城下町から戻って数日後。ヴァルカの監視を命じられた俺は、単身でティトルーズ城へ足を運ぶ。エントランスに入れば、クロエが出迎えてくれた。
「ごきげんよう、隊長」
「おう。ヴァルカちゃんは今どこにいる?」
「私めがご案内いたします」
彼女が俺に背を向けると、対になった三つ編みと羽耳が揺れ動く。それから穀然とした歩調で大階段を昇り始めた。赤い絨毯を踏みしめるたび、柔らかな感触が足の裏に浸透する。
この廊下を歩く時の静けさ、アイリーンに案内してもらった頃とそっくりだ。背丈は本人より低めだが、従者の模範となるような振る舞いはメイド長譲りといったところ。
……それでも、こいつとはどうも深い仲になれそうにない。氷のような目つきとトーンはどこかジャックに似ているし、なんせ容赦ねえからなぁ。
「ヴァルカ様のお部屋はこちらでございます」
クロエが示した先は、他の部屋と変わらない扉。この先であの機械人形が軟禁されているのだろうか。とりあえず入って見なきゃわからない。
「ありがとう。あとで彼女と散歩しても良いか?」
「構いませんが、くれぐれもハメを外しませぬよう」
「……俺を何だと思っている?」
「マスターから『どうしようもない隊長』と伺っておりますが何か?」
アイリーンのヤツ、余計なことを話しやがって……。クロエもクロエで、そのザクロみたいな瞳の奥で俺を疑うな。
「図星のようですね。それでは、私はこれで」
「…………はあ」
何故か引き留める気も起きない。これも、彼女との親睦を諦めているからだろうか。
まあ、いいや。気を取り直して部屋に入ろう。相手が誰であれ、敬意をノックに込める。すると、扉の向こうから「はい」と機械的な声が聞こえてきた。
「アレクサンドラだ。入るぞ」
本来なら『アレックス』と名乗りたいところだが、多分そのあだ名は学習していないはずなので本名を名乗る。
扉を開けたとき、新緑な空間が視界に飛び込む。その部屋は、フィオーレの動乱で世話になった時と変わらないレイアウトだ。
辺りを一望できる格子窓と、隣にある大きな天蓋付きベッド。高級皮革のアームチェアとガラス張りのテーブルだってご健在だ。今日は少し冷えるからか、石造りの暖炉には火が灯っている。
ちなみにヴァルカは椅子に腰かけ、何やら本を読んでいるようだ。厚手で群青色の表紙を開いたまま、俺に上目遣いする。
「何を読んでるんだ?」
「こちらです」
彼女は本にしおりを挟んでから閉ざし、俺に見せてくる。オートマタならやっぱ勉強は必要だもんな。どれどれ……?
「……って!! なぜ真昼間からそんな小説を読んでるんだ!?」
しかも俺が持ってるタイトルだし、いったい誰が提供したんだよ!?
「グラン・マエストロの命令です。『異性について知るなら、夜想小説を読みなさい』と」
「んなの読んだって間違った知識を身に付けるだけだ!! 没収だ没収!!」
俺の手が勝手に動き、彼女から文庫本を取り上げる。
マリアのヤツ、(月夜想ならまだしも)この純真無垢な少女にこんなモン渡すかよ……。つか、あいつの所有物なら尚更あの暖炉に投げ込むとこだったぞ。
「御主人様、入室の理由を提示して頂けますか?」
「お前の様子を見に来た。あと、ずっと此処にいるのも退屈だろうし、一緒に散歩にでも行かないか?」
「散歩ですか」
「別にそこにいたいなら構わんけど」
ヴァルカは固まったかのように動かなくなる。人間みたいに『うーん』とか悩む様子は見せないようだし、きっと思考中なのだろう。
「はじめに、マエストロに情報開示を要求します」
「そういや話してなかったもんな。……つっても、何から話そう」
ヴァルカの隣には余った椅子があるので、俺もそこに腰掛ける。
「出身地と家族構成」
「魔界で生まれた。俺の親父も兄貴も悪魔で、母親は夢魔だ。でも兄貴とは仲が悪いし、魔界から消えてそれきりだ。それからは両親と一緒に人間界を訪れ、ここティトルーズ王国で暮らすようになった。俺もとうの昔に親元を離れたよ」
「家族──単語の意味が見つかりません」
うーん……オートマタにはどう説明してやれば良いんだろう。生みの親、とかかな?
「お前を造った奴らはみんな家族だ。あと、お前という存在をひらめいたマリアちゃんもそう」
「開発者ですか。では、マエストロも私の家族ですか?」
「違うね。俺は関わってないから」
「承知。次に趣味を教えて下さい」
「鍛練と音楽を聴くことかな。身体を動かすことなら何でもやるよ。お前は?」
「皆無」
「即答かよ」
まあ……ジャックなら、いかがわしい娯楽しか与えなさそうだからな。
「じゃ、読書してるのはマリアちゃんの命令か?」
「いいえ、グラン・マエストロは私に本を与えただけに過ぎません。『読むかどうかは自由』と発言していました」
「これからも色んな本を読んでみたいか?」
「はい」
「それなら、お前の趣味は“読書”だ」
「マエストロも読書は好きですか?」
「ああ」
「夜想小説の所持数を計測」
「……拒否権を行使する」
「約二十冊と推定」
「全然違う」
ホントは五冊しか持ってねえし、これでも厳選する方だ。ちなみにあの手の小説はそこまで浸透していないので、二十冊はかなり多いほう。
こんな話を女性とするのは気が引けるので、俺から話題を変えよう。もっと有意義な事を教えてやらねばな……。
「世の中には色んな本があるんだ。推理に喜劇、恋愛とかね。後で書庫に連れて行ってやるから、昼でも読める本をそこから探すと良い」
「こちらも昼でも……」
「もうその部類から離れろ」
ヴァルカは懲りたのか、ようやく違う話題を振ってくれた。
「純真な花の構成」
「まずはシェリー・マリア・アイリーンで結成された。その後、俺が隊長として着任。ほぼ同時期にエレとアンナが加わった」
「彼女らとの対話も所望します」
「うーん……そればかりは許可を貰わないと判らんな。いずれは会わせてやりたいところだが」
ただ、これに関しては一つ懸念がある。
それはアンナのことであり、彼女は己の正義に反するヤツを絶対に突き放す傾向にあるのだ。もちろん拒絶反応なんて自然なことだが、頑固な一面は時に災いとなる。ヒイラギ同様、上手くやってくれると良いんだけど。
「では、恋人の有無」
「もうそれ訊くのか……」
「任意回答です」
「いや俺になら良いんだけど、初対面のヤツには訊くなよ?」
「承知」
彼女とまともに話したのはこれが初めてなのに、いきなり踏み込まれてビックリしたぜ……。まあ、こいつになら話しても良いか。
「今から話すことは、俺とお前だけの機密事項な。恋人はシェリーだ。さっき話したように、純真な花の隊員──つまり、花姫の一人だよ」
「恋人とはどのようなことを?」
「そりゃあ会って話したり、一緒に楽しいことをしたり……やることは友達と似てるけど、ちょっと違うかな」
「その“違い”とは?」
「俺からは言えない」
明言するわけにもいかないし、こう言っておけば察しがつくだろう。
しかし、彼女は意外な言葉を投げてくる。
「『恋人同士はデートする』と記憶しております。それを私にも体験させてもらえませんか?」
「いや、さっき(存在を)話しただろ」
「如何なる内容でも構いません」
話を聞かないようだし、困ったな……。あと、恋人になる前は“友達”っていう手順を踏まなきゃならんし。ここは、無難な方向に持っていこう。
「それこそ一緒に本を漁りに行く、とかだな。今からどうだ?」
「お願いします」
俺たちは立ち上がり、ヴァルカの仮部屋を後にした。
それからしばらく廊下を進んでいくと、書庫の扉を見つける。
室内の空気は外のように少しひんやりしていた。夏だと蒸気式冷房のおかげで涼しいが、冬だとブランケットとか上着が必須だろう。
窓際にあるテーブル席は相変わらず無人だ。その背後には何台もの本棚が横に並んでいて、話題の書物から貴重な資料まで揃ってある。探したいカテゴリがあるなら、天井から吊るされた看板を見れば良い。古い本のおかげか、懐かしい紙の匂いがほんのり立ち込めていた。
俺はヴァルカについて行こう。どんなものが好みか気になるし。彼女は本棚の列を一望すると、左奥にある『雑誌』という看板に目を付けた。
雑誌が置かれた本棚は、他と違って表紙が見えるように陳列されてある。ここは女性が多いからか、大半がファッション雑誌や生活情報誌だ。
そんな中、ヴァルカはある一冊に手を伸ばす。
「重要な情報と判断」
その表紙は薄ピンクの背景だが、中心には少女の写真が大きく映し出されている。少女は、紫や青などパステルカラーのブルゾンと水色のパニエスカートという出で立ち。白みがかった金髪をツインテールで纏める彼女の表情からは、物憂さが窺えた。両手をポケットに突っ込み、壁に寄りかかる彼女は何を想うのだろう。
ヴァルカはそんな少女と通ずるところがあるのか、ずっと見つめている。それからテーブル席へと向かい、雑誌を開き始めた。
白い令嬢服を着こなす者や、表紙の少女のような恰好をする者──個々のスナップを全体で眺めると、幻想的で儚げな世界観があるように見える。
彼女はそんなスナップを見つめながら、こんなことを尋ねてきた。
「この雑誌、マエストロの好みですか?」
「好きだよ。似合ってればどんな格好でも気にしないぜ」
「そうですか。……ソレナラ着ヨウカナ」
「俺のことは気にするな。お前の好きなようにしたら良い」
「思考中。デート服のコーディネート」
なんでそんな……。これも体験の一つと捉えて良いのかな。服を着るのに、なぜ俺の反応を求めるのだろう。
「まえすとろト一緒ニ、外ヲ歩キタイ。コノ国ノ食ベ物、気ニナル」
「お前、飯を食えるのか?」
「グラン・マエストロが導入してくれたようです。もちろん食事は必須ではございません」
なるほどね。本当に『人間のように扱いたい』ってことか。あいつは変なところもあるけど、こういう面があるから憎めないんだよな。
それなら今後も人間のように接しよう。俺は約束を示すべく、小指だけ彼女に差し出した。
「よし、じゃあ近いうちに出かけよう」
「これは?」
「約束を守るときのサインだ。もしお前さえ良ければ、小指を出してくれ」
「こうですか」
冷たい皮膚と絡めるとき、関節を動かす音が微かに聞こえてきた。
温もりなんて無いはずなのに……不思議だ。人間に限りなく近い材質を使ってるとかそういうのではなく、眼前の相手が“人間”のように見えるのだ。これがオートマタの最新技術だとしたら、悪くないとさえ思う。
「如何なさいました?」
「いや」
この少女を見て、思わず頬が緩んでしまう。まるで妹のような可愛らしさがあって──
「これからもよろしくな」
もう片方の手を、いつの間にか彼女の頭に載せていた。
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