騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第七節 悲嘆の亡霊

公開日時: 2021年10月22日(金) 12:00
文字数:3,663

「やっと声を手に入れたの……邪魔はさせない!」


 俺とシェリーはついにマリアと合流。じゅの神殿にそびえ立つ中枢部は、鉄塔の中に在った。深緑のオーブから降り注ぐ淡い光は、一本の巨木──幹に銀の心臓が埋め込まれている──と獣人の亡霊を照らす。俺たちの前に立ちはだかる彼女こそが、エレの声帯を占有しているのだ。

 マリアは俺たちの前に一歩踏み入れ、説得を試みる。


「その声を持ち主に返せば、あなたに危害を加えないわ。それとも、此処を離れられない理由でもあるのかしら」

「……これで私は歌えるの。今度は私がお兄さんを助ける番だから!」


 雌ライオンの頭部を持つ亡霊──彼女はおそらくアーサーの妹だろう。だが、何らかの理由によって声を失い、他界したと思われる。

 それでも、彼女の発する声がエレのものである事に変わりは無いのだ。此処で同情しては先に進めない。戦争というのは、そういうものだ。


「お前に何があったかは知らんが、俺たちにも譲れないモノがある。此処で引かねえと、お前はもっと辛い思いをするぞ」

「うるさい!!」


 彼女の怒声が超音波となり、ヒイラギたちが反射的に耳を塞ぐ。じゅ魔法の一種であるこの振動は花姫フィオラたちを硬直させるが、俺は“樹神じゅしんの加護”を受けた事で免れたようだ。左腕に嵌めたブレスレットは魔法を受け止めた効果か、金のチェーンに綻びが生じている。


「くそ……姉貴の声をそんな風に使うなんて!」

「身体が、思うように動けませんわ!」


「まだ抗うのね。ならば!」


 亡霊は口を開け、旋律を紡ぐ。すると地に落ちた緑葉は自我を持つように舞い上がり、一斉に放物線を描いて交差しだした。


「とうっ!」


 葉がくうを切る中、俺は長剣で次々と叩き伏せる。葉の弾幕が瞬く間に分断されると、亡霊は次のこうげきに移った。


「《眠れ、荒ぶる魂》」


 強い振動は風となり、俺たちの衣服をはためかす。その魔法もまたブレスレットが受け止める一方、ヒイラギは糸が切れたように倒れ込んだ。


「起きなさい、ベレ!!」


 マリアはヒイラギの身体を受け止め、揺さぶりを掛ける。しかしヒイラギが受けたのは、魔族に対し効果をもたらす昏睡魔法。もしご加護が無ければ、俺も今ごろ眠っていた事だろう。

 俺は目線を落とし、ブレスレットを見つめてみる。更に綻ぶチェーンを見た時、直感が『次が最後』と訴えかけたのだ。


 その時、シェリーは「アレックスさん」と声を掛け、こんな提案をする。


「銀の心臓を壊せば、彼女を無力化できるはずですわ。あなたは引き続きおびき寄せて頂けませんか?」

「良いぜ。マリア、《お前はえん魔法で後方支援を頼む》」

「判ったわ」


 亡霊に勘づかれぬよう、隠語でマリアに指示。そして地面を蹴り出し横に払う刹那、亡霊は突如姿をくらました。


「そこね。火矢フオッチャ!!」


 天を覆う白雲が裂け、無数の赤い流星が狙いを定める。流星の正体は文字通り矢であり、頭上にいる見えなき敵を焼き尽くした。


「ぐぅぅうう!!!」


 亡霊が苦鳴を上げると、姿が鮮明に映し出される。俺は剣を握ったまま跳躍し、隙だらけの脇腹を切ってみせた。


「うあぁぁぁああぁぁ!!!!」

「悪いな」


 切先で腹部を抉った後、真下へ着地。亡霊が悶える傍らシェリーのいる方へ視線を移すが、彼女は焦燥している様子だ。


「瘴気が魔法を弾くなんて……!」

「更に追い込む必要があるようだな。下がれシェリー、お前はヒイラギの治癒を頼む!」

「判りましたわ!」


 大樹に埋め込まれた心臓に向かって何度も発砲するシェリー。だがあの様子だと埒が明かないため、彼女に別の行動を促した。

 シェリーがヒイラギの元へ駆ける中、亡霊は腹部を抱えたまま浮遊し出す。俺が次の一手を打とうとした時、誰かが俺の左腕にしがみついてきた。


「エレ!?」

「…………!!」


 声を持たぬ吟遊詩人は、力強い眼差しで俺を見上げる。俺は振り払おうとするが、彼女は決して離れようとしなかった。


「……か?」


 敢えて戦闘態勢を解くと、エレは首を縦に振る。それから彼女が亡霊の前で両手を広げると、遠方にいるマリアが声を荒げた。


「何してるの、エレ!! ここで情けを掛ければ、あなたが死ぬわよ!!」


 しかし、それで退しりぞくエレではない。亡霊は痛みを堪えんばかりに唇を噛むと、エレを睨みつけた。


「どういう、つもりかしら。犠牲が伴うなら、次はあなたの番よ!!」

「マリア! 防御壁バリエラを張れ!!」

「判って──きゃあぁ!?」


 黄金の毛並みが逆立ち、大地が横に揺れる。マリアは俺の指示通り結界を展開しようとするが、大きな揺れに耐え切れず体勢を崩してしまう。



「あんな病が無ければ! 私はずっとずっと歌えていたのに!! お兄さんは……私を助けるために脚を失ったのよ!!」



 石畳に亀裂が走り、大きな破片が一斉に浮き出す。亡霊を囲うように浮遊する瓦礫は、マリアに狙いを定めた!

 エレは俺の前を離れてマリアの方へと駆け抜ける──!


「よせ、エレ!!」

「エレさん!!」



 エレがマリアの前に立ちはだかる刹那。瓦礫が直進し、エレの身体に強い衝撃を与える。

 彼女がそのまま後ろへ倒れると、マリアはエレの身体を受け止めた。



「これで判ったでしょう? 私も、譲れないモノはあるって」

「……エレは、あなたを最後まで信じようとしていたの。その思いを踏みにじるなら、あたし達も手加減はしない」

「まだ抗う気ね……悲しみを軽んじる者には、こうよ!」


 黒い血を吐きながらも、片手を掲げる亡霊。手が禍々しい光に包まれた瞬間、不気味な音と共に黒い波動が俺たちを呑み込んだ。

 ついにブレスレットが千切れ、脳内に不快感が入り込む。それは憎悪にも似る感情で、不条理への憤りが俺の心を支配しようとしていた。



「この声さえあれば、私はもう一度夢に向かって歩き出せる……そう、『ティトルーズ王国が魔族にも優しい処』なんて幻想。本当は人間じぶん本位の連中が棲む劣悪な国なのよ!」



「彼女の言葉に……耳を貸さないで! これは、干渉魔法よ!」


 マリアの言う通りだ。誰もが表情を曇らせる中、マリアだけは亡霊を見据えている。亡霊はマリアの存在に気づいたのか、氷のような視線で一瞥した。


「どうしてこんな酷い女が、国を統べられるの? みんなみんな、私と同じ目に遭えば良いのよ!!」



「それがこの世の常さ」



 亡霊の怒号を遮ったのは、冷徹なエルフの声。視線を移せば、ヒイラギが弓を持って立ち尽くしていたのだ。

 彼女は激しい剣幕を亡霊に見せ、弓を構える。そのとした手つきに、迷いが一切見られなかった。


「魔族のくせに、偉そうな事を……!」

「うちも姉貴も──いや、此処にいるヤツら皆が宿命さだめを背負ってるんだ。姉貴の声を奪った女に不幸自慢をする資格など……断じて無い!!」


 ヒイラギが声を荒げた瞬間、矢は既に亡霊の喉を貫いていた。墨色の血飛沫が舞うと共に、翠色の光球が亡霊の首元を離れる。


「…………!!」


 亡霊は矢を引き抜こうと必死になるが、激痛に逆らえず回る。その一方で、光球はエレの首へと収まったのだ。

 光が全身を包むと、肩まで切り揃えられたブロンズヘアーが風の煽りを受ける。そのとき微かに漏れたエレの声は、俺の胸を弾ませた。


「わたくしの声が……戻ってる……!」


 この瞬間、誰もが安堵した事だろう。亡霊はようやく矢を引き抜くも、上手く立てずにいるらしい。

 そこで俺はエルフの手を握り締め、彼女に信頼を託した。


「エレ、お前の手で心臓を壊してくれ」

「……わかりましたです。最後は、わたくしなりの方法で!」


 エレは倒れ込む亡霊に視線を移し、しばし憂いの視線を注ぐ。此処で弓矢を召喚する──と思いきや、祈りを捧げるように両手を重ねた。

 彼女はゆっくりと息を吸い、透明感のある声で謡い始める。



 孤独に苦しむ亡霊よ どうか嘆かないでおくれ

 女神は汝を見放さぬ 天に飛び立つ者はみな家族だ

 もし愛を取り戻せば 汝にいずれ転生の機が訪れるだろう


 その時まで その時まで

 顔を上げ 広大なる空と海を抱き締めよ



 エレと初めて会った日、死霊リッチがこのうたを聴いて浄化されたのだ。今回も例に漏れず、銀の心臓に次々と亀裂が走る。そして彼女が謡い終えると、心臓はガラスのような音を立てて砕け散ったのだ。

 亡霊は苦しむどころか、全ての傷口が癒えて立ち上がる。彼女は目尻に涙を浮かべながら、音も無く掻き消えた。この時、何かを伝えるように口を動かしていたのは気のせいだろうか。


 誰もが大樹を見据えるのみで、問いに答える者はいない。ただ言えるのは、微風そよかぜが名残惜しむようにはらりと舞い上がる事だけだ。彼女は風となり、ようやくこの地を去ってくれたに違いない。


 しかし──。葉の擦れる音が静寂を破り、何者かが回転しながら俺たちの前に着地する。黄金の毛並みに炎のようなたてがみ、筋骨隆々な肉体──獣人の堂々たる佇まいは、先の戦いがあくまで前座である事を教えた。

 彼は渋みのある声で俺たちを称えると共に、構えの姿勢を取る。



わしの妹を浄化させるとは見事なり。だが、首領様のめいによりお主らを倒さねばなるまい」



 鉄塔に厳かな空気が流れ、一同が武器を握り締める。

 亡霊の兄との戦いは、火蓋が切られる寸前だった。




(第八節へ)






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