シェリーの家で泊まった翌日。俺たち純真な花は朝早くから隣町ブリガの中心部に降り立ち、派遣された防衛部隊の者と合流。そこにいたのは、濃紺な髪を揺らす青年ステファンだった。
「これは先輩と陛下……! おはようございやす!」
「蜥蜴男が蔓延ってるんだって? 俺たちも手伝いに来たぜ」
「ありがたいっす。僕も『どうしたものか』と困ってたんすよ。……ってあれ? 純真な花って四人でしたっけ?」
「シェリー様は都合により出撃できないのです。でも、後はわたくし達にお任せなのですよ!」
「エレ様……!!」
エレが満面の笑みを浮かべると、目を輝かすステファン。この感じだと、彼女の存在によって彼の士気が上がった事だろう。
しかし、今は戦闘の直前だ。マリアが雰囲気を破るように話し掛けると、ステファンは向き直り片膝をつく。
「で、今はどれくらいいるの?」
「はっ、ようやく残り十体といったところでしょうか。しかし、他の者たちは疲弊した状態にあります」
「相当いたってわけね……良いわ。あなたは路地裏を調べてちょうだい。それからあたし達は──」
「おっと! イイ雌どもじゃねえか!!」
「うぁ……っ!」
野太い野郎の声が聞こえると共に、ステファンの顔が歪み始める。彼の左胸から刃の尖端が現れ、そこから紅い液が滴り落ちていた。俺は前に倒れそうな彼を咄嗟に支え、突如現れた者どもを見遣る。
気づけば俺たちは体格の良いリザードマンに囲まれ、うち中心に立つ者は一際目立つ鎧を身に纏っていた。
そんな中、エレがステファンの元へ駆け寄ろうとするが──。
「ステファン様! ただ今、治癒を……きゃっ!!」
「おいおい、そんなヤツ捨て置けよぉ?」
「こんなとこでエルフと出会えるたぁ奇跡だぜ」
まさに蜥蜴の肉体を持つ男は、その丸太のような腕で華奢なエルフを捕らえる。
だが、捕まったのは彼女だけではなかった。
「ちょっと! 何するんだよ!!」
「良いじゃねえか、本当は嬉しいんだろ?」
「へっへ、熟れた人間も捨てたもんじゃねえ」
「くっ……陛下を放しなさい!!」
「暴れんなよ? あんたが動けば女王様の顔に傷がつくぜ?」
「アレックス、アイリーン! あたしのことは良いから早く……!」
畜生、ただでかいだけじゃなさそうだな……! だが、此処は国王を優先的に助けるべきだろう。
そう考えていたとき、瞳を潤ませたエレが俯く。
「どうした? やっと諦めたか?」エレの顔を覗き込むリザードマン。
俺は直感した。それが彼らにとって不幸の始まりである事を──。
「放せっつってんだよ!!!」
「ぐぉぉおおお!!!」
なんて強烈なアッパーだ! 顎を殴られた蜥蜴は紅と透明の体液をまき散らし、あっさりと後方へ倒れる。
いつの間にかエレの手中には大弓が収められており、周囲のリザードマンも困惑している様子だった。
「おい、なんだこのエルフ──」
「あんたもだよっ!!」
「ぐはぁあ!!」
エレが弓を振り回す事で彼らは蹴散らされ、花姫たちを手放す格好となる。
自由の身となった彼女らもすぐさま反撃に移った。
「どきなさい!」
「うぉ!」
うち一人を蹴飛ばしたアイリーンは、無事マリアを救助。アンナも陽魔法を用いて抜け出せたようだ。
一方でエレは改めてステファンの元に向かい、回復に専念する。その間、俺も長剣を抜いて悪を挫く事にした。
「女を襲った罰だ」
「ひ、ひえぇぇえええ!!!」
まずはエレに絡んだ野郎から両断。
一体が倒れると、次は弓で殴られたヤツに一閃。
「ぎぁ……っ!」
「このやろおぉぉおおぉおお!!!!!」
今度はおんぼろの斧を持った蜥蜴。手首を吹っ飛ばしておけば問題なかろう。
骨肉を断つ音が小気味良く響き、斧を持つ手が放物線を描く。
「わぁぁあああぁぁ!!! いてぇ!!! いてぇえ!!!」
後は──アンナを狙うヤツか。
蜥蜴は並々ならぬ腕力で剣を振り下ろし、今にも彼女の大剣をへし折ろうとしている。
「調子に乗ってんじゃねえぞこのチビがっ!!」
「絶対に……負けるもんかぁ!」
アンナが剣撃を受け止める今、俺は野郎の背後に回って煽ってみせる。
「遊び相手に困ってるんだろ?」
「あぁ? 雄はおことわぐぼぉぉおお!!!」
アンナを襲う蜥蜴が振り向いた矢先、彼は俺の剣で顔を貫かれる。勢いよく引き抜くと、人形のパーツのように目玉や歯が飛び散った。
「アレックス、ありがとう!」
「いいさ。それよりエレちゃんの援護を」
「うん!」
さあ、いよいよ親玉をしばく時か。先程の目立つ鎧を纏った野郎は、奥で呑気に突っ立っている。ならば、俺から切り込みに行けば良い。
地面を蹴り、がら空きの懐に迫る。
だが、親玉なだけあってすぐに感づいたようだ。
剣と剣が衝突し、互いが間合いを取る。
親玉は余裕に満ちた表情で切先を俺に向け、へらへらと笑いだした。
「そんな攻撃でやられると思ったか? てめえなんか、とっとと果てちまえっ!!」
剣を構え、防御に徹する刹那。
眼前を横切る大きな影は、蜥蜴の鎧を見事粉砕した。
「て、てめえ! いつの間におれたちをぉお!?」
「ほら、とどめを刺しな」
無造作な茶髪が特徴的な男は、俺に背を向けて言葉を放つ。
彼の左手には、刃が三日月のように曲がった剣──すなわち、曲刀と呼ばれるものだ。
果たして彼は何者なんだ?
いや、そんな事を考える暇などない。なぜなら、蜥蜴の胸元には銀の心臓が埋め込まれているのだから。
蜥蜴が怖気づく今。
もう一度距離を詰め、心臓に突き刺す!
「け、結局裏切ったのかよぉ!? うぉおおあぁぁあぁあああ!!!!!」
白銀の宝石を破壊されたリザードマンは、意味深い言葉を遺して墨色の花弁を撒き散らす。
花姫たちと戦っていたリザードマンも塵と化し、跡形もなく消えていった。
彼女らやステファンの容態も気掛かりだが、どうも男の存在が頭から離れられない。
後ろにある大きな圧を見返せば、額に深緑のバンダナを巻く男が立っている。顎に生える無精髭のせいか、どことなく威厳ある風貌だ。
彼は緑の目で俺を見つめ、飄々とした態度で言葉を放つ。だが、決して友好さが感じられる発言などでは無かった。
「勘違いするなよ? オレはアンタとやり合ってみたいだけだ。……焔の神殿で会おう」
その言葉を最後に、忍──東の暗殺者を指す──の如く飛び去る。大男が消えて静寂が戻ると、住民たちの嘆く声が聞こえてきた。
「こんな時にシェリーの霊力があれば、すぐに修復できたのだけど……」
マリアのぼやきが現実へと引き戻す。石造の建物にはどこかしら欠けがあり、中には傷を負った者もいる。防衛部隊や騎士団の者たちは住民たちを支え、上級魔術師らは魔法での修復作業に当たっていた。
荒れた景色を一望する中、誰かが立ち上がる。先程まで重傷を負っていたステファンであり、彼は俺らに向かって礼を述べた。
「エレ様に、純真な花の皆さん。何とお礼を申し上げて良いものか……!」
「気にしないで。これもあたしらの仕事だから」
「元に戻ったようで何よりなのです。戦いが一段落したら、ベレと一緒にランチでも行きましょ」
「……はい!!」
エレの誘いに力強く頷くステファン。おそらくエレは友達として誘ったのだろうが、嬉しそうだから良いか。
きっと彼は、高度治癒薬で傷が癒えたに違いない。彼が此処から立ち去ると、アイリーンは「さて」とマリアの方を向いた。
「それでは陛下、戻りましょう」
「ええ。手伝いのは山々だけど、こちらもやるべき事は山積みだからね」
マリアは部下の言葉に頷くが、物憂げな表情を浮かべたままだ。銀月軍団との戦いに加え、シェリーの事も気掛かりなのだろう。
俺たちは後の事をギルドの者たちに託し、翼を以ってブリガを立った──。
次の戦いに備えて買い物を終えた後、何処にも寄らずに帰宅。今頃落ち込んでいるであろうシェリーに通話を掛ける事にした。
「もしもし?」
「俺だ。お前の事が心配になってな……」
「まあ……! 今はお勉強の最中ですが、丁度あなたとお話したいと思っていましたの」
「何の勉強だ?」
「下位の回復魔法ですわ。私、こう見えて魔法を上手く扱えなくて……」
「そういや、お前が魔法を使ってるとこは見たことねえな。銃を使ってたのはそんな理由か?」
「はい。魔力はあるのに、マリアみたいに攻撃する事もできないんです。それで、あの子が『銃を使ってみたら?』と提案してくれました」
なるほど。そういう理由で今まで魔力変換銃を使ってたのか。今の彼女なら霊術で回復する事も儘ならないし、習得して損は無いと俺も思う。
しかし昨日の今日というだけあってか、彼女は弱気な声を発する。そんな声を聞くと、今にも家を飛び出したい気持ちに駆られてしまう。
「俺も魔法を使えなくはないが、感覚だから教えられる自信が無い。でも、寂しい時はそっちに向かうぞ」
「嬉しいですが、あなたと一緒にいると戻れなくなってしまいますから……」
「ははは。それは悪いからな」
通信機を握り締め、顔を赤らめるシェリーが目に浮かぶ。恥ずかしそうに話す彼女がとても可愛くて、思わず笑いが込み上がってしまった。
だが──彼女の次の問いは、ちょっぴり和らいだ空気を簡単に壊す。
「どうしてジャックは、キスと言葉だけに留めたのでしょうか……」
その問いは、俺に向けたものだろうか。それとも呪いを刻んだ本人に──?
少なくとも、俺は答えたくはない。愛を伝えずに交えるなんて、まるで自堕落な関係のように思えてくるから。
だから、此処は「さあな」と知らぬふりをしてみる。
「そう、ですよね……すみません、長々とお話してしまって」
「俺から掛けたんだ。お前の声が聞けて良かったよ」
「私もですわ。それではごきげんよう」
シェリーがそう言うと、俺から通話を切る。朝から彼女の声が聞けたというのに、心のどこかで穴が開くような感覚がした。
「…………俺たちは、恋人だ」
伝えずとも判ってくれる保証なんて何処にあるんだ。彼女から言葉を奪う事は、俺から奪う事でもある。
もし俺が『愛してる』と告げれば、彼女も同じ言葉を返すだろう。それは彼女を苦しめる行為であり、本当の愛とは言い難い。
──どうすれば、伝え合えるだろうか。
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