「やっと声を手に入れたの……邪魔はさせない!」
俺とシェリーはついにマリアと合流。樹の神殿にそびえ立つ中枢部は、鉄塔の中に在った。深緑のオーブから降り注ぐ淡い光は、一本の巨木──幹に銀の心臓が埋め込まれている──と獣人の亡霊を照らす。俺たちの前に立ちはだかる彼女こそが、エレの声帯を占有しているのだ。
マリアは俺たちの前に一歩踏み入れ、説得を試みる。
「その声を持ち主に返せば、あなたに危害を加えないわ。それとも、此処を離れられない理由でもあるのかしら」
「……これで私は歌えるの。今度は私がお兄さんを助ける番だから!」
雌ライオンの頭部を持つ亡霊──彼女はおそらくアーサーの妹だろう。だが、何らかの理由によって声を失い、他界したと思われる。
それでも、彼女の発する声がエレのものである事に変わりは無いのだ。此処で同情しては先に進めない。戦争というのは、そういうものだ。
「お前に何があったかは知らんが、俺たちにも譲れないモノがある。此処で引かねえと、お前はもっと辛い思いをするぞ」
「うるさい!!」
彼女の怒声が超音波となり、ヒイラギたちが反射的に耳を塞ぐ。樹魔法の一種であるこの振動は花姫たちを硬直させるが、俺は“樹神の加護”を受けた事で免れたようだ。左腕に嵌めたブレスレットは魔法を受け止めた効果か、金のチェーンに綻びが生じている。
「くそ……姉貴の声をそんな風に使うなんて!」
「身体が、思うように動けませんわ!」
「まだ抗うのね。ならば!」
亡霊は口を開け、旋律を紡ぐ。すると地に落ちた緑葉は自我を持つように舞い上がり、一斉に放物線を描いて交差しだした。
「とうっ!」
葉が空を切る中、俺は長剣で次々と叩き伏せる。葉の弾幕が瞬く間に分断されると、亡霊は次の歌に移った。
「《眠れ、荒ぶる魂》」
強い振動は風となり、俺たちの衣服をはためかす。その魔法もまたブレスレットが受け止める一方、ヒイラギは糸が切れたように倒れ込んだ。
「起きなさい、ベレ!!」
マリアはヒイラギの身体を受け止め、揺さぶりを掛ける。しかしヒイラギが受けたのは、魔族に対し効果をもたらす昏睡魔法。もしご加護が無ければ、俺も今ごろ眠っていた事だろう。
俺は目線を落とし、ブレスレットを見つめてみる。更に綻ぶチェーンを見た時、直感が『次が最後』と訴えかけたのだ。
その時、シェリーは「アレックスさん」と声を掛け、こんな提案をする。
「銀の心臓を壊せば、彼女を無力化できるはずですわ。あなたは引き続きおびき寄せて頂けませんか?」
「良いぜ。マリア、《お前は焔魔法で後方支援を頼む》」
「判ったわ」
亡霊に勘づかれぬよう、隠語でマリアに指示。そして地面を蹴り出し横に払う刹那、亡霊は突如姿をくらました。
「そこね。火矢!!」
天を覆う白雲が裂け、無数の赤い流星が狙いを定める。流星の正体は文字通り矢であり、頭上にいる見えなき敵を焼き尽くした。
「ぐぅぅうう!!!」
亡霊が苦鳴を上げると、姿が鮮明に映し出される。俺は剣を握ったまま跳躍し、隙だらけの脇腹を切ってみせた。
「うあぁぁぁああぁぁ!!!!」
「悪いな」
切先で腹部を抉った後、真下へ着地。亡霊が悶える傍らシェリーのいる方へ視線を移すが、彼女は焦燥している様子だ。
「瘴気が魔法を弾くなんて……!」
「更に追い込む必要があるようだな。下がれシェリー、お前はヒイラギの治癒を頼む!」
「判りましたわ!」
大樹に埋め込まれた心臓に向かって何度も発砲するシェリー。だがあの様子だと埒が明かないため、彼女に別の行動を促した。
シェリーがヒイラギの元へ駆ける中、亡霊は腹部を抱えたまま浮遊し出す。俺が次の一手を打とうとした時、誰かが俺の左腕にしがみついてきた。
「エレ!?」
「…………!!」
声を持たぬ吟遊詩人は、力強い眼差しで俺を見上げる。俺は振り払おうとするが、彼女は決して離れようとしなかった。
「……そういう事か?」
敢えて戦闘態勢を解くと、エレは首を縦に振る。それから彼女が亡霊の前で両手を広げると、遠方にいるマリアが声を荒げた。
「何してるの、エレ!! ここで情けを掛ければ、あなたが死ぬわよ!!」
しかし、それで退くエレではない。亡霊は痛みを堪えんばかりに唇を噛むと、エレを睨みつけた。
「どういう、つもりかしら。犠牲が伴うなら、次はあなたの番よ!!」
「マリア! 防御壁を張れ!!」
「判って──きゃあぁ!?」
黄金の毛並みが逆立ち、大地が横に揺れる。マリアは俺の指示通り結界を展開しようとするが、大きな揺れに耐え切れず体勢を崩してしまう。
「あんな病が無ければ! 私はずっとずっと歌えていたのに!! お兄さんは……私を助けるために脚を失ったのよ!!」
石畳に亀裂が走り、大きな破片が一斉に浮き出す。亡霊を囲うように浮遊する瓦礫は、マリアに狙いを定めた!
エレは俺の前を離れてマリアの方へと駆け抜ける──!
「よせ、エレ!!」
「エレさん!!」
エレがマリアの前に立ちはだかる刹那。瓦礫が直進し、エレの身体に強い衝撃を与える。
彼女がそのまま後ろへ倒れると、マリアはエレの身体を受け止めた。
「これで判ったでしょう? 私も、譲れないモノはあるって」
「……エレは、あなたを最後まで信じようとしていたの。その思いを踏みにじるなら、あたし達も手加減はしない」
「まだ抗う気ね……悲しみを軽んじる者には、こうよ!」
黒い血を吐きながらも、片手を掲げる亡霊。手が禍々しい光に包まれた瞬間、不気味な音と共に黒い波動が俺たちを呑み込んだ。
ついにブレスレットが千切れ、脳内に不快感が入り込む。それは憎悪にも似る感情で、不条理への憤りが俺の心を支配しようとしていた。
「この声さえあれば、私はもう一度夢に向かって歩き出せる……そう、『ティトルーズ王国が魔族にも優しい処』なんて幻想。本当は人間本位の連中が棲む劣悪な国なのよ!」
「彼女の言葉に……耳を貸さないで! これは、干渉魔法よ!」
マリアの言う通りだ。誰もが表情を曇らせる中、マリアだけは亡霊を見据えている。亡霊はマリアの存在に気づいたのか、氷のような視線で一瞥した。
「どうしてこんな酷い女が、国を統べられるの? みんなみんな、私と同じ目に遭えば良いのよ!!」
「それがこの世の常さ」
亡霊の怒号を遮ったのは、冷徹なエルフの声。視線を移せば、ヒイラギが弓を持って立ち尽くしていたのだ。
彼女は激しい剣幕を亡霊に見せ、弓を構える。そのきびきびとした手つきに、迷いが一切見られなかった。
「魔族のくせに、偉そうな事を……!」
「うちも姉貴も──いや、此処にいるヤツら皆が宿命を背負ってるんだ。姉貴の声を奪った女に不幸自慢をする資格など……断じて無い!!」
ヒイラギが声を荒げた瞬間、矢は既に亡霊の喉を貫いていた。墨色の血飛沫が舞うと共に、翠色の光球が亡霊の首元を離れる。
「…………!!」
亡霊は矢を引き抜こうと必死になるが、激痛に逆らえずのたうち回る。その一方で、光球はエレの首へと収まったのだ。
光が全身を包むと、肩まで切り揃えられたブロンズヘアーが風の煽りを受ける。そのとき微かに漏れたエレの声は、俺の胸を弾ませた。
「わたくしの声が……戻ってる……!」
この瞬間、誰もが安堵した事だろう。亡霊はようやく矢を引き抜くも、上手く立てずにいるらしい。
そこで俺はエルフの手を握り締め、彼女に信頼を託した。
「エレ、お前の手で心臓を壊してくれ」
「……わかりましたです。最後は、わたくしなりの方法で!」
エレは倒れ込む亡霊に視線を移し、しばし憂いの視線を注ぐ。此処で弓矢を召喚する──と思いきや、祈りを捧げるように両手を重ねた。
彼女はゆっくりと息を吸い、透明感のある声で謡い始める。
孤独に苦しむ亡霊よ どうか嘆かないでおくれ
女神は汝を見放さぬ 天に飛び立つ者はみな家族だ
もし愛を取り戻せば 汝にいずれ転生の機が訪れるだろう
その時まで その時まで
顔を上げ 広大なる空と海を抱き締めよ
エレと初めて会った日、死霊がこの詩を聴いて浄化されたのだ。今回も例に漏れず、銀の心臓に次々と亀裂が走る。そして彼女が謡い終えると、心臓はガラスのような音を立てて砕け散ったのだ。
亡霊は苦しむどころか、全ての傷口が癒えて立ち上がる。彼女は目尻に涙を浮かべながら、音も無く掻き消えた。この時、何かを伝えるように口を動かしていたのは気のせいだろうか。
誰もが大樹を見据えるのみで、問いに答える者はいない。ただ言えるのは、微風が名残惜しむようにはらりと舞い上がる事だけだ。彼女は風となり、ようやくこの地を去ってくれたに違いない。
しかし──。葉の擦れる音が静寂を破り、何者かが回転しながら俺たちの前に着地する。黄金の毛並みに炎のような鬣、筋骨隆々な肉体──獣人の堂々たる佇まいは、先の戦いがあくまで前座である事を教えた。
彼は渋みのある声で俺たちを称えると共に、構えの姿勢を取る。
「儂の妹を浄化させるとは見事なり。だが、首領様の命によりお主らを倒さねばなるまい」
鉄塔に厳かな空気が流れ、一同が武器を握り締める。
亡霊の兄との戦いは、火蓋が切られる寸前だった。
(第八節へ)
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