【前回のあらすじ】
ガルティエの遺跡(リヴィ)を探索する純真な花は、ついにヒイラギと対峙。彼女の手強さに苦戦を強いられる隊員らだが、シェリーの説得によりヒイラギの心に変化が……?
改心と復讐。真の姿──ダークエルフと化したヒイラギは、戦いの末に何を選ぶのか。
「あんた……この国に恨みがあるからって、調子に乗んなよ?」
凄みの利いた声の主は、ヒイラギの姉エレだった。
彼女は俺とアンナを庇い、己の身を犠牲にして立ちはだかる。至る箇所から血が溢れてもなお、命の炎が消える様子は一切見られない。それどころか、一層燃え盛っているように見えたのだ。
さすがの妹も怖気づいたのか、狼狽の色を顔に漂わせて動けずにいる。姿を変えたにも拘わらず、殺気が少し弱まったのは、きっと気のせいではない。
「エレさん! いったん回復を──」
「その必要は、ない……。こいつにうちの度胸を、見せなきゃならんからな……!」
シェリーの忠告を振り切り、肺に溜まった血を猛々しく吐くエレ。彼女は右手で左肩を抱え、妹の元へ一歩ずつ踏み出す。ヒイラギは姉の剣幕から逃れるように後ずさりしていった。
「お、おい……。姉貴、正気かよ?」
「当たり、前だろ……何が何でも、その捻じ曲がった性根を叩き直す!」
エレのヤツ、マジかよ!? 彼女は懐からダガーを取り出し、一気に距離を詰める。
ようやくヒイラギが我に返ると、扇子を広げて姉の剣撃を弾いた。
姉妹が舞うように戦う中、金属は何度も衝突音を起こす。
双方の強い息遣いがさらなる緊張をもたらすなど、当の本人らは気付いていないだろう。
「風の炸裂!」
「疾風の爆裂!」
姉妹の声が重なり、樹魔法が相殺する瞬間。
二つの球体が衝突を起こし、風がまさに爆発のように広がった。大きく靡く濡鴉色の髪と黄金の髪が、魔法の威力を物語る。
「はぁっ!」
僅かな静寂を先に破ったのはエレだ。満身創痍であるにも拘わらず、まるでその事を忘れたかのような身のこなしだ。
彼女は大弓を構え、三本の矢を一気に放つ。宙で三角を描くように迫りくるそれらは、ヒイラギの扇子によって弾き落とされる。
しかし、それこそが狙いだったようだ。
石畳に突き刺さる矢は翡翠色の爆風を起こし、ヒイラギの視界を遮る。煙が消えた頃、彼女は既に片膝をついて咳き込んでいた。爆発は麻痺の効果があったようで、ヒイラギはロクに動けないらしい。
エレはその隙を狙って次の詠唱に移った。
「風烈陣!」
彼女が片手を地につけると、ヒイラギの足元から竜巻が打ち上がる。
ヒイラギは声にならぬ悲鳴を上げ、そのまま石壁に激突。彼女が前に倒れてもなお、エレは攻めの手を一切止めなかった。
「起きろっ!」
風の魔法で無理やり身体を起こされ、足元がふらつくヒイラギ。
エレは両手に樹のオーラを宿し、追撃を行った。
「さっきのお返しだ。深風斬!」
彼女の手から放たれた複数の刃は、ヒイラギに向かって水平に回転。それは、先ほどヒイラギが使った“疾風の刃”よりも数が多く迅速だった。
「あぁぁぁぁぁあっ!!!」
刃がヒイラギを襲い、褐色の皮膚に複数の傷を刻み込む。防具があっても痛みを覚えるのに、あのような軽装備だとより感じるだろう。
ヒイラギはやっとの思いで扇子を大弓に変化させるも、両膝を床につける。麻痺効果が抜けても、激痛のせいできちんと動けずにいるようだ。
だが、エレはそれ以上追い込まなかった。同じく傷だらけの妹を、冷ややかな眼差しで見つめるのみ。この状況に介入できる者は、俺含め誰一人いなかった。
「……少しは懲りたようね」
「いや、だ……うちは……姉貴、なんかと……」
言葉を紡ぐ姉妹に対し、アンナは周囲の花姫に疑問を投げかける。その問いに答えたのは、知識が豊富のマリアだ。
「もしかして、操られてるの?」
「人族が魔族に転身するとき、自我が崩壊する事もあるの。……最悪、取り返しがつかないときは……」
「陛下、ベレの降伏はもう……」
「皆様、わたくしに賭けをさせてください」
アイリーンが恐るべき提案を告げようとした時、エレは俺らに背を向けたままそう言った。
一方でヒイラギは悲しげな目線を姉に注ぐが、手中には大弓が収まっている。人族と魔族の血がせめぎ合った末、後者が優位となってしまったのだ。
その証拠として細やかな指先で矢を持ち、鋭角な鏃をエレに向ける。
釣り上がった目尻からは、一筋の涙がはらりと零れ落ちた。
「ありがとな、姉貴……」
その笑みは、対峙した時と違って憂いを帯びたものだ。
口角が上がった刹那、指先から矢が離れて
「やめてっ!!!」
シェリーが叫ぶと、エレの前で結界が展開される。
姉の眼前に迫る矢は結界に着弾すると、亀裂が走って粉々に砕け散った。
「ベレさん、お願いだから元に戻って!」
「もううちに構うな! あんたも死にたいのか!?」
ヒイラギの目から涙が溢れるも、彼女の右手は意思に反して樹魔法を放つ。彼女が指先を広げた瞬間、バンッという爆音と共に顔を覆いたくなる程の暴風が流れた。
「こんな力を得ちまったんだ! 戻れるわけないだろ!!」
「例えあなたが魔族になろうと、私は……!!」
「聞きたくないっ!! みんな纏めて消えろぉぉおおぉぉおお!!!!」
まずい、嵐か!?
エレの前に展開された結界も呆気無く砕かれ、耳をつんざく程の轟音が恐怖を煽る。
木々は揺れ、柱や壁からは石の破片が飛び散る。
小ぶりだった雨は風によって横殴りとなり、俺らの身体を容赦なく濡らした。
「陛下!! 捕まって!!!」
「あのバカエルフ、いったい何してるのよ!!」
吹き飛ばされぬよう、各々が必死に風に抗う。
こんな嵐だと、花姫たちではヒイラギに近づけないだろう。
ならば、ここは俺が──!
「アレックス! 今は危険だよっ!」
アンナが声を張り上げる。けど、俺が行かずして誰が行くと云うんだ!
「あんたには従わない……それがジャック様との約束だ」
「俺の目的は、服従じゃねえ。お前を救うことだ!」
向かい風の中、半歩ずつヒイラギに近づいていく。
彼女が息を呑むと、一気に風が止──
──ゴォォオオオオォォォォオオオ!!!!!
「うあぁぁぁあああああ!!!」
再び吹き荒れた風は俺を宙へ投げ飛ばし、壁に激突させる。畜生、これじゃあ近寄った意味が無ぇじゃねえか……。
……こうなったら、力に頼るしかねえ。
解き放て、大悪魔の魂──!
禍々しい力が俺の身体を包み込み、爪や牙を急速に伸ばす。
そして翼を広げた今、風圧を無視してヒイラギに接近する。
「やめてアレックス様!! ベレを──」
エレが言いかけるまでの刹那、俺はダークエルフの身体を抱き留める。それは──華奢な身体が壊れるほどに。
「はな、せ……! うちはこのまま姉貴と」
「ヒイラギ、しばしの辛抱だ」
俺が念じることで、ヒイラギの足元に魔法陣を召喚。
そこから赤黒い鎖が伸びると、彼女の四肢を引っ張るように縛り付けた。鎖が赤く光ると、手首と足首を容赦なく焦がし始める。
「いやぁぁあぁあぁあああ!!!! 殺せぇぇええぇぇええ!!!!」
「エレ、後は頼んだ」
俺はもうしばらくの間、力を保つためにこの姿でなければならない。
ヒイラギが灼熱の鎖に泣き叫ぶ中、エレは何も持たぬまま粛々と前に立つ。
「ベレ。どうか、わたくしの詩を受け止めて!」
息を大きく吸い、高らかに歌い始める。
彼女が紡ぐのは、妹に捧げる愛の詩だった。
嗚呼、我が妹 自由を射よ
秘めし情熱の矢 鎖を貫き、天を射止めるだろう
嗚呼、この詩よ かの者に訪れし暗雲を祓い給え
全ては 森羅を愛す妹のために
「あぁぁああぁぁあああぁぁぁああああぁ!!!!!!」
エレの澄み切った歌声は、周囲の傷をじんわりと癒やす。それに加えてヒイラギの身体が光り、再び姿が変わろうとし始めた。その姿は先程の和装だが、淀んだ気配が急速に失われていく。
完全に気配が消えると、俺も真の姿を解除。詩が終わった頃、解放されたヒイラギは脱力して片膝をつく。
それからシェリーは彼女に近づき、優しい笑みを浮かべて右手を差し出した。
「……撃てよ。腹の底では恨んでるのだろ?」
「いいえ」
シェリーの反応が意外と感じたのか、ヒイラギが顔を上げる。
「私の言葉に偽りはございません。学生時代など、もう過去の出来事ですわ」
「それがあんたの本性、なんだな……。今まで、悪かった……」
ヒイラギの声が掠れ、涙がさらに溢れ出す。
そんな彼女も手を伸ばし、手と手が触れ合おうとした時──
「この役立たずが」
男の鋭い声が響き渡り、気づけばヒイラギは短い悲鳴を上げて前に倒れた。
彼女の背後にいたのは、銀髪に黒いスーツ姿の青年──ジャックだ。
「ベレさ──あぁぁっ!!」
「邪魔だ」
それは一瞬の出来事だった。
シェリーがヒイラギに近づこうとした矢先、ジャックが片手を突き出すとシェリーの頭上に雷が落ちた。
感電した彼女は、糸が切れた人形のようにそのまま倒れ込んでしまう。マリアとアイリーンはシェリーの身体を支え、涼しい顔をするジャックを睨んだ。
ジャックはヒイラギの後頭部を思い切り踏みつけると、ぐりぐりと足首を捻らせる。踵にこびりつく土や肉片は、ヒイラギの美しい黒髪を汚していく。顔を石材に擦りつけられた彼女は、苦痛の余り声を断片的に漏らした。
「う、ぐ……っ!」
「ベレに何するんだよっ! 炸裂弾!」
アンナは両手で光球を形成させると、それをジャックに向けて放つ。
だが、彼らの前で突如展開された黒い膜は、彼女の魔法を弾く。光球はその場で眩い爆発を起こすも、ジャックに当たることは無かった。
こんな酷い光景を見て、俺が何とも思わないわけがない。
けれど、あいつの力で立ち入る事ができないならどうすべきだ?
「貴様の為すべきことを言ってみろ」
「っ……姉貴を、連れ去……」
「聞こえぬな」
「あがぁあっ!!」
つま先で背を蹴り上げるジャック。下敷きにされたヒイラギは唾液を吐き散らし、抗うように長い爪を石畳に食い込ませた。
「申し訳、ありません……! あたくし、では……姉貴を捕獲することなど……」
「ふっ、所詮は人形に過ぎない。元はと言えば、貴様など俺の好みでは無いのだ」
……この蛇野郎がここまで胸糞悪りぃヤツだったとはな。
この手を失うのは覚悟の上だ。俺が結界に近づこうと半歩踏み入れた矢先、誰かが俺の肩に手を添えて引き留める。隣に視線を向ければ、エレが真摯な眼差しを俺に送っていた。
「此処はわたくしが」
「あいつは花姫一人じゃどうにもならねえぞ」
「そうでは無いのです。……まずは、この力を解かなくては」
エレが片手を胸に当てると、翠の光に包み込まれて肢体を露わにする。深緑の花弁が吹き荒れて細いシルエットを包み隠した後、彼女は開花前の姿に戻った。
「……さようなら、アレックス様」
「おい……!」
「後でわたくしを……助けに来てくださいね?」
エレが俺を横切った後、振り向きざまにアンニュイな表情を見せる。……それは、『不本意ですが』と言わんばかりに。
そんな彼女の言葉を受けて、俺は首を縦に振るほかなかった。
エレはついに結界に近づく。
そして聴色の唇を薄く開き、甘い声で蛇男の名を呼んだ。
「ジャック様。この度は、わたくしの妹がご迷惑をおかけしたのです。……あなた様さえ良ければ、是非わたくしを弄んでくれませんか?」
そんなエレを見て、息を呑む花姫たち。俺は彼女らに目線を送って口元に人差し指を当てると、誰もが静かに頷いてくれた。
案の定、ジャックもエレに視線を移したようだ。ヒイラギから踵を離し、手をかざすことで結界を虚空に戻す。
「淑やかな女は嫌いではない。エルフなら尚の事。……来い、エレ。ただちに俺の下僕にしてやろう」
「恩に着ます」
エレが跪いて深々と頭を下げると、ジャックは肩に手を添えて立ち上がらせる。それから二人は唇を重ね、互いの手で探り合いを始めた。
……これが作戦であることは判っちゃいるが、見ていられねえよ。純粋な彼女が穢される前に、俺が助けねば……。
意外にも彼らの接吻は早く終わったようで、互いの唇が離れる。しかしその際、糸引く何かを思わず目の当たりにした。その何かを明文化する事は、とてもじゃないが憚ってしまう。
ジャックは俺を見遣るが、優越感を冷徹な表情の下に秘めている事はすぐに見て取れた。
「純真な花の女が容易く俺に靡くとはな。悔しければ貴様とベレの二人で来い」
「姉貴!?」
ヒイラギが呼び掛けた頃には、二人は黒い靄に包まれて消え去る。ヒイラギは自身の髪が乱れている事も忘れて、ただただ叫ぶのみだ。
「なんで……なんであんたが居なくなるんだよっ!! 姉貴ぃぃいいいぃぃいいいい!!!!!」
彼女のはち切れそうな声が木霊しても、姉が戻ってくる事は決して無かった──。
(第十節へ)
ベレ──大自然の国リヴィで生まれたエルフの一人にして、世界を巡った吟遊詩人の妹。花も霞む程の美貌で魔物をも射止めたが、自由を射られぬまま故郷を追放される。姉と共に新天地へ旅立つも、長年の過去が彼女を苦しめる事となる。
これに目をつけた蛇男ジャックは、己の力でベレを闇のエルフ“柊”に転身させた。こうして柊は邪悪な力に手を染め、縁のある国に次々と混沌をもたらす。
だが、彼女は知る由も無かった。
情愛の鎖に繋がれたまま、自由という幻を見せられる事に。
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