──樹の神殿、中枢部。
ヒイラギの手により、獣人の亡霊が持つエレの声帯を奪還する事に成功。亡霊がエレの詩によって浄化されると、中枢部である鉄塔内に一時の静寂が訪れる。しかしそれを破ったのは、亡霊の兄とされるアーサーだった。
彼は大木から降り立ち、俺たちの前に佇む。鋭き瞳で俺らを見据えると、静かに拳を作り始めた。
「儂の妹を浄化させるとは見事なり。だが、首領様の命によりお主らを倒さねばなるまい」
鉄塔に厳かな空気が流れ、一同が武器を握り締める。
亡霊の兄との戦いは、火蓋が切られる寸前だった。
「お前に如何なる事情があろうと、銀月軍団に与する以上は手加減しねえぞ」
「…………」
彼は元々口数が少ないのだろう。言葉は返さぬものの、鍛え抜いた身体から威圧感が漂う。迂闊に近づけば、アルタ街で遭遇した時のように『返り討ちに遭う』と予感した。
「どうかお気を付けて、アレックスさん」
「ああ。ここは俺に任せてくれ」
俺が清のエレメントを持つのに対し、アーサーは樹である事が予想される。相性の悪い元素だが、そこは剣術で補っていこう。
──シュッ。
最初に仕掛けたのはアーサーだ。彼は風と共に消えたと思いきや、眼前へと接近。想定していた俺はすかさず長剣を構え、迫りくる鉄拳を幾度も防いだ。
「く……っ!」
上段、下段、時に中段──と、不規則に隙を狙うアーサー。その度に剣で受け止めるも、俺の身体はじりじりと後方へ引きずられてしまう。
だが、その状況下でも彼に隙はあった。がら空きになった懐をこの目で捉えた刹那、勢いよく弾き返す!
「ぬぅ!?」
寡黙のアーサーが声を漏らした瞬間だ。今度は俺が主導権を握り、払いや突きで絶え間なく攻めてみせる。獣の腕を覆うのは、墨を落とし込んだような籠手。甲高く打ち鳴らすそれは、東の国における暗殺者“忍”を彷彿させた。
武装のみならず、動きだってそうだ。攻撃を受け止めるだけでなく、時にはしなやかに躱してくる。もしかすると、元々忍として活動していたのかもしれない。
その証左を見せつけるかの如く、後方へ跳躍するアーサーは何らかの飛び道具を投げつけてきた。八方型の刃物はおそらく“手裏剣”と呼ばれるモノだろう。視界に飛び込む手裏剣は三枚。自身に近づくものから的確に叩き落とした──はずが。
「ぐあぁ!!」
残る手裏剣に脛を切られ、思わず片膝をついてしまう。その隙を突くように、威圧はすぐ傍へと潜り込んできた。
ならば、俺も本領発揮と行こう。
大悪魔の魂を呼び覚ました途端、自分の身体がさらに軽くなる。魔法を放つ猶予も無い今、アーサーの胸倉を掴んで投げ飛ばす! 彼が宙へ放り投げられる合間、俺はようやく詠唱の時間を確保できた。
「無の環」
赤黒い波動は、俺たちを中心に外側へと広がっていく。いくらアーサーと云えど、この速さに追いつけないだろう。
……否、彼は俺の予想をあっさりと裏切った。
壁に激突する直前に受け身を取り、両手をクロスさせるアーサー。波動は籠手に受け止められ、闇の粒子として散り行くのみだった。
「こ、黒魔法を受け止めた!?」
マリアが驚くのも無理もない。魔族のみが有するエレメント“黒”は強い瘴気を放つ故、魔法銀でしか受け止められないのだ。
しかも魔法銀で製造された防具は希少であり、扱いも困難だ。その手の防具を身に付ける事は、すなわち熟練者である事を意味している。
魔法や剣じゃどうにもならねえなら、こっちも素手でやるしかねえな。
有難いことに、あいつは俺の考えを察してくれたようだ。アーサーは着地するや、距離を詰めて回し蹴りをしてくる。そこで俺は屈んで足払いを試みるが、見事回避されてしまった。
俺が立ち上がる瞬間、彼の姿は既に無い。代わりに背後から圧を感じたため、後転で間合いを取る事にした。
「大悪魔であるお主が、何故ティトルーズに与する?」
「それはこっちのセリフだ。お前こそ銀月軍団に入ったワケは?」
「首領様は生涯の恩人なり。かの者は地下牢に閉じ込められた儂を助け、義足を授けてくださった。昨年に妹と半身を喪った儂に希望を与えたのは、他ならぬジャック殿なり」
「…………」
マリアはアーサーの言葉を受け、唇を噛みしめる。もしアイリーンがこの場にいれば、すぐに慰めていただろうが──。
「陛下、決してあなた様のせいでは……」
「良いの、エレ。あんな事をすれば、誰だって恨むのは判ってるから」
まずい、マリアが戦闘態勢を解いてしまっている。このままでは、アーサーは真っ先にマリアを傷つけるに違いない。
その予想が実現する前に、俺はマリアの前に立つ。すると彼女は息を呑んだようで、焦る様子で俺の名を呼んできた。
「ちょっと、アレックス……!?」
「俺はティトルーズ直属の騎士だ。陛下の身に危険が及ぶ前に、護るのが責務だろ」
アーサーに体勢を解く気配はない。俺が陛下の姿を隠すように脚を広げて立ち尽くすと、彼は瞬く間に樹魔法を放ってきた。
「地中の柱」
「お前ら、俺から離れろ」
アーサーが詠唱すると、足元から轟きが聞こえてくる。振動が増すにつれ、俺以外のメンバーは一斉に飛び立った。
そして振動がピークに達した瞬間、俺の身体が突如天高く打ち上げられる。強すぎる衝撃の正体は、地中から現れた岩の柱。本来ならば回避を要するが、ここで俺が受け止めねばマリアが害を被ると直感したのだ。
身体を打ち上げられ、背に激痛が走る。誰もが俺の名を叫ぶが、アーサーは決して追撃を止めなかった。
「主のために身を挺するとはな。その忠誠心、称えざるを得まい」
静かな声と共に迫る拳。
その拳が俺の頬に到達した直後、雷で打たれたような痛みが連鎖していった。
嗚呼、これはアイリーンの攻撃を受け止めた時とそっくりだ。
戦友でもある花姫たちを守り切れるなら、何度彼女らの盾になろうと構わない。それが例え、身体の一部を失っても──だ。
「大地よ、己の憤りを彼の者に示せ」
これは、東における詠唱……?
ぼやける視界は、アーサーの背後にそびえ立つ大樹を確かに捉えた。
大樹の枝は自我を持つように伸び、俺の身体に高速で迫る。
もはや受け身すら取れない俺は、ただ空中で身を任せる他無かったのだ。
「ぐあぁぁぁぁあぁあぁあ!!!!!」
幾多の枝が全身に突き刺さり、痛みが思考を奪っていく。仲間の叫び声が微かに聞こえるものの、彼女らが何を言っているかまでは把握できずにいた。
体内に忍ぶ異物は、骨を削るように打ち鳴らす。何もかもを激痛に支配された末、とうとう元の姿に戻ってしまう。
「戻れ」
枝は、壮年の声に従い俺の身体から離れていく。地獄の次もまた地獄。今度は肉を抉られた痛みが待っていた。
「う、ぐ……」
「まだ生きておるか」
視界がさらに霞み、あらゆる記憶が脳内を駆け巡る。瀕死に陥ったのはこれで何度目だろうか。
そろそろ彼がとどめを刺してくる頃に違いない。もはや何も視えないが、力強い気配だけはすぐに感じ取れた。
そして──。
「待ちな!」
もしや……ヒイラギ?
張りのある声と共に、矢を射るような音が横切っていく。流石のアーサーも咄嗟に動けず、そのまま身体を貫かれたようだ。
その一方、俺の身体は今にも地へ落ちようとしている。このまま頭を打ち、意識が本当に飛んで──
「間に合って!」
……これまでの刹那が、とても長かったように思える。俺を受け止めてくれたのは、他ならぬシェリーの霊術だ。
身体が彼女の腕に包み込まれ、傷口が急速に癒える。息を吸う事すら苦労していたのに、今では安定感を取り戻しているのだ。
「シェ、リー……」
「どうか、お身体を休めて。今はエレさんとベレさんが前線に立って下さいますわ」
少しずつ鮮明になっていく視界。不安そうに見下ろすシェリーを捉えたが、俺はすぐにエレたちの方へ移す。
左には刀を持ったヒイラギが、右には堂々と弓を構えるエレの姿が在った。
「お主らは、リヴィを追放されたエルフ……不貞を働く者どもに何ができよう?」
「姉貴は自身を顧みず、うちに付き合ってくれた。それだけだ」
「わたくし達が故郷を離れたからこそ、素敵な皆様とお会いできたのです。……だからこそ、アレックス様を傷つける人はわたくしが許さない!!」
「ほう、面白い。お主らの信念、この武で推し量ってしんぜよう」
情けない事に、俺は強敵を隊員たちに託す形となってしまった。
しかし──獣人に立ち向かうエルフたちの背は、俺に強い確信をもたらす。
彼女らなら、彼を倒せる──と。
(第九節へ)
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