軍議の翌晩。俺はシェリーの顔を見るべく酒場に向かおうとしていたが……自宅の階段を降りた数歩先に倒れた誰かを見つける。
自宅周辺は暗いゆえ細かく認識できないが、小柄な体型から少女と判断。揺さぶっても起きないものの、脈がまだ動いているだけ良いだろう。とりあえず彼女を抱き上げ、自宅で休ませることにした。人を背負ったまま階段を昇るのには慣れている。こっちは負傷した男を何度も担いでいるので、軽い分には問題なかった。
よし、少女を無事ベッドで寝かせることができた。蒸気を動かす操作盤でランプを灯し、自室をほんのり明るくする。
………って、おい。こいつ、まさに昨日軍議で話題に上がったヤツじゃねえか。なぜこういう形で最後の花姫と出くわさねばならないんだ。しかも目覚めようとしてるし、ええいままよ!!
「気が付いたか?」
少女は上体を起こしてしばし見つめる……が、その顔はだんだん青ざめ、布団で胸を隠し始めた。
「キミ……まさか、ボクを……!」
「断じて違う! 俺は近くで倒れてたお前を助けただけだ!」
「ウソだ! なぜボクは変なことしてきたヤツの家にいるんだ!! 誰か……誰か!!!」
「話を聞いてくれ! そもそもあの時はただの事故なんだって!」
「……事故?」
とりあえず俺は、ひょんなことから猫野郎に追いかけられてたことを話した。
「とはいえ、お前に怪しいヤツと思われてもおかしくないのは確かだ。だから……あの時は、本当にすまなかった」
「まあ、そういうことなら……」
「納得してくれたようで嬉しいよ。俺はアレクサンドラ・ヴァンツォ。『アレックス』って呼んでくれ」
「わかった。ボクはアンナ。ティトルーズ防衛部隊の隊員だけど、ここ最近は銀月軍団の討伐ばっかだったからちょっと疲れちゃったみたいでね……」
「俺もかつてギルドに属してたから、ぶっ倒れるのはわかる。といっても、ずーっと昔の話だがな」
「ずっと前……? まさか先輩だったってこと?」
「そんなん気にしなくていいよ。とにかく今は腹減ってんだろ。良かったらお前の好きな店で飯食わないか?」
「良いの!?」
「おうよ。そこで色々話そうや」
アンナが瞳が輝かせたことで誤解が解けたような気がす――
「あれ?」
「あっ!!!!」
彼女がベッドから降りた瞬間、ナイトテーブルにあった五枚の写真が音も無く床に撒かれる。
「これは……シェリー? 彼女さん、だったの? それにしては、あまり笑ってない気が……」
やめろ!!! 見るな……拾うなって!!!!!
俺は急いで一連の写真をかき集め、その引き出し一段目にしまった。しかし、アンナの剣幕は俺を恐怖に陥れた。
「今のは気にすんな」
「もしかして君って“ストーカー”なの?」
「……好みなんだ。その後ヤツに相手がいるのがわかったんだが、つい諦めきれなくて……」
まずい、彼女から殺気が漂うぞ。もしかして俺……此処で死ぬのか? ああ、こんなことならジェイミーに無理言ったり、シェリーの後をついて行ったりしなけりゃ良かった!! むしろ俺が助けてくれ……誰か……。
「ボク、シェリーと友達だから酒場で話してくるよ」
「それだけはダメだ!! やめてくれ!」
「離せ! こんなヤツと一緒にいるのはごめんだ!!」
絶対に離さねえ!! こいつがランヘルに向かった日には、本当に隊長失格だからな……!
「頼む、いくらでも飯を食わせてやるから黙っててくれないか!? そうすればこの腕を離す!!」
「……本当に?」
「ああ。全部俺のおごりだ」
言葉の効果かわからないが、アンナの怒りが鎮まった……気がする。
そういうわけで、俺はアンナを飯屋に連れて行った。カラフルな建物が多い中で、ダークブラウンの壁がひときわ目立つバルだ。玄関ドアの近くに張り付く黒板には、今日のメインディッシュが記載されている。俺が先にノブを回してドアを引くと、小さな鐘が鳴り響いた。そして俺たちは店員に導かれるままにテーブル席に着く。
アンナがまだ俺を疑う以上、食事を注文するとき以外は沈黙だったのは言うまでもない。温かい喧騒とは対照的な沈黙の空間。それがしばらく流れたあと、肉料理が置かれていった。
……って、え?
明らかに二人分の量なのに、全部平らげる気か!?
「なに?」
「あ、いや……」
彼女が俺をキッと見つめたあと、すぐさま肉料理に視点を戻す。それからフォークを掴み、大胆に頬張り始めた。まったく……どこに入れてんだか。美味そうに食ってるから良いけどさ。(ちなみに俺はプレッツェルとサラダを適当に摘まんでいる)
食べ物を飲み込んで、ひと段落ついたアンナが話題を振る。
「そういえば、友達のルナが蒼い森で黒猫を見たらしいんだ。ケガしてたから治したそうだけど、ちょっと心配で……」
「何が心配なんだ?」
「『蒼い森の黒猫に会った者は不幸が訪れる』っていう言い伝えがあってね」
「俺がいた頃には無かった話だな……」
「ボクが隊員になってから、よく耳にするようになったんだよね。ただの迷信だと思いたいけど、あそこに向かった者たちの殆どが不幸に遭ってるの」
迷信は信じない性質だが、少し背筋が凍る。
「銀月軍団の仕業ってわけじゃなさそうか」
「うん。ボクは二年前に入ったからね」
俺たち純真な花もそこに行くときが訪れるだろう。何か不幸を免れる方法はないものか――。
「その黒猫を殺せば断ち切れるらしいけど……その子自体に罪はないから気が引けるんだ」
ティトルーズ王国では、不要な殺生は禁じられている。相手が例え野良だろうと、正当防衛や討伐じゃない限りは厳しい罰を受ける。初代国王のときはそこまで厳しくなかったが、色々あって二代目――マリアの祖父でもある――から刑罰が加わった。
「どうにか近づかない方法があればいいんだがね。仕事である以上、避けられないよな……」
食事処は賑やかなのに、俺たちの間でしんみりとした空間が流れる。
そんな中、再び鐘が来客を報せた。しかし、そこそこ空きはあるのに、気配は何故かこちらへ近づいてくるのだ。
……いや、この感じは知り合いっぽいな。
「よお」
「あれ、ジェイミーじゃねえか」
相変わらず赤のスタジアムジャンパーが似合う男は、両手をポケットの中に入れたまま近くに立つ。
だが、アンナがちょうどジェイミーに視線を送ったとき、彼は「えっ」と言葉を失い始めた。彼の目つきは軽薄な印象を与えるが、彼女への目線は明らかに侮辱ではないことがわかる。さらに言うなら、俺が半世紀に一度は経験するものに近いだろう。
それは――“恋”だ。
「……邪魔してすまん」
ジェイミーはアンナに挨拶することなく、俺に一言告げてから静かに奥の席へ向かう。
「今のは?」
「俺の知り合いってとこ」
彼の名誉のために、シェリーの写真を撮ってくれたことは話さないでおいた。しかし、挨拶されなかったショックか、アンナは寂し気な表情を見せる。
「ボク……舐められたのかな」
「全く違う。それは俺が保証する」
「……もっと男に負けない存在でいなきゃ」
俺をもの悲しい気持ちにさせる言葉だ。きっと少女らしいところはあるはずなのに、なぜそう思う? もしこいつがジェイミーと会うことで悩みも吹き飛ぶなら、引き合わせても良いかもしれない。
つい癖で少女の頭に触れそうになったが、ビールを飲むことで誤魔化した。
夕食代を奢った後、アンナと一緒に夜道を歩く。辺りはそこそこ暗いので、家の近くまで送ることにした。
「キミって変態だと思ってたけど、こんなボクにも優しくしてくれるんだね」
「もう『変態』はよしてくれ」
否定はしないが、他人に言われると割と傷つく。思えばジェイミーと初めて会ったときも、さりがなく貶されたよな。まあ、あの時は俺が迫ったのが悪いんだけどさ。
「ところで、シェリーちゃんとは友達なんだって?」
「うん! 初めてランヘルに来たときに良くしてもらったし、見かけたら声かけてくれるよ」
彼女のことだ。同性相手ならランヘル以外でもきっと親切だろう。……ちょっと羨ましい。
「俺の時とは大違いだな」
「たぶんキミがしつこいからだと思う」
「うっ……あれでも、あいつも俺と会ってくれるようになったんだよ。彼氏とのことも話してくれてね。何やら上手くいってないらしい」
「そんな……シェリーは美人で優しいのに」
「俺もそう思うんだがね。男に難があるようにしか見えん」
『ジャックは何も言わずに姿を消しました』
『それで、お前はずっと待ってたのか』
『ええ』
無言で消えるヤツが、良い男なわけがない。
それと――。
『すべてを棄てる覚悟があるなら、俺はいつでも受け入れよう』
あの上から目線がすっげえ気に食わねえ。唐突なことだからシェリーもまだ整理できてないだろうが、さすがに愛想を尽かすはずだ……。
「だから勝算がある」
「ずいぶん自信があるんだね……」
「いずれお前もわかるさ。なんせその男と会うことになる」
「…………え?」
まあ、自分が花姫として目覚めるなんて予想できないよな。
「確かお前、来週の頭はマリアちゃんに呼ばれてるんだろ? その時は俺も付き添うさ。そこですべてを話そう」
「そうだけど、その呼び方は馴れ馴れしくない?」
「俺だって『陛下』と呼びたかったけど、色々思うことあってその方がしっくりくる」
こうして会話できる以上、今度こそアンナと打ち解けることに成功したっぽい。もう俺を睨んでくることも無いだろう。
……ただ。
「さっきは……ごちそうさま」
「気にすんな。俺の気まぐれなんだから」
この少女の幸せそうな横顔を見るたび、責務を託すのに気が引けるんだ。
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