騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第六節 医師との恋

公開日時: 2021年3月24日(水) 12:00
文字数:5,734

 入院してから数ヶ月が過ぎ去り、季節は秋に移り変わる。黄葉こうようが地に落ち、窓から入り込む風は涼しくなった。

 ある日の、桜色の雲が通り過ぎる頃。私はいつものように本を読んでいると、ノックが無いまま病室の扉が開く。この流れももう慣れた。杜撰ずさんな足音を聞いた私はページの合間にしおりを挟み、本を卓上に置く。


 白衣に身を包み、両手をポケットに入れる銀髪の先生かれは意外なことを口にする。


「散歩の時間だ」


 いつもならこの時間に診察をしてくれるのに、今日はどうしたと云うのでしょう。冷めた眼差しは相変わらずだし、今もなお表情を見せることはない。

 急な出来事に躊躇していると、細くて綺麗な手が差し出される。


「俺を待たせるな」

「わ、わかってますわ!」


 私が手を載せると、ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に優しく握り締めてくる。この日はちょうどネグリジェを着ているのもあって、少しだけお姫様な気分だと思った。

 ……でも、私なんかがなれるわけないよね。人を殺したお姫様なんて、御伽話おとぎばなしに出てくるわけ無いんだもの。それに、マリアみたいな本物とは全然違──



「行くぞ」



 ベッドに両足を置き、立ち上がった瞬間──彼は私の耳元でそう囁いてきた。鼓膜を震わせ、全身を疼かせるセクシーな声。私が『もっと聞きたい』と思った頃には、身体が個室の外へ導かれていた。




 先生と私が向かった先は、病院の中庭だ。一面に広がる芝生は黄金に輝き、空は茜に色づく。時に複数の鳥が羽ばたく様子は、大きな一枚絵を見ているようだ。

 視線を水平に戻すと、この場に留まる人はごく僅かである事が判る。単身で空を眺める人に、杖を使って歩く人。誰もが想いを馳せながら、今と云う瞬間を噛み締めている──そう思えば思うほど、私の胸が締め付けられた。


 中庭の景色を窓辺から見てきたけど、きちんと空気を吸ったのは何時いつぶりでしょうか。両親に育てられたことも、王室の皆さんと過ごしたことも、遠い遠い出来事のように思える。お見舞いに来てくれる人たちはいるのに、何だかこの空の下に取り残された気分になるの。


 だから私がこの場で先生に話し掛けたのは……『少しでも自分の存在を記憶に留めてほしかったから』だと思った。


「先生」

「何だ」

「どうして此処へ連れて行ってくれたのでしょうか」


 私が尋ねても先生は此方を向くことは無い。けれど夕陽に注ぐ眼差しは何処か寂しげで、不安に駆り立てられる……。その中で気を紛らす唯一の方法は、この頼りない手で胸を押さえる事だけだ。


 先生、どうか教えて。

 冷徹なに秘める過去を、そして私に近づく真意を──。


 彼の唇が開かれたとき、胸の上で拳を作った。


「示すためだ」

「……示、す?」


「自分が何者か判っていないのか」

「ど、どういう事ですの?」


『示す』って何? それに、『私が何者か』って? どうしていつも謎な言葉を残すんだろう。

 先生は悩める私を気に掛けることなく尋ねる。


邪神アイヴィが貴様を狙った理由だ。一度は考えた事があるだろう」

「……確かに考えたことはありましたが、その答えは未だ見つかっていません。ただの神様の気まぐれとしか……」


 私の答えを最後に沈黙が生まれる。でもそれは少しの間だけ。

 先生が残した言葉は、私の胸に永く刻まれる事となる。



「気まぐれなど、凡愚が決めつけた綺麗事だ。戦争は、貴様が生まれた時から始まっている事に気づけ」



 ……その言葉を前にして、何も言えなかった。先生が私を脅すつもりなんて無い事は判っていても……とても怖かった。

 彼の言っている事が本当だとすれば、私の行動一つで運命が変わってしまうかもしれない。六年前、私がこの霊力ちからを以ってルーシェ達を守れていたら、もっと違う事が起きていたのかもしれない。……それでも、自分のような存在が世界を揺るがすなんて想像できなかった。


 だから先生に安心を求めて、こう尋ねたのかもしれない。

「私はどう生きるべきでしょうか」と。


「俺を信じろ。貴様の周囲にいる連中は、平穏に甘んじた愚者どもだ。あの姫ですら、貴様が本当はどういう存在か知らない──いや、知ろうともしないだろう。『自分の身さえ守れたらそれで良い』と考える、独善的な女だからな」


「そんなこと言わないでっ!!」

 先生がマリアの悪口を言っている気がして、思わず怒りを露わにしてしまう。


「ティトルーズ王家の皆さんは、この国をより豊かにするために力を尽くしているの! あなたがそうして生きていられるのも、彼らがあってこそですわ! マリアだって平和を願っているのに、どうして『独り善がり』と言うんですか!?」


「忘れるな。『平和はまやかしに過ぎない』とな」

「マリアを悪く言う人に優しくされたって、嬉しくありません。もう余計な事をしないで」


 この時、先生の事がとても許せなかった。ずっと一緒にいてくれたマリアが、そんなに視野が狭い子だとは思えない。もう先生の顔すら見たくなくて、すぐさま病院に戻ろうとしていた。


 時々見せてくれる優しさなんて、全部ウソだったんだ。私がこんな反応をすれば、あの人も懲りてくれる。

 ……そう思った私こそがバカだった。彼の言葉は、私の歩みを止めてきたのだから。


「いつまでも『化け物』と呼ぶ男に媚びるつもりか? それ以上霊力に負荷を掛ければ、またヒトを殺めるぞ」


「……私には、マリアしかいないんです。学校の友達と帰っても、あっちはそう思ってないような素振りですし。今もお見舞いに来てくれませんし。学校で一人ぼっちは……慣れていますから」


 身体が、嘘をついている。孤独はもう『慣れている』はずなのに、声が震えている。視界が滲んでいく。『こんな惨めな背中を先生かれに抱き締めてほしい』なんて、これっぽっちも考えていないのに……!


 来ないで。来ないでよ。

 親友を悪く言う人に何されたって嬉しくない。


 お願いだから優しくしないでよ。

 温もりに頼る権利なんて、私には無いんだから……!


「放してよっ! あなたなんて、大嫌いですわ……!」

「ならば何故抗わぬ」

「それは……」


 また、私は苦しくなる。この身体を包む行為だって、結局は私を騙すためだ。だからこの両腕を引き剥がしてやりたいのに、力が出ない。それどころか、あたかも肯定するように握り締めてしまう……!


 そして──

 とどめを刺すように、彼はまた囁いてきた。



「俺だけを見ろ。いずれ貴様が去ろうとも、俺は永遠に見放すまい」



 どうして……どうして涙がこんなに溢れるの? 魔族に心を溶かされるなんて、らしくないじゃない! 今度は彼が巻き込まれてしまうのに、温もりが頭から離れられない……!


「……っ、せん、せ……」

 まるで人形を操る糸がプツリと切れたように、口からも言葉がとめどなく溢れてくる。


 もう自分に嘘をつく余力なんて残っていない。

 正直に打ち明けよう。



 彼なしでは生きていけない、と。



「私の霊力ちからを受け入れてくださるのは、あなたしかいません。退院しても……どうかお傍にいさせてください」

「言わずとも、俺が管理してやる。他のヤツのために使われても困るからな」


 とうとう私は向き直り、彼の胸に身体を預けてしまう。


 この人はただ言葉が不器用なだけで、本当は慈悲深い方。『“死”こそ愚かしいものは無い』と言うけれど、それも患者たちを生かすための言葉なんだ。この人と一緒にいれば、『生きる事こそ幸せ』という気持ちになれるかもしれない。

 私は彼が好きだった。優しくてカッコよくて頭も良い彼を忘れた日は、一度も無かった。


 は既に沈み、辺りはもう真っ暗だ。未だ残る朱色の地平線は、一日の終わりを告げているかのよう。


 この愛も沈まぬように……私は目を瞑り、唇を──。


「…………っ」


 初めての口づけは、紫煙の味がした。優しくこの唇を包み込み、髪を妖しく撫でる。ただそれだけなのに、身体の疼きを覚えた。


 これまで読んできたロマンス小説のように、今夜は一つになるのでしょうか。個室の鍵を閉め、『医者と患者』という隔たりを超えて愛を結ぶのでしょうか。


 私はさりげなく舌を入れてみようとするのだけど──

 彼の唇が、遠ざかっていった。


「六のラピスだ」

「え?」

「昼前、フィオーレ遊歩道に来い」


 六のラピス──その日は退院から五日後いつかごだし、デートって解釈で良いんだよね……?

 そんな事を尋ねようとしたけど、彼はまたしても私の前を歩き始めてしまった──。








 退院までの間も、先生は中庭に連れて行ってくれたり夜に顔を見せたりしてくれた。キスは何度もしているし、添い寝だってしてくれたけど……いずれも深愛に至ることは無い。髪を撫でてくれても、身体に触れることも無い。

 ついに、期待より不安がまさった。『所詮私の事を“子ども”としか見ていないんだ』って。もし二年早くあの人と出会っていれば、すぐに抱かれていたはずなのに。あの寝台の上で、私は何度想いを巡らせた事でしょう。


 結局悟られる事も無いまま、退院の日を迎えてしまった。とても嬉しい事だけど、もやが晴れないのは事実だ。それからデートまでの数日間、私は雑誌を読んだり立ち振舞いを考えたりと、とにかく恋に忙しかった。


 ついに──

 六のラピスという日は訪れた。


 土埃つちぼこり色のコートを羽織った私は並木通りで待っていると、刺さるような匂いが鼻孔をくぐった。灰の上着を羽織った男性が此方へやってくる。ポケットに両手を入れて歩くその仕草は、先生だと判断した。


「あの、こんにちは!」


 その出で立ちは、白衣姿というイメージを大きく覆した。首元に巻かれたワインレッドのマフラーは私の目を引き、黒のスキニーパンツは細身のシルエットを強調させる。彼は懐から金の容器を取り出すと、咥える紙タバコをその中に片付けた。一挙一動に色気があって、見ているこっちがドキドキしちゃう……。


「どうした」

「あっ、えっと……」


 私が「何でもありません」と答えると、無言で歩みを始める。その背中は、細身でありながら筋肉があることを物語っていた。




 今は無きカフェ“ルミノーソ”は、これまでの場所と違って極めて明るい印象をもたらした。額縁には著名人のシャツやギターの絵、大衆が好みそうな写真など多数のアートが収められている。

 特に私にとって印象深いのは、天井から吊るされた大きな機械の塊──“自動車”と呼ばれる乗り物のレプリカだ。


 鉄の入れ物はベージュカラーで塗装されていて、本来なら人間がその空洞に乗り込むらしい。馬車と違って馬は不要で、ガソリンという燃料と四つの車輪で好きな場所に行けるそうだ。……ただ生産が困難である故、限られた人しか買えない上に都会での走行は許されていないと云う。

 此処の店主はきっと、その自動車という乗り物に憧憬があったのでしょう。その思いを反映するかのように、ラジオからはギターを使った楽曲が絶え間なく流れる。これも、自動車が初生産された時代に誕生した曲ばかりだ。


 先生はその店を訪れると、決まって奥のテーブル席を選ぶそうだ。私達がその席で昼食を取ったあと、彼は紙タバコを咥えてオイルライターで火を点けた。


「これまでどんな本を読んだ」

「病院で読んだ本……って事ですか?」

「そうだ」


 灰の上着を椅子に掛け、黒いスーツを露わにした先生が尋ねる。細い指先で白の巻紙まきしを持ち、口から煙を吐く仕草は様になっていた。……じゃなくて、彼の質問に答えなきゃ。


「シーヴの実録本に、あずまの怪談……あとは、いち魔族の自伝とか、ですわね」

「俺が見込んだだけの事はあるな」


 うーん、ただ読みたいものを読んでいるだけなんだけど……。本当は恋愛ものが一番好きだけど、あの本棚にあるのは軒並み読み切ってたんだよね。


「先生はどういう物を読まれるのですか?」

「史実と魔導書以外の書物に興味はない」


 そう、だよね……。先生は男性だから恋愛ものは読まないと思うし、御伽話おとぎばなしだって『子供じみてる』と一蹴しそうだし……。病院に居た頃はでこういう話をしてこなかったので、今度は私から尋ねてみる。


「では、趣味は?」

「刃物の蒐集をしている」


「は、刃物って短剣とか鋏とか……ですか?」

「ああ。手の込んだ包丁やメスも集めがいがある。見た目も良いし、よく切れるからな」


 な、なんだか怖い……。手術でメスを使ってるのも、『切れ味を楽しみたいから』とかそういう理由じゃないよね?


「貴様はどうなんだ?」

「私は、読書とかピアノ演奏が趣味ですわ」


「ピアノか……。音楽は嫌いではない。俺も弾くからな」

「本当ですか!? じゃあ、いつか聴かせてください!」

「家に招いたときはそうしよう」


 良かった、合いそうな話題が一つ見つかった……! 思えば先生の家に上がった事はないし、どういうお部屋なんだろう? すっごく綺麗で、きっと眺めも良いんだろうなぁ。


 こうしてピアノの話で盛り上がったあと、先生は「外で待ってろ」と促してきた。こんな私に奢ってくれるなんて申し訳ないけど、気前が良くてますます惚れちゃう……!


 その後は彼の好きな工芸店や楽器店に立ち寄って、夕方頃に解散した。この日もけど、彼の事をもっと知れて嬉しかったな。

 明日から登校日だけど、デートが楽しかったおかげで乗り越えられる自信に満ち満ちていた。








 いよいよ、久しぶりの学校だ。このブレザーを羽織ったのもいつぶりだろう? 放課後は先生と例の遊歩道で待ち合わせしているし、授業の終わりが待ち遠しい……!

 いつものように余裕を以って学校に着き、いつものように授業の準備をする。


『今日からまた頑張ろう』と意気込んで教室の扉を開けた矢先、黒板には写真が貼り付けられてあった。

 辺りには誰もいない。それはいつもの事だけど、今日この日だけは険悪な空気を察した。写真を見るために黒板に近寄ってみると──



 先生と私の後ろ姿がはっきりと写っていた。それも、彼の好きな場所に向かっている最中の。



「……どうして……!?」


 理由が、わからなかった。

 誰がこんなことをしたかも。


 全部ぜんぶ誰かに見られていたという事実を知るのに、それなりの時間が必要だった。


 その時、誰かの足音が近づいてくる。

 気配が教室に入ってきたにも関わらず、私には振り向く勇気なんて無かった。


 は力強く肩に腕を回し、こう問いただす。



「あの名医と何処まで行ったんだよ?」



 私の頬に近づく白銀の鋭利。

 それは、今にも皮膚を撫でそうな瞬間だった。




(第七節へ)






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