26th.Rub, A.T.26
残念。キッカ平原に行ってみたけどあの人はいなかった……。もしかして彼、冒険者なのかな? でも、あのえっちそうな悪魔が冒険者だったら世も末ね……。って、神族である私が言うのもアレか。
それにしても、外暑すぎ! 汗びっしょりだし、早くお風呂に入りたいわ……。
30th.Rub, A.T.26
月に一度の大事な儀式だというのに、あまり集中できなかった。こんな大事な時にあんなヤツのこと考えても、ムカムカするだけなのにね。でも、負けたことについて、ちょっとどうでも良くなったかも。
……私ったらどうしちゃったのかしら。
4th.Per, A.T.26
今日もラウクさん達に内緒で峠へ! そしたらやっぱり会えた! 相変わらず話し方にイラッと来るけど、ゴブリンを狩ってたし悪い人じゃないのかな? たった一人であれだけの数を倒すなんて、すごすぎるわ……。
魔族って変なヤツばっかだと思ってたけど、ちょっと見直したかも。それにティトルーズ王国は良い人たちが多いし、また出かけたいわね。
──ティトルーズ暦二十六年、四のペリドット。
「あーあ、しょっぺえな」
この日は、ゴブリンの討伐依頼で峠まで足を運んでいた。『彼らが暴れてる』と聞いたので張り切って向かったものの、何一つ手応えが感じられない。
本当はその地道な作業も冒険者の務めではあるが、当時刺激を求めていた俺は『こんなの素人に任せれば良くね?』なんて考えていたのである。
数多くのゴブリンが血を流して倒れる中、瀕死に陥っているヤツも散見される。こいつもじきに果てるだろう。
緑肌の下半身を覆うのは、粗雑な布で作られた腰蓑だ。俺は眼下の死体から適当に剥ぎ取り、大剣には張り付いた血糊を削ぎ落とす。
その時、背後から誰かの気配を感じた。
「こんにちは!」
「なんだ、アリスか」
俺が振り向くと、そこには例の銀髪女が花姫の姿で立ち尽くしている。『もう仕掛けるな』と此方から告げたにも関わらず、俺に近づくなど一体どういった了見だろうか。まあ、一晩相手してくれるならそれも悪く──
「あっ、私をじっくり見てますわね!? またえっちな事考えているのでしょう?」
「またって何だよ。俺がそんな風に見えるのか?」
「ええ」
即答かよ。しかも笑顔で言わないでくれ、傷つくから。……ってこんなやり取り、シェリーともしたよな?
それはさておき、何事も無かったかのようににこやかに振る舞われても不審感が募るだけである。だが、彼女はそんな俺の疑いを気にするどころか、視界に広がるゴブリンたちの亡骸をただ凝視するだけだ。
「それにしてもこれだけの数を、単独で倒すなんて……お強いのですね」
「肩慣らしにもならなかったがな」
「いったいどのような修行を?」
修行──か。兄貴には散々付き合わされたが、あれはある意味『心が鍛えられた』って感じなんだよな。特に凝った事もしているわけでは無いので、正直反応に困ってしまう。
キョトンとした表情で首を傾げるアリスは『可愛い』と思わなくもない。だが、そこで鼻の下を伸ばせば負けた気がしてならないので、敢えて涼しい顔をしてみせる。
「何もしてねえよ」
「えっ!? その剣、重そうなのに? 何の修行もなしで?」
「ずっと持ってたらそりゃ慣れる」
なぜ神族が俺みたいな魔族に興味を持つのか……つか、彼女が本当に神族かどうかすら怪しくなってきたぞ。やたら理由を尋ねてくる辺り、意外と世事に疎いのかもしれない。
内心『鬱陶しい』と感じていた時、男たちの不安げな声が耳に届いた。
「あの、よろしければ私に剣の──」
「御神子さま、どちらへ向かわれたのでしょうか……。ラウク様がご心配なさってると云うのに」
俺に言い掛けたアリスは一気に青ざめ、慌てて村の見える方へ足を運ぶ。それから間もないうちに翼を広げると、振り向きざまにこう言ってきた。
「ご、ごめんなさいね。私、宮殿に帰らねばなりませんので! それではごきげんよう!」
「えっ? お、おう……」
随分と慌てた様子で去ったな。『御神子』という単語に反応したり『宮殿』と口にしたりで、やはりその手の種族なのだろう。……もしかすると、悪魔を油断させて狩るタイプかもしれん。
そんな風に彼女の素性について考え込んでいると、二人の衛兵を引き連れた青年が俺に話し掛けてきた。
「失礼、某は妻を捜している。この近くで銀髪の女性を見なかったか?」
朽ちた葉に緑みを入れたような髪色の青年。白の貴族服に身を包む彼こそがラウクかもしれん。で、鎧を纏う二人の男は彼の護衛と云ったところか。
まあ、別に本当の事を話しても良いが……あの女の慌てぶりからして、何らかの罰を恐れているに違いない。天使がビクビクしてるのもなんだか不思議だが、神族にもめんどくさい上下関係があるのだろう。知らんけど。
とりあえず此処は白を切っておこう。面倒事に巻き込まれたらぶっ倒せば良いし。
「んや、見てねえよ」
予想通りの反応だ。俺がそう答えると、ラウクと思しき人物は碧眼を細めて睨みつける。
「それは誠か? 声が鮮明に聞こえていたぞ」
「そっくりさんじゃねえの? とにかく、俺は忙しいんだ」
「待て!」
俺が戦利品を漁ろうと亡骸の方を向いたとき、衛兵の一人が剣を持ったまま此方へ回り込んできた。
「んだよ、『見てねえ』つってんだろ」
「否、お前は嘘をついている。御神子様を誑かす淫魔は此処で果ててもらおう!」
「はあ?」
理解が追いつかぬまま、彼らが戦闘態勢に移ってしまったらしい。……絡んできたのは向こうだと云うのに、決めつけるとは良い度胸だ。
苛立ちが加速した俺は、躊躇いも無く封印を解く。すると彼らは狼狽の色を見せ、武器を持つ手をわなわなと震わせた。
「なっ……! お前、本当に悪魔だったのか!?」
「見てわかんねえなら、纏めて喰ってやろう」
「退け! このままだと我々は餌食にされるぞ!」
「「はっ!!」」
散々俺を疑っといて、正体を見せればあっさり逃げやがる。人間ってのは、つくづく弱いものだ。
どうも腹の虫が収まらないが、適当にゴブリンの骨を抜き取って麻袋に入れる。
「もうあの女には構わねえぞ」
俺はそう誓った後、変身を解かぬまま城下町へと飛び立つのだった──。
「……あの時の俺は、どうも素直になれなかった」
とにかくメスに主導権を握られたくなかった俺は、彼女のペースに飲まれないよう必死だったと思う。今はもう相手がその気ならいくらでも応じるが、当時は自分の力を見せつけるのに精一杯だったよ。
もし俺が時間遡行の魔法を使えるなら、今の歳の数だけぶん殴ってやりてえ。まあ、そのおかげでシェリーと出会えたのは事実なんだけども……。
ふと壁掛けの時計を見れば、もう零時を回っている。卓上に置いた通信機を何となく持ち上げてみるが、幸い連絡は無いようだ。シェリーも今日は休みだと言ってたし、今頃眠りについているかもしれない。
それにしても、ラウクは何者だったのだろう? あいつがアリスの夫っぽいが、あれきり遭遇してないんだよな……。ただでさえ心象が良くなかったし、アリスも本当は嫌気が差していたのかもしれん。
「もう空っぽか」
紅茶をお代わりしようとティーポットを持ち上げてみると、想像以上に軽い事に気付く。『また沸かそうか』と一瞬考えたが、今は台所に向かうのも億劫だ。まるで尻餅がソファーの皮革にくっついてしまったように感じる。
そこで何となく次のページを捲ってみると、一瞬だけある映像が脳裏をよぎった。
それは、彼女と一緒にイノシシの肉を焼いて食べる光景。そこだけ切り取れば“何の変哲もない冒険”の一部に見えるが、お互いの心が揺れた瞬間でもあるのだ。
俺は引き続き、向き合わねばならない。
遥か昔、報われなかった本気の恋物語とな──。
(第四節へ)
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