メルキュール迷宮で早くもシェリーと合流。一階の探索を終えた後、俺たちは階段を昇った。
二階に繋がる扉を開いた瞬間、とめどない冷気が押し寄せてくる。その時、隣を歩くシェリーは「ひゃっ!」と声を上げ、両手で身体を抱き締める仕草を取った。
「な、何ですのこれ……ひどく冷えますわ……!」
「こんな時に温石があればな……」
この迷宮に足を運んだのは随分と久しく、二階が此処まで冷え込むかどうかも憶えていない。職人が暖炉で温めた石──温石を持っていれば、手先はもちろん全身にも血が巡るんだけども。
通路は人間2.5人分の幅があるとはいえ、少しばかり狭い。視線を横に向ければ、青碧の壁に降りた霜が目立つ。タダでさえ魔物との戦いで油断できないってのに、凍死の心配もしなきゃいけないのは不本意だ。
全身が冷え込むせいで、一歩動くのに一苦労である。俺は両手に息を吹きかけて擦った後、この道なりに続く通路を突き進んだ。
踵で踏みしめるたび、氷を砕くような音が聞こえてくる。
小気味良い足音で気を紛らす中、突き刺さるような低温が俺の右足を襲う。
「なんだこれ!?」
「まさか、凍化の罠!?」
くそ。この足を早く抜かなきゃいけないのに、全く感覚がねえ!! 氷は右足首にまで及んでおり、心臓に行き渡るのも時間の問題だろう。
シェリーは何を思ったのか、俺の背後に回る。その理由を考える前に、張るように冷えた耳は二体の足音を前後から察知した。
姿を表したのは、生成り色の毛に覆われた巨漢たち。ゴリラのような顔を持つ彼らは“雪男”と呼ばれる魔物だ。前方と後方、それぞれの場所から挟撃する彼らを前に、焦燥が脳内を支配する。
「アレックスさん……こればかりは、私一人では……」
「判ってる。早めに始末しよう」
シェリーが俺の後方でマシンガンを、俺はマグナムを構える。
前方の雪男がしゃがんで片足を突き出す瞬間と、トリガーを引く瞬間が奇しくも重なった。
──ドォオン!!!
マグナムが火を吹き、雪男の太い脚から血が噴出する。彼の踵が足元の氷に到達する前に、何とか阻んだようだ。
雪男が短く苦鳴を上げるも、すぐさま直立の体勢に戻る。それから両手を広げると、拳を作って旋回を始めた。
腕が俺の身体に届くまでの距離は一メートルにも満たない。それでも俺は恐怖を押し殺し、肩を確実に狙った。何発も撃ち込んだおかげか雪男は怯み、尻餅をつく。ヤツの目が回っている間、紅く滲む左肩に追撃の銃弾を加えた。
──オォアァァァアァ!!!!
左腕が後方へ吹き飛び、幾らかの血しぶきが顔や胸元に張り付く。その血は雪男にしては随分と生暖かく、氷に付着した点々が溶かそうとしていた。
その背後では、前回──蜘蛛男との戦い──同様銃声が連なって聞こえる。シェリーの俊敏性には敵わなかったのか、後方の雪男は唸り声を最後に気配を掻き消した。
さて、意識を前方に戻そう。隻腕の雪男は歯を食い縛り、再び立ち上がる。一方で氷は既に両足を捕らえ、腹部にまで到達していた。
心臓に届く前に倒さねえと……! 手先が未だ動くとはいえ、指を曲げることすら精一杯だ。
早く、動いてくれ! 俺の両腕……!!
ようやく両手に収まるマグナムを雪男の頭部に向けたとき、“絶望”という単語が脳裏を過ぎった。
ヤツは今、残る腕を横に広げて此方に突進してくる。
あと数十、数センチだというのに、
人差し指が、動かない。
──グォォアァァァアア!!!!!
片腕を俺に奪われた魔物が、咆哮に憤怒を込める。
まさに人間二人分の巨体が迫る中
俺は目を瞑り、心臓を犯す冷気に身を委ね──
「させないっ!!!」
金色の……光? それも、優しい気持ちになれそうな温かさだ。その光は氷をたちまち溶かし、俺の身体を解き放つ。突然の事に思わず屈んでしまうが、末端から徐々に感覚を取り戻しつつあった。
血痕がついた床から視線を戻し、シェリーと雪男の戦いを見届ける。流石の雪男も光に目を眩んだのか、俺と同じように前屈の体勢だった。
そして──
「この力は、人々を守るためにあるのよ!!」
その言葉は、まるで過去を振り切るかのようだ。高い声を張り上げ、突き出された両手の先で青白い光の球が形成されていく。
球は通路を支配する程に膨らんだ末、前方に大きな光線を射出。光線が雪男を飲み込むと、ヤツは声を上げる事無く浄化された。
これで、一応は魔物が消えた……んだよな?
畜生。まだ身体が思うように動かねえし、喋ることもままならねえ。
「シェ……リー……」
曲がった膝を伸ばすにも支えが必要だ。けれど、壁は相変わらず霜だらけだし、触れるだけで手が凍りそうだ。
シェリーに向けて手を伸ばすと、彼女は振り向いて俺の肩に両手を載せる。
「今、治しますから!」
その時、予想し難い事が起きた。
彼女がそのまま霊術を使うかと思いきや、冷え切った身体を抱き締めてくる。この柔らかな全身も甘い香りも味わいてえってのに、なんで俺の手が動かねえんだよ……!
でも、それも束の間のようだ。あの優しい光が身体を包み込み、内側がどんどん温かくなっていく。……これで、こいつに借りを返せそうだな。
光が消えたあと、シェリーが俺から離れようとする。無論、『済んだから』と云って離す奴などいないさ。
「ちょ、ちょっと! 私はただ、霊術としてあなたを──」
「『やられたらやり返す』。それが俺の信条だからな」
さっきもこんな事したばっかなのに、何やってんだろうな。まあ良いか、シェリーもまんざらじゃ無さそうだし。(抱き返してくれないけど)
「……また、だわ」
ま、『また』って何だ? もしかして、俺には見えない何かが見えているとか?
「やはり……身体が彼を求めている……」
「なあ、さっきから何を言ってるんだ?」
こんな時によしてくれよ。お前の口から『身体が求めてる』なんて言葉が出た日には、俺の本能が黙っちゃいられ──
「アレックスさん。どうやら私は、あなたに触れられることで霊力が回復していくようです」
「は!?」
彼女の身に起きている事が信じられなくて、思わず両手を離してしまう。つか、いつからそんな現象が起きてるんだ? まさかキスしたらもっと回復するとか、そんな都合の良い話でも無いよな……?
シェリーは顔を赤らめたまま、胸に手を当てて俺を見つめる。それはまるで、想い人に向けた仕草だ。超常現象に加えてそんなリアクションとか、俺を困らせる気かよ……!!
「い、嫌ですよね……私なんかに『霊力を回復させたいから抱き締めて』なんて言われたら……」
「嫌じゃねえし、むしろ……。それより、お前の力っていつもどう回復させてるんだ?」
「時間経過ですわ。教会で祈りを捧げても早く取り戻せますが、いつも通う時間があるわけではありませんし……」
「……いつからこの現象が?」
「ジャックから助けてくれた時です。あの時は相当費やしてしまいましたから、抱き締めてくれた時に初めて気付いたんです」
「そうか、あの時か……」
おおよそひと月前の事だ。今となってはティトルーズ騎士団長として活躍するルナが、義手を装着したばかりの頃。俺たちは彼女を見舞うべく病院へと向かった。
のちに(シェリーに)いきなり城内の礼拝室に連れられ、飛行の指輪を受け取る。何時でも翼を展開できるようになった事よりも、『シェリーと二人きり』という状況が嬉しくて思わずキスしてしまったのだ。
だがその晩……俺が先に去ったせいで、シェリーはジャックに襲われてしまう。彼と戦った末逃げられたが、彼女が生きていればそれで良かった。
救出後はシェリーの家まで送り、翌朝まで支えてやった。でも、まさかそれで霊力が回復するなんてな……。
あれ、ちょっと待て。霊力って確か心と繋がってるはずだよな? 使用者の感情次第で正邪が決まるなら、『触れられて回復する』ってのも……いやいや、そんな事はねえよな。
落ち着け、アレクサンドラ。ここ最近、シェリーが俺を頼ってるのもあくまでしご──
──グルルルルルル……。
「奥に魔物の気配が……!」
「ああ、俺も聞こえたさ」
「先程よりも強大な予感がしますわ。急ぎましょう!」
俺とシェリーは銃を構えつつ、通路の中を駆け抜ける。走行で視界が揺れる中、正面奥に光玉が浮遊しているのが見えた。
鬼火、か。俺がマグナムを突きつけようとした刹那、シェリーが真っ先に数発の光弾で撃ち破ってくれた。
「アレックスさん、銃弾を大事になさって」
「そうだな。引き続きお前を頼りにしてるぞ」
走りつつ、死角にも気を配る。
幸い罠や魔物に遭遇しなかった俺たちは、鉄製の扉を蹴破って次の部屋に辿り着く。
だが──。
「っ!!!」
シェリーの顔が一気に青ざめ、両手で口を押さえる。
俺たちが見たもの。それは、広々とした貯水池に浮かぶ戦士たちの亡骸だった。
(第五節へ)
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