騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第三節 月が消えた夜

公開日時: 2021年2月24日(水) 12:00
文字数:6,583

・ドアノッカー :扉に取り付けられた金属の取っ手で、叩くことで住人に自身の存在を知らせる。現代ではインターホンの普及により、装飾物として飾られることが多い。

 視界に広がる白い天井には見覚えがあった。それに加えて背中に当たる生地が硬いし、縦長の窓なんて家に無い。窓から差し込む琥珀色の光は、ちょうど俺の顔を照り付けた。

 その時、誰かの小さな呼吸が意識をさらに呼び覚ました。あれほど重かったのが嘘のように、この上体を軽々と起こす。


(此処を含めて)四台の寝台に、扉の無い出入り口。以前、世話になった城内の医務室だ。首を右に振れば、シェリーがベッド脇の椅子に腰掛けている。上品に座る彼女は片手を胸に当てるという見慣れた仕草をしたまま、俺に話し掛けてきた。


「お身体はどうですか……?」


 物憂げな眼差しを向ける少女の頬には、涙の跡がくっきりと残っている。その涙の理由を俺は知っていた。


 今から数時間前のことだ。俺とアイリーン・マリアは、ヴィンセントとかいう上級魔術師と猫野郎ジェシーに敗北した。ジェシーはマリアを人質にして、アイリーンに降伏を要求。アイリーンは『陛下マリアを傷つけない』という条件を渡した上でくだったにも関わらず、マリアがジェシーによって――。


 思い返した直後、マリアの容態が気掛かりになって追憶が掻き消える。


「俺は大丈夫だが、あいつの様子を見なくて良いのか?」

「マリアは部屋でしていますわ」

「え……?」


 これは夢か? だって脳髄を貫かれたんだぞ?

 驚く余り、思わずシェリーから目線を逸らしてしまう。


「幸い、私とお医者さんの力によって命を取り留めましたの。きちんとお話もできますし、身体も何とか動かせるようです」

「いくら此処が魔術の国だからって、それはもう奇跡の域だぜ……ともあれ、彼女が生きてるなら安心したよ」


「ええ。本当……に……」

 シェリーは声を震わせ、両手で顔を覆い始める。それから嗚咽を上げ、手で隠しきれない程の涙が溢れ出した。


「私がもっと早くあちらに辿り着いていれば、マリアは……アイリーンさんは……ううっ」

「……お前は何も悪くない」


 俺の腕は勝手にシェリーの頭を引き寄せ、胸の中で泣かせていた。布越しで湿りが伝わってくるが、これで彼女が落ち着くなら全く構わない。

 左手を背に添え、右手で柔らかな髪を撫でる。震える身体にしばらく触れていると、彼女は両腕で俺の肩を掴み、雫をこぼしたまま見上げてきた。


 青空のように澄み切った眼も、今は涙のせいで酷く赤い。長いまつ毛も乱れこそあったが、それでも本来の美貌が崩れる余地など無かった。以前俺が奪った乙女色の唇だって、変わらず輝きを見せている。彼女はその唇をゆっくりと動かし、掠れた声で鼓膜を揺さぶるのだが――。



「アレックスさん……その、今日だけ――」



 誰かの足音が貴重なひと時を打ち砕く。内心舌打ちしそうになったが、それは舌を噛むだけに留めた。苛立ちを抑えつつ、シェリーを腕の中から解放する。彼女も背筋を伸ばすと、俺たちは足音が聞こえる出入り口の方を向いた。

 その音はだんだんと近づき、姿を現す。音の正体は燕尾服えんびふくを身に纏った一人の執事だ。彼は丁寧に一礼するや、淡々と用件を話す。


「失礼いたします。お嬢様、隊長。陛下がお呼びですので、お部屋までご案内いたします」

「わかった」


 さっきまで俺は意識を失っていたはずなのに、こうして来るということは話し声で気づいたのだろう。とりあえず国王の通達ならただちに向かおう。

 シェリーは手を差し出すことで支えようとしてくれたが、十分に動けるのでその必要は無い。「大丈夫だ」と一声掛けたあと、執事と共に三人でマリアの部屋へ向かった。


 窓の無い廊下をしばらく歩くと、夕陽に照らされた螺旋階段が見える。執事が先んじて昇るので、俺とシェリーも一段ずつ踏み入れた。錬鉄の手すりに触れれば、何らかの花をモチーフとしたデザインなのが見て取れる。アーチ型の格子窓から一望できるのは、茜と群青のグラデーションで染まった空だ。その下には、様々な色の屋根やレンガ造りの塔・緑の木々が広がっている。

 この時間なら既に月が見えるはずなのに、今日に限って影も形も無い。偶然かもしれないが、今の俺にとって“アイリーンが消えたことの象徴”にも見えた。


 さて、もうすぐマリアの部屋に着く頃だろう。さすが近くなだけあってか、この廊下のシャンデリアだけは一際大きい。中央にあるそれのほかにも、別の廊下で見かけるサイズも四隅に吊るされていた。こうして見ると、これまでに見てきたシャンデリアが小さく感じるくらいだ……。薔薇を模った木造の二枚扉は、およそ二メートルくらいの高さ。両脇には真剣な表情で立つ二人のメイドがいた。

 彼女らは俺たちを目視すると、うち片方のメイドが表面にあるドアノッカーを二度叩く。奥から「入っていいわよ」という籠った声が聞こえると、二人はゆっくりと開けてくれた。俺たちは彼女らと執事に礼を告げたあと、いよいよ女王の部屋に入る。


 視界に飛び込んだ景色は、一言で言えば“可憐”だ。もはや二人で住めるであろう広い空間。その壁紙は桃色と紅色の薔薇を描いたもので、マリアが開花時に見せる髪飾りに酷似している。次に見えるのは、開け放たれた大きな格子窓だ。近くには紅いソファーとガラス張りの丸テーブルがあるので、シェリーが来た日は此処で時間を共にするのだろう。

 壁際に視線を映せば真鍮の小さな棚が置かれてあり、その上には何らかの写真――遠くにあるので誰が写っているかまでは判らない――と髪が長い少女の人形が飾られている。マリアはその隣にある聴色ゆるしいろの天蓋付きベッドの上で上体を起こし、誰かと話していた。


 マリアの隣にいる金髪の青年は――ルドルフか。また、ベッドを囲うようにアンナとエレが立っている。ちょうどルドルフと目が合ったとき、彼は「じゃ、そろそろ行くよ」とマリアと軽く唇を重ねた。しかし、唇を離したときのマリアの表情はあまり浮かばなかった。


 ルドルフはそんな事も気にせず、俺たちを横切って部屋を去る。挨拶しようと手が軽く浮き上がるも、まるで俺らを無視するように退出したのだ。そのせいか、シェリーの眉も下がって項垂れている。

 その時、少女らしい高い声が呼び掛けてくれた。


「待ってたわ。こっちに来て」


 ルドルフとのわだかまりが足取りを重くさせる。隊員たちからの視線が注がれる中、俺とシェリーはマリアのベッドに近づいていった。

 彼女が着るのは、淡い桃色のネグリジェだ。胸元に散りばめられたフリルと引き締まったウエストラインが、豊かな体格を強調させる。下半身を覆う白いシーツの上に両手を添える彼女。シースルーに包まれた腕と肩まで伸びたウェーブヘアーもまた魅力的ではあるが、頭部に巻かれた包帯が現実へ一気に引き戻す。聴色ゆるしいろの瞳は俺らの方を向いているし、視力に支障は無い様子だ。


「あなたの方は大丈夫?」

「俺の事は構うな。それより、あんなことがあったってのに、何故……」


『何故生きてるんだ?』これこそが率直に浮かんだ疑問だが、あたかも死を望むような物言いではばかってしまう。頭の切れる彼女ならその先を汲み取ってくれただろうけど、ただ大きな瞳を閉ざし口を結ぶだけだ。

 それからしばらく無言を貫いたあと、ゆっくりと瞼を開けて艶やかな唇を動かす。けれど彼女が発した言葉は、俺が尋ねたかったことへの返答では決して無かった。


「一時的なものだと思いたいけど、魔力を多く失った気がするの」

「えっ!? じゃあ、今までのように魔法が使えないってこと?」

「下位なら大丈夫だと思うけど、中位ですら精一杯かもね。……いずれにせよ、あのヴィンセントという男と戦うにはが悪すぎるわ」


 マリアは眉を寄せ、右手で頭を抱える。時に瞼を固く閉じ「うっ」と声を発する辺り、頭痛に苛まれていることを察した。


「マリアさん、やっぱりあなたは休むべきだよ」

「いいえ、あたしはそれでも行く。アイリーンはあたしとシェリーにとって家族のようなものだから」


「ですが、陛下が倒れたらこの国は……!」

「……そんなことは、。だって自分が一番わかってるもの」


 アンナやエレがどんなに止めても、この国王は『戦う』以外の選択肢を選ばない。その強情ぶりは時に俺にとって悩みの種である一方、彼女らしさでもあるから結局力づくでも止められないのだ。


「そういや、クロエちゃんはどうした?」

「彼女なら、もうすぐ帰ってくるはずよ」


 マリアが両開きの窓を見つめる。夜が降り始める空は依然と冷たく、部屋に入り込む風が緊張感を煽った。

 そんな中、アンナが「えっ」と声を漏らして窓に近寄る。俺も彼女の声に連動して景色を見つめるが、遠くから鳥のような存在がこちらに迫るのがわかった。けれど誰もが動かないということは、害が無い証かもしれない。


 やがて鳥の影は大きくなり、天井のシャンデリアが黒鉄色くろがねいろの身体を映し出す。姿そのものはカラスにそっくりだが、わしに似た体格は威圧感を容赦なく与える。そのまま室内に入り込むと、マリアは腕を出してそこに停まらせた。


「ご苦労様」


 彼女の言葉で鳥は黒いシルエットとなり、無数の羽根を身体から放出する。でもその羽根がシーツの上に落ちるどころか、ベッド近くの床上で一つの集合体となるのだ。羽根の群れは人の形を作り、やがて見覚えのあるメイド――クロエへと姿を変える。

 クロエはマリアの前で片膝をついて頭を下げると、淡々と次のように述べた。


「報告。現在、マスターは“ヴェステル迷宮”に囚われている模様です」

「よりにもよって魔術師が多い場所……でも、確かにそこに彼がいてもおかしくないわね」


「はい。迷宮前にはゴブリンが徘徊しておりますが、その数は計り知れません。高所で弓を構える者もいましたので、あえなく撤退することと致しました」

「それが良いわ。どうもありがとう」


 クロエがもう一度頭を下げてから両膝を伸ばす。それから身体をこちらに向けて部屋を後にしようとするのだが、「失礼いたします」と言い掛けて俺の前で立ち止まった。

 切れ長で柘榴ざくろのように紅い眼は、猛禽類もうきんるいさながらの眼差しだ。口に出さずとも、『あなたのせいでマスターが誘拐された』と伝えたいのがよく判る。……わかってはいるが、俺は重圧に耐え切れず思わず目を逸らしてしまった。



「マスターを連れ戻すまで許さない」



 冷ややかな声が空気をさらに凍らすも、彼女は気に留めず歩み直す。

 意外なことにエレがクロエに駆け寄り、透き通る声を張り上げたのだ。


「アレックス様は何も悪くないのです! それに、彼だってあの者たちに苦しめられた身なのですよ! 陛下にお仕えする方が、どうして汲み取ろうとしないのですか!?」

「誘拐された原因が隊長の不手際以外に何があると言うの!? 花姫フィオラ一人守れず、何が隊長よ!!」


「アレックス様は、あなた様の想像以上に強く頼もしいお方です。そんなお方でもあやまちを犯すことがわからないのですか?」

「人を恐怖に陥れさせておいて、『失敗は誰にでもある』ですって!? マスターのことがどうでも良いって――」


「いい加減になさい!!」

 エレとクロエの口論を遮るように怒号を上げるマリア。だがそれが自身の頭に響いたようで、直後頭を抱えながら悶え出した。シェリーがマリアに近づき、丸くなった背に両手を添える。


「マリア、しっかりして!」

「あたしのことは、いいから……」


 重苦しい空気が沈黙を呼ぶ。エレやアンナもマリアに近づくなか、クロエだけは扉を静かに開けて何処かへ去る。

 彼女を追うべきだろうか? いや、俺に怒りを懐いている以上、今は何を言っても話を聞かないかもしれない。そもそも俺自身が身体を動かせるとはいえ、まだ本調子とは言い切れないのだ。


「すまん、外の空気を吸ってくる」

「今は……そうしなさい。それも次の戦いの準備よ」


 誰もが俺を不安そうに見つめる。それでも俺は「大丈夫だ」と言って安堵感を与えたあと、この重厚な扉へと近づいて行った――。



 城のバルコニーは、外に出ても頭上に天井があるという仕組みだ。その天井を支えるように四本の柱が均等に配置されており、手すり壁にはクローバーのような形の穴が開いている。俺の胸まではある手すり壁に身体を預け、既に暗くなった空を見上げてみた。

 天井のせいで若干視野が狭いものの、星が僅かに煌いているのが判る。もし城下町の灯りを全て消せば、春の天の川を見渡せるはずだ。ヴィンセントほど過去に執着してはいないが、確かに昔と違って空も変わったかもな。


 背後から誰かの足音が聞こえてくる。フローリングの軽やかな音から石材の硬い音へと変わり、気配が近づいていく。そして自身の右側から漂う木の薫りから、エレだと判断した。俺が空を見上げるのに対し、エレは街を眺めるように目線を下に向ける。両腕を手すりに預け、口元をうずめる様子は儚げだ。


「エレちゃん」

 声を掛けると、彼女は目線だけを俺に向ける。夜の微風はブロンドの髪を靡かせ、長い耳を覗かせた。


「……どうすれば、クロエ様はわかってくれるのかしら」

「あいつが怒るのも無理もない。もう少し俺が周りを見ていれば、アイリーンちゃんが連れ去られなかったのは事実だ」

「ですが!!」


 エレが手すりから離れ、身体を俺の方に向ける。涙を堪えるような声で俺に強く言ったのだ。垂れ下がる碧眼は既に潤んでいて、今にも泣きそうである。そんな彼女の弱々しい肩に手を添えない――なんてことは、俺には無理だった。


「良いんだ。もう彼女を責めないでやってくれ」

「…………はい」


 俺がもし彼女の恋人なら、本当に抱き締めていたかもしれない。顔を下に向けて涙を流す姿はとても綺麗だが、俺にはただ隊長としてなだめることしかできずにいた。




 ~§~




 翌朝。俺は大事を取って引き続き医務室で休養していたが、ベッド脇のテーブルには蓋付きの木箱が置かれていた。それは側面に取り付けられた金具で開けるというもので、蓋を持ち上げるだけでもある程度の重量があった。


「これは……」

 箱の中には、戦闘で何度も世話になった瓶や小道具が幾つか入っていた。


 例えば左奥に収まった数本の瓶には、『治癒薬ポーション』というラベルが貼られてある。瓶を浸す薄緑色の液体は傷口に垂らせばある程度塞がってくれるし、飲めば体内で損傷した部分を治してくれる。さらに呼吸を整える効果もあることから、戦闘で使わない手は無い。

 その隣にある瓶は『魔力回復剤』だ。薄花色うすはないろの液体が詰まったそれは、文字通り飲めば魔力が回復する。とはいえ、これを飲んだだけではマリアの魔力は戻らないだろう。


 他にも役立ちそうな物が色々ある。いったい誰が用意してくれたんだ?

 白く薄い何かが視界に入ったのでふと手前を見てみると、無地の封筒が一通挿し込まれている。紅い封蝋にはティトルーズ王国の紋章が刻まれている辺り、此処の誰かからの贈り物なのだろう。指で封を開けて便箋を取り出したとき、洗練された筆文字が俺の眼を走らせた。



 前略失礼致します。昨日さくじつは、あなた方に大変失礼な態度をとってしまったことを深くお詫び申し上げます。メイド長アイリーンが私たちにとって大切な存在ゆえ、声を荒げてしまいました。今後は身を引き締めて、あなた方のお手伝いを致します。粗品ではございますが、戦闘にお役立て頂ければ幸いです。


 どうか皆様のお力で彼女を救出して頂けますよう、宜しくお願い致します。 草々

 Chloé


 ヴァンツォ隊長様



 ……なかなか掴めない女だけど、可愛いところがあるじゃん。


「何をニヤニヤしているんです?」


 その冷淡な声は俺のすぐ近くで発せられた。見上げればまさにクロエが佇んでいたが、蔑むような目つきなのは相変わらずだ。それでも以前と比べて目は心なしか丸く、口角が上がっているようにも見える。だからこそ素直に礼を述べた。


「ありがとな」

「な、何のことでしょう?」


 本当は目が泳いでるくせに。でもこれ以上の言及はしないでおこう。俺は便箋を折って封筒にしまい、懐の中に入れた。


「ところで、俺に何の用だ?」

「朝食をとって頂いた後、会議室へお越しください。陛下が『本日にヴェステル迷宮に向かう』と」

「ああ」


 昨日もアンナ達の話を聞かなかったし、『今日突撃する』という決断をしてもおかしくない。むしろ俺もいち早くアイリーンを救出したいと思っていた。


「もうじきご用意できますので、今しばらくお待ちください」

「何から何まで助かるよ」

「……でも、マスターは誰にも譲りませんから」


 クロエは俺にお辞儀をした後、振り向きざまに口を尖らせていた。




(第四節へ)





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