騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第三節 東の国の屋台

公開日時: 2021年6月28日(月) 12:00
文字数:3,741

 この日は、シェリーと一緒にあずまの国へ行く約束だ。


 陽射しの強い昼下がり。俺たちはリヴィ行きの国際列車に乗るべく、駅前で待ち合わせしていた。和装姿の女性が駅に向かう光景を、この短時間で数回は見ている。以前ヒイラギから聞いたが、あの木綿の和服を“浴衣”と呼ぶそうだ。

 行き交う人だかりをぼんやり眺めていると、蒼い影がこちらに近づいてきた。


「ごめんなさい! 待ってました?」


 目の前に現れたのはまさに浴衣姿の恋人で、小さなバッグを提げている。藍の生地には花々が散りばめられ、幅広な帯には空色のコサージュが付いている。足元もサンダルとは違う木製の履物で、足の甲の上で一輪の白い花が咲き誇った。

 いつもの下ろし髪だって、今日は綺麗に結われている。所々で編んだように見えるが、どれくらい時間を掛けたんだ?


 とにかく今の彼女にはおもむきがあって、思わず溜息が出る程に綺麗だ……。


「あっ! 私が遅くなったせいですよね……本当にすみません……」

「いや、そうじゃない!」


 溜息をつくタイミングが悪かったせいで、苛立っているように映ったのだろう。罪悪感で顔を歪めるシェリーに対し、そっと肩を置いてフォローする。


「見惚れちゃっただけだ」

「……もう、またそんな事言うんですね」


 二人きりでは俺に懐く彼女だが、人が多い場所だとすぐに照れる。まあ、そこもまた可愛いんだけどさ。


「さて、そろそろ乗ろう」

「はい!」


 いつもと違う姿だからか、今から心が躍っている。シェリーの右手にさりげなく左手を絡めると、彼女も無言で合わせてくれた。


 出国審査を済ませた後はいよいよホームへ。蒸気機関車が煙をふかしつつ、ゆっくりと止まる。俺たちは車内に入ると、空いてる座席に座って暫し見つめ合った。

 シェリーも俺に目線を送るが、早くも顔を逸らしてしまう。その際、髪を飾る紺の花が揺れて細い首筋を見せた。此処は公衆の面前だと云うのに、赤く染まる頬と相まって口づけの衝動に駆られそうになる。


「そ、そんなに見ないでください……」

「いいだろ、別に」

 汽笛と共に列車が動き始める中、滅多に拝めない彼女の浴衣姿を見て楽しむことにした。




 シェリーの口数も増えた頃、機関車は既視感ある景色を素早く横切る。今見える景色はリヴィだ。新緑の木々を見つめていると、ヒイラギとの戦いを想起させる。


「……ベレさんが銀月軍団シルバームーンの一人と知ったときは、とても驚きましたわ」

「あいつなりの考えが、強さに表れていたな。ヴィンセントもルーシェも消えた事だし、あっちの戦力が少し鈍ったんじゃねえか」

「そうだと、良いのですが……」


 ヒイラギが魔族の血を引く以上、俺らを凌駕する程の力を持っているのは事実だ。もし今も配下であれば、被害は今より大きかったに違いない。

『戦力が少し鈍った』とは言ったが、奥の手がある事も考えられる。なんせ、この広大なティトルーズ王国を支配するには四人の手下じゃ足りないからだ。


 その時、機関車の走行速度が緩やかに落ち、殺風景なホームが見えてくる。シェリーはホームに視線を向けたまま、俺に話し掛けてきた。


「そういえば、一旦この国で降りるんでしたっけ?」

「ああ。次は入国審査だからな」


 リヴィにはあまり良い思い出が無いが、此処は仕方あるまい。

 機関車が停まって乗客が出入り口へ流れる中、俺らも紛れてホームへ降り立った──。




 入国審査が無事に終わり、いよいよ東の国行きの国際列車へ。まだ青空が広がるものの、この頃には陽が西に傾きつつあった。


「わぁ……! 私達の国には無い建物がいっぱい並んでいますよ!」

「不思議な光景だよな」


 幾重にも重なった塔や、歴史あり気な屋根瓦やねがわらが多く立ち並ぶ。もうこの国に足を運んだのは何時ぶりだろうか、初めて訪れたような感覚である。窓に映り込むシェリーは瞳を輝かせ、一つ一つの建物を目で追い続けた。


「もうすぐ着く頃かもな」

「はい! とても楽しみですわ!」




 空の色が蒼穹から黄金に変わる頃、ようやくあずまに辿り着いた。二度目の入国審査が過ぎた時、俺の心の中が安堵で満たされる。

 しかし、これからが本番だ。左右には異国の文字で書かれた屋台が立ち並ぶ。俺たちは事前に蓄えてきた僅かな知識を頼りに、回ってみることにした。


「えっと。“焼きそば”に、“お好み焼き”……色々ありますね」


 隣を歩くシェリーは、食べ物と認識できる単語を声に出していく。


 直後、おぞましい魔物を描いた赤い看板を目の当たりにする。俺は思わず恐怖の声を漏らし、足が凍りついてしまった。


「どうしました?」

「あれ……」

 俺が指差す露店には『たこ焼き』と書かれ、隣には小さなクラーケンが描かれていた。


 クラーケン──それは巨大な頭を持ち、無数の触手を生やす海の魔物。黒い酸で鎧を溶かし、相手の不意を突いて触手で窒息させるのがヤツのやり方だ。一隻の大船をも沈めるヤツが、何故この国で食い物になってんだ?


「あっ、アレックスさんは気になるのですね! 私も同じ事を思っていましたのー!」

「いや、俺は焼きそばが……良い……」


 こいつはクラーケンと戦った事が無いのか? 興味深そうに屋台を見つめるシェリーも恐ろしいもので、さっきから余り声が出ない。


「私、買ってきますからちょっと待っててください!」

「えっ」


 シェリーが否応なしに駆け抜けるなんて、実に珍しい事だ……。とりあえず何かあっては危険なので、彼女と一緒に二、三人程の列に並ぶ事にした。


 事前に両替してきた数枚の硬貨で、例のモノを買う。

 すると、八個の茶色い球体を乗せた紙の小舟が現れた。その球体には色の濃いソースやマヨネーズ、パセリのような緑の粉が張り付く他、二本のピックが刺さっている。小舟を掌に載せると、火傷しそうな熱が皮膚を伝った。


「まいどありー。熱いから気をつけろよ!」

「はい、ありがとうございましたー!」


 店番に挨拶するシェリー。一方で、俺の胸中にはある疑問がずっと潜んでいた。

 想像していたのと全然違う。てっきりクラーケンの丸焼きだと思ってたから、なぜ『たこ焼き』なのかさっぱり判らないでいる。


 本当は何処かで腰掛けて食べたいところだが、適切な場所が見当たらない。周囲の人たちも食べ歩きしてるようだし、俺達もならおう。

 シェリーが嬉々ききとして一つの球体をピックで持ち上げ、一気に口の中へ放り込む。


「おい、熱いから気を付け……」

「はふぅ!!」


 あー、さっそく悶えてやがる。それでも彼女は何とか噛み砕き、飲み込んだようだ。今にも泣きそうな目だし、きっと熱すぎて味が判らないはずだが──。


「これ……美味しいですよ!」

「ホントか?」

「食べてみてください! きっとお好きな味ですわ!」

「お、おう……」


 言われるがままに、もう一本のピックを使って異形を持ち上げた。それは大きく口を開けないと食べられないようなサイズで、天にも昇る白煙が熱さを訴える。

 ええい、ままよ! 口をすぼめて何度か湯気を追い払ったあと、思い切って放り込んでみせた。


 ……熱い。確かに熱い。だが不思議な事に、食感や味覚をはっきりと認識できた。その練り物は噛めば噛むほど甘く、甘辛なソースと見事調和する。

 そしてついに、弾力性のあるを噛み砕く事となる。もしかして、これが“タコ”と云うヤツだろうか。それがクラーケンと同じものかはさておき、確かに美味い。シェリーが二個めに手を伸ばすのも納得だ。


「ん〜! 美味しーっ!」


 彼女が嬉しそうに頬張る傍ら、俺も二個目、三個目と手を伸ばす。八個並ぶたこ焼きはたちまち胃袋へ消え、程よく腹が満たされるのだった。


 それにしても、此処は異国情緒が溢れる国だ。まず服装から違うし、人々の物腰が柔らかく感じる。遠くに見える木造の鐘楼しょうろうは、時刻を報せるためのものだろうか。また彼女と一緒に遊びに来るのも悪くない。


「ねえ、アレックスさん! 次は“かき氷”が食べたいです!」


 シェリーが見つめる先は、シャーベットを描いた露店。俺たちはそこへ立ち寄り、器に降り積もる氷の山を一つ受け取った。いただきに注がれたシロップから、苺の香りがほんのりと漂う。『早く食べたい』と逸る気持ちに駆られた彼女は、一足先に近くの椅子に腰掛けた。


 左手でガラスの器を持ち、スプーンで氷塊を掬うシェリー。

 彼女が食べるかと思いきや、俺の口元に差し出してきた。


「はい、あーん」


 その白い塊が口の中に入ったとき、シャリシャリという歯応えと冷気が入り込んだ。苺味とは云うもののジューシーさはあまり無く、砂糖で作られたような味だ。それでも、この暑くて湿った空気を忘れるには十分である。

 何よりも、シェリーが自ら食べさせてくれたのが嬉しい。一人で食べても美味いはずだが、彼女のおかげで尚更そう感じるのだ。


「ずっと、こういう事ができたら良いよな」

「え?」

「いや、こっちの話だ」


 空が暗くなるに連れ、四世紀前に味わった切なさが自身の心にし掛かる。願わくば、この無邪気な横顔をずっとずっと見ていたいさ。

 そんな淡い希望を懐きつつ彼女の頭に手を添えると、彼女はもう一度「あーん」と差し出してきた。再び染み渡る冷たさが哀愁を打ち消し、俺の頬を緩ませる。


「えへへ、此処の国の食べ物はとても美味しいですね!」

「そうだな」


 不安を打ち消す程の朗らかな声音。

 それは、今日がまだ始まったばかりであることを伝えるのだった──。




(第四節へ)






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