ある若き魔術師とその恋人は、蒸気という未知の技術に希望を懐いていた。
その後、機関の事故により火事が発生。彼は研究員である恋人を救うべく、顔に深い傷を負った。
しかし──
非情な炎は恋人の命を奪い、彼の心をも焦がす。
「さあ、私が相手です!!」
此処は、竜に焦がされた城下町。俺とアンナ・ジェイミーの前に立ちはだかる男は、ヴェステル迷宮で死んだはずのヴィンセントだった。
だが、彼の姿は以前と違って痛ましいもので、顔には火傷の痕が深く刻み込まれている。短かった茶髪も背まで伸ばし、メガネはモノクルに変化。無論、黒のマントも随所で破れ、杖もひどく焦げていた。
俺達が戦闘態勢になった刹那、彼は声を張り上げる。その声からは、蒸気機関への恨みがひしひしと伝わってきた。
「はぁぁああああ!!!」
月のエネルギーによって髪が揺れ、杖に漆黒の光が灯る。光の粒子が収束すると、先端からは闇の矢が射出された。
「わっ!」
俺達を捉えるうちの一本が、アンナの腕を掠める。この嵐の中俺も避けるのに精一杯だが、何とか間合いを詰める事に成功した。
「がはぁ!」
大剣をヴィンセントの脇腹に突き刺すことで、赤い飛沫が舞う。しかし、引き抜いてもなお彼は健在のようだ。
「忌々しい……この国の全てを焼き尽くし、ゼロからやり直さねば!」
「アレク、こっちへ来い!!」
背後からジェイミーの声。彼の言葉に従い後ろへ戻ると、半球状の結界──防御壁が展開されていた。
彼は表情一つ変える事無く、手先から注がれる魔力を耐久力へ換えていく。結界が無数の矢を弾く度、鼓膜が震えだす。その数は計り知れないもので、生身で躱すには限度があるだろう。
だが、ヴィンセントは怯むどころか、更に追撃を行った。
「イリーナを喪った私に残されたもの──この傷以外に何があると言うのだ! 誰もが嘲笑い、全てを奪った!! 貴方がたには判らないでしょう? 愛する人を事故で失くした私の悲しみが!! そうです、彼女は蒸気機関の研究員を辞めるべきだった。愚か者が過ちを犯したせいで、彼女は……彼女は……!!」
憎悪が結界越しに伝わってくる……。
その言葉は、更なる攻撃を予感させるものだった。
「貴方がたを殺し、イリーナと再会を果たす! 再びこの手で──彼女を閉じ込めるのです!」
恨みは紫の稲妻を生み出し、俺達に再び迫りくる。ジェイミーの魔力はその雷を受け止めたが、ついに亀裂が蜘蛛の巣のように走り出す。強い力を誇る彼ですら、表情を歪ませる程の威力だ……!
俺が言葉を放とうと口を開いた時、偶然にもアンナが轟音に飲まれそうな声量でつぶやく。
「あの人は……アイリーンさんに面影を重ねてるんだ。アイリーンさんを見て、『蘇った』って勘違いしてるんだ。でも……!」
それだけIreneはIrinaにそっくりなのだろう。名前だけでは無い。容姿や声もきっと──
「やべぇ、そろそろ持たねえぞ……!!」
ジェイミーがぼやいた刹那、アンナは結界を抜け出して一気に直進。その瞬間、俺とジェイミーは声を上げずにはいられなかった。
「アンナ!」
「あいつ、何をする気だ!?」
俺らの制止に耳を傾けず、ヴィンセントへの距離を詰めるアンナ。剣身は白い光に包まれ、俺達の前に残像を残した。
「だからってそんな事して良いワケ──ないよっ!」
眩い弧を描き、ヴィンセントの腹部を抉る!
流石の彼も詠唱に間に合わず、身体から血飛沫が舞い上がった。
「ぐぉっ!」
「それでもやるってなら、こうだ!!」
もう一度剣を振り、衝撃波を放つ!
彼の身体は吹き飛び、血の幾分かはアンナの身体に張り付いた。
「……なかなかやりますね。ですが」
まだ立ち上がる気か……!? それどころか、彼は上位魔法を放つ気だ!
間に合え、俺の足! 例え身体に傷を負おうと、隊員のためなら──!
「あなたに何が判ると言うのです!!!」
ヴィンセントは杖先をアンナに向け、紅の閃光を放つ!
光が到達する直前、俺は前に出て彼女を──
「ぐあぁぁあ!!!」
「アレックス!?」
くっ……間に合った、ようだ……。
全身を鎧ごと焼かれ、ヒリヒリとした痛みが込み上がる。身体を覆う鎧も囚人服も穴が開き、皮膚は酷く爛れていた。
「しっかりしろ、アレク!」
「なんでボクを庇ったりなんか──!」
「何もせずには、いられねえ性分なんだよ……」
ジェイミーも俺の元へ駆け寄り、背中に手を添えて回復魔法を用いる。温かい光は次々と傷口を覆い、すり減った精力もたちまち戻った気がした。
そんな中、ヴィンセントは言葉を続ける。だが、陽の花姫は物ともしない様子で彼に鋭い目線を注いだ。
「苦労を知らぬ貴方がたに、とやかく言われる筋合いなどありません」
「…………ボクだって両親を失くした。家族と一緒にいる他の子たちが羨ましいと思ったことはあったけど!」
アンナが大剣を天に向かって投げると、その体躯を越える武器が虚空へ消え去る。
そして身体に陽のエネルギーが集まると、両手で光球を生み出す。そんな彼女が唱えたのは、目が眩むほどの爆発だった。
「誰かを殺したって意味はないんだっ!! 炸裂弾!!」
「うぉああぁぁあああぁぁああぁああああ!!!!!!!」
爆風に呑み込まれたヴィンセントは、両目を覆い悲鳴を上げる。火花が全身に傷を刻むと、彼は目を押さえたまま前に倒れた。俺の足下に落ちたモノクルが、この魔法の凄まじさを物語る。
「何という事でしょう……。私は、とうとう視力さえも──」
その時、前方から複数の影が此方に近づく。現れたのはルーセ軍の兵士──ではなく、ティトルーズ騎士団の者たちだ。その証拠として誰もが甲冑に身を包んでいる。
うち一人はヴィンセントの上体を強引に起こすと、周囲の騎士が後ろに手を組ませて縛り上げた。
「降参しろ、侵略者め。それ以上手を下せば、我々が許さぬぞ」
「手を下すも何も、この目では何もできませんよ」
乾いた笑みを見せるヴィンセント。瞳が白く濁った彼が抵抗する気配はもう無かろう。強引に立たされた彼は、そのまま騎士団と共に奥へ消えていった──。
「……あの人は、生きるべきだ」
「どうしてだ?」傷が癒えた俺はアンナに尋ねる。
「大切な人を追いたい気持ちは、よく判るよ。……でも、それは彼女さんの本望じゃないと思う」
「そうかもね」
同意したのはジェイミーだ。彼はズボンのポケットに両手を入れ、前を見据える。
「俺様も、きっとそういう運命を辿るのかも」
「え?」
「こっちの話」
ジェイミーはきっと、人間が先に死ぬ事を悟ったに違いない。不死の存在である以上は追う事など許されず、ただ彼女の分も背負って生きる事になるだろう。
それはヴィンセントも同じだ。アンナの魔法で視力を失った彼は、侵略の罪を“生”で償う事となる。少しばかり不憫に思わなくはないが、イリーナはきっとこんな事を望んではいない。
「失礼致します」
騎士団の一人が俺らの元へ駆け寄り、片膝をつく。俺が「どうした?」と尋ねると、彼は顔を上げて思いがけぬ事を告げた。
「皇配殿下が陛下を監禁し、召使いの者たちが警護している模様! メイド長のお姿も確認されました!」
「「なっ!?」」
「ウソだ、アイリーンさんが……!?」
俺がいない間に何が起きてんだ……!?
誰もが驚きを隠せない中、騎士は話を続ける。
「騎士団長が突如暴走し、プール室の鍵を強奪! 殿下は室内に立て籠もっております!」
「……ルナ……!!」
アンナはあまりのショックで立つ気力を失い、両膝を床につける。ジェイミーがそんな彼女を支える傍ら、俺は騎士にこう尋ねた。
「それはいつからだ!? マリアは今も無事か!?」
「昨日、隊長様とお嬢様がミュール島へ行かれてから数時間後、陛下は殿下に呼び出されてお部屋へ向かわれました。しかし、それから戻られる事は無く、殿下が突如言葉を荒げたのです。『この城は私が占拠した!』と──」
「なあ、それって洗脳じゃねえの? それまでの王様は大人しかったんでしょ?」
「判りかねますが、確かに当時の彼はいつもと違うご様子でした。まるで、これまでの鬱憤を晴らすかのような……」
もしジェイミーの憶測が本当だとすれば、俺達は彼らの目を覚まさせてやらねばならない。王室に刃を向けるのは心苦しいが、動かねばマリアが──!
「判った、ありがとう。……行くぞ、二人とも」
「でも……!」
「安心しな。不用意にダチを傷つける事は無いってさ」
瞳を潤ませ、唇を噛むアンナ。ジェイミーはそんな彼女に対し、笑みを浮かべたまま手を差し伸べた。
「……どうして、こんな時にニコニコしていられるの?」
「隊長だけじゃない。俺様や仲間だって、銀月軍団の何千倍も強いからさ」
その力強い笑顔は、彼女のみならず俺にも自信を与えてくれる。
エメラルドの瞳から光が零れてもなお、吸血鬼は華奢な手を離さなかった。
(第十二章へ)
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