「あれは……?」
浴衣姿のシェリーと共に東の国の露店を回っていると、銃器を構える少年がいた。彼の向かいには、小物が並ぶ棚。銃口で睨むも、その木造のライフルは本物と違ってやや緊迫感に欠けるものだ。
少年がトリガーを引いた瞬間、何かが軽い音を立ててブリキ製の人形を揺らす。直後、彼は「うーん」とうなだれた。
「惜しい! また遊びに来てくれ!」
隣には、体格が良く朗らかそうな好青年。少年は静かにライフルを置いたあと、青年に向けて手を振ってから去った。
「私、ちょっとやってみますね」
この屋台が、ガンナーの好奇心をくすぐったようだ。彼女が青年に硬貨を手渡すと、すぐさまライフルを構えだす。
シェリーが狙うのは、子ペンギンのぬいぐるみだ。銃口が愛らしい人形を捉えたとき、喧騒が一気に静まった。青年はシェリーから気迫を察したようで、腕を組んだまま立ち尽くす。戦闘さながらの佇まいは、最も身近で見てきた自分だからこそ近づく事など許されなかった。
引き金に熱を込め──
銃弾が放たれる!
真っ直ぐに飛ぶ、樹皮の弾丸。それはペンギンの頭部に当たり、棚から彼を見事突き落とした。
周囲は歓声と拍手に包み込まれ、誰もがシェリーを褒め称える。そこには先程の少年も居たようで、もはや美しき銃士の虜だった。
「お姉ちゃん、まさか本物の……!?」
「いえ、ただの通りすがりですわ」
何故だろうか。あのライフルは玩具に過ぎないのに、彼女がグリップを握ればまるで実物そのものだ。これで頭を狙われたら、本当にぱっくり割れてしまうのではと思う程……。
「やるじゃねえか、べっぴんさん! また来てくれよな!」
「ええ、とても楽しかったです!」
青年は感激する傍ら、ぬいぐるみを麻袋に入れてシェリーに手渡す。彼女が俺の所へ戻ると、周囲は姿が見えなくなるまで目で追い続けた。祖国の連中と違って何も言ってこないが、称賛の意だけは伝わってくる。
こんな良い女の彼氏で良かった。綺麗で優しいし、射撃なら右に出る者がいない。
俺は彼女から袋を預かり、手を繋いだまま屋台を去った。
もうすぐ打ち上げの時間だろう。花火の宴が開かれる場所へ向かう中、シェリーが小声で俺に話し掛けてきた。
「実は、先ほどの射的でちょっと霊力を使いましたの。『コルクでは難しい』と思いまして」
「そんな風には見えなかったよ」
見かけはライフルにそっくりだが、銃弾が鉛や魔法じゃないとなると当然扱いが変わってくる。そこでシェリーは、臨機応変として霊力を駆使したのだろう。もしあのまま遊び続けたら、全ての景品を掻っ攫う勢いで撃ち抜きそうだな。
そんな雑談に花を咲かせつつ、ふと絡めた互いの手に視線を移す。知り合いがいない場所だからこそ、例え汗ばもうと手放したくない。人々は俺らを見るどころか、同じように手を繋ぐカップルが沢山いるんだ。周りに気に留めず、誰もが少し先の未来に心を躍らせているらしい。
「あ、良さそうな場所を見つけましたわ」
「よし、此処にしよう」
期待の声でざわめく中、ようやく位置を確保する。シェリーの声は雑踏に掻き消されそうで、聞き取るのに精一杯だ。腕時計を確認すれば、もうすぐ例の時間が近い。俺達は自然と口を結び、この群青色の空を眺める事にした。
その時、西の方角から重厚な鐘が鳴り響く。一斉の静寂が俺の心を締め付け、宴の始まりを示していた。
俺含め、誰もが空を見上げた刹那。
紅の蕾が天に昇り──
爆音と共に牡丹を咲かす。
しかしその花は咲いたかと思いきや、一瞬にしてはらりと散っていった。
夜空に芽生えた蕾は橙・紫・青と続き、弾けた音を鳴らして咲き誇る。
誰もが感嘆の声を上げるなか、俺は何も言えずにいた。
美しいのに、儚い──。
俺とシェリーの関係も、いつかはあのように散ってしまうのだろうか。
不安を誤魔化すように、恋人の手を更に強く握り締める。すると彼女は、俺ですら折れそうな力で握り返してきた。
ふと横を見れば、彼女の頬には雫が伝っている。生ぬるい微風が、照らされる髪と紺の花飾りを揺らした。
俺は敢えて声を掛けることなく、もう一度空を見上げてみる。
これだけの人だかりなのに、誰の声も聞こえない。もはや弦の旋律すら聞こえてこない。俺の聴覚は、火薬の弾ける音だけを捉えていた。
再び鮮やかな花火が見えたと思いきや、金色に輝く無数の筋がゆっくりと枝垂れる。まるで、俺たちの心に切なさを落とし込まれたかのようだ。
それでも花々は、最後まで咲き誇ろうとする。
続いて天に昇るは、一筋の白い光。
数本の彗星が流れた直後、蛍のように揺らめき始めた。
その蛍たちが三度に渡って飛び回ると、再び牡丹が何輪も咲き出した。花畑と化した天の川は、見る者たちの脳裏に焼き付いた事だろう。
打ち上げる間隔はたちまち短くなり、極彩色の世界を創り上げていく──。
ティトルーズ王国でもこのような宴が無いわけではない。けれど、此処の花火は格別だ。なんせ『浴衣を着て眺める』という風習が、国を超えて有名になる程だから。もし俺が事前に把握しておかなければ、こんな美しい世界に恋焦がれる事は無かったはず。
この瞬間があまりに嬉しくて、左隣に立つ彼女に囁いた。
「シェリー、この景色をお前と一緒に見たかった」
「はい、私も同じように思っておりました。……この先、いかなる困難が訪れようと、この花火のように誇らしくありたいですわ」
静かで、しかし力強い言葉は、俺の目頭を熱くさせた。
滲む視界を誤魔化すべく、顔を上げて閉幕の刹那を見届ける。
「アレックスさん……泣いてますか?」
「泣いてなんかいねえ。眩しいだけだ」
そう言ったはずなのに、彼女は自身の左腕にしがみつく。
俺の皮膚がほんのりと濡れたのは、決して気のせいではなかった──。
人々が離れる様は、現実へ引き戻すかのようだ。
夜空は既に無を描く。それなのに、弾けた残響と火花の残像が未だ脳を駆け巡るのだ。
その余韻が俺の足を引き留める中、シェリーが声を掛けてくる。
「そろそろ行きましょうか」
「……そうだな」
もっと此処にいたいが、仕方あるまい。我儘を平静の下に隠し、俺達も雑踏に紛れ込んだ。
異国情緒溢れる街並みは、ほんのりと路を照らす。先程の賑やかさと打って変わって、何処と無く閑寂を物語っていた。
やがて押し寄せる群衆と共に駅のホームへ向かい、木造の屋根の下で蒸気機関車を待つ。程無くして汽笛が聞こえてくると、俺達は手を繋いだまま座席に腰を下ろした。
東の国を離れ、機関車に揺られる最中。俺は、漆黒に瞬く星々をシェリーと共に眺めた。
「綺麗ですわね……」
「ああ」
向かいに座る彼女が溜息を漏らし、俺に視線を注ぐ。俺も同じように彼女を見つめると、願ってもない頼み事が舞い込んだ。
「あの……良かったら、泊まりに来てくれませんか? あなたとゆっくりお風呂に入りたいんです」
「良いさ。お前の背中洗うよ」
「ありがとうございます。……今日だけは、何も考えたくなくて」
『今日だけは』。
シェリーは、ずっとずっと考えていたのだろう。
銀月軍団に、霊力の事。
そして──ミュール島の事。
彼女は俺の何十倍も、色々考えていたに違いない。俺が傍にいる事で気休めになるのなら、どんな事でもしてあげたかった。
「明日は、とびきり美味しい朝食を作りますから!」
「嬉しいけど、無理するなよ。味は劣るが、俺でさえ良けりゃ作るぞ」
「いいえ、あなたにお手を煩わせるような事は……! ……ふあぁ」
何だよ、シェリーのヤツ……随分と疲れてるじゃねえか。まあ良い。もしこいつが起きなかったら、俺が作ってやれば良いんだ。
それから到着までの間、シェリーは首を垂れて眠りにつく。俺は彼女が壁に頭をぶつけぬよう隣に回ると、頭をそっと肩に付けさせてやった。
「アレックスさん、今日はお疲れ様でした」
「お前もな」
シェリーの家に辿り着いた後、一緒に泡だらけの湯船に浸かる。あれだけ水を恐れていたのが嘘のように、彼女は狭い湯船の中で終始微笑んでくれた。
汗を洗い流した俺たちはベッドで横たわり、優しく抱き締め合う。持ち帰ったペンギンのぬいぐるみは、近くの棚で俺達を見守ってくれた。
「いつか、あなたと一緒に暮らしたい」
「俺もだよ」
柔らかな声音が可愛い余り、小さな頭に手を伸ばしてしまう。心地よい感触を掌で味わいながら、俺は話を続けた。
「やっぱりさ、俺らの関係を隊員に話さないか? 勘違いさせたまま(彼女らと)一緒にいるのは、本人たちの為じゃない」
「……………」
視線を落とし、無言を貫くシェリー。彼女にとって不本意かもしれないが、どうしても伝えたいんだ。例えこの関係が、花姫たちを傷つけることになっても──。
そんな中、シェリーはどんな答えを口にしたのか。それは、まさに彼女らしい考えだった。
「……どうしても、皆さんとの関係が気になってしまうんです。マリアとアイリーンさんは察してくれていますが、他の皆さんに知られたらきっと──」
「彼女らは、俺らを見て態度を変えるような連中なのか? 俺は……違うと思いたい」
「ですが……私自身が、怖いんです。皆さんと過ごしてきた日々が、一気に崩れ落ちてしまうのでは、と……」
「…………判った。だけど、これだけは約束してくれ。もし皆に知られた時は、一緒にきちんと謝ろう」
「はい……!」
小指をシェリーに突き出すと、彼女も同様に差し出してくる。それは駅に向かったときのように、花火を見たときのように、自然と絡み合った。
小指同士でギュッと掴み合うと、彼女の力が一気に抜けて腕がシーツへ垂れる。
「ふにゅ……」
恋人は気の抜けた声を発し、瞼を閉ざす。
俺はシェリーの瞼にそっとキスした後も、蒼く流れる髪を撫で続けた。
「……愛してるぞ、シェリー。何度死のうと、何度生まれ変わろうと」
大丈夫だ。俺達の幸せはずっとずっと続く。
互いが、互いを想い続ける限りな──。
(第九章へ)
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