騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
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第七節 エク島の別荘へ 〜燐光の画伯〜

公開日時: 2021年6月18日(金) 12:00
文字数:5,560

 アイリーンは意地悪だった。その豊かな胸を見せてくれるのに、一切触らせはしない。もし触ろうとすれば、手首を捻ってくるのだ。焦らされすぎて苛立つ俺は、この引き締まった太腿を枕に唇を噛み締めるほか無いのである。


 早く、早く着いてくれ。

 これじゃあ餌を前に待機させられてる犬みてえだし、何よりも罪悪感が半端ねえ……!!


「触りたいんでしょ?」


 ああそうだよ、触りたいに決まってる。もし俺がもっと我儘な男なら、今すぐこのメイドを押し倒して──


 船内に響き渡る咆哮。

 それは、到着を報せる汽笛だった。


「あら、もう着いてしまうのね」


 意識を切り替え、あっさりとボタンを嵌め直すアイリーン。俺が複雑な心境を抱えたまま起き上がると、彼女は少し乱れた給仕服を整えた。


「さ、行くわよ」

「……ああ」


 解放されたは良いが、やはり不完全燃焼なのは否めない……。これはもう、シェリーに再現してもらうしかないな。

 アイリーンと共に個室を出ると、廊下の窓辺には船着き場が映り込む。木で造られた簡易的な場所で、周囲にあるヤシの木が微風に揺られている。この開放的な地こそがエク島だ。


 花姫フィオラたちとヒイラギ、そして使用人たちがバルコニーに集い、次々と降りていく。歓迎してくれたのは、俺より背が高く体格の良いワシの獣人だ。複雑な刺繍のローブを羽織る彼が村長であり、鋭利な目つきに圧倒されそうになる。

 彼の後ろに立つ二人の狼男は、おそらく側近だろう。周囲にいる人々も獣人である辺り、この国の大半は獣族で占めている事が窺える。


 俺たちが先に挨拶をしないと、首を刎ねられそうだ。

 そう思った矢先、村長たちが先にお辞儀をしてきた。


「陛下、そして純真な花ピュア・ブロッサム 隊員の皆様。よくぞ参られました。小生がエクとうの村長でございます」


 威厳のある外見とは裏腹に、謙虚な佇まい。少し面食らったが、俺もすぐさま片膝をついて挨拶をした。


「村長様、お初にお目にかかります。わたくしが純真の花 隊長のアレクサンドラ・ヴァンツォと申します」

「こちらこそ歓迎してくれてありがとう。改めて、あたしがティトルーズ四代目国王マリアよ」


「貴殿がアレクサンドラ様でしたか、お話はよく伺っております。さあ、馬車をご用意しておりますので、拙いですがどうぞお乗りください。官邸までご案内いたします」


 村長が手で示す先には、三両の幌馬車ほろばしゃがある。前方の馬車に一同の荷物を載せるため、俺たちは後の車両に乗り込んだ。

 中央の車両には俺・シェリー・マリア・アイリーンの四人で、他の面子は後方だ。白いアーチ型のテントが強い日差しを和らげ、僅かな涼を与える。馬車に揺られる中、真正面に座るシェリーがマリアに話し掛けた。


「ねえねえマリア、この後別荘に行くんでしょ?」


 シェリーの格好が際どくて、会話に集中できない……。落ち着けアレクサンドラ、ここはお前の騎士道が試されるときだ。


「ええ。それがどうしたの?」

「いったん荷物を置いたら皆で町を歩こうよ!」


「お嬢様、今は体力を温存すべきときです。それに、そのようなお召し物で歩かれては──」

「大丈夫ですわ、アイリーンさん! そのために開花があるのでしょう?」


「ダメよ、戦いに支障が出たら元も子も無いのだから。だいたい、なんでそんな格好で来ちゃったの?」

「えー、だって今日暑いじゃない……」

「へ……?」


 思わず目が点になり、声を漏らしてしまう。まさか、『暑い』という理由だけで着てきたのか……? 俺を誘うためじゃなかったのか?


「ほら見なさい、騎士ナイト様がずっとムラムラしてるでしょ」

「は!? パンツ食ってるお前に言われたくねえぞ」

「食べてないわよ!! 吸ってたのよ!!」


「どっちにしろダメだろこの変態女王!」

「何よスケベ騎士!! エロ悪魔っ!!」


「わーーー!! 二人とも喧嘩しないでーーーー!!!」

「はあ……似たもの同士ですね……」


 マリアが事実無根を吐いたせいで、この後御者ぎょしゃが馬を止める事態になったのは言うまでもない──。






 官邸で村長から状況を伺った俺たちは、再び幌馬車に乗り込んで別荘へと向かった。

 俺はシェリーたちとの会話を交えながら、今回の内容について纏める事にする。


 最近のエク島では、夜になるとあらゆるゾンビが蔓延るようだ。貴族のような姿をした“ワイト”や、月光を浴びると暴れだす“ヴァンテ”など、一際癖の強いものばかり湧くらしい。


 ちなみにヴァンテとは、生き血を啜る形式のゾンビだ。普段は身体が硬い余り関節を動かせないが、月光を浴びると凶暴化する。

 その暴れ方も多様で、生前の記憶を頼りに高い身体能力を発揮するとも云う。ここ最近は晴天が続く事から、暴走する可能性は有り得るだろう。


 この小さな国では集落の近くに森が存在する。根源は未だ不明だが、そこから奴らが湧き出るため大弩砲バリスタなどの防衛手段を講じているそうだ。


 また、戦略についても話し合った。乱戦が予想されるものの、ヒイラギや村人たちも加わるのでスムーズに戦えそうだ。


 さて、三両の馬車がマリアの別荘に辿り着いたようだ。俺たちが降りると、眼前には荘厳な屋敷がそびえ立つ。青海原あおうなばらを落とし込んだような屋根に、高級感溢れる乳白色の壁。手前には半円状の窓が三つ並び、透き通るカーテンが窓辺に留まっていた。

 視点を移せば、雪のような砂浜が眼下に広がる。此処から砂浜までの坂は緩やかなので、徒歩はもちろん馬車での移動も楽のようだ。


「此処がマリアさんの別荘……大きい!」

「わたくし達で住めそうな気がするのです!」


「いや、此処はうちが貰おう。それから顔の良い執事をいっぱい採用するのさ」

「間違ってもあなたには譲らないわよ」


 初めて来たであろうアンナ達は感心している様子。アイリーンが先んじて玄関の両開き扉を開放すると、「さあ、どうぞ」と手で示してくれた。


「お邪魔します!」

「失礼するよ」


 シェリーと俺も、エレ達に続いて中に入る。数歩程度の廊下を歩いて左に曲がると、吹き抜けのダイニングに出た。青空を描いた高い天井の下、長いテーブル席やソファーが点在。マリアは俺たちをテーブル席に通すと、メガネを掛けた若い執事を呼んで何やら話をしていた。


「かしこまりました。それではお食事ができるまで今暫くお待ち下さいませ」


 主人に頭を下げた後、俺達に背を向ける執事。

 しかし、どういうわけか彼を呼び止める不届き者が俺の右隣に座っていた。


「あのっ、執事様! 今晩、あたくしの部屋に来て下さ──って、いってえなこの脳筋メイド!」

「慎みなさい、ベレ。彼は妻帯者よ」

「関係ないさ。うちが満足すればそれで良──」


「行け、此処は俺らが押さえておくから」

「しょ、承知いたしました!」


 優しそうな顔が強張るのも無理もない。俺が離脱を促すと、彼は肉食動物から逃げるように立ち去った。

 執事が去ってもなお、ヒイラギとアイリーンは口論を繰り広げている。


「大体、デカ乳ロリータの下で働くくらいならうちが雇った方が幸せに決まってるだろ」

「幸せになるのは貴女だけよ」


「うちはな! あんたのとこの主人と違って料理できるんだからなっ!? 何なら今晩、あんた達のために飯を作ってやるよ!」

「悪いけど、今晩はあたしが考案した戦闘糧食レーションなの。勿論、残したら丸焦げよ!」


「「えええええ…………」」

「文句あるの?」


 戦慄する一同に対し、殺気立った顔で睨むマリア。どうやら(彼女の)料理の腕前は知れ渡っているようだ。


「美人の作る飯が不味まずいわけ……ねえ、んだよな……

「そ、そうだよ! ボク、今から楽しみだもん!」

「わたくしも、なのです! ね、シェリー様?」

「は……はい……」


 そして、俺たち純真な花は痛感する。今ここで、使用人たちが再び手料理を振る舞ってくれる事に──。




 昼食を終えた後、エレとヒイラギ・アンナの三人は『砂浜で遊ぶ』と言って外に出た。残る俺やマリアたち四人は、ソファーに移動して雑談をすることに。先程の幌馬車で座ったとき同様、向かいにはシェリーとマリアが座っていた。


「そういや、私達が一緒に絵を描いたのっていつだっけ?」

「今年に入ってからはご無沙汰してるわね。せっかくだからアレックスの似顔絵でも描いて時間を潰そうと思ったけど……」


「一式でしたら、直ちにご用意できます」

「あらホント!? じゃ頼むわね」

「承知いたしました」


 流石マリアの側近なだけあって、用意周到だ。アイリーンは席を立つと、部屋の片隅に移動して鞄に手を伸ばす。


「へへ、アレックスさんの似顔絵を描くなんて楽しみだな♪」


 興奮する余り、前屈みになるシェリー。笑顔がすっげえ可愛いんだけど、その……谷間が……。


「陛下、お嬢様。お待たせ致しました」

「ありがとう。アレックスはじっとしていなさいよ?」

「おう」


 湧き上がる情欲と格闘していると、アイリーンがいつの間に戻ってきた。彼女はマリアたちに鉛筆とスケッチブックを手渡すと、元の席に着いた。


 正面の二人は膝上にスケッチブックを置いた後、蒼色と乙女色の双眸で俺を捉える。何もしてないはずなのに、心臓が縮み上がってこのまま吐き出してしまいそうだ。


 それぞれが俺を凝視した後、視線を落として鉛筆を走らせる。さらさらと音を立てながら、それぞれの解釈が具現化されていくのが判る。


 そういえば、何処かの文献でこんな話を聞いたことがある。悩みを抱える者の似顔絵は悲しそうに映り、そうでない者のそれは幸せそうに映る。

 今の俺は、花姫たちの目にどう映っているのか。似顔絵を描かれる事は、もしかすると鏡より正直かもしれない。まあ、特段悩みは無いわけじゃないが──。


「できました!」


 えっ、早すぎない? 思わず顔に出てしまいそうになるが、マリアはまだ描き途中なんだ。

 しかし彼女も不審に思ったのか、シェリーのスケッチブックを覗き込む。


「まあ……あなたにしてはなんじゃない? イメージはばっちりよ」

「ホント!? ねえアレックスさん、見て見て!!」


 マリアに褒められたのが余程嬉しいのだろう。シェリーはいつもの敬語を忘れて俺に絵画を見せる。

 果たして、彼女の想いがどれだけスケッチに落とし込まれて──



「…………え?」



 にがお、え?? 地獄絵図だろ??

 目は何処? 鼻は? 何なら口だって見当たらない。


 おそらく上部に描かれた黒い業火は、髪の毛をイメージしているのだろう。近くに二本の剣、これはたぶんツノ。

 そこから下に掛けて、どす黒く丸い雫がどろどろと溢れているし、その先にはなんかヤバそうな池がある。もしかしてその先は魔界と繋がっているのか?


 とにかく何なんだよこれ……。似てるとか似てないとかもはやそういう次元じゃねえし、何故絵心だけ引き継がれなかったのか?


『あのセンスはもはや神域かもね。違う国に行けば評価されると思うけど』


 なあ、アイリーンちゃん。俺は『お前が少し辛口なだけ』と思いたかったよ。仮にもシェリーは俺の彼女だから、『お前なりに一生懸命描いた。巧いよ』と褒めてやりたかったよ。けど……こればかりは……。


「さすがです、お嬢様」


 メイド長も口ではそう言うが、目つきは正直だ。つか、物事をはっきり言う彼女ですらオブラートに包まなきゃならないこの状況がマジで怖ぇよ。

 ああ、自分の恋人になんて声を掛ければ良いんだ? 過剰に褒めるのも何だし、角の立たない言葉を考えねえと……!


「これは……すげぇぜ。絵そのものを召喚できる魔法があったら、間違いなくお前は強い。それも、俺を遥かに上回るだろうな」

「わぁ!! アレックスさんにもそう褒めて頂けるなんて……嬉しいです!!」


 別に褒めてないんだがな。例え朝から晩までチュッチュしようが明け方まで抱こうが、『地図の書き込みや芸術家に向いてる』とは死んでも言いたくない。

 本音と建前の葛藤に苛まれる中、隣のマリアは「ふぅ」と軽く溜息をつく。


「まあ、こんなとこかしら」


 彼女がスケッチブックを裏返した時、心から感動できる絵がそこに在った。似顔絵を見た俺は思わず、「おぉ……!」と感嘆してしまう。


 なんせ髪型や顔つきは勿論、影や瞳孔まで鉛筆で深く書き込まれているのだ。ここまでリアルだと照れくさいが、スケッチの中の俺から生気が伝わってくる。

 これが、マリアから見た“俺”なのだろう。しかもたった一本で立体感を生み出すなど、俺には一生無理だ。


「さすがでございます、陛下」

 メイド長の目が今度こそ笑っている。これには俺も同感だ。


「わぁ、このアレックスさんもカッコいい……! やっぱりマリアって絵巧いね!」

「随分と離れてたから、ちょっとバランスが崩れてるかも……」


「そうか? 今度は是非シェリーちゃんの絵も描いてほしい。できれば全身でな」

「アトリエに行けばいっぱいあるわよ。えーっと、座ってるシェリーでしょ、令嬢服のシェリーでしょ、それから──」


「此方で新たに描きましょう。ただしでね」

「ああ。今のこいつは裸より眩しいし」

「ちょ、ちょっと皆さん!? ……って、もう描いてるの!?」


「当たり前でしょ。だってあたしが描きたいんだもの」

「うう……アレックスさんにもえっちな目で見られるし、恥ずかしいよぉ……」

「その格好で言うか」



 結局、俺やアイリーンも絵を描くハメになった。二人してマリアを描いたわけだが、アイリーンもまた芸術家に匹敵する技量を持ち合わせていた。


「すごいわ、アイリーン!」

「身に余るお言葉を頂き、恐縮に存じます」


「アレックスさんの描くマリアも可愛いですわ。私の絵も描いて頂けませんか?」

「こんなんで良ければ」


 俺が絵を描くとすれば、地図や戦略のイメージぐらいだ。本当に人間を描くなら、幼児の絵に近い仕上がりになる。

 それでもシェリーは、俺に描いてもらって大変喜んでいる様子だ。こんな風に彼女と過ごせるなら、絵描きもアリかもしれない。


 日が沈むまでの間。俺たちは談笑したりトランプで遊んだりと、貴重な余暇を過ごしたのだった。




(第八節へ)






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