──リヴィ、ガルティエの遺跡にて。
銀月軍団の一味であるヒイラギは、純真な花の力によって改心に至る。だがその代わり、ジャックは彼女の姉エレを連れ去ってしまった。
二人が消えてもなお、『姉貴』と泣き叫ぶヒイラギ。ジャックによって自身の髪を乱されても、座り込んで涙するのみだ。
「くそ……うちのせいで、姉貴が……」
「ベレさん」
ヒイラギにゆっくりと歩み寄るシェリー。彼女は腰を下ろす事で目線を合わせ、細い腕でかつてのクラスメートを抱き締めた。
すると金色の光がヒイラギを包み込み、彼女の傷を急速に癒やしていく。シェリーの霊術には精神を鎮める効果もあるのか、ヒイラギの強張った表情も若干和らいだ気がした。
「……あんたのその力に助けられるなんてな」
「困った時はお互い様ですわ。それよりも……アレックスさんがエレさんを必ず助けてくれますわ」
「何言ってんだ、うちも行くさ。なんせ姉貴は……どんな時でも傍にいてくれたからな」
心身が回復したヒイラギが立ち上がり、狐のような瞳でシェリーを見つめる。その瞳の奥には、強かな姉妹愛を秘めているように思えた。
その時、ちょうどズボンのポケットに入れておいた通信機が短く振動する。端末を開いてみると、エレからのメッセージが届いていた。
よく隙を縫って俺に送ってくれたものだ。彼女が打ち込んだ簡潔な文から、揺らがぬ意志がしかと伝わってくる。
〈わたくしは今、ガルティエ倉庫にいるのです。例えこの身をジャックに売ろうと、心の中にはいつでもアレックス様がいますから〉
……さっきまで、エレはジャックと深い口付けを交わしていたのだ。でも、それは決して彼女の本意ではない。あいつの過去や俺たちへの想いも加味して考えると、胸が締め付けられるんだよ……。
そんな感傷から現実へ引き戻すように、アイリーンが冷徹に問い掛ける。
「隊長、もしやエレから?」
「ああ。『ガルティエ倉庫にいる』とね」
「……あの男なら、其処を選ぶだろうな」
独り言を呟くヒイラギ。三年間ジャックの傍にいたからこそ、彼の思考が判るのだろう。だとすると、彼女なら銀月軍団の居場所や今後の動機を知っているに違いない。
そのためにも、まずはエレを助けよう。俺がヒイラギに目線を向けると、彼女は無言で頷く。
「ついでだ。うちに裏切られた事を後悔させてやるよ」
彼女がそう言ってダークエルフに変身する。外見こそ先程戦った時と変わらないが、エレの詩のお陰で魔族の血に理性を奪われる事が無さそうだ。
「気をつけて向かいなさいよ」
「何かあったらボク達も駆けつけるから!」
「ありがとな。じゃあ、今度こそ行ってくる」
「アレックスさんにベレさん。どうかご武運……!」
俺が花姫たちに励まされる間、ヒイラギは逸るように浮遊を始めている。
彼女らが見守る中。俺も悪魔の翼を広げて、ヒイラギと共に遺跡を後にするのだった──。
「ヒイラギ、倉庫はこの近くか?」
「ああ、此処がまさに“ガルティエ”って地域だからな。東に飛べばすぐに着くよ」
ヒイラギが指差す方向──此処からは、山の形をした黄枯茶の屋根が見える。徒歩なら時間はかなり要しそうだが、彼女の言う通り飛行なら大体三十分以内に向かえるだろう。
俺たちはガルティエの上空を飛び交いながら会話を続ける。雨脚は強まるものの、ヒイラギが起こした嵐──彼女を改心させる前、魔族の血が暴走して横殴りの雨が降った──のせいで自身が濡れる事などすっかりどうでも良くなってしまった。
「かつてリヴィも『蒸気機関を取り入れよう』という運動があって、あの場所に倉庫が建てられた。けど、あのシルヴィって女は頑固だから結局廃墟になっちまったわけだ」
「まあ、あの宰相ならそう言いそうだな」
「シルヴィと会ったのか?」
「ああ。お前の居場所を聞き出すためにお訪ねしたんだが、連中も部屋もカビ臭くてしんどかったぜ」
「それは手間を掛けさせた」
流石に、ヒイラギの全身像を見た事は触れないでおこう。俺を押し倒したとは云え、ああいう形で自身の裸体を見られるのは不本意のはずだからな。
「にしても、なぜわざわざ俺らが行けそうな距離を?」
「試してるんだよ、あんたとうちの実力をな」
「お前の姉を狙ってたのも?」
「いや……それはただ、あいつが『女好き』ってだけだろう」
「『主にお仕えする』って張り切ってた割には、随分と切り替えが早いじゃねえか」
「姉貴を道具にするヤツには容赦しないよ。それがどんなにうちが愛した男でもね」
それならば、何故姉を置いてジャックの後をついて行ったのか尚更謎だ……。否、もしかしたらそれも気の迷いで、本当は姉の存在が頭の片隅から離れられなかったのだろう。
少しばかり思考を巡らせながら飛行していると、森林に埋もれた大きな屋根が視界に入る。ヒイラギが其処へ下降するので俺も後を追えば、レンガ造りの倉庫が堂々と佇んでいた。
五メートル以上の高さを誇るその建物は、一体や二体はデカブツが待ち構えていそうだ。正面には鉄製の両開き扉があるが……周囲に誰も居ない事が却って不気味である。
神経を研ぎ澄ませば、魔物の気配が他方から感じられる。それも複数と、やはりジャックなら簡単に此処を通さないよな。
「ヴァンツォ、背後を頼む」
「おうよ」
ヒイラギが扉側を向き、俺が彼女の後ろに回って背中を合わせる。各所から葉の擦れる音が聞こえ、ついに周囲の藪や木陰から姿を表し始めた。──それも、粘り気の強い足音を立てて。
──グルルルル……。
現れたのは、粘液まみれの青白い胴体を持つ魔犬ティンダロフだ。細長い舌で自身の顔を舐めずる彼らは、目を持たない代わりに嗅覚で動いているのだろう。
まずは一体の魔犬が地面を蹴り、俺に迫りくる! 狼のような吠え方で突進するそいつは舌を伸ばしてきたが、俺は容赦なく長剣で切り落した。
──ウォォオォォン!!!!
舌を切られたティンダロフが悶えて横たわる。
追い打ちとして剣を振り下ろそうとした時、二頭のティンダロフが両腕に絡みついてきた。
牙が迫りくる刹那。
「氷華!」
全身に魔力を込めると、自身の足下から外側に向けて鋭角な氷が突出。それらは俺の腕に絡む二つの胴を串刺しにし、透明の刃を赤く染め上げた。
清魔法のおかげで解放された俺は、次々と襲い掛かる魔犬を始末する。時に隙を許してしまいそうになったが──
「はっ!」
右手を突き出すと、清の紋章が甲に灯って雹を射出。雹が大きな口に入ると眼前で顔が破裂し、生温かい何かが俺の顔や髪に張り付いた。身体が小刻みに震えるものの、息絶えるのも時間の問題だろう。
その一方で、舌を切られたほうは何とか立ち上がった様子。だがその動きはどことなく鈍く、口元からは血が絶えず溢れている。
そこで俺は追撃として清魔法を更に放った。
「氷撃!」
今度は小さな氷の弾を放つと、瀕死のティンダロフに着弾。身体が霜だらけになると、悲しげな雄叫びを上げて今度こそ斃れる。
とうとう彼らは俺に怖気づいたようで、脚をガクガクと震わせる。
さらに魔力を右手に注ぎ込むと、剣身が白く光って冷気を宿し始めた。
「はぁああ!!!」
剣を薙ぎ払うことで、白銀の軌道が氷の茨に変化。それはたちまち爆発を起こし、全ての魔犬どもが氷漬けにされた。
俺は最小限の歩数で彼らとの距離を詰め、手前から奥へと流れるように分断してやる。
彼らが断面を露わにして掻き消えるとき、背後から数本の矢が流れ込んできた。
振り向けば、フードを被った人族らが屋根の上から弓矢を放っている。彼らは容赦なく矢の雨を降り注ぐが、これまで俺に飛んでこなかったのは全てヒイラギが弾き落としてくれたからか。扇子を広げ舞うように凌ぐ彼女は焦燥どころか、熟練の域に達している事が窺えた。
「ザコはとっとと失せな」
金属音を絶え間なく響かせると、彼女は大きく跳躍して暴風を巻き起こした。
屋根から突き落とされるとき、褐色の肌や銀色の髪が垣間見えたのは気のせいだろうか。もし俺の認識に誤りが無ければ、彼らは皆ダークエルフ──すなわち、ジャックの理念に従っていた連中だろう。
彼らが人形のように呆気無く落ちた後、ヒイラギは扇子を大弓に变化させる。今度は彼女が奴らに向けて矢を放ち、追い打ちを掛ける番だった。
その矢はどれも彼らの頭部に直撃し、命をことごとく奪っていく。血溜まりが草原の上で広がる一方、雨はその血を洗い流すように地面を打ち付けた。
魔物の気配が消えた今、雨の音だけが鼓膜をくすぐる。
加えてこの場所に漂う湿気と血の匂いが、俺たちの戦意を維持させているのは言うまでもない。
「ありがとな、ヒイラギ。おかげで早く片付いた」
「良いさ、うちも鬱憤晴らせたし」
心強い仲間と共に、いよいよ両開きの扉へ歩み寄る。
彼女がそのドアノブに手を伸ばしたとき──
あの男が俺たちを鼻で笑い始めた。
「くく……番犬と同胞じゃ、貴様らにはぬるすぎたか」
俺らの正面には、斧を持つ大柄の牛男──ミノタウロスが立ちはだかる。四メートルの全長に筋骨隆々の肉体と、まともに殺り合えば俺たちが確実に負けてしまう。
その一方で見上げるヒイラギは、ある光景を見て息を呑む。
「こんな従順な女がティトルーズ王国にいたのは意外だ。全く、妹とは大違いよ」
吹き抜けに立つジャックは、エレを引き連れて俺たちを見下す。その上、エレは首輪をつけられ後ろで両手を縛られていたのだ。息を荒げる彼女は呼吸するのに精一杯と云った様子で、その濁った瞳にはきっと俺らが映っていない事だろう。
ジャックはそんなエレの顎に手を伸ばし、指先でくすぐり出す。彼女はただ声を漏らすだけで、きちんと声を発せないようだ。
「よくも姉貴を……! 絶対に許さんぞ!!」
「貴様もこいつのような歌声を持っていればな……。行け、ミノタウロス。偽善ぶった魔族どもを肉塊に変えろ」
ジャックが片手を突き出しミノタウロスに命を下すと、魔物の鋭い目が赤く光り出す。
この牛男が地を揺るがすほどの雄叫びを上げたとき。
魔族同士の戦いの火蓋がついに切られた。
(第十一節へ)
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