「アレックスさんの肉体は今、城内の医務室で横たわっていますわ」
彼女の口から出た言葉は、心臓が飛び出るような真実だった。
この果てしない通路で吸血獅子と戦う中、シェリーが助けに来てくれたわけだが──一瞬、彼女が何を言っているのか判らなかった。俺はただ口を開けるしか無くて、何を訊けば良いのかすら判らずにいた。
シェリーはそんな俺を察したのか、淡々と話を続ける。
「つまり此方は、アレックスさんの意識の中です。もう意識を失ってから一日は経過していますの」
「じゃあ、何故お前は此処にいるんだ?」
「それは、私が霊術を通して意識に飛び込んでいるからです。私の肉体も同じく医務室に置かれている事でしょう」
「……もし俺が死ねば、お前はどうなる?」
「その時は──」
──ゴゴゴゴゴゴ……。
「なんだ、この揺れは!?」
唐突の激しい縦揺れにバランスを崩しそうになる。俺は真っ先にシェリーの手を掴んで一緒に屈み、彼女の頭を胸に埋めた。無論、俺も頭を下にすることで身を守る。
地響きを立てて轟かす中、キーンという耳鳴りと頭痛に苛まれる。そうか、俺の意識の中だから直接影響を受けるのか……!
直後、俺達の周囲でガラスを割るような音が一斉に聞こえてきた。寒冷も乾湿も感じられない気候から一変し、やや湿った空気が皮膚に伝わってくる。
ようやく揺れが収まったとき、俺は恐る恐る頭を上げてみたが──その光景に思わず息を飲んでしまう。
視界に広がるのは青紫に満ちた空間ではなく、荒れ果てた街だった。灰色の空の下、くすんだ屋根や一部の壁が欠損した建物が多くそびえ立つ。遠くに見えるのは時計塔だろうか。時計の針は二時二十分頃を指しているが、動く様子が全く見られない。
隣に視線を移せば、尖塔が多く立つ城が過去の威厳を示すように佇む。それは俺達が何度も足を運んだティトルーズ城に酷似し──
……うん? ティトルーズ城?
この景色って、シェリーの目にも映っているのだろうか?
俺と反対方向を一望し、呆然と立ち尽くす彼女。俺もそこに目線を向けたとき──既視感のある建物が近くにあった。
黒い屋根と土色のレンガに、長方形の割れた窓ガラス。壁掛けの看板を見て、俺は思わず目を疑った。
「これも、俺の頭の中っていうのかよ……」
何処からどう見ても此処は城下町だ。ずっと愛してきた街がこんなにも荒れているなんて、俄に信じられない。
シェリーも同じ景色が見えているらしく、悲しそうに景色から顔を背けていた。……片手を胸に当てて。
「アレックスさん……とても、苦労されていたのですね」
「勘違いするな。俺はこんな破滅を望んじゃいない」
「わかっていますわ。ですが、心の傷や悩みがこのように反映される事もあるのです。私ったら、どうして気づけなかったのでしょう……」
「心の傷、か……」
今でも十分に幸せだと云うのに、何故今更──。
「はっ、魔物の気配!?」
シェリーが目を見開かせ、周囲を見回す。
俺も目を瞑って神経を研ぎ澄ませると、遠方から複数の足音を聞き取った。
この足音は、人間のそれじゃない。
蹄で地面を踏み鳴らす音だ。
そして、徐々に近づいている。
殺意剥き出しのどす黒い気配が。
「……やはりそうか」
瞼を開けたとき、俺の予想と見事一致。
首無しの馬に跨る、首無しの騎士──それは、俺が純真な花 隊長に任命されてから初めて戦ったデュラハンだ。
異形の騎士たちは瓦礫を踏み越え、俺たちを囲い出す。自身の生首を片手で抱える騎士たちは、誰もが剣の切先を俺らに向けるのだ。
ならば俺も同じく大剣に持ち替え、シェリーは両手にマシンガンを構える。
「シェリー、お前はそっちを頼む」
「ええ」
彼女と示し合った後、俺は地面を蹴って正面へ駆ける。
向かいのデュラハンらも動くことで、戦いの火蓋が切られた。
まずは横に薙ぎ払い、馬を分断!
一度に三体が千切れ、騎乗していた騎士らがあっさりと落ちる。その間にも無数のデュラハンが駆けつけるが、俺は次の清魔法を詠唱した。
「氷柱!」
奴らの頭上に巨大な魔法陣を展開させたあと、氷柱を雹のように降らせる。落馬した彼らは勿論、後からやってきた連中も見事撃ち抜かれた。というかこれ、凍らせるどころか斬撃だよな……?
ふと過ぎった疑問はさておき、次々と四方八方からやってくる。時に一・二体ほど接近を許してしまったが、突きの構えを取る事で負傷せずに済んだ。
面倒だし、清魔法で一気に──
刹那。デュラハンどもが俺のど近くで陣形を組み、一斉に剣を突き出す!
「よっと!」
直感でしゃがむ傍ら、右手に魔力を注ぎ込む。
空振りをした今がチャンスだ。
全身に魔力が漲る瞬間、俺は呪文を高らかに叫んだ!
「氷華!」
地面から氷山が生じ、群がる馬の腹部を串刺しにする。貫かれた部位から急速に凍り付くと、騎士も瞬く間に動きを封じられた。
さて、俺の周りは一通り片付いた。
酒場近くではシェリーが銃声を連ねて華麗に暴れているが、あの大群に対して一人は厳しいだろう。
俺は援護に回るべく、翼を広げて上空から軍勢を見下ろす。こうして見ると、魔物どもが子蜘蛛に見えるな……。
彼らに気づかれぬうちに、氷柱を詠唱。ある者たちは冷気の刃に突き刺さり、ある者たちは氷の彫刻と化す。熱気に満ちた空気はたちまち冷え、一時の静寂を生んだ。
「とどめはお前に任せていいか?」
「やってみせますわ!」
珍しくシェリーが威勢よく頷く。良いぞ、戦いにエネルギッシュな女は大好きだ(彼女なら尚更な)。
彼女は二丁のマシンガンを宙に放り投げた後、そのまま両手を掲げて魔力を銃に注ぎ込む。
銃が白く輝くと、間に光が伸びて一体化。二叉のように枝分かれする銃器は、これまでに何度も見てきたレールガンだ。
くるくると回転しながら落下するレールガンを、シェリーは見事にキャッチ。
彼女は即座に銃口をデュラハン達に向けると、躊躇いも無くトリガーを引いた!
「えぇーーーい!!」
は!? 閃光が曲がった!?
いや、これは錯視だ。彼女が身体を回転させることで、曲がったように見えるんだ。しかも一匹残らずぶった切っている!! あと何がとは言わねえが、やっぱ彼女は水色だ!!
彼女はこうして驚く俺に気付くわけも無く、元の位置に着地。俺も同じように降り立つと、血の臭いが鼻腔をくぐった。
ここまですれば、もう俺の出番は無いだろう。こいつらも銀月軍団に召喚された連中じゃないのか、残骸がそのまま存在している。
ただ、次に迫りくる魔物の気配が俺らに猶予を与えはしないだろう。
その気配を先に感じ取ったのはシェリーで、彼女は緊迫した様子で声を荒げた。
「アレックスさん、主犯が二体です! それも、以前とは比べ物にならない強さですわよ!」
「何だと!?」
彼女の言う通り、馬に跨る黒い影が横に二つ並んでいる。一体は剣のようなものを、もう片方は閉じた傘のような長柄を構えている。
彼らの影が瞬く間に鮮明となり、天へ飛び立つように跳馬!
砂埃が飛躍の勢いを物語る中、二体のデュラハンは同時に武器を振り下ろしてきた。
「「っ!!」」
息を呑む音と、後ろへ跳ぶタイミングが共鳴する。彼らは切先を下ろしたまま着地するも、幸い俺たちの回避は間に合ったようだ。
偶然にも俺の正面に立つのは長剣の騎士。その刃は普段俺が使ってる剣よりも長く、突きにも適しているだろう。
対して、シェリーと向き合うのは槍の騎士だ。槍の先端部分は釘で打ち込まれており、何らかの仕込みがあるように思える。
視線を戻せば、早速剣の騎士が騎乗したまま突進してきた。
俺は剣身を前に出し、突きをガード。鋭い鉄の音が響き、僅かに俺を後ろにずらした。
ここで力を込め、剣を振り上げる! 相手の剣撃を弾き飛ばせたが反動は小さい。
「うん?」
一瞬、腕の中に収まる生首が放り投げられたように見えた。でも、それは何のために?
いや、見るべきは本体だ! 気が付けば相手はまた構えの姿勢を取り、次の攻撃に移ろうとしている!
デュラハンの微かな呼吸を感じ取る瞬間、俺は再び剣身で身を守るハメになった。直後、彼は残像が見える速さで幾度も突き立ててくる。その度に火花が散り、剣身が軋みだした。
こいつ、間髪入れずに攻めてきやがる……! これじゃあ反撃のしようが無いじゃねえか!
その時、視界の隅で何かがひか
「うあぁっ!!」
爆風は俺の身体を打ち上げ、後方へ吹き飛ばす。高低差が生じた石畳に背を叩きつけられると、痛みがじわじわと広がってきた。
何とか上体を起こし、視界の先を見つめてみると──デュラハンの隣には、浮遊する生首が在った。
もしかしてさっき放り投げたのって、自我を持たせるためか!? あんなデュラハン、今までに見たことがねえよ……!
生首が口をパクパクと開いて何かを紡ぐが、声が遠くて聞こえやしない。しかしその直後、前方に碧色の魔法陣を展開させた。
何かが空を切り裂く音。
反射的に右腕を顔の前に振りかざすと、骨にまで及ぶ激痛が集中力を削いできた。
「ぬぁあ、ああ……!!」
「アレックスさん!?」
バカ、なんでよそ見してんだよ!! 腕に矢が刺さるなんて、戦場なら日常茶飯事だ!
「く、来るな……!」
シェリーは槍の騎士の方を向いたまま、俺の方へ飛躍。
彼女が両手を広げる瞬間と、槍の先端が開かれる瞬間は偶然にも重なったのだ。
槍の中に埋め込まれているのは、回転式弾倉。
それが高速で回り始めた時、シェリーは銃声に負けぬ声量で呪文を詠唱する!
「防御壁!!」
もし一瞬でも遅れていたら、俺達は蜂の巣になっていた事だろう。ドーム状の結界は銃弾を弾くも、蜘蛛の巣に似た亀裂を生じさせる。
その隣では、剣の騎士が操る生首が立て続けに火の弾を連射してきた。
鉛と熱で結界が崩壊の危機に瀕する中、俺は右腕に突き刺さる矢に視線を移した。
左手で鏃付近のシャフトを掴み、上に引っ張る。気絶しそうな程の激痛が俺を襲うが、奥歯を食い縛りさらに力を込める。
「ぐぁぁあああ!!!!」
こうして矢を抜くのには慣れねえな……。腕から血が溢れてるし、まともに動かせやしねえ。
こうなったら左手で剣を使うか?
なけなしの脳みそで思考を巡らせていたとき、シェリーは突如俺に寄り添ってきた。
「お前は、力を使うのに集中しろ……!」
「これぐらい並行できなきゃ、あなたのお役に立てませんから!」
結界は既にボロボロだと云うのに、未だ力が維持されている。その一方で彼女は俺の身体を抱き留め、片手で右腕を握り締めてくるのだ。──意味深い独り言を添えて。
「私の手で、この意識を彩らせてみせます……!」
言葉に応えるように彼女の手先が光り、右腕の痛みを和らげていく。骨に生じた空洞は埋められ、皮膚はたちまち修復していった。
加えて、魔力の消費でやや疲労気味だった身体もまた漲り始めている。必需品一つ持ち合わせていない以上、彼女の手助けがそれだけ大きな支えだ。
「ありがとう。後は俺に任せろ」
俺が立ち上がった頃、とうとう結界は打ち砕かれてしまう。
だが、ここからが本番だ。
「さあ俺が相手だ。自慢の女に指一本触れさせねえよ」
大剣から長剣に持ち替え、翼を再び展開。魔力を剣に注ぎ込むと、刃は天色の輝きを見せた。
親父の力に頼る必要は無い。この先も何かが待っているだろうからな。
清のオーラが全身を包み込む。
その時こそが、反撃の時だ!!
「おぉぉおおおぉぉおおぉおおお!!!!!!!」
俺は翼を活かし、二体の間に向かって突進。
流石の彼らも目で追えぬのか、一歩も動かぬままだ。
速度を上げるにつれ、剣に宿る冷気は巨大な刃を具現。
彼らの手前で右足を軸に据え、横方向に身体を一回転させる!!
魔力によって巨大化した氷の剣身は、馬は疎か騎士も綺麗に真っ二つとなる。
体内から吹き出る鮮血は、まさに薔薇のよう。俺達の勝利を祝うかのように、花弁が舞い上がるのだった。
首無しの馬は斃れ、分断された騎士の身体が瓦礫の上に打ち捨てられる。
今度こそ、辺りには誰もいない。気配すら感じられない。……ならば、今しか無いだろう。どうせ強敵に殺されてしまうのなら。
「……アレックスさん」
鼓膜をくすぐる足音。彼女の気配が近づくにつれ、胸の鼓動が高鳴る。……いや、ここで尻込んではダメだ。
彼女が手を絡めてくる。予想通りだ。
大きな碧眼に目線を送った直後、俺は細い身体を抱き寄せ──
「あ……っ!」
舌で小さな口をこじ開け、執拗に絡ませる。必然的に身体の奥が熱くなった俺は、衝動に委ねてシェリーの身体に妖しく触れる。彼女の息はだんだんと荒くなり、ついに甘い声が漏れるようになった。
そうだよ、ずっとその声が聞きたかった。
此処が俺の意識とはいえ、目の前には本当に彼女がいるんだ。次の敵が来るまで、少しご褒美と洒落込もうじゃないか。
感極まった頃に唇を離せば、シェリーが瞳に涙を溜めて俺を見上げる。乙女色の唇が唾液で潤うせいで、色香をさらに引き立たせた。
彼女は唇を薄く開け、指先で俺の胸元をなぞる。そして、艶かしくも掠れた声で俺にこう甘えてきたのだ。
「少しだけ、あちらに寄りませんか……?」
目線の先にあるのは、俺と彼女が初めて会ったランヘルだ。
師匠の店ゆえに少し気が引けたが──それが俺らの秘密を阻む理由には決して成り得なかった。
(第三節へ)
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