【前章のあらすじ】
天界には二つの世界が存在する。それは、楽園と地獄。
アレックスとマリア、シェリーの三人は楽園へ向かい、執行者ガブリエラを介してルーシェと再会。大魔女デルフィーヌからの手紙とガブリエラの意向により、ルーシェは再び人間界に訪れる事を許された。
一方、ジェイミーは覚醒の種により徐々に理性が失われていく。危機感を懐いた彼はアンナに想いを打ち明けるが、全てを作用に支配されてしまう。また、アンナもジャックの襲撃によって精神に翳りが生じ始めた。
アレックスらが人間界へ帰還すると、純真な花一同は最後のオーブが収まる陽の神殿へ赴く事を決意。ジェイミーとの対峙は、アンナの運命を大きく揺るがすだろう。
「失礼する」
「っ!! ルナ、なんでキミが此処に……?」
「隊長に急きょ『顔を出してやれ』と言われてな」
「勝手な真似を……。それに、キミはボクたちの事情を知らないでしょ」
「すまないが、その件については陛下より聞き及んでいる。……アンナ、何故私を頼らなかった?」
「だって、ルナはもう此処の騎士団長……気軽に話せたら苦労しないよ……」
「そうか…………お前のために戦ってきたつもりが、却って一人にさせてしまったな」
「大丈夫だよ……こういうの、慣れてるから」
「…………」
「……でも……ちょっとだけ甘えても、良いかな」
「…………ああ。私の胸の中で、いくらでも泣け」
「ありがとう……」
「……忘れるな。私はいつだってお前の味方だという事を」
此処は、半円型の小窓がいくつも並ぶ教会。差し込まれる陽光は、一面に広がる赤い絨毯や半球状の空間を照らしていた。
視線を正面に戻せば、陽の女神像が俺たちを出迎える。ベールから覗くショートボブな髪型に、花をあしらったドレス──異国情緒あふれる出で立ちは、東の国とまた違う趣を見せた。
端整な顔立ちは職人の手によるものか? 否、この女神もまた人々を狂わせるに違いない。理由を上げるとすれば、まずはスリットから垣間見える脚は適度に引き締まっている。それから、ドレス越しでも判る程にスタイルが良い。ウンディーネにアリスと、この国を護る女神は何故こんなにも美しいんだ……。
「アレックスさん、また女神様に見惚れてますのね……」
「違えって!!」
呆然と女神像を眺めていると、隣に立つシェリーが頬を膨らませ俺を睨みつける。本能を隠すように目を背けるが、悲しきかな女の勘はごまかせないようだ。
「こら、痴話げんかも大概になさい」
「でも……」
「陛下の言う通りですよ」
マリアとアイリーンが俺──というより、シェリーを窘める。彼女は口を尖らせるも、注意された以上は言い返してこないだろう。
さて、少しだけ状況を振り返ってみよう。俺たち純真な花は、ティトルーズ城の転移装置で陽の都へ。シェリーの霊力とティトルーズの技術によって無事転送されると、これまでのように女神像の在る教会へ辿り着いた。
ひとまずシェリーとの口論(?)が収まると、マリアは俺らの方を向いて話を切り出す。
「まずは必需品の調達よ。ねえアレックス、“潤沢のゴモッソ”は何処で売っているのかしら?」
「市場に行けば買えるが、ぼったくりもザラだ」
「それさえあれば、ひと口で水分と塩分を補給できるのですね。着いたばかりと云うのに、喉がカラカラなのです」
エレが言う様に、俺も喉が渇いている。それは他の花姫たちも同じようで、シェリーも早速向かう事を促した。
そんな中、アンナだけは無言を貫いている。……正確に言えば、上の空と云った様子だ。いつもなら会話に入ってくれるのに、こうも黙り込んでいると寂しいものだ。
「アンナちゃん、お前も喉乾いたよな?」
「…………」
やはり反応が無い。この会話を最後に一同も黙り、開けた礼拝室の中で長い時が流れた。
そして重苦しい空気を破るのは、やはりこのメイドだ。
「立ち尽くしても、何も解決しません。此処は隊長が指示すべきでは無くて?」
「わりぃ、アイリーンちゃんの言う通りだ。……よし、早速市場へ向かうぞ」
「「はい!」」
半年以上前まで隣国に用があったと云うのに、鋭角的な建物が並ぶ光景が懐かしく思える。母語とへプケン語が入り混じる喧騒や、四方から漂う香辛料の薫りは安心感を与えてくれた。
古今折衷の街を暫く歩くと、市場と思しき場所に辿り着く。所狭しと並ぶ露店の数多くは、カラフルな布を垂れ下げている。その光景は、まるで太古の街へと逆行したみたいだ。少し街から外れれば、そこは砂漠の世界。神殿の象徴とも云える塔は、此処からでもよく視えた。
ラピスの月にしては温かな気候だが、もはや喉の渇きはピークに達する。すれ違う住人の片手には水筒。水分が欲しい余り、ついそちらに目移りしてしまうものだ。
「ねえ、まだ?」
「もうちょっとだ」
マリアの苛立ちを込めた声が催促してくる。どの住民よりも豊かな生活を送る彼女にとって、この環境は慣れないだろう。人々はすれ違いざまに頭を下げるが、当の本人はもう愛想笑いする余裕も無いらしい。
アイリーンは主に知られぬよう溜息を吐くと、俺にだけ小声で話してくれた。
「……陛下にはもう少し凛として頂きたいのですが」
「そいつぁ無理だろ」
「何か言った?」
「いいえ」「いや」
こういう時だけ、マリアの耳はよく利くんだな。
そう思っていると、果菜を並べた露店が視界に飛び込む。芳醇な香りに打ち負けた俺はそこへ赴き、とりあえず店主に話し掛けようとするが──。
「あら、いらっしゃ──こ、これは……陛下!!」
「ゴモッソを頂戴。あなたなら『まともな価格で売ってくれる』って信じてるのだけど」
「めめめめ滅相もございません! それに、お金だって頂きません! ええそうですとも!!」
……さてはぼったくりの店か? よくよく見れば、値札に書かれた数字がやけに多い。もしこの場に陛下がいなければ、貼り付けたような笑顔で商品を押し付けてきただろう。
へプケン近郊でぼったくりなんて日常茶飯事だ。それだけに衛兵も随所に配置される一方、悪知恵を働かせる人間は絶えない。悔しいが、かつては俺も喰わされたさ。
店主である中年の女性は、慌てた様子で籠に収まる布袋を此方に見せる。それから紐を解いて中を見せてくると、白く濁るゴムのような丸薬がぎっしり詰まっていた。
「ここここ此方が、ゴモッソです! さあ、持ってお行き!!」
「あ、あの……良かったら受け取ってください!」
シェリーが財布から取り出したのは、数枚の紙幣。それも布袋一つにしては随分な金額だ。それを見たアイリーンは訝し気な表情になるが、シェリーは言葉を続ける。
「きっと、生活に困っていたんですよね。少額ですけど、これでさえ良ければ……」
「えっ……! そんな……」
店主が驚嘆の声を漏らしたと思えば、瞳に涙を浮かべる。彼女は布袋を握り締めたまま首を横に振り、肩をわなわなと震わせた。
「やっぱり、私には無理よ……こんな少女たちを騙すなんて……ましてや陛下の前でなど……」
「判ったなら良いわ。それに、シェリーならあたしの言葉を聞かないだろうしね」
マリアが布袋を受け取ると、シェリーは店主の手を握り紙幣を収めようとする。その温もりに逆らえぬ店主は大粒の涙を零し、嗚咽を上げ始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「どんな事情かは知らんけど、次から普通に売れば良いんじゃないか」
なんだか居た堪れないので、俺も言葉を掛けてみる。……値段を変えりゃ良い話なのに、本当は真面目な人なのだろう。
とはいえ、善意に付け込むヤツがいるのも事実だ。シェリーの事を長く知るアイリーンが、やんわりと注意するのも頷ける。
「お嬢様、常に吟味する事をお忘れなく」
「はい……」
「でも、そんなシェリー様がわたくしは大好きなのです!」
「あたしも惚れたクチだけどね……。さて、用は済んだし次に行くわよ」
そんなこんなで無事調達が終わると、一同はゴモッソを摘まみながら街中を歩いた。たったの一粒で喉が潤い、晴れやかな気分になる。あれだけ不機嫌だったマリアも今は一変して、楽しそうに街中を物色していた。
一方で俺とシェリーはひたすら前を歩き、宿屋を目指す。本当は今すぐ神殿へ向かいたいが、マリアが予め確保してくれた以上は手続きをしなければならなかった。
「あの、アレックスさん」
「どうした?」
「陽の都は、へプケンにそっくりですよね。昔はもう少し面積が広かったのでしょう?」
「ああ。初代国王は、ヨルムンガンド討伐の謝礼として土地の一部を譲渡したんだ」
「私たち庶民の目線で見れば、戸惑いますわよね……」
「不安を訴えるヤツはいなかったわけじゃない。だがへプケンも治安は良い方だし、頑なに断れば戦争になりかねないからな」
「ヨルムン、ガンド……あのような存在が無ければきっと……」
「深く考える必要は無いさ。法も制度も此処とそこまで変わらねえし」
「そうなんですか?」
「ティトルーズとへプケンは長年の同盟国だからな。違いがあるとすりゃ気候と暮らしぐらいで、様々な種族を大事にするのはあっちも同じだ。それに、祭りだってお前なら楽しめそうだし」
「……でしたら、いつか一緒に行きたいですわね」
「俺もだ」
顔を赤らめ、手を絡ませるシェリー。次に彼女と砂漠の街を訪れた時は、戦友たちも無事でいてくれると良いんだがな。
少しばかりしみじみとしていると、弦を弾くような音色が何処からか聞こえてくる。ふと広場に目を向けてみれば、そこには一組の男女の姿が在った。
彼はリュートを抱え、彼女は優雅に舞い続ける。若い男性が紡ぐのは、まさにティトルーズ語とへプケン語を交えた歌。断片的に聞こえてくるフレーズから恋の詩と判断。その証拠に、カップルや単身の女性が彼らの前に立ち尽くしている。
そういや、アリスも見知らぬ吟遊詩人の演奏に合わせて歌ってたよな。あの時は嫉妬に駆られちまったが、結局は俺の為だと知って罪悪感に苛まれたっけ。この光景は、何だかそれを思い出すよ。
愛を奏でる男女は俺らの他に、通行人らの足を止める。個々の美貌ぶりに目を奪われる者から、ハンカチで涙を拭う者まで様々。……中でも、アンナも彼らを呆然と見つめるのには心底驚いた。エレも同じように感じたのか、いつもの調子で友に話し掛ける。
「アンナ様も気になるのです?」
「……ちょっと前に、あの人と出かけた事を思い出したの。アルタ街の橋に行った時、いきなり『遠い場所に行かねえか?』って誘われて、ね……」
「そんな事が……」
「一緒に行ったんだ、月の都に。そこで、晩御飯食べたら夜遅くなっちゃったんだけど……あの人は、家まで送ってくれたのに何もしてこなかった」
「「…………」」
『何もしてこなかった』という言葉が落胆を指すのかどうかは判らない。ただ言えるのは、ジェイミーがそれだけアンナを想っていたという事だ。
いくら俺でも、このような話には口出しできない。その時、エレが口を開けて何かを言い掛けるが──
ズボンの布地が擦れるような、風が背後で横切ったような気がした。
辺りを見回しても、その正体が見当たらない。しかし、腰回りがやけに軽い事に気付いた。
答えを確かめるべく、片手を布地に突っ込んでみれば……案の定、あるはずのモノが無い。ああくそっ! 俺とした事が──!
「アレックス、さん?」
「…………財布を掏られた」
(第二節へ)
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