
「いいえ。私もあなたと一緒にお食事がしたいですから」
シェリーは首を横に振りながらエプロンを脱ぎ、俺の向かいに座る。こうして彼女の手料理を頂くのも久しぶりだ。最後に訪れた時──呪いについて話した時──は、俺がスープを作ってやらねば飯を食わなかったぐらいで。
ただ、よく見れば今日も彼女の分だけ量が少ない。どの食べ物も俺の半分だし、男の俺からしたら足りるのか甚だ疑問だ。
「なあ……ちゃんと飯食ってるか?」
「ええ。これでも今日は多い方でしてよ」
……違う、以前はもう少し食べていた。やはり、ストレスで食事どころでは無いのだろう。
心苦しくなる一方、シェリーは「頂きます」と食材に敬意を告げる。ナイフとフォークを持ってステーキを裂くが、どことなく事務的だ。
そんな彼女を見るうちに、俺も口数が減っていく。けど食事ぐらいは楽しくありたいし、まずは俺も一口放り込む事にした。
ああ、マジで美味い。肉は柔らかいし、トマトの酸味と肉汁が調和を為していて最高だ。もし彼女がレストランでも開けば、客があっという間に殺到するだろう。
……ん? レストラン?
俺はふと過ぎった単語に身を任せ、シェリーに尋ねてみる。
「そういや、自分で店を開こうと思った事は無いのか?」
「どうしてですの?」
「お前の飯はすげえ美味いからよ、店に出せば人気になるんじゃねえかって」
「うーん……」
首を軽く傾げるシェリー。料理上手である事を自覚してないのか、いまいちピンと来ていないようだ。
「私はただ、『美味しい』と思えるものを作ってるだけですわ。それに、あなたやマリアが喜んでくれたらそれで幸せですもの」
「ああ、あいつも喜んで飯を食いそうだな」
「まだあなたと出会う前でしょうか。マリアったら、『もっと食べたい』と私にせがむ事もありましたのよ。勿論、アイリーンさんに止められていましたが……」
幼馴染との懐かしい記憶を思い出したのか、シェリーの顔が綻ぶ。優しく微笑む様は、やはり前世にそっくりだ。
「なら、戦いが終わったら俺と一緒に店を開くってのはどうだ? マスターを見てると、ああいう生き方をしたくてね」
「………………」
シェリーは、アンニュイな眼差しで俺を見つめたまま口を開く。が、その口から言葉を発する事は無く、そのまま食事に視線を戻してしまった。
伝えようとした言葉を封じるように、野菜を口の中に入れる彼女。きっと、答えを言おうとして止めたのだ。──心臓が止まる事を恐れて。
「…………すまん。お前を励まそうと思ったら、却って不快にさせちまったようだ」
「私こそ、すみません……」
せっかくの食卓だというのに、また重苦しい沈黙だ。あれだけ美味かった飯も、味がどんどん失われていく。こんなの、他人の飯で体験したくなかったんだがな。
シェリーも気まずいと思ったのか、「あの」と話題を振ってくる。俺が見上げると、彼女は儚げな笑みを浮かべていた。
「呪いが解けるまで、考えさせてください。……あなたなら判ってくださると思いますが」
「…………ああ」
さっきの誘いは求婚に近い。彼女がそう言うって事は、少しは考えてくれているのだろう。
沈黙は変わらず在るものの、それは先程と違って温かいものだ。俺たちは時々言葉を交わしながら、残る料理を最後まで噛み締めた。
夜空に望月が掛かり、黄金の光が暗い部屋を照らす。俺はシェリーと愛を確かめた後、シーツの上で頬を寄せ合っていた。
無論、唇を重ねたわけでも、言葉を囁いたわけでもない。そこに虚無感を懐かなくはないが、彼女が求めるだけで安堵感が生まれる。やがて一時が過ぎると、俺はシェリーに霊力の事を尋ねた。
「戻ってきたか……?」
「はい、おかげさまで力が漲ってきますわ」
「それなら良かったよ」
互いの手を絡ませ、俺に微笑むシェリー。神族にとって霊力は半身だ。俺も本来の力を取り戻したからこそ、その嬉しさがしかと伝わってくる。
余る手で髪を撫でると、唇で塞ぎたくなるものだ。ここはぐっと堪え、額に口づける事で欲を満たす。彼女は一瞬瞼を固く閉ざした後、慣れた手付きで俺の胸元に触れてきた。
「愛を封じられても、こんなことは許される……不思議ですわね」
シェリーは、妖艶な声音と共にある部分をなぞる。指の腹が捉えたのは、胸の中心に生じた窪み。そこは、二ヶ月前に封印の石が埋め込まれたところだ。なぞられるたびに疼き、再び昂りを覚えそうになる。
だが彼女も意地悪を身につけたようで、中途半端な拍子で指先を離す。俺が肩に触れて訴えるも、一向に応える気配は無かった。
「難しい話は無しだ。明日は大事な儀式なんだし、今夜ぐらい忘れようぜ」
「…………そう仰るなら」
景気づけに少し飲んだワインが効いてきたのだろう。今の俺は、悲しみを忘れたくて仕方がない。彼女と指を絡ませた後、窓辺の満月を眺める。
「月は生きとし生ける者を狂わす。俺も、マスターみてぇにいつイカれてもおかしくないわけだ」
「アレックスさんなら大丈夫ですわ。だって、長年影響を受けなかったのでしょう?」
「ああ。でも一応魔族だからな。お前が神族なのは判ってるが、念の為気をつけろ」
「はい」
「……こうして眺めると、俺も悪い事を考えちまう。酔い覚めに茶を淹れても良いか?」
「良いですよ」
もしシェリーも満月の影響を受けたらどうなるのだろう。……いや、そんな事を考えてはダメだ。
俺は良からぬ考えを遮るようにベッドから離れ、脱ぎ捨てた下衣を手に取る。シェリーもネグリジェを身につけると、一緒に台所へと足を運んだ。
〜§〜
翌日。ティトルーズ城の屋上に集まった俺と花姫たちは、霊力を転移装置に注ぐための儀式を行う。純白のドレスを着用するシェリーは数段程度の階段を昇った末、台の中心に立つ。鋼の台には魔法陣が描かれており、五本の柱が守るように設置されていた。
柱の天辺に埋め込まれた五色の水晶。赤は焔、青は清、翠は樹。加えて黄金は陽、紫は月──と、五大元素を表しているようだ。
なお、俺らの周囲に立つのは巫女部隊だ。乳白色のオーブを羽織る彼女らも霊力の持ち主であり、(この儀式において)相当な量を費やす事が窺える。
晴れ渡る空の下、無駄口を叩く者は誰一人いない。シェリーは両手を重ねると、空を見上げてこう呟いた。
「我が名は、シェリー・ミュール・ランディ。この力、平和のために捧げます」
麗しいドレスに身を包み、祈りを捧げる姿は女神そのものだ。アリスもああして幻視病を滅ぼしたのかもしれん。
シェリーが静かに言葉を紡ぐと、巫女たちが両手を掲げて呪文を詠唱する。その両手から光の粒子が注がれると、シェリーの全身を包み込んだ。
粒子は、シェリーの身体から溢れる黄金の光と一体化。温かな光によって魔法陣が反応し、五大元素の光が交差しながら天に昇る。
しかし、その直後だった。
シェリーは糸が切れたように倒れ、周囲がどよめく。俺は咄嗟に台に上がって彼女の身体を受け止めるが、幸い呼吸はしている。
「シェリー! 大丈夫!?」
「霊力を費やしただけだろう。休ませれば回復するはずだ」
アンナが身を乗り出して不安を訴えるも、俺の言葉で安堵してくれたらしい。それは他の花姫たちも同様で、マリアが終わりの合図を出した。
「これで安全に転移できるわ。予定が無い者は鍛錬を行うわよ。アレックスも、シェリーを医務室へ運んだら訓練場に来てちょうだい」
「判った」
その後、マリアの指示通り花姫たちと共に鍛錬へ。この日は魔族への対処として俺が封印を解く事になったが、花姫たちは力を合わせる事で勝利を掴む。
一方で、シェリーの霊力は無事回復したようだ。彼女も後から合流すると、魔力変換銃で幻影の頭をことごとく撃ち抜く。それから俺たちの間で反省を行った後、解散の流れとなった。
儀式から三日後、純真な花はついに反撃に出る。しかし神は空気を読まないようで、秋の空は灰色に包まれていた。
俺たちが立つのは、鋼の台の上。そう、転移装置の上だ。もはや只の置物に非ず。この魔法陣の真下には、莫大な霊力が貯蓄されているのだ。
大半がシェリーのそれであり、これまでに数多くの困難が降り注いだ。大聖堂で彼女を助ける際、花姫たちの支援も無ければこの日を迎えられなかっただろう。
四人の花姫と俺は、自身のエレメントに合わせて各々の柱に身体を向ける。無論、中心に立つのはシェリーだ。この日は巫女部隊のみならず、クロエやヒイラギ・ジェイミーも見守ってくれている。緊張感は拭えないものの、彼らのおかげで誰もが自信に満ち満ちていた。
「それでは、行きます……!」
背後からシェリーの声が聞こえる。その声音は静かでありながら、力強さを感じさせるものだ。
彼女が囁く事で、ついに新たな始まりを迎える事となる。
「邪悪に嘆く神々よ。これより神殿を救い、汝らの宝玉を以って悪しき者たちを討たん」
彼女の言葉に応えるように、足下から光が漏れる。それは魔法陣から来るものであり、五色の光が俺たちを包み込む。
そして黄金の光が収束する今、燐光は高らかに叫んだ。
「飛べ!!」
刹那、俺ら隊員の身体が亜空間に飛ばされる。その空間は四季折々の花弁が漂い、心が落ち着くような氣に包まれていた。
まずは北の都アルテミーデ。
女神の名を冠する地に、俺たちの冒険譚が刻まれる事となる──。
(第十五章へ)
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