【前回のあらすじ】
ティトルーズ騎士団長任命式にて、しきりに周囲を気にするアンナ。誰かに狙われている事を知ったアレックスは、翌日の夕方に彼女の買い物に付き合う。
しかし買い物を終えた直後、アンナを狙う謎の人物は二人を見つめるように佇むのだった。
その時、背後から歪な気配を感じ取った。
それはアンナも同じようで、恐る恐ると振り向いてみる。
露店が向き合うようにそびえ立つ中、フードを深く被る人物の視線が突き刺さる。黒いマントに包まれたそのシルエットはやや大きく、確かに大柄な男である可能性も否めなかった。
「そ、そんな……!」
いくら剣士と云えど、動揺を隠せないアンナ。
そんな彼女を前に、俺はある行動に出る。
「逃げるぞ」
「えっ!?」
彼女の小さな手を握り、城下町の中を全力疾走。
誰もが俺たちを見ては退く。中には『逃避行』を囁く者もいたが、あながち間違いでは無かった。
噴水広場、中央通り、住宅街。
あらゆる場を駆けてもなお、ヤツは追いかけてくる。それも音も無く。
呼吸が段々と乱れ、判断力が鈍りを見せる。
そんな中、アンナは俺の手を引いて「こっち!」と別の方角を指していた。
そして辿り着いた場所は──。
「此処に、入って……」
ライトブラウンの屋根に、ベージュの壁。こじんまりとした一軒家は、初めて彼女を送った時に見掛けたものだ。
アンナもまたぜえぜえと呼吸が乱れるものの、すぐに懐から鍵を取り出し門を開ける。俺が一言礼を述べた後、彼女は中へ招いてくれた。
廊下に上がると正面には扉があり、左手には広い出入り口があった。右手には階段があるが、アンナは左に曲がる。幸い、靴を脱ぐ必要のないタイプの玄関だ。追われている以上、ちょっとした手間は省かなければならないし。
「来て」
彼女のいる場所へ向かうと、そこはリビングダイニングにあたる部屋だった。カウンターの向こうには冷蔵庫などの生活用品があり、大きな窓辺にはブラウンのソファーと木材のテーブルがある。俺やシェリーの家と違ってやや狭いため、普段はそこで食事をしているのだろう。
俺はアンナに促されてソファーに座ると、カウンターに回る彼女に目線を移す。
器用な事に、アンナは買い物かごを未だ手にしたままだ。カウンターの向こう側に立つ彼女は籠を台の上に置き、食材を片付けている。この切り替えの速さは、さすが元防衛部隊のメンバーと云ったところだ。
お互いが落ち着きを取り戻した後、アンナが料理を始めながら話し掛ける。
「少し前まで、ルナと生活してたんだ。でも、あの子が騎士団長に任命されてからはずっと一人だけどね」
「二階にはお前とルナちゃんの部屋があるって事か?」
「そうだよ。ボクさ、孤児院でルナの家族に引き取って貰ったの。それからルナが一緒に過ごしたいって言うから、ずっと今の家に住んでたんだ」
「……子どもの頃から大変な思いをしたんだな」
「もう慣れたよ。それに、ルナの支えがあったからこうして今も頑張れる」
手際よく野菜を切る傍ら、自分の事を打ち明けるアンナ。空気が少ししんみりしてしまったが、彼女はそれを察したのか「あっ」と明るい声音に切り替わる。
「すぐ出来上がるからちょっと待っててね」
「まさか俺の分も作ってくれるのか?」
「うん。だってボクの悩みを聞いてくれたし」
『彼女を送ったら外食しよう』と思ってただけに驚きを隠せない。そういやアンナの作る飯は食った事が無かったし、今から楽しみになってくるぜ。
不審者がいなくなった事で、アンナの表情が解れていく。だから俺も空気をより和やかにするべく、ジェイミーの話題を振ってみた。
「ジェイミーとは上手くやってるのか?」
「こないだ会ったときは、写真の撮り方を教えてくれたよ。もうすぐ川を撮るから、『一緒にどうか』って誘われた」
「あいつに変な事されてねえか?」
「問題ないよ。むしろ良い友達になれそう」
まあ、『最初は友達から』って言うよな。そこから互いを知って、『アリかナシか』を考えていけば良い。彼らは恋愛経験が無いみたいだから、壁にたくさんぶち当たるだろうが……上手くいけば、かなり良い関係になれそうである。
彼女が料理を行う間、そこから転じて花姫たちの話や他愛ない会話で盛り上がったが──俺がシェリーと付き合っている事だけは明かさなかった。
「お待たせ」
「おお、美味そうじゃないか!」
アンナがトレイで運んできてくれたのは、野菜をふんだんに使ったグラタンとスープだ。いずれも天に昇る程の湯気が立っていて、チーズのまろやかな香りが食欲を煽ってくる。
彼女が俺の隣に座ると、俺たちは両手を合わせて「いただきます」と言ってからカトラリーを手に取る。グラタンから一杯分掬い上げてある程度湯気を逃した後、口の中に放り込む。すると牛乳の優しい味わいと人参の甘みが広がり、心が一気に温まる気がした。
「どう?」
「お前を嫁にしたいぐらいだ」
「もうっ、すぐそういう事言うー!」
半分冗談で言ってはみたが、俺の中で『アリだ』と思ったのは事実だ。無論、吸血鬼やシェリーの事もあるし、手は出さないがね。もしこいつがさらに歳を重ねれば、より綺麗な女になれそうだ。
軽く頬を膨らませるアンナだが、案外満更でもないらしい。彼女はすぐに笑顔を見せると、ルナとの思い出話をしてくれた。
「こないだ、調査でサファイアの湖に行ったでしょ。昔、ルナがそこのボートを漕いでくれたんだよね」
「彼女ならやりかねないな」
「そうでしょ? ルナ、すごく美人なのに男装したがるんだよ。こないだのドレスも似合ってたのに、『本当はタキシードが良かった』って愚痴を言ってて」
「あはは。それだけお前の事が大事なんだな」
「嬉しいけど、ボクとしてはルナに素敵な人が現れてほしいな。あの子も元々はお嬢様だけど、すごく苦労してたからね……」
「確かにあいつも美人だよな。ああいう女を見ると、守りたくなるっていうか。任命式でのドレス姿は、俺も『綺麗だ』と思ったよ」
「そうでしょ。色んな人にプロポーズされてるのに、全部断っちゃうの」
「お前もそうだが、あいつも並大抵の男には勿体ねえよ。それが例え、どんなに金を積まれてもさ」
「……うん。ルナは、『自分より格段と強い男が良い』ってよく言う。そういう人と出会うまでは、『お前の王子でいたい』ともね」
「王子……か」
『俺は、シェリー・ミュール・ランディの専属騎士だ!!』
偶然にも、デーモン戦でシェリーに言った言葉を思い出す。自分の力を大事な人のために使いたいのは、人間も魔族も関係無いんだな──とも。
「どうしたの?」
「気にすんな」
一瞬、こいつにだけシェリーとの関係を明かそうか悩んだが、やっぱり止めておこう。約束は約束だし、俺からべらべら話す事で孤独に苛まれたら嫌だし。
そうして色んな事を話しながら、俺とアンナはそれぞれの器を空にしていった。
「この際だ、朝まで見張ろう」
「ありがとう。心強いよ」
夜の帳が降りて、もうじき就寝の時間となる。少し心を開いた証か、アンナは自分の部屋を俺に案内してくれた。
そこはまさにお姫様の部屋といった場所で、マリアの部屋に匹敵するほどの華やかな空間だ。
一番最初に目を引くのはフリルをあしらったベッドで、壁には白いレースの蚊帳が垂れ下がる。ベッドの向かいにある白いドレッサーの脚部は、うねりが利いていて上品な印象を与えた。それに……薄桃色の縞模様が浮かぶ壁紙に、コーラルピンクのカーテン──とにかくピンクで構成された部屋は、何処となくアンナの願望を表している気がする。
ただ、彼女が自分の好みに自信が持てないのか、さっきから俺から目を逸らし顔を赤くしている。ぶっきらぼうに言い放つその口ぶりからは、照れが窺えた。
「わ、笑わないでね……」
「何言ってるんだ、お前に似合ってるよ」
「……ホントに?」
「マジだよ。それに、こういう部屋で過ごす女の子は好きだ」
普段のボーイッシュな雰囲気とは全く違う事に、驚きを隠せなかったのも本当だ。でもそれは嫌な意味ではなく、むしろ『隊員の事をまた一つ知れて嬉しい』という意味合いでしか無い。
花姫たちとは確かに仕事仲間だが、彼女らはそれ以前に女性だ。俺と出会うまでに苦労をしてきたであろう彼女らにとって、隊長が少しでも役に立てれば──そう思わずにはいられないんだ。
アンナが依然と俺から顔を背けたまま、部屋の出入り口に足を運ぶ。それから外側を指しながら口をモゴモゴと動かしていたが、なんて言ってるのかよく聞き取れない。
「どうした?」
「その……キミの寝る場所は、あっちね……」
「それなんだが、今晩は此処の床で寝ようと思ってるんだよ」
「なんでぇ!?」
「寝てる間にお前が狙われたら、見張りの意味がねえだろ。それに、例の殺人事件は就寝中に押し入られたケースもあるんだ」
ルーンの下旬に入って、城下町の中で連続殺人事件が起きている。対象者は老若男女問わない。家に押し入られ、少女が惨殺された事もあったぐらいだ。
俺のような男がこんな部屋に入るのだから、アンナとしては赤面どころの話じゃないだろう。だが、俺からすれば此処での判断は、彼女の生死に直結する。せっかく積み重ねた信頼を活かして、ここは是が非でも意見を押し通したい。
「明日、俺が城に行ってメイドを手配する。だから、今晩だけ我慢してくれないか?」
「それならわかったよ。でも床だと寝づらいと思うから、今晩だけボクの隣に来て良いよ」
「煩わせてすまんな。恩に着る」
良かった、彼女から理解が得られた。昨日・今日とアンナがより魅力的だと感じるが、嫌な事件が続くせいか情欲が湧き上がらない。そもそもそんな事が無ければ、朝まで人の家に転がるなんて事は無いんだがな。
ネグリジェ姿のアンナは灯りを消すと、ベッドに上がって奥で横たわる。俺が手前のスペースで横になれば、僅かに木の軋みが聞こえてきた。その音が俺に罪悪感を与えたのは言うまでもない。
彼女が俺らの下半身を薄地の布団で覆い被せると、柑橘の香りがふわっと漂ってきた。お互い風呂上がりなのもあって、隣からは石鹸の匂いがする。
アンナは布団の端を両手で掴んだまま、横目で俺を見つめてくる。その視線は男をときめかせるものがあり、こんな状況だからこそ卑怯だと思わざるを得ない。
「思ったんだけど、キミも寝たら見張りの意味が無いよね?」
「人間はそうかもな。でも、俺の親父は寝てる間も敵の気配をすぐに感知できるんだ。実際、俺や兄貴もそうだし」
「血筋かぁ。悪魔って、悪い人ばかりじゃないんだね」
「少なくとも、この国の連中はな」
「…………」
アンナが天井に目線を移し、しばし無言を貫く。何か話したげな様子だったが、口が開かれる事は決して無かった。
「何かあったのか?」
「……ごめん、まだ話す勇気が無いんだ」
「無理するな。それに、睡眠不足は戦いに響くしな」
思わず癖で頭を撫でそうになったが、髪に触れそうな所で止めておいた。
それから俺たちは少しして「おやすみ」と交わした後、何もせずに深い眠りにつく──。
〜§〜
翌朝。俺とアンナはカーテンの隙間から射し込む陽の光に目覚め、一緒に朝食を取った。朝はハムエッグとパンに、昨晩の残りである野菜スープだ。流石に何もしないのは気が引けるので俺が手伝おうとしたら、「そこで待ってて」と断られてしまう。
結局、不審者がアンナの家に押し入る事は無かったようだ。物を荒らされた形跡は何処にも無いし、彼女の身体にも異変はない。至って普通の朝がどれだけ貴重な事か──そう思える瞬間でもあった。
俺たちは準備を済ませた後、家を出てフィオーレへ向かう。俺は城に行くので、途中にあるアーチ付近で解散する事にした。
「じゃ、気をつけろよ。また何かあれば発信してくれ」
「うん! 家に来てくれてありがとね」
アンナの無邪気な笑顔を間近で見たのは、これが初めてかもしれない。俺と会うたび何処か警戒心があったからこそ、安堵で胸がいっぱいになった。
いよいよアンナに背を向け、アーチの下をくぐる。
しかしその時──誰かに右腕を強く掴まれたのだ。
為す術も無く壁に背を押し付けられ、胸ぐらを掴まれる。背に石壁の凹凸が食い込むせいで、痛みがじわじわと広がっていった。
痛みを堪え、目の前にいるヤツを目視してみる。
俺の胸ぐらを掴むその男は、恐ろしい剣幕を見せるジェイミーだったのだ。
彼は俺を放さぬまま、凄んだ声で問い掛ける。
「あんた、あいつの家で何をした?」
(第三節へ)
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