──ティトルーズ城、エントランス。
俺とアイリーンを歓迎するのは、複数の使用人たち。誰もが銃口を此方に向け、今にも弾が飛び交いそうな空気に包まれていた。その中には騎士も紛れ込んでおり、いかなる手段を以ってしてでも行く手を阻んているのがよく判る。
「こうなったら強行突破するしか無いわね。貴方は執事たちを相手してもらえる?」
「おう」
トリガーを引くのが先か、アイリーンが敵陣に突っ込むのが先か。
それぞれが必然的に重なり、今ここで火花を散らす事となる。やがて彼らも一斉に動き、うち数人は俺目掛けて突進してきた。
「いくらマスターとて、此処から先へは!」
鳴り響く銃声に、骨を打ち付け合う音。
無慈悲な音色を伴奏に、俺もまた彼らを片っ端から拳で蹴散らした。
「あの悪魔を……殲滅してみせる」
女の独り言が聞こえたのは、右側からだ。そのメイドもまた濁った瞳で俺を見据え、銃口で睨みつける。迫りくる弾丸を掻い潜った末、彼女の懐へと距離を詰めた。
「な……っ!」
「悪いな。少し眠ってもらう」
上段回し蹴りがメイドの頭に当たり、彼女は意識を失う。その際、華奢な手からマシンガンが滑り落ちたが、俺は決して拾いはしなかった。
「はっ!」
背後から迫る執事の息遣い。それに勘づいた俺は振り向きざまに手刀を喰らわせた。首に衝撃を受けた彼も倒れ、そのまま意識を失う。
一方でアイリーンは、既に正面階段を昇って廊下へ入ろうとしていた。俺は次々と襲い掛かる使用人たちを退け、何とか彼女に追いつく。
無論、広々とした廊下でも彼らは待ち構えていた。中でも一人の騎士が俺達の懐へ飛び込み、長い剣を振り下ろす。しかしその一撃を俺達が躱す事で反撃の機がすぐさま生まれた。
「とおっ!」
アイリーンは舞うように跳躍し、しなやかな脚で騎士のうなじを蹴る。甲冑姿の男が前に倒れた矢先、俺はその長剣を拾い上げた。
刃に錆は見られず、重量もずっしりしていて丁度良い。さすがティトルーズ騎士団なだけあって、俺が愛用していた武器に近い。これは手放さないでおこう。
「いたぞ! かかれぇ!」
「「おぉぉおおぉおお!!!」」
前方から訪れる複数の甲冑たち。彼らもまた騎士団の一員であり、隊列を成して俺らに迫ってきた。
「隊長。此処は自分にお任せを」
「判った。俺の背を預ける」
アイリーンが前方の連中を相手にする傍ら、俺は後方から来る騎士たちを迎撃。一人ずつ此方に刃を向けるが、誰一人俺に近づく事はできなかった。
剣撃を受け止め、その隙に体術で気絶させる。それを繰り返す事で、暴走する者たちは次々と減っていった。
「はあ、はあ……一旦の落ち着きを得たようね」
息を切らすアイリーン。彼女は自身の胸に手を当て、すり減った持久力を月魔法で回復させているようだ。彼女の手元から放たれる紫の蝶たちは俺を囲い、鱗粉を降り注ぐ。おかげで身体が少し軽くなった気がした。
「ありがとな」
「彼女に決して隙を見せてはダメよ。良いわね?」
その忠告が、次の戦いにおいて如何に重要か見て取れる。
俺達はしばらく廊下を歩くと、ついに食堂の前に辿り着く。アイリーンがその扉を蹴破ると、広くも薄暗い空間が視界に飛び込んだ。
純白のクロスを敷かれたテーブルが幾つも並び、巨大なシャンデリアが等間隔で吊るされている。蝋燭が灯火していない代わりに、射し込む陽の光がほんのりと照らしていた。
呼吸すら許されない、緊迫した空気。此処で花姫たちと何度も食事したはずなのに、それがまるで夢のように思えるのだ。
奥まで伸びた空間の先に、一つの黒い影が佇む。その正体は、騎士団を率いる女騎士ルナだった。
「大人しく鍵を渡さないとどうなるか、判ってるでしょ?」
ルナを見据え、強い口調で鍵を要求するアイリーン。しかし、ルナの返答は俺の想像を遥かに越えるものだった。
「……返せ……返せ……!」
断片的に紡がれる憤り。彼女はその憤りについて考える隙を与えず、鋭利な何かを俺らの頭上に向けて投げ飛ばした。
「危ない!!」
アイリーンが声を張り上げると共に、頭上から鎖の揺れる音が聞こえてくる。反射的に見上げた刹那、シャンデリアが俺達に降りかかろうとしていた。
「うぉ!?」
身体をローリングさせる事でシャンデリアを回避。落下したシャンデリアは派手に砕け散り、ガラスの破片が零れ桜のように広がっていた。
俺が立ち上がった刹那、歪な気配を間近で感じ取る。彼女は憎悪を露わにし、咆哮を上げながら剣を振り回してきた。
「はぁぁあぁぁああぁあ!!!!」
なんていう気迫だ──! 彼女は的確に、かつ迅速に俺を狙い続ける。せっかく手にした剣はただの盾と化し、一挙一動を追うのに精一杯だ。
「返せ!!! 私の腕を返せぇぇえ!!!」
金切り声に近い叫びが鼓膜をつんざく。俺は必死に彼女の攻撃を受け止める一方、自身の胸にはまさに剣が突き刺さるような痛みを覚えた。
……いや、今は考えるな。模擬戦闘のように隙を伺って──
「やぁあああ!!!」
剣が脇腹を──掠めた……? もし一ミリでもずれていれば、切っ先が俺の腸を破っていた事だろう。
彼女は間髪入れずに剣を振り回し、俺に隙一つ与えようとしない。ついに硬質な何かが背に触れた時、真っ先に“死”という単語が脳裏を過ぎった。
「その腕をよこせ……! さもなくば──!」
……ルナは、数え切れぬ程幻肢痛に苛まれていた事だろう。ジャックはその苦しみにつけ込み、彼女の怒りを爆発させた。
今はこの剣で憤りを受け止めてはいるが、手放せば俺の腕が危うい。だからといって、俺には彼女を傷つけるなど出来やしなかった。
『ボクとしてはルナに素敵な人が現れてほしいな。あの子も元々はお嬢様だけど、すごく苦労してたからね……』
『あいつも並大抵の男には勿体ねえよ。それが例え、どんなに金を積まれてもさ』
『……うん。“自分より格段と強い男が良い”ってよく言う。そういう人と出会うまでは、“お前の王子でいたい”ともね』
彼女はきっと、生身の腕で姫を守りきれない事が悔しいのだ。俺が同じ立場なら間違いなく苛立つに違いないし、腕を切った相手を一生恨むだろう。
だからこそ、安易に剣を振るう事ができなかった。模擬戦闘では俺がリードを取ってたのに、何故今になって何もできないんだ。
それどころかルナの怒りは勢いを増し、ついに俺の剣を弾く!
そして──。
「るぁぁぁああぁぁああああ!!!!!!」
こうなれば覚悟の上だ。
瞼を固く閉じた時。
何かが俺への追い打ちを阻んだ。
瞼を開けてみれば、アイリーンが椅子を持ち上げてルナの後頭部に迫る。ルナは背後に気付いて椅子を分断するが、アイリーンはすぐさま間合いを取った。
「憎い! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!!」
怒りの矛先がアイリーンに向き、幾度も銀の弧を描くルナ。その度に周囲の椅子が砕かれ、果てまでは両者がテーブルの上で攻防を繰り広げる事となった。
アイリーンは己の手を霧で包むと、巨大な鉤爪を召喚させる。
ルナが狂犬の如く剣を振りかざす一方、アイリーンは冷静にクローで受け止めていった。
「邪魔をするな! あの悪魔を殺さねば、私は脚さえも──!!」
「……本当に、話をしても取り合えなさそうね」
いくら上下関係があれど、辛辣な独り言を吐くアイリーン。やがてルナの剣撃は精彩を欠いていくのが判った。
刹那、アイリーンは眉根を寄せ、クローでルナの剣を弾く。珍しくルナが隙を見せた時、アイリーンはついに飛び蹴りをかます!
「うあぁああぁっ!!」
ルナの身体が後ろへ吹き飛ばされると、長いテーブルの脚が折れて斜めに倒れる。その際、テーブルの角が鎧に当たったようで、金属の『カァァン』という高い音が聞こえてきた。
「さあ! 降参なさい!!」
アイリーンはクローの幻影を打ち消し、左手で拳を作る。ルナの頬目掛けて拳を直進させるが、当の本人は抗った。その拳を鋼鉄の手で受け止め、唾液を飛ばす勢いで怒鳴り散らす。
「貴様、何故寝返った!? 私がどうなっても良いと言うのか!?」
「良いわけないから戻ったのよ。このまま誰かを傷つけたら、貴女は一生後悔するわよ」
「黙れぇぇええ!!! 貴様の腕などへし折ってやらぁあぁああ!!!」
その瞬間、俺は耳を塞ぎたい程の衝動に駆られた。
ルナがアイリーンの左腕を捻じ曲げた時、グギリと骨の折れる音がけたたましく響く。その聞き苦しい音をかき消すように、アイリーンは悲鳴を上げた。
「あぁぁああぁぁああぁぁああああぁぁあ!!!!!!」
垂れる左腕を押さえ、蹲るアイリーン。ルナは即座に立つと、メイド長の脇腹を勢いよく蹴り上げた。
「がはっ、あぁぁあ、ああ……!!」
「あはははははははは!! もはや貴様でも良い! その腕、貰い受ける!!」
ルナがかざす剣は、今にもアイリーンの左腕を切り落とそうとしている。
俺は直ちに魔力を右手に注ぎ、氷の弾でルナの剣を吹き飛ばした。
「私の邪魔をする気か!?」
「アイリーン! 高度治癒薬で治せるか!?」
「ええ……!」
たじろぐルナの懐に迫るが、彼女の手中にはまたもや剣が収められている。一方でアイリーンは高度治癒薬を腕に掛けたのか、断片的な呻き声が微かに聞こえてきた。
「今度こそ往ねぇぇえええ!!!!」
レイピアのように片手で持ち、残像が見える程の速さで連続突きを見せるルナ。しかしその速度は先程と比べて鈍い。剣身で幾度も受け止めた後、剣身に清魔法を込めてアッパーカットを決めた。
「!?」
「さっきのお返しよ。三日月の波動!!」
ルナの身体が俺の剣撃で打ち上げられた矢先、アイリーンが地面を蹴り上げて衝撃波を放つ。
その衝撃波は見事ルナに着弾し、彼女を前方へ吹き飛ばした。俺がさっと右へ避けると彼女の腹部がテーブルに当たり、胃袋から大量の血飛沫が漏れ出す。
「ごはぁっ!!」
「いくら騎士団長だからって容赦しないわよ」
俺が瞬きする頃、アイリーンは既にルナの背を踏みつけていた。高いヒールで傷んだ鎧に圧を与え、身動き取れないようにしている。その間に俺も彼女の眼前に周り、切っ先で脅してみせた。
「さっさと鍵をよこせ。それとも、まだ抗う気か?」
「……絶対に、──ものか」
その身体能力には目を見張るものがあった。
ルナは勢いよく起き上がり、俺の剣身を掴んでは遠くへ放り投げる。一方でアイリーンは尻餅をつきそうになるが、後方転回する事で体勢を立て直した。
ついにルナは両手で剣を構え、俺の胸目掛けて突進する──!
「いい加減消え失せろぉぉおおぉぉおお!!!」
喉が枯れんばかりに叫ぶ騎士団長。
だが、赤い令嬢服を纏う少女が俺の前に飛び込み──
胸元から薔薇が咲き誇った。
「ぐぁああぁ、あぁ……!!」
「「マリア!?」」
俺は勿論、アイリーンも思わず名を呼ぶ事態。
そう。俺を庇ったのは、国王にして花姫でもある彼女だった。マリアは胸に剣が刺さったまま後ろへ倒れ、俺達を儚げな目で見上げる。俺が抱き留める中、アイリーンは瞳を潤ませて叫んだ。
「何してるのよバカッ!!」
「……あなたなら、あたしの事判ってるでしょ……だったらそう怒鳴らなくて、良い、じゃない……」
「判ってるから言ってるのよぉ! ああ、もっと自分がしっかりしていれば、こんな事には……」
「……嘘、だ……」
その声は、俺達の真横から聞こえてきた。
虚ろだった栗色の瞳にハイライトが戻り、大粒の雫が静かに流れ出す。自身の両手を見つめる彼女には、先程の気迫が微塵も見られなかった。
「も……もしや私……陛下を……!!」
「俺が救護を呼ぶ! それまで持ち応え──」
「良いの……これぐらい、平気だから……」
「冗談はよして……! いや……いやぁああ!!」
アイリーンが泣き崩れてもなお、静かに微笑むマリア。彼女は血まみれの手で側近の頬に触れ、掠れた声で言葉を続けた。
「よく聞いて、アイリーン……。あたし、あの子を傷つけた彼が、ずっとずっと赦せなかった……。彼が、暴れる今……何をすべきか、判るでしょ?」
「ですが、それは──!」
「気にしないで。こればかりは、事故として扱えば良いの。あの男は……もう、あたし達の手には負えない……だから……」
言葉の先を言わぬマリアだが、アイリーンは強い眼差しで主を見つめる。そして彼女は深く頭を下げ、メイド長として声を振り絞った。
「……仰せの、ままに」
「それで良いわ。……ありが、とう……」
彼女の力が一気に抜け、瞼が下りる。
その瞼が開かれる事は、決して無かった。
温もりはあれど、それもごく僅かだ。
たちまち体温が失われ、ついに息遣いが無に換わる。
そして時は──無慈悲に過ぎゆくのみだった。
「そんな……私のせいで、陛下が…………うあぁぁあぁぁああぁぁあああぁぁあああああああぁぁああ!!!!!!」
違う。マリアが死んだなんて有り得ない。
なんせ彼女は、かつてジェシーに脳髄を抉られたんだ。
だから今回も、最悪な結末など起こりはしない。
絶対、絶対だ。
けれど──アイリーンは打ちひしがれ、ルナは泣き叫ぶのみ。
白衣を纏う上級魔術師が駆けつけたのは、マリアが刺されてから数十分後の事だった──。
(第四節へ)
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