騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第二節 沈みゆく日常

公開日時: 2021年3月18日(木) 12:00
文字数:3,137

「じゃあ、皆で競争しよ! 先にあそこまで辿り着いた人が勝ちだから!」


 当時七歳だった私は、マリアやルーシェと一緒に城内のプールで泳ぐ事となる。二人が浮き輪を使って水上で浮いているのに対し、水泳が得意な私は浮き輪を使う必要が無かった。

 スペードの形をしたプールの中で遠方を指差すと、マリア達が「えー」と不満を漏らす。


「明らかに貴女が勝っちゃうじゃない!」

「シェリー、ずるい……」

「良いから行くよー!」

 私は彼女らの声を無視し、クロールで泳ぎ始めた。


 全身が冷たい水に包まれるも、四肢を駆使して前へ進む。

 ライバルたちを押さえる優越感が私を動かし、独走で突き進ませる。後ろではルーシェが「待ってよー!」と叫ぶけど、私の本能は留まるところを知らなかった。


 ゴールまであと少し。

 端に届きそうな刹那──



 が足首を掴んできた。



 ううん、正確に言えば『誰か』ではない。『何か』だ。

 冷たい感触が私を捕らえるせいで、水中へ一気に引きずり込まれる──!


 いったい何が起きたのかわからぬまま、肺が圧迫されていく。


 ルーシェ、マリア、アイリーンさん、ルドルフ兄さん……。

 誰でも良いから、私を助け


「っ!!」


 右の脇腹に走る激痛。

 そして霞む視界の中で襲ってきたのは──



 一体のドラゴンだ。



 まさか、せいの邪神……!?

 この時期になれば、巫女部隊の人たちが毎年清めてくれるはず。それなのに、なぜ此処に現れたのだろう。


 わからない。

 わからない。


 ずっと楽園だと思っていた場所が地獄に一転。既に身体の奥まで冷え切っていた。


 ああ、このまま果ててしまうの?

 やがて視界が白くなり、見知らぬ世界が形成されていく──。




 目の前で笑みを浮かべる人魚。

 けれど、彼女は私の首を両手で掴み、この身体を水底へと導こうとする。


 こんなの経験した事ないのに、五感がはっきりと

 少女たちの姿がどんどん遠のき、が容赦なく水中を照らす。この青く美しい世界の中で、私という感覚がどんどん失われていく


 ──はずだった。


 の声が聞こえる。

 を呼ぶ声が聞こえる。


『『──!』』

『──ちゃん!』

『──さん!』

『──……』


 私は……誰……?

 君たちは、誰なの……?


 ピンクの髪を二つに結ぶ少女が、手を差し伸べている。瞳を潤ませ、何度も私の名前を呼ぶ。


『──ちゃん! 此処で死んではダメ! あなたがいなくなったら、誰がこの世界を救うの!?』


 クレア。

 その愛らしい顔立ちと共に、彼女の名が脳に記憶されている。


 彼女はいつも私の傍にいてくれた。

 親友を置いて、水底で最期を遂げるの……?



 ……違う!

 此処で死にたくない!!



 諦めないで、私!

 力を……振り絞って!!



《この世界に──奇跡が起こらんことを!》



 光が私の身体を包み込み、人魚の身体が黒き花弁へと姿を変える。



 全身に血が巡り、

 水流が私の身体を押し上げ──




「……はっ!」


 それまで、自分の身に何が起きていたのか判らずにいた。

 いつの間にか水上で浮かんでいて、呼吸だって問題なく行える。


 意識が戻って辺りを見回す中。

 近くで何かが事に気づく。


「ルーシェ……!?」


 目を開けたまま、仰向けで打ち上げられた少女。

 さっきまでの減らず口は静寂に飲まれ、賑やかな空気はとうに凍りついていた。


「お嬢様!」


 衣服を着たままやってくる二つの影。それは、アイリーンさんと執事さんだ。執事さんは人形のように動かぬルーシェを抱きかかえ、端まで泳いでいく。

 その一方で、アイリーンさんは私に手を差し伸べてくれたはずなのに……握り返せなかった。


 嘘だ。どうして起きないの? ただ意識を失っただけだよね?

 お願い、ルーシェ。目を覚まして。私を驚かすための冗談だって言ってよ……!


「ルーシェ!! ルーシェエェェエエエ!!!!」

「ルドルフ様、ご令妹様はもう……」

「……こんなの、デタラメだ……全部ぜんぶ、あいつが……」


 その『あいつ』という単語は、邪神を指していると思っていた。

 ……私が、兄さん達に近寄るまでは。


「ルドルフ兄さん、救護を呼べばきっと……」

「触るな、化け物め!! お前のせいで、わたくしの妹が死んだんだっ!!!」


 この手を肩に添えようとしたけど、彼はそれを払い除けた。

 いま目の前にいるのは、心優しいルドルフ兄さんではない。大切な家族をうしない、私に憎悪をぶつける一人の少年だ。


 彼の剣幕と叫喚は私の小さな心を引き裂き、感情を失わせる。

 映るもの全てがモノトーンに変わり、最初から私が居なかったかのように時だけが進んでいく。


「落ち着いてください、ルドルフ様!! これは彼女のせいでは──」

「うるさい! シェリーはを使って、ルーシェを生贄にした! 君たちも見ただろ!?」

「……ルドルフ、様……」


 執事が止めに入っても、アイリーンさんが名前を呼んでも、彼の怒りが鎮まることは決して無い。


「シェリー……」


 例えマリアが私のことを呼んでも、身体が全く動かなかった。私の肩に温もりが載っても、生きた心地が全くしなかった。


 何のために生き延びたんだろう。

 こんなことなら、あのまま私が死ねば──。


「マリア、今は……」

「……わかった」


 幼馴染は私の伝えたいことを察して、ルドルフらと一緒にプールを後にした。こうして私は一人、輝く水面を呆然と見つめる。


 私には、人間には無い力がある。


 魔術と違い、神に匹敵する禁断の術技。使役者次第で奇跡にも災禍にも成り得るもの。傷を癒やす術から、天地を揺るがす術まで。遥か昔、アリス・ミュールが流行病を撲滅した時の力に近しいもの。後天的に得られぬ力。


 お母さんは源を“霊力”と、術技を“霊術”と教えてくれた。


『本当に危ない時だけ、を使いなさい。それがお母さんとの約束よ』


 ずっとずっとそう教えてくれたのに、どうして好きな人に『化け物』と言われなきゃいけないの?

 女神アリスと違って魔女として生きなきゃいけないの?


 お母さんは、こんな事をずっと経験してきたの?

 だから本当の姓を隠さなきゃいけないの?


 もう立つ力など残っていない。

 三年前のようにまた視界が滲み、ボロボロと涙を零すしか無かった。


「ルドルフ兄さん……みんな……ごめんね……」


 これが初めての恋だった。

 けれど、もう人間に恋してはいけない。


 だって私は──同い年を殺した化け物だから。








 これまでの幸せが嘘のように、学校生活は一変した。秋になれば両親と一緒に温泉の里へ向かっていたけれど、もうそれも。水中に対するトラウマを話せたけど、他人との接触には消極的だった。

 マリアと出会った頃みたいに、知らない人に話し掛けることはできない。マリアたちとお話することもできない。少しでもそんな事をすれば、また誰かを巻き込んでしまうから。


 時には彼女から手紙が届くこともあった。『また一緒に遊ぼう』って。でもルドルフ兄さんにとって私は邪魔だと思うし、返事を書く気になれなかった。

 そもそも、王室の皆とも距離を置きたかった。『庇ってくれなかったから』なんて理由じゃない。『今度は自分の霊力でマリアを殺してしまうかもしれないから』って、気が気でならなかったの。あの子には散々酷いことをしてるのに、どうして私を気に掛けるのか全く判らない。


 ひたすら無視すれば、あの子も判ってくれると思っていた。

 でも……月に一度の手紙は変わらず届いた。


 時はラピスラズリの月。しんしんと雪降る夜の事だ。

 懲りた私は、絶交の旨を示すべく筆を取っていたが──お父さんが部屋のドアを叩いてきた。どうやら、誰かが私に用があるらしい。


 渋々と階段を降り、玄関のドアを開けた時。

 コートに身を包むアイリーンが深刻な表情で佇んでいた。


「ご無沙汰しております、お嬢様。夜分遅くのご訪問で恐れ入りますが、今すぐ馬車にお乗り頂けますでしょうか」


 それは、二十四のラピスラズリ。

 私が八歳になる直前の出来事だった。




(第三節へ)






読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート