・オーニング:店舗の玄関上部にあるテント。日除けは勿論、店舗のイメージを彩る重要な役割をも担う。
エレと初めて会った日は色々あった。ジェイミーから写真を受け取ったあとはエレを助ける。ここまでは良かったが、シェリーの後を付いて行ったのが運の尽きと云えよう。なんせ彼女はあのジャックとかいう男と再会を果たしていた一方で、俺は謎の猫野郎にキスされてしまったのだから。
それだけじゃない。猫から逃げる際、通りすがりの少女とぶつかってビンタされた挙句、見知らぬ子ども達に質問責めされまくったときは『どうしようか』と思ったよ。あの時もしエレが来てくれなければ、噂が広まって“隊長”という役目を剥奪されていたかもしれない。
幸い、俺は彼女のおかげで隊長としてこの場にいられる。いや……今は個人として、だな。ログハウスのようなカフェでエレ――この時はまだ開花していなかった――と一息ついたあと、俺たちは外に出てこれからどうしようか話し合っていた。
「アレックス様、この後のご予定は?」
「特にないよ。後は真っ直ぐ帰るだけだが、ちょっとそんな気分じゃないんだ」
あの酒場の看板娘でもあるシェリーが、遊歩道でジャックと交わってたんだ。雄猫に汚された唇はコーヒーで拭い落とせたが、例の光景については予定を詰めないとずっと考えちまう。
エレは赤面したまま俺を見つめるだけだ。新緑の垂れた瞳で見つめられると、『本当に俺で良いのか』とさえ思う。
「わたくしもまだ帰りたくないのです……だって、こんな素敵なお方と出逢えたのですから」
「俺より良い男はわんさかいるけどな」
「いいえ、アレックス様という存在はこの世でただ一人だけなのです! 今日を逃してしまえば、またいつお会いできるかわからないのですよっ!」
……もしシェリーに同じことを言われたら、どれだけ幸せなことか。目の前の彼女には申し訳ないが、そんなことをふと考えてしまう辺り簡単に忘れられないのだろう。この子は勇気を振り絞ってくれているはずなのに、その想いを受け取れない自分が憎たらしい。同時に、『そんな気分じゃない』と言ってしまったことに後悔する自分もいた。
あれやこれやと葛藤していると、エレは「あの」と予定を提案してきた。
「せっかくですから、わたくしも久しぶりにブラックを飲んでみようと思うのです。一緒にコーヒーショップを探しませんか?」
「うん。気持ちを落ち着けたいとこだし、旨そうな所を当たってみよう」
「はいっ!」
俺がそう言うと、エレは満面の笑みを浮かべて首を縦に振る。そして彼女は恋人同士のような距離で、健気に俺に付いてきてくれた。
辿り着いたのは、無機質な灰色の壁が特徴のコーヒースタンドだ。紺鼠色のオーニングとの組み合わせがシックな印象を与える。店に入ると、厚手のオムレツを挟んだサンドイッチの写真が好奇心を煽る。しかし、今の俺たち――さっきのカフェで昼食を済ませてしまった――の胃袋に入る余裕など何処にもない。俺は厨房の方から漂う甘い誘惑を振り切りつつ、二人分のブラックを頼んだ。
「熱いから気を付けろよ」
「はい、ありがとうございます!」
エレは俺からカップを受け取ると、口をすぼめて湯気を逃がし始めた。俺もカップを持ち上げ、カフェインを口内へ流し込む。先ほどの店で味わった時よりもかなり苦く、今の俺の心境とシンクロしているような気がした。
その傍らで彼女もあまりの苦さに顔を歪めているようだ。けれどそれはほんの一瞬で、笑顔を再び俺の方に向けた。
「確かに苦いですけど、豊かな香りがしてとても美味しいのです」
「今日初めて寄ったが、かなり良い豆を使ってるみたいだな」
上質な店に巡り会えたのは、今日で二軒目だ。俺がいないうちに美味い店が増えてるし、また外食する時が楽しみだ。
ところで、エレは誰かに恋したことがあるのだろうか。すぐ顔が赤くなる辺り案外疎いのだろうし、まさか初めて会ったのに俺に惚れてるとか? いやいや、流石にそんなことはない。
男の俺が訊くのも野暮だし、代わりに彼女のことを知れそうな話題を振ってみる。
「吟遊詩人ってことは、自分で詩を書いて歌ってるんだよな? どんな詩を書いてるのか是非知りたい」
「えっ……アレックス様に見せる程のことでは……」
「国を跨ぐって凄いことじゃねえか。さっきの男の子が言ってた詩がどんなのか気になるよ」
「……あれは、まさにへプケンで“平和”を綴ったものです。七年前は戦争の最中でしたから、妹と一緒に出掛けて歌ったのですよ」
「妹も歌うのか?」
「いいえ、彼女はただ傍観しているだけなのです。『一緒にどう?』と誘っても、なかなか応じてくれなくて」
「そうか。……彼には苦労を掛けさせちまったな」
「当時はそちらにいらっしゃったそうですしね。そうなると、わたくし達は何処かですれ違っていたのでしょうか」
「どうだろうな。もしその頃に出会えていたら、俺もお前の詩をじっくり聴いてたかもな」
へプケンと云えば、防衛に強いことで有名だ。同じく武に長けた隣国のシーヴはへプケンを植民地にすべく、ティトルーズ暦322年――今から二十年ほど前――トルマリンの月に攻撃を仕掛ける。そこで、ティトルーズ防衛部隊に長年務める俺が派遣されることとなった。
復興は順調だし電気も通るようになったが、(そっちで活躍してる仲間によれば)終戦までにもう少し時間が掛かるようだ。
俺とエレは沈黙のままコーヒーを飲む。引き続き苦味を味わっていると、彼女が話題を振ってきた。
「あの、良かったらこの後は本屋に寄りませんか? アレックス様がどのような本を読まれるのか、とても気になるのです」
「本か……こっちに戻ってきてからまた面白いのがあるかもしれんし、行ってみよう」
コーヒーを飲み干したあと、城下町で最も歴史ある本屋に着いた。レンガ造りの建物が並ぶ中、二つの入り口が目立つ店が一軒だけある。いずれの玄関付近にはガラス越しで本が飾られており、名作から新作まで勢揃いであることがよく判る。
俺たちは正面から見て左の入り口に入ると、奥まで続く両脇の本棚に圧倒された。すぐ左隣の階段は吹き抜けに繋がっていて、そこにも勿論本が並ぶ。中央の階段を降りれば輸入品のコーナーだ。
しかし、俺は新作を見てみたいので、少し歩いた先にある丸テーブルへと向かう。この卓上では、新しくて人気な作品しか置かない。此処にある本を何度か買ったことはあるが、どれも当たりだったから此処で漁るのだ。エレがまじまじと俺と卓上を見つめる傍ら、面白そうなモノを目で探ってみる。
「アレックス様はどんな物語がお好きなのです?」
「うーん、幻想モノとか笑えるヤツかな。エレちゃんは?」
「わたくしは、心に沁みるお話や童話が好きなのです。詩集を読むこともありますよ」
とても彼女らしい好みだ。俺は泣ける話はあんまり好きじゃないが、一定数以上の需要があるのは確かだし、現在も此処で積まれている。
そういやシェリーはどんな本が好きなのだろう、というか本を読むのか? オーソドックスに恋愛モノが好きそうだし……実は月夜想小説をこっそり読んでたりとか? ダメだダメだ、まだ夜でも無いし、エレが隣にいるのにあらぬ妄想をしてはダメだ!!
「どうかしたのです?」
「んや、何でもねえよ」
気づいたら公衆の面前で首を振っちまったらしい。まあ、本題に戻すとしてラインナップを眺めていると、一風変わった分厚い本が視界に飛び込む。
黒い皮革の表紙が特徴のそれは、金色の字で『機械だらけの世界』と刻まれていた。その手前にある小さな紙の看板にはこう書いてある。
全てが機械で埋め尽くされたとき、魔法は死ぬ。
「見たことのない内容だ」
「はい。これまでの幻想文学とは異なりそうなのです」
この作品における機械というのは、おそらく蒸気機関を指すのだろう。今も魔術機関は存在するし、全く想像できないからこそ興味深い。俺は直感に身を任せて手に取り、後でカウンターへ持って行くことにした。
「エレちゃんは何を買うのか決まったか?」
「わたくしは外国の本をちょっと探してみたいのです」
「よし、じゃあ階段を降りよう」
中央の階段を降りると、こちらも所狭しと本棚が並んでいる。入って右側にはカーテンで仕切られたコーナーがあるが、それは一人で来たときのお楽しみとしよう。
「やっぱり、アレックス様もそういうのにご興味が?」
「まあ、男だからな」
「でしたら、一緒に入ってみませんか?」
「ああ、良いぜ…………って、ええ!?」
おいおい、さっきの『外国の本をちょっと探してみたい』は何処に行ったんだよ。まさかカーテンで仕切られてるのを良いことに、いけないことをしたりとか? 此処は何とかして断りを入れねえと――
「さあ、行きましょ!」
「ま、待て! あそこは野郎どもが――」
「アレックス様と一緒ですもの! 早く早くーっ」
なんでそんなにノリノリなんだよ! しかも腕にしがみつかれてるせいで当たってるだろうが……! もしかして俺、やべー女と出会っちまったのか? 俺が助けに行くことも、助けられたことも、全部ぜんぶ筋書き通りだったとか? ああああ、女とは思えない力で引っ張られていく!!!
「……なあ、やっぱり戻らねえか? みんな見てるぞ」
「わたくしにはあなた様しか見えないのです」
そんな満面の笑みを浮かべられても……。あー、真昼間から目も当てられねえモノばっか並んでやがる。
此処は未成年の入室を禁じられたコーナーだ。美女のありのままを描いた画集は勿論、フィルムに収めたものだって在る。文章だけで愉しめる夜想小説も此処に置かれてあり、昔は定期的に訪れたものだ。『決して気にならない』って言ったら嘘になるが、今は……。
「どのような作品がお好きなのです?」
「いやさっきと同じノリで訊くなよ」
やべえな、これじゃあ『彼女に自分の好みを押し付ける彼氏』みたいだぞ。しかも此処に来る男の大半は相手がいないし、嫉妬の眼差しが痛すぎる。ただ、この状況が全く見えていないエレは腕に顔を埋め、指先で胸元をなぞり始めた。
「おい、何をする……!」
「此処に来ると、不思議な気分になるのです……アレックス様、もし今晩お暇でしたら――」
――バターンドカドカドカドカドカッ!!!
「何だ? 今の音」
物が大量に落ちた音が輸入品のコーナーから聞こえてきた。俺はこれを良いことにエレの手を引き、逃避行の如く黒いカーテンの仕切りをくぐり抜ける。
「…………ちっ」
誰かの舌打ち? これもきっと哀れな野郎の妬み嫉みに違いない。そんな些細なことを無視して早歩きで向かうと、本の下敷きになった黒髪の青年がいた。
「いて、ててて……」
「大丈夫か?」
誰もが野次馬で彼を見つめるなか、俺は本を除けてから手を差し出す。この店の制服を着ているということは店員か。
「あ、ありがとうございます。……はあ、お客様に助けられるとは」
「気にすんなって」
青年の周辺に落ちた本を拾い上げ、彼に手渡す。エレも手伝いに加担してくれたおかげで早く片付いたようだ。
……ところで、彼の顔立ちが何処となく兄貴に似ているのは気のせいだろうか。ただまあ、声が明らかに違うし、別人かもな。青年は俺と同じダークブラウンの瞳で見つめ、パチパチと瞬きをする。
「貴方とはどこかでお会いしましたっけ?」
「それは俺が訊きたい。まさか、兄貴じゃないよな?」
「あははは。貴方のお兄さんでしたら、私はもっとカッコよかったかもしれませんね」
「やっぱ人違いだったか。じゃ、気を付けろよ」
「はい。貴方たちもごゆっくり」
こうして俺と青年は、最初で最後の奇妙な出会いを果たした。彼が階段を昇ることで、再び店員の誰かと化す。
「こんな面白い出会いもあるものだな」
「?」
エレが首を傾げる傍ら、先ほどの他愛ないやり取りを思い返していた。
「……また歴史を繰り返すつもりか」
『しかし、魔族が命運を担うとは、それだけ落ちぶれている証であろう』
「よりに寄ってあの男が……」
『汝が始末すれば、恨みを晴らせるはずだ。何としてもあの女王を跪かせよ。余った花は蜂に吸わせれば良いさ』
「御意。あの程度、手を煩わせるまでもない」
『ふっ……任せたぞ』
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