※この節には残酷描写が含まれます。
花姫たちが各々の翼で羽ばたく一方、俺は路面電車の上に立ち、これから向かう先を見据えていた。鋼鉄の床はただ前に動き、魔力を込めた線に沿うのみ。少しすると、広がる川や新たな街並みが見えてきた。
そこで俺は動く床から離れ、近くに並ぶ建物の壁を次々と駆けていく。
建物と建物の間にできた隙間。それを見かけては大きく飛び越えた。
レンガから石の壁へ、石の壁から木の壁へ。
誰もが俺を見て口を開けるが、止める者はいないようだ。こうして何軒もの建物を渡っていくうちに、小舟が並ぶ広場が見えてきた。
俺は最後の建物の壁を蹴り、宙を舞う。そして吹き荒れる風に逆らうように一回転させたあと、硬い地に足を着けるのだ。それに真っ先に気づいたのはマリアで、振り向きざまにこう言う。
「やっと来たようね。あいつを阻止するわよ」
川を超えた先にある街並みは一見、城下町のフィオーレに近い。しかし、その上を駆け回る巨大な異形――グリフォンのせいで幾つもの爪痕が残されていた。
全長はティトルーズ城とほぼ同等だろうか。上半身はまるで鷲だが、下半身は獅子に近い。四足に生えた長い爪はもはや鉤爪と言っていいだろう。例えば手前にある石造の家には、三本の傷が縦に走っている。あるいは、崩れたレンガが誰かの身体に当たり、派手に血が吹き飛ぶこともある。それでもグリフォンは葡萄茶の大きな翼を広げ、延々と荒らすのだ。
俺たちの存在に気づいたのか、ヤツは金色の眼を剥いてぎょろっと睨んでくる。それから川を跨いでこちらに近づいたとき、木の幹が揺れる程の大風が巻き起こった。俺と花姫たちは腕で顔を覆いつつ、両足で踏みとどまる。
しかし、シェリーだけは違った。彼女が両手を広げると翠色の光が集まり、俺たちの身体を包み込む。その時、風の抵抗が一気に消えて身軽になったような気がした。もしかして彼女も銃のみならず、魔法が……? でも、それは魔法に見えるというだけで、“違う何か”が人や大地を揺るがしているように見えるのだ。
その“違う何か”について思考を巡らす間、エレが前に立って大弓を召喚する。弓を構える間、隣のマリアも呪文の詠唱を始めた。
「行きますよ、陛下!」
「ええ!」
矢が細い指から離れた刹那。
マリアが杖を突き出し、力強く叫ぶ。
「焔撃!!」
杖から射出された大きな火球は、飛行中の矢に着弾。
焔に包まれた矢は加速し、グリフォンの左目に迫る――!
――キェェェエエエエェェェ!!!!!
目玉を貫く矢は肉を抉り、神経を容赦なく焦がした。今だ上空を飛ぶグリフォンだが、激痛のせいか羽と四肢をばたつかせる。
そんな中アイリーンが怪鳥に近づき、自身の左手を紫の霧で包む。霧が晴れた頃には、グリフォンのそれを上回る巨大な爪が現れた。
「やあああっ!!!」
彼女はそのクローを斜めに振り上げ、相手の上半身に大きな傷を作る。腹から胸にかけて刻まれた傷は、直径二メートル程の銀の心臓を露わにした。
――ギュルルルルル……。
グリフォンが川に向かって落ちようとする。
だが、ヤツの脚が水に触れようとしたとき――。
右目を光らせ、両翼を極限まで展開させる!
「アイリーン、下がって!」
マリアの声と共に月の花姫は後退。
彼女が着地したのと同時に、川から噴き出た水は大津波と化した。
「この波、防御壁じゃ塞ぎきれないわ……!」
「なら私に任せて!」
シェリーが、前に……? いやいや、一人だけ前に立たせるなんて卑怯だ。
俺も彼女の隣に立ち、大剣を構えることで花姫たちを守ることにした。
波が目と鼻の先まで近づいた今――
魔法を弾き飛ばすこの刃で、被害を最小限にしてみせる!!
「アレックス様!?」
「ぐっ……! これぐらい大丈夫だ!!」
水圧が剣身を押し潰そうとする。だが、流石はマリアたちが改造してくれた剣だ。こんな衝撃にも耐えているおかげで、俺たちの背後に立つアイリーンとエレが無事なのだから……!
「絶対に……絶対に、負けない!!」
両手を突き出し、波を凌ぐシェリーの声。
その声音からは、『宿命と闘う』という意志が伝わってきたのだ。
彼女にとっての宿命とは。
水中に呑まれる恐怖、友を亡くした悲しみ。
そして――愛する者と離れる痛み。
ジャックに腹が立つことに変わりはない。それでも……三年ぶりに再会したにも関わらず、逢瀬が叶わなくなった苦しみは簡単には消えないだろう。
まるで彼女の意志が魔法に代わったかのように波が打ち消され、青い光が川に集まっていく。
それは再び川としての役割を形成させるが、風による影響を受けないようだ。
「皆さん、今ですわ!!」
「さあアレックス! とどめを刺しなさい!」
シェリーが喝を入れるのと同時にマリアが動き出す。マリアは何をしたかと思えば、俺の近くに光球を設置したのだ。その高さは俺の膝ぐらいまであり、人間一人包み込む程の大きさを誇る。
「なんだこれは……!?」
「その姿でも飛べる魔術具を開発してあげるから、今はこれで我慢なさい。あたしが詠唱したら、あなたは爆発を踏むこと! いくわよ!」
爆発を、踏む!? まあ何か考えがあるようだし、とりあえずやってみよう!
彼女がいよいよ呪文の詠唱を始める。
「天光の砲撃!!」
目が眩むほどの爆発!
だが俺は構わず跳躍し、指示通り爆風を踏み台にする。
言葉にできない程の衝撃が起こった。
俺の身体は意識が飛びそうな速さで飛び、満身創痍の怪鳥に迫る。
手中に収めた大剣。
俺はそれを限りなく振り回し、銀の心臓を打ち砕く!!
――パキィィイイィィイン。
煌めく宝石は真っ二つに割れ、グリフォンという異形を浄化させる。俺が街中に着地する際、花姫たちも既に同じ場所に辿り着いていたのだ。
「シェリー、いつもの力をお願いするわ」
「……うん」
マリアの頼みに対し、力強く頷くシェリー。彼女は両手を重ね、グリフォン戦の時のようにこう呟いた。
「《この世界に奇跡が起こらんことを》」
花びらがシェリーを囲ったと思いきや、分散してあらゆる建物に絡みつく。その現象は人々に対しても同じで、この戦いで傷ついた全てのモノを瞬時で癒したのだ。
彼女はいったい何者なんだ? さっきの付与とか、津波を凌いだときとか。彼女が不思議な力を発揮すればするほど、好奇心が沸々と沸き上がっていく。
一連の動作を終えたシェリーに近づこうとすると、アイリーンが腕を掴んでくる。
耳元で囁いた言葉は、今の俺にとって重圧の大きいものだった。
「ジャックを凌駕する男でありなさい。心・力ともにね」
彼女がそう言ったあと、『わかったなら行きなさい』と云うように腕を放してくれた。
マリアは俺たちのために馬車を手配したらしく、エレと一緒に待っているようだ。だから俺はシェリーと少しでも距離を縮めたくて、彼女に話しかける。
「……あのさ」
「はい」
「また今度二人で会わないか? 次はお前の好きな場所に連れて行ってほしいんだ」
シェリーが息を呑み、まじまじと俺を見つめる。だがそれはほんの一瞬で、以前の暴走を思い出したのか目を逸らしてしまった。
「私なんかで、良いんですか? なんせ私は……あなたを撃ってしまったのですよ」
「構わねえ。むしろ………………いや、なんでもない」
「そうですか。いずれにせよ、変わらず接してくれてありがとうございます。ほら、私なんて……いつ邪悪な存在として見られてもおかしくありませんから」
「なに言ってるんだよ。俺はお前を一人の人間として見てる。ただそれだけだ」
「っ!!」
『お前じゃないとダメだ』と言おうとして言葉に詰まったが、これを言えただけマシか。例えどんな力を持とうが、彼女が一人の少女であることに変わりは無いんだし。
シェリーがたじろいでいると、馬の足音が聞こえてくる。
「さて、馬車が着いたようだ」
「…………なぜ、そこまでして私を? って、人の話を聞いてますか!?」
物憂げな美人が珍しく怒鳴ってやがる。
だけど俺は、彼女に聞かれにくい声量でこう呟いた。
「いくらお前でも、わかるだろ」
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