城の屋上にある魔法陣で転移すると、やや生ぬるい空気が皮膚を刺激した。真っ先に視界に入ったのは、セピア色の細長いアーチ窓。壁全体を覆うように連なるおかげで、他の教会とは違う神秘性を放っている。
窓にはめ込まれたステンドグラスを凝視すれば、小さなタイルの集合体であることがわかった。あらゆるブラウンカラーのタイルから、法則性があるようには見えない。けれど“乱雑”どころか“綺麗”という単語が浮かぶ辺り、唯一無二の幾何学模様といえるだろう。やんわりと差し込む光は、今の季節をさらに強調させた。
中央にそびえ立つ銅像は焔の女神を模る。ショートヘアを揺らし、踊るような仕草を見せる彼女こそが焔神フラカーニャ。今よりも不便だった時代の中で、躍動感を演出するなんて困難だ。だからこそ、彼女のことははっきりと憶えている。
エレやシェリー、アンナはこの光景に息を呑んでいる様子。思わずポラロイドカメラで収めたくなるような景観から、治安の悪さを誰が想像できよう? 美景の裏側を知るマリアとアイリーンは憂うように呟く。
「いい加減丸く収まってほしいわね……」
「そうですね。ご加護がなければ、この教会も荒れていたでしょうから」
魔法陣から離れて数歩進めば、大きな両開きの扉がある。俺が前に出て取っ手を引くと、春のような陽気が俺たちを手招きし出した。
南に位置するだけあって、この街は秋でも温かい。以前寄ったアルテミーデの街とは大違いで、鎧の下で汗がじんわりと伝う。行き交う人々の大半は薄着で、汗水垂らしながら作業する者も窺えた。
そんな彼らの表情はどこか悲しげだ。呪術師によって故郷や大切な者、あるいは自分自身を傷つけられた者もいるだろう。
真上に昇る太陽は石造りの床を焦がし、街の全容を照らす。一見カラフルな街並みだが、随所で散見されるヒビや穴が現実を訴えていた。赤や黄・緑などのビビッドな壁が立ち並ぶこの大通りは、陽気さを感じ取れる。だからこそ、この荒れ模様に胸を痛めてしまうのだ。
「とても可愛らしい街並みなのに……なんて酷い事を……」
「本当に、私達と同じ人間がやった事なのでしょうか」
辺りを見回しながら嘆くエレとシェリー。マリアとアイリーンが冷淡に景色を見据える中、アンナは俺に尋ねてきた。
「ボクたち、人間を殺さなきゃいけない、んだよね……?」
「責務を託された以上はな」
アンナは正義感こそ強いが、人間との戦いを心から望んではいない。彼女が手を汚す代わりに、俺自身が動けば問題無い事。しかし、実戦で彼女の心に配慮する敵などいるはずがあるまい。
しばらく街中を巡回していると、一人のローブ姿の男がこちらへ駆けつけてくる。あれは魔術師の一人だろう。薄手のローブに張り付く複数の血痕が、この生温い空気を一気に凍らす。
「ああ! あなた方が純真な花ご一行様でしょうか? どうか、この街に救いの手を……!」
「俺達が来たからにはもう安心しろ。動ける者はまだいるか?」
「私達の部隊は十人、私含めて四人であれば何とか使える模様です。他の部隊も応戦中ですが、長くは持たないでしょう」
「なら、手短に倒して救援に向かうわよ。六人なら、あたし達で補えるしね」
「感謝いたします、陛下!!」
魔術師は片膝をつき、マリアに対して深々と頭を下げる。すると例の三人も後から駆けつけ、先頭の者同様マリアに敬礼をした。
先頭の者が顔を上げ、言葉を続ける。
「早速ではありますが、目前の呪術部隊から倒して頂けますでしょうか? ご存知の通り、彼らは他者の魂を操る者。躊躇をすれば、あちらが主導権を握ってしまいます」
「…………わかった。ボクも覚悟を決めるよ」
アンナは拳を作り、首を縦に振る。他の花姫たちも戸惑いを見せていたが、魔術師の言葉を受けて真摯な表情に変わった。
直後──
男の冷酷な声と共に、複数の足音が近づいてきた。
「ふうん、とうとう女に助けを求めるようになったとはね。ティトルーズ王国も落ちぶれたものだ」
現れたのは、破れた布に身を包む男たちだ。首から下げた石のネックレスに、顔を覆うほどフード。禍々しい風貌から呪術師だと判断した。
中央に立つ少年がリーダーなのだろう。彼が魔術師らを蔑むように見ると、背後に立つ連中が一斉に木製の杖を構えた。
「あちらも十人……そこから更に援軍が来る事でしょう」
「尚更こんなところで油を売ってる暇など無いわね。みんな、かかるわよ!!」
マリアの号令によって、戦いの火蓋が切られる。まずは俺とアイリーンがほぼ同じタイミングで地面を蹴り、各々で攻撃に移る。
「やらせるかよ!」
そう言葉を吐き捨て、呪術の詠唱に専念する男が一人。俺は迷わず長剣を横に払い、彼の身体に大きな傷を入れた。
「ぐあぁああ!!」
彼の悲鳴をよそに、次の標的に移す。
その間、シェリーが一人と交戦しているのが見えた。
「とうっ!」
彼女は後方転回で漆黒の光弾を躱し、空中から二丁拳銃で牽制。光と闇の弾が衝突した末、彼女の次の一手が相手を制した。
その時、彼女を地上から狙う者が現れる。俺はそいつに向かって氷の弾を放ち、注意を逸らしてみせた。
「いて、何をす──」
このまま距離を詰め、呪術師を一閃。シェリーは背後に立つ存在にようやく気づいたらしく、着地するや俺の方を向いた。
「ありがとうございます!」
「良いさ。それよりお前は他の魔術師を援護しろ」
俺の指示を受けたシェリーは、頷いてから魔術師たちの方へ駆け寄る。一方でアンナは、一人の呪術師に追い込まれている様子だった。
「ふふ、怖気づいたようですね」
「……こんな事ぐらいで!」
彼を前に尻もちをつくアンナだが、立ち上がって大剣を構え直す。それを見た呪術師は、呆れるように鼻を鳴らした。
「もう見飽きましたよ。さあ、蘇る死者に怯えていなさい」
「うるさいっ! 光波!!」
空に向かって振り下ろされた大剣。その切っ先から放たれた光の衝撃波は、呪術師を捉える!
「ぬぅ!?」
杖を掲げた彼は容易く吹き飛ばされ、その場で意識を失う。しかしアンナも相当神経を張り詰めていたのか、熱い床上でへたり込んでしまう。
「アンナ!」
俺が咄嗟に支えると、彼女が疲れた様子で見上げる。
「ごめん、アレックス……ボクは、大丈夫だから……」
「偶然種族が同じだけだ。他人を傷つけた連中である事に変わりはない。今までの戦いを思い出せ」
「……そうだよね……」
アンナはゆっくりと起き上がり、振り向きざまに俺を見据える。彼女が次に放った言葉は、俺を安心させる一言だった。
「キミがそう言うなら、今度こそこの剣で斬ってみせるよ。改めてありがとう」
「ああ。だが、無理だけはするな」
こうしている間にも、敵の増援がやってくる。彼女はその存在に気づくと、瞬間移動の如く光速で呪術師たちを斬ってみせた。
「な、なんだあの速さ……!?」
「俺達じゃどうにもでき、ぐぉおお!!」
連中はドミノのように倒れ、身体から赤い飛沫が溢れ出す。放物線を描くように駆逐したアンナは、背を向けたまま息を切らしていた。
「大丈夫……ただ種族が同じってだけ……」
人間の血はこうじ色の鎧を穢し、彼女を再び迷いに陥れる。だが、今度こそ彼女はその迷いに屈する事は無かった。
さて、俺も周囲を蹴散らさねばならない。いま目の前にいる呪術師は、ざっと見て四、五人程度。誰もが隊長である俺を倒したいのだろう。
無論、これぐらいの数でやられる俺では無い。うち一人は白い靄を放つが、こちらも冷気の霧で応戦する事にした。
「お前には退化がお似合いだ」
彼が放った霧──それは、相手を老化させる呪術だ。戦士が喰らえば最後。一時的な老化によって身を封じられ、命をあっさりと奪われてしまう。
幸い俺が老けるどころか、強い冷気が全てを打ち消してくれた。次は別の者が獅子のような幻獣を召喚させるが、俺の剣撃によって容易く倒される。隙を伺った末、俺はアンナのように片っ端から一掃してみせた。
残るはあと五人。マリアやエレが残党と応戦しているが、果たして上手く事が運ぶだろうか。
そこへ、シェリーの緊迫した声が俺の背を突き刺す。
「アレックスさん!」
「どうした?」
「大変ですの! 先程の四名が呪術師によって……!」
「霊術で治せそうか? 足りなければこれを使え!」
「承知しましたわ!」
懐から三つの治癒薬を取り出し、シェリーに手渡す。彼女は俺から薬を受け取ると、負傷した魔術師の元へ走り去った。
俺はマリアとエレに視線を移し、彼女らの様子を一旦見てみる。
「天光の砲撃!」
マリアが放った陽魔法は、炸裂弾よりも強力な光だ。呪術師らは目が眩んだようで、のたうち回っている。一方、エレも両手を前に突き出し、凝縮された樹の氣を放っていた。
それは翠色の爆発となり、彼女の周囲に立つ二人の男を吹き飛ばす。彼女らの魔法はいずれも強力で、呪術師に反撃の隙を与える事が無かった。
残るは、リーダーと思しき少年のみ。驚くように口を開く彼だが、すぐさま口角を上げて堂々と佇む。マリアはそんな彼に杖で突きつけ、降参を促した。
「さあ、いい加減に諦めなさい。人々を傷つけた罪、決して軽くないわよ」
「僕が簡単に捕まるとでも? 愚かな……」
呪術師は木製の杖を両手で構え、フード越しでマリアを見据える。その時、武器を離さぬアンナがマリアの隣にやってきたのだ。
「マリアさん、ボクも手伝うよ」
「ありがとう。あたしは後方から魔法を撃つわ」
「女二人が僕の相手とはね……。隊長はそこで見物、ですか」
これは挑発だ。確かに女性二人に戦わせるのは本意では無いが、かえって足手まといになれば彼女らに危険が伴う。それを察するように、マリアは俺たちに向かって淡々と告げた。
「皆はそこで待機よ。この先も残党が現れるでしょうから、処理に専念なさい!」
「ですが、陛下……!」
「大丈夫よ、アイリーン。あたしはただ玉座に着いてるだけの王じゃないから」
アイリーンの懸念を押し切るようにマリアが遮る。アイリーンは少し納得のいかない様子だが、「仕方ありません」と引き下がったようだ。
いよいよ攻勢に転ずる時。アンナは俺達の前方に立つと、呪術師への距離を一気に詰めた。
「えぇぇえい!!!」
彼女が大剣で斬りかかった矢先、呪術師が人型の幻影を召喚。黒い影と化す人形は、腕を交差させて剣撃を受け止めた。
その隙にマリアは小声で呪文を詠唱し、蛇に似る紅い龍を向かわせる。
だが──炎を纏う龍が呪術師に突進する時、影の人形が突如爆発を起こす!
「!? 前が、見えないのです……!」
闇の爆発は俺らをも巻き込み、視界が無に包まれる。
直後、アンナとマリアの短い悲鳴が前方から聞こえてきた。
「ちょっと……放しなさい!」
「僕に歯向かった罰だ。国王だろうが容赦しないよ」
視界が晴れると共に、彼女らの異変を目の当たりにする。呪術師は俺達の視界のみならず、二人の自由をも一瞬にして奪ったのだ。その証拠に彼女らは黒い触手に縛られ、苦渋の表情を浮かべている。
「アンナ、マリア! 今助けに行くわ!!」
シェリーが駆け寄り、片手を突き出す。黒い触手は彼女の霊術によって青白く光るが、何事も無かったようにすぐ戻ってしまった。
「霊術も効かねえのかよ……! ならば!」
「おっと。近づけば顔に傷がつくよ」
俺が半歩踏み入れた時、先程の黒い人影が二体現れる。今度は長い爪を宿し、各々の顔に突き立てていた。
呪術師は為す術も無い俺らを見て嘲笑い、含みのある言葉を放つ。
「今から君たちに見せたいものがあるんだ。……大丈夫、こんな優秀な人達をあっさり死なせる趣味は無いから」
「陛下たちに何する気よ!?」
「まあ、見てなって」
呪術師が杖を掲げると、黒い粒子が収束する。
そして彼は独自の言語を紡ぎ、彼女らに恐ろしい術を掛けようとしていた。
(第三節へ)
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