騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第四節 師弟の争い

公開日時: 2021年8月2日(月) 12:00
文字数:3,354

「わしを超えてみせろ」


 それは、まだ青かった俺への挑戦状でもあった。幾ら突っ掛かっても全て避けられ、殴った分だけり返され……あの頃の俺は、苛立つあまり『手加減してるだろ』と怒鳴った事もあった。


 ──振り返れば、いずれも懐かしい記憶である。が、この狼男の眼帯がほどかれた今、同じ言葉を吐いても気迫が大きく違うのだ。

 シェリー同様、セレスティーン大聖堂で囚われていたランヘルは、その紅い右眼を以って俺と対峙。血管が浮き出る程の筋肉から殺意が伝わってきた。


 鋭い眼差しが俺の胸を突き刺し、皮膚感覚を奪う。

 俺の手からはついに、長剣が滑り落ちてしまったのだ。


 ランヘルは、見計らったかのように高く跳び──



 爪を振り下ろす。



 爪先が眼前に迫ると共に、身体が自然と後ろへ跳ぶ。紙一重で躱せたものの、その素早さに圧倒されて声が出なかった。


「ほう? 今更怖気づくとはな」

「……っ!」


 彼が防衛部隊の隊長を務めてた事など、もう二世紀以上前の話に遡る。今となれば、カウンター越しで酒を注ぐ姿が当たり前なんだ。

 ……そうか、よく考えれば今日は満月。ジャックは、これを利用してランヘルをも連れ去ったんだ。あのクソ野郎、俺の大切なヤツらをよくも──!


 ランヘルが威厳のある声で煽る瞬間と、俺のまばたきが不覚にも重なってしまう。だが、それが彼の攻撃を許す事になるなど、思ってもみなかった。


「捕まえてみろ」


 瞼を開けた刹那、彼は目の前にいなかった。

 直後、顎に重い衝撃が圧し掛かり、身体が天高く投げ出される。


「うがぁっ!!」

「どうした? お姫様を助けるんじゃなかったのか?」


 ランヘルは間髪入れずに次の一手に出る。今度は俺と同じ高さまで跳躍すると、踵で俺の腹部を抉ってきた。

 俺は為す術もなく後ろへ吹き飛ばされ、背中が壁と激突してしまう。そのまま床に転げ落ち、肺に溜まった血を吐くほか無かった。


 上体を起こそうとした時、重い何かが俺の頭を押さえつけた。その正体は獣の足であり、踵で後頭部を踏みにじる。その摩擦で痛みが伴う中、彼は疑問を投げ掛けた。


「あの者に敵う力が、今のあんたにはあるのか?」


 あの者……? こいつも洗脳されてるってのか? だとすれば、何としてでも解かねばならねえ。

 俺は知っている。満月に頼らずとも、彼が遥かに強い事をな……!


「……お前には、判らねえよ」


 床に爪を立てる傍ら、右手に魔力を込める。

 それから小声で呪文を唱えると、ランヘルの片足がみるみるうちに凍りついた。


「なっ!?」


 思わずもう片方の足を俺の頭から離してしまうランヘル。俺が立ち上がる間、せい魔法はその足をも凍らせた。


 今度はこっちが殴る番だ。

 利き手で拳を作り、狼の顔面に一発喰らわす!


「ぐぉお!!」


 まだだ!

 殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、


 殴る!!

 

何百年いつぶりだろうな? こうしてお前に突っ掛かったのはよ!!」


 そして間合いを取った直後。右手を床に着け、ランヘルの足下に衝撃を与える! 絡みつく氷は花のように咲き誇り、彼の身体を垂直に打ち上げた。

 助走をつけてから大きく跳躍し、割れた腹筋に左ストレートをかます! 今度はランヘルが床に打ち付けられる格好となり、彼に跨る俺は胸ぐらを掴んだ。


「おい、シェリーはどうした!?」


 彼は歯軋りするも、抵抗できそうにない。

 そこで体勢を変え、彼の背後から腕を回す。それからマシンガンをこめかみに押し付け、こう脅した。


「とぼけたらどうなるか、判ってるよな?」


 彼が俺の恩人である事は……今は捨てろ。グリップを握る手先が震えようと、人差し指はトリガーに触れる寸前なのだ。

 いつ撃たれてもおかしくないと云うのに、ランヘルは嘲笑うように鼻を鳴らす。


「あんたもそういう手段を覚えたか」

「さっさと答えろ」


「生きてるさ。それがあんたのお望み通りであるかは判らんがね」

「くっ!」


 腕から離れるとは、さすがの身のこなしだ。

 けど、今度こそやられはしねえ。ランヘルの回転蹴りが数回に渡って繰り出される。全ての蹴り技を躱した末、彼は突進してきた。


 次の手は──だ。彼は両手で掴もうとするが、俺が前転する事で立ち位置が逆転。余裕が生まれたのか、ある記憶が俺の中を駆け巡る──。




『何をしている? さっさと立て』


 何度立ち向かっても、この狼男には歯が立たなかった。

 ランヘルはただ腕を組み、俺を見下ろすのみ。岩場で傷だらけとなった俺は、ただ怒鳴り散らす他なかった。


『んなこたぁ……わかってんだよ!!!』


 怒りに身を任せても当たるわけがない。でも、大悪魔ヴァンツォの力に頼らないと勝てない自分を認めたくなかったのだ。


『遅い』

『うあ……っ!』


 躱され、殴られるだけの日々。

 それでも俺は──!


『明日にでもなれば、少しはわしの攻撃を見切れるだろうな』

『今日じゃなきゃ……ダメなんだよ!!』


 一発でもぶん殴らないと気が済まなかった。

 身体中が血だらけになろうと、拳を振り回した。


 ……けれど、結果は同じだった。


『諦めろ』


 腕を掴まれ、身体が宙に浮く。


 投げられた。

 そう認識したときには、再び岩肌の上に引き戻される。


 この時は、例の力に依存してはいけない理由を判らずにいた。


『それが今の実力だ』

『良いじゃねえかよ、力を使ったって……!』


『考えろ。封じられたとき、あんたはどうするつもりだ?』

『俺はそう簡単にやられねえ。だから……考える必要なんかねえさ』


 無論、予想できるわけがなかった。

 その四世紀後に、封印の石を埋め込まれる未来をな──。




 それからランヘルは俺や他の戦士と共に編隊を組み、いつからか“マスター”と呼ぶようになった。偉そうでムカつくことはあったが、腕っぷしが強いのは確かだ。

 そんな彼の言動や鍛練に慣れてきた頃。月が見えぬ夜空の下で、俺にこんな事を言ってきた。


『わしは満月が嫌いだ』


 満月の光を浴びた狼は、野生に帰って弱者を襲う。だが俺は、『彼には無縁な話だ』と思っていた。

 それから月が満ちる度、右眼を押さえる仕草が印象的だった。『病で片目を失った』というのは嘘で、本当は他の狼人と同じ力を有していたのだ。




 ずっと近くにいたのに、何故気づけなかったのだろう。如何に敵対しようと、自分の浅い思慮を恨み続けたのである。


 そんな中、直伝の体術でようやく追い込む事に成功。彼の下半身は俺の両脚で押さえられ、身動き取れずにいた。


「……さっさと─せ」

「え……?」


「わかったなら、わしの右目を潰せ。この目のせいで……娘を殺めた」


 痣だらけの狼にもはや敵意が見られない。細める瞳の奥には、悲哀を秘めている気がした。


「だからわしは満月が嫌いなんだ。この目さえ無けりゃ、忌々しい月光ひかりに苛まれんで済む。大事なあんたをる前に……潰せ」

「………………無理だ」


 結局、あれだけ恩人を殴っておきながら最後まで抵抗が拭えなかった。例え『片目を潰せ』と頼まれようと、俺には荷が重すぎる。


「早くやれ……さもねえと、また娘を傷つけちまう……」


 ここで云う“娘”は、シェリーを指すのだろう。例えジャックに操られようと、本心では争いを嫌っている。

 俺の右手がそれに応えるように、鞘から剣を引き抜く。柄を握り締めてもなお震えは止まらず、流れる汗がランヘルの顔面に滴り落ちた。


 切先を赤眼に近づけるも、いまいち焦点が合わない。

 深く呼吸をした末、覚悟がついに決まった。


「……耐えてくれ、マスター」


 瞼を固く閉じ、

 剣を垂直に振り下ろす──!



 聖堂に響いたのは、狼の遠吠えではない。

 ヒトの悲鳴だ。



 柔らかな何かが刺さる感触に、不気味な音──この瞬間は一生忘れられないだろう。

 音を掻き消すように俺も唸り声を上げ、剣を引き抜く。瞼を開けた矢先、串刺しのを見て胃液が溢れそうになった。


 耐えろ、俺こそ耐えろ。

 これが彼の望みだったんだ。


 突き刺さったを外すべく片手を伸ばす。

 しかし持ち主の手が俺よりも早く伸び、白い球をぶち抜く。彼はそれを握り締めると、紅の飛沫が俺の鎧に付着した。


「……これで、良い……」


 ランヘルはその言葉を最後に、手がだらりと垂れた。


 ……大丈夫だ、意識を失っただけだ。

 何度も自分にそう言い聞かせ、彼から離れる。


 彼の顔はもちろん。俺の顔も血だらけだ。

 だが、今は顔を拭く余裕すらない。



「後は俺に任せろ」



 再び血糊を払い落とし、次の扉を開かねばならぬのだ。

 今宵は長く続くだろう。



 そう、彼女を助けるまでは──。




(第五節へ)






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