【前章のあらすじ】
マリアを救出すべく、ティトルーズ城を駆けたアレックス一行。アイリーンやルナ・クロエらとの戦いで打ち勝った末、ジャックに洗脳されたルドルフを殺害。その一方、監禁されていたマリアは心身ともに大きな傷を負った。
やがてアレックスは装備品を一新させたのち、シェリーとランヘルが囚われているセレスティーン大聖堂へ突き進む。
果たしてアレックスは、自身に訪れた宿命を受け止められるか。種族を超えた愛の物語は、一時の終焉へ向かう。
※この章には残酷描写が含まれます。
寝台の上で瞼を開き、皮膚が外気に触れる。目の痛みが意識に入り込むものの、これまでにない解放感を覚えていた。
右の窓辺から気配を感じる。ふと視線を向ければ、黒くて大きな虫のような何かが張り付いていた。尖った耳に、悪魔のような羽──もしかして蝙蝠? それも強い魔力を感じるけど、魔族特有の瘴気は無いみたい。
全身の痛みは消えぬものの、上体は何とか起こせる。
その蝙蝠をまじまじと見つめていると、ドアの方からパンという乾いた音が鼓膜を叩いた。
「……え?」
私を阻む邪悪な氣を感じない……まさか……!
この部屋のドアノブには、さっきジャックが見えぬ結界を張ったはず。鍵だって掛かっていたのに、今では解錠した状態だ。
「そう、あなたが……」
この桁違いな魔力の持ち主を、私は一人知っている。考えが通じたようで、蝙蝠の頭がコクリと頷いた気がした。
いま彼は、私に『早く行け』と促しているのでしょう。この暗く湿った部屋には、寝台と一台の棚しかない。全ての引き出しを確認しても、役に立ちそうな物は入っていなかった。
素足を床につけると木の板が軋み出す。長く使われているだけに、老朽化が進んでいるようだ。
ならば、尚更早く抜け出さなきゃ……。振り向きざまに窓辺の蝙蝠を見つめ、静かに言葉を紡ぐ。
「ありがとう」
すると彼はガラスから離れ、彼方へと飛び去った。
気配が消えた事を確認すると、ドアノブを回して少しだけ開けてみる。隙間から廊下を覗いても、誰かが徘徊する様子は無かった。
逃げるなら今のうち。
息を殺し、ゆっくりとドアを開いてみせる。それから半歩ずつ廊下に出ると、連なるアーチ状の窓が視界に飛び込んだ。不運は重なるもので、満月は私とその周囲を照らしている。
魔力変換銃と通信機は、ミュール島で捕まった時に奪われてしまった。開花も銃撃もできないなら、霊力で突破するしかない……!
とりあえず窓の真下に身を潜め、足を引きずるように歩く。私を包み込むこの白いドレスは、ジャックが着せたもの。足首まで伸びたスカートの裾を片手で持ち上げ、冷たい床の上を進んだ。
思えば、居場所が目まぐるしく変わったものだ。始めは、アリスの部屋で幽閉されていた。でも、アレックスさんの脱走を耳にしたジャックは、急遽此処の牢獄に私を閉じ込める。そこで何度も生死を彷徨った後、彼の気まぐれで最上階の宿泊室に移された。
あの人は、今の私を見たら失望するでしょうか。もし彼に愛想を尽かされてしまったら、私はどう生きれば良いのでしょう。
この暑い季節に長袖のドレスを着せられたのにも、理由がある。だから……今の私には、彼に身体を見せる勇気なんて無かった。
それでも、私を永遠に“大切な存在”として見てほしい。
あの大きくて、温かな手にずっと触れていたい。
胸の鼓動を聴いていたい。
アレックスさん、今あなたはどちらにいますか?
「……うう」
首が、痛い。これは、さっきの牢獄でジャックに──。
ダメ、いま思い出せば恐怖で動けなくなっちゃう。とりあえず脱出を考えなきゃ!
「誰が『逃げて良い』と言った」
嘘……もう後ろにいるの……!?
今ならまだ間に合う! 振り向いちゃダメ! 霊術に意識を向けるの!
「私に力を──!」
もうジャックの元へは戻らない。
これ以上、私の身体には触れさせない!
背後から迫りくる、邪悪なる存在。
私は振り向きざまに両手を突き出し、青白い光球を彼にぶつけた!
「ぐぉっ!」
光の球がジャックに着弾すると、彼は身体を仰け反らせる。その隙に廊下を走り、自身の四方に魔法陣を展開させた。
「俺に逆らうとは良い度胸だ。……行け」
鋼鉄の足音が、近づいてくる。
そして──
銃器に触れる音が鼓膜を掠め、
咆哮と共に弾の吹雪が横切る!
「っ!!」
背後から襲い掛かる風圧と鉛の弾。
駆ける足が挫けそうになるも、何とか持ち直して回避してみせた。
「容易く逃げられると思うか? 蜂の巣になればどうなるか──貴様が一番判っているはずだ!」
いや……怖い……!
銃声を掻き消す程の怒号が私に圧を掛け、恐怖を思い出させる。
縛られる恐怖。
嬲られる恐怖。
殺される恐怖。
何よりも──
愛を奪われる恐怖が、私を絶え間なく襲った。
瞼の裏に焼き付く、残酷な光景。
それは、アレックスさんと仲間たちが私を見捨てるという悪夢だ。
『アレックス様! そのような女は放っておいて、次はわたくしの番なのです!』
『ねえ、ボクともキスしてよ……』
『男に抱かれるのは癪だけど、あなたなら悪くないわ……』
『哀れなお嬢様……さっさとこの戦隊を抜けて、元鞘に収まるべきなのに』
『いや……やめて! やめてよ皆!!』
『ごめんな、シェリー。もうお前じゃ満足できねえんだ』
そんなの、絶対に起こるはずがない。
判ってても、ずっと頭の中でぐるぐると駆け巡る──!
嗚呼。早く此処を抜けて、愛を確かめたいの……!
「お願い、私を守って」
後方の魔法陣に霊力を送り、光弾を放つ。光は次々と金属を砕くと、嵐はようやく静まってくれた。
でも、まだまだ地獄は終わらない。
前方には、離反した執事や騎士たち。誰もが私を見ては、周囲に知らせるように声を荒げる!
「おい、脱走してるぞ!」
「連れ戻せ!」
過去を振り返っちゃダメ。
今はやるしかないの!
「どいて!!!」
「うぉ!」
「ぐあぁ!」
次々と私を囲おうとする離反者たち。左右の魔法陣からも光弾を放つことで、彼らを纏めて弾き飛ばした。大丈夫、これでしばらくは起き上がらな──
……この足音は……!
機械的なリズムで近づく影。
廊下の奥から現れた者の正体は、体格の大きい騎士だ。一メートル程の鎚矛を右手に、全身を鎧で覆う彼は聖騎士だと思う。でも、どこか違和感があった。
あれは、人間なんかじゃない。工場から奪った機械人形だ。頭から足先まで、かつてマリアが見せてくれたものと一致する。
その予想は見事的中した。
兜の隙間から目を赤く光らせ、目にも止まらぬ速さでこちらへ駆け寄る──!
「……絶対に、負けないんだから!」
両手に霊力を込め、光の波を聖騎士に放つ。
けれど、聖騎士は無限を描くようにメイスを振り回し、光の波を分断。空を切る音と共に、私の前へと距離を詰めてきた。
攻撃を躱しつつ、隙を伺う。
僅かな空白が見えた刹那、魔法陣を前方に切り替えて今一度光弾を放った。
「──!!」
巨体は攻撃を受け止めるも、声にならぬ悲鳴を上げて後ろへ引きずられる。
直後、聖騎士はメイスを突き出したと思いきや、先端が曲がって柄に穴が開く。
細い筒と化したそれは、突如私目掛けて火を噴いた! 銃弾を回避してはつま先で着地。その度、皮膚に痺れるような感覚がした。
疲弊を感じ取った今、霊力を瞬発力に換えて弾丸の嵐をくぐり抜ける。それから四つの魔法陣を再び前方に展開した後、幾重の閃光で弾丸の嵐を破った。
光は騎士の胸部を貫くと、穴から千切れたコードが垣間見える。聖騎士は煙を噴きながら前に倒れると、青い液体を血溜まりのように広げていく。
その時だった。
「うっ!!」
誰かに後頭部を殴られ、立つ力を一気に失う。
視界が揺らぎ、誰かに身体を軽々と持ち上げられる。皮膚をくすぐる銀色の毛並みは、獣人だろうか。
この気配は、何年も間近で感じてきた。それなのに、視界が霞むせいで誰だか判らない。
また……私は何処かへ連れていかれるの?
もうやめて……これ以上私を苦しめないで。
あの男の人形になるくらいなら、いっその事──!
「ジェイミー。いくら貴様が俺の女を解放しようと、彼女は永遠に逃れられぬぞ。そうだろ?」
「…………」
「ふっ、獣に尋ねても無意味か。まあ良い、そろそろ貴様の弟子が来る頃だ。始末した暁には、特別に人形を触らせてやろう」
「…………」
「……骨の髄まで絶望を味わえ、アレクサンドラよ」
(第二節へ)
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