騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第九節 『私もあなたが大嫌いです』

公開日時: 2021年6月8日(火) 12:00
文字数:5,691

 ──ティトルーズ暦二十六年、七のトパーズ。


 プレゼントを渡してからの時が過ぎる。例え心が擦り切れようと、アリスとの再会を諦めていなかった。

 辿り着いた場所は、国内の辺境に在る“リタ平原”。冷ややかな青空が広がるのに対し、ここの草木だけは何故か緑豊かだ。地平線は続けど、魔物どころか生物の気配すら見当たらない。


 歩き疲れた俺は青々とした絨毯に腰掛け、空を眺めてみる。絵の具を伸ばしたような白雲は緩やかに流れ、ほのかな北風によって草が揺らめく。東の方を見遣れば、ミュール島と思しき地が堂々と浮遊していた。


 此処に足を運んだのは今日が初めてではない。何度も訪れたが、その都度彼女はいなかったのだ。

 今日もきっと居ない。なんせミュール島からは近いし、また何処かで入れ違いを──



「アレックスさん」



 確信。その声の主は、俺の背後で佇んでいた。

 初めて会った時に着たワンピースに、首から提げたラピスラズリのペンダント。儚げな髪色を持つ彼女は、静かに微笑んでいた。


「アリス……」

「やっとお会いできましたね」


 差し伸べられた手を迷わず取り、立ち上がる。彼女は女の中では高い方だと思うが……改めてみると、小柄に見える。それでいてメリハリの利いた体格なのだから、俺以外の男にも沢山言い寄られたに違いない。

 だけど、彼女は俺を選んでくれた。どんなに追われても、俺と同じように探してくれたんだ。今更なんて礼をすれば良いかわからねえな……。


 アリスは笑みを浮かべたまま、俺の手を離そうとしない。それどころか、俺の身体が勝手に前へ引っ張られていた。


「ほら、アレックスさん! 早くっ」


 決して振り返かず、ひたすら緑の絨毯じゅうたんを突っ切る。

 その無邪気ぶりに身を委ねていると、枝葉を広げた大樹に辿り着いた。


 息を切らしながらも、華奢な手で引き寄せるアリス。背を幹に預けるせいで、俺が追い込むような形となった。此方がたじろいでいると、彼女は両手を胸に当ててこう言う。


「抱いて下さい……これがだから……」

「……お前、今なんて……」

「あなたと会えるのは、今日しかありません。ずっと黙ってきましたが、来月末にラウクさんと──」


 震える声が、悪魔を呼び起こした。

 最後まで紡がれる前に、両手を掴み舌を絡ませる。それは、生まれて初めての行為──しかし、何度も経験したような感覚でもあった。


 俺を止められる者などいない。

 身体に手を忍ばせると、彼女はついに嬌声を漏らした。


 しばらくの抱擁でアリスの理性が濡れ出す。

 感極まる前に唇を離せば、潤んだ瞳で俺を見つめていた。


「……場所を、移しましょう」


 その掠れた声に艶があるせいで、俺も狂っちまいそうだ。だが今は衝動を抑え、彼女についていこう。


「どこへ行くんだ?」

「秘密っ」


 再びアリスが俺の手を引くと、深緑の茂みへと向かった。小川流れる森の中、せせらぎが俺の意識に語り掛ける。


 視線を落とせば、水面には俺が映っていた。前髪がやや長く、後ろ髪が無造作だ。こんなヤツが今から女と向き合うと思うと、堪らず目を背けたくなる。

 嗚呼、この流れる音が心の穢れを晒すようで耳が痛い。胸の高鳴りも増す一方だし、そろそろ開放されたい一心だ。


 羞恥心を胸に歩を進めると、ようやく秋空と平原が見えてくる。

 もうすぐだ。きっとあと少しで──。



「こちらですわ」



 目の前に広がるのは、木で造られた小さな廃屋だ。藍鼠色のくすんだ屋根に、傷みきった壁。此処で住むには色々と心許無いが、身を隠すには申し分ないだろう。


「あまり綺麗とは言えませんが……良かったら入って」


 アリスがドアを開けると、木を擦るような音が響く。早速中に入れば、数歩程度しかない廊下が視界に飛び込んだ。正面には簡易的な台所、右手には年季の入ったドアがある。


 彼女はそのドアノブに手を掛け、狭い部屋に入る。棚やテーブルなど、随所で埃が被る光景はまさに汚れた雪景色。窓から注ぐ光のせいで、浮遊する無数の粒子が目立った。

 窓際にあるのは、明らかに単身用と思われるベッドだ。二人で上がるには狭すぎるが、その分密着できるから良しとしよう。


 アリスがベッドの前で立ち尽くす中、俺は静かにドアを閉める。バタリと嵌った音がすると、耳鳴りがする程の静寂が漂った。


 一歩ずつ近づき、彼女の肩に手を掛ける。

 そしてベッドの上へ押し倒すと、俺たちは激しく口づけを交わし合った。


「アリス」

「……っ」


 この日、俺は“女”という存在を知る。余りに無知だったせいで、痛い思いをさせてしまっただろう。

 それでもアリスは本能を魅せてくれた。彼女なりの慈しみで何度果てたか計り知れない。『本当にこいつは御神子みこなのか?』と問いたくなる程乱れていた。


 けれど、その行為もいずれは終わりを迎える。


 空が茜色に染まり、眩い光がベッドを照らす。

 種族を越えた俺らは、一糸纏わぬまま抱き締め合っていた。


「こうしてお前と一緒に住めたら良いんだけどな」

「それができるなら、毎日料理を振舞えるのにね」


 思えば、アリスの手料理を一度も口にした事が無かった。四世紀経った今ならまだしも、当時は電話すら存在しなかった。しかもいつ会えるか判らない以上、同棲なんてただの夢物語だ。


 ぽつりと言葉を交わしては、静まり返る。

 彼女の頭を腕に載せながら、そんな語らいをしばらく繰り返していた。余った手で頭を撫でれば、幸せそうに胸元へ飛び込んでくる。


 これが最後。これで最後。

 その事実が離れられないせいで、俺の涙腺は今にも壊れそうだったのだ。


 何故、時の流れはこんなにも早いのか。血にも似た陽光は、彼女に母国へ戻るようり立てる。


「戻らなきゃ……」


 アリスはベッドから降り、脱ぎ捨てた衣服に袖を通す。乱れた髪を手ぐしで整えた後、少しずつドアへ近づいていった。



「アレックスさん……さようなら」



 唇を震わす想い人。

 俺のほうを振り向くと、白いワンピースとまっすぐな髪がふんわりと揺れる。片手を胸に当てるのは、いつもの癖だ。


「もう行ってしまうのか?」

「はい。そろそろ彼らが探す頃ですから」


 お前、泣いてるのか笑ってるのかはっきりしろよ……。

 下がった眉に溢れる雫、無理やり引き上げた口角──そんな顔を見せられたら、余計辛くなるだけだ。


 悪魔オレが神にすがるのもなんだが。今すぐこいつを闇で隠し、もう一度俺の腕で抱き寄せたい。それができたらどんなに幸せなことか。

 俺は、古いベッドの上から見送ることしかできないというのか? 受け止め難い現実が近づくほど、彼女から目を逸らしたくなる。


 白いシーツを無意味に見つめていたはずが、

 徐々に滲んだ。


 見るなよ。

 見てんじゃねえよ。

 俺の無様な姿を見て、勝手に泣いてんじゃねえよ。


「……さっさと行けよ、この……バカ女……」


 お前の顔なんか、もう見たくねえんだ。


「言われなくても、わかってますわ……!」


 なら早く消えてくれよ。

 こっちはもう胸が痛いどころじゃねえんだ。



「あなたのそういうところ、大嫌いですもの!!!!!」



 ああ、それで結構さ。


 ドアが強く閉ざされる音。

 脳裏にこびりつく、涙まじりの怒声。


 忙しない足音が、

 遠のいていく。



「……なんで……なんで俺は悪魔なんだよ!!!!」



 こんな辛い想いをするくらいなら。


 親父からもらった力も、

 俺という存在も、

 何もかも要らねえ。


 天井の一角に張られた蜘蛛の巣。

 こんなグロテスクな模様を見つめたって無駄だ。


 あの雪のような肌とかさ、

 柔らかな感触とかさ、

 甘い吐息とかさ。


 忘れられるわけねえだろ。


 だいたい俺たちの関係なんて、一騎討ちだけで終わるはずだったんだよ。

 それなのに……いつの間にか劣情が抑えきれなくなって。


 美味そうに飯を頬張ってたお前の顔だって、俺への想いを詠う声だって、

 全部ぜんぶ俺のモノにしたかった。


 ああ! クソったれが!!

 こんなことなら、お前なんかと会わなきゃよかったよ。


「……『お幸せに』なんて言えるか、バカ野郎」


 俺は腕をまぶたに押し当て、先までの刹那を思い返すことしかできなかった。








7th.Top, A.T.26


 私たちが最後に逢った日、あの人が抱き締めてくれた。いっぱい泣いちゃったけど、うるさくなかったかな? 見回りもいなかったはずだし、大丈夫よね。

 それにしても、彼の真剣な顔はとてもカッコよかったな。もう二度と見れないと思うと、また涙が……。


 本当はお別れしたくなかったの。私から言ったくせにね。お互い話す余裕なんて無かったけど、彼はずっと頭を撫でてくれた。ずっと私を見つめてくれた。どんな神様よりも信頼できる、慈悲深い眼差しだったわ。


 でも、時間は待ってくれない。秋は夏と違って陽の沈みが早いの。憎いくらいにね。

 それでも告げなきゃいけなかった。



「アレックスさん、さようなら」って。



 あの時の夕焼けは、ずっと忘れない。

 とても寂しそうな彼を照らしていたから。


 もし願いが叶うなら、もう一度あなたの腕で抱き寄せてよ。

『これが最後』なんて言うんじゃなかった……。こんな素敵な人を泣かせるなんて最低だわ。




 だから──




 私もあなたが大嫌いです。

 最後まで憎まれ口を叩くあなたが、大嫌いです。






 ……なんて心から言えたら、とても楽なのにね。


 今度こそさようなら、アレクサンドラ。

 これが最初で最後の恋かもね。


 これからは、ティトルーズ王国とミュール島を守る御神子として生きます。

 あなたに、ミュールの御加護があらんことを。




 大好きでした。

 この世で、一番──







「くっ……あぁ……!!」

 黄ばんだ厚手の紙に、いくつものみが落ちる。


 もう抑えきれなかった。


 御神子あいつとの記憶が、

 走馬灯みてぇに何度も何度も駆け巡ってくるんだよ……!


 頭が、胸が、チクチクするんだよ……!



「ごめんな……お前にきちんと気持ちを伝えるべきだった……」



 次のページを捲らなきゃいけないのに、指先が動かない。こんなに汚しちまって、返す時にマリアに怒られるだろうな。

 でも、そんな事はどうでもいいさ。こうしてアリスの気持ちを知れたのだから。


 刹那、右側から一条の光が射し込む。

 窓辺に映るのは、霞がかった空と淡く色づいた雲。


 その景色もまた、時の流れを物語る。夏は秋と違って陽の入りが早いものだ。ビックリするぐらいにな。


 大丈夫だ。

 今、お前の魂は末裔かのじょの中にいる。


 俺は一人じゃない。

 あの頃と違って仲間もいるし、両親は平和に暮らしてるし──何より、が傍にいてくれる。


 日差しは冷え切る空間を温め、夏の始まりを再び告げる。

 だが、今日に限ってはそれが心地よいと思えたのだ。


 瞼が急に重くなり、手先の感覚が失われていく。

 そのままソファーに埋もれた俺は、緩やかに暗闇へ落ちていくのだった──。




「あなた」


 誰かが呼び掛ける。この澄み切った声はアリスかシェリーだろう。

 雲ひとつ無い空の下、暖かな風が蒼の花々を揺らす。ネモフィラとも呼ばれるそれは、まるでシェリーの髪色にも似ていた。



「こちらですわ。早く」



 声のする方を向くと、大きな麦わら帽子で顔を隠す少女が遠くで立っていた。


 帽子が風に飛ばされぬよう、片手で必死に押さえる彼女。

 徐々に近づくと、華やかな香りが運ばれてきた。


「お前は……?」


 風に揺られる髪は腰まで長く、青白く輝いている。均衡の取れた体格を包むのは、アリスが着る純白の衣装だ。

 無数の花弁が舞い上がる中、彼女は言葉を紡ぐ。



「私は、あなたの心の中に在り続けますわ。例え、何度生まれ変わろうと──」



 遮ったのは、けたたましく咆哮する風。

 水晶のような瞳が垣間見えたのは気のせいだろうか。花々は横倒しになり、彼女の髪は乱れる程に流れた。


「おい! 今なんて……!!」


 言葉の最後を知りたくて手を伸ばす。だが、視界は瞬く間に花吹雪に支配されてしまった。

 やがて暴風が過ぎ去り、視界が晴れて──




 唸るような振動音が、意識を叩き起こす。

 瞼を開けると、眼前にはテーブルが広がっていた。卓上にあるのは、開きっぱなしの日記帳と置き去りにされたティーセット──そして通信機だ。


 音の正体に手を伸ばし、硬く平べったい物体を取り出す。その物体を縦に開くと、『Sherryシェリー』という字面が液晶に浮かび上がった。

 ほぼ脊髄反射でその画面に触れ、端末を耳に当てる。直後、朝に相応しい声が耳を伝ってきた。


、アレックスさん」

「ああ……おはよう」


「良かった……何度も鳴らしましたが、一向に出なくて気掛かりでしたの。もしかして、ずっと寝てました?」

「うん……って、今何時だ?」



「もう一時ですわよ」



 その事実が上半身を一気に起こし──


──ガッ!!


「ぬぉぉおおおおおおぉおお!!!!!」

「ちょっと、大丈夫ですか!? 何がありましたの!? アレックスさん!!」


 言えねえよ、起きた勢いでテーブルに足をぶつけたとかさ。


 いや、マジで痛え。

 このまま死ぬんじゃないかってぐらいに痛え。


「うあああ……クソ……」

「あの……」


 ようやく、痛みが引いてきたか……。ぶつけたとこがばっちり腫れてやがる。まあ、シェリーからすれば何が起きてるかさっぱりだよな。そろそろ話さねえと……。


「気にするな。活を入れただけだ」

「……足、ぶつけましたよね?」

「俺がそんな誤ちを冒すわけ無いだろ。……まだ痛えけど」


「それはそうと、昼食を作りに行こうと思いますの。今からお家に向かっても良いですか?」


 何だか無視された気がするが、別に気にしてねえしすげえ良い提案だと思う。別に気にしてねえけど。

 それでもシェリーの手作りは食いたいので、思わず首を縦に振ってしまう。


「ありがとう、ぜひ来てほしい」

「はい! 食材は私の方で調達してきますね」


「おうよ、買ったらそのまま家に来てくれ。場所は判るだろ?」

「勿論ですわ。それでは、また後ほど」


 通信はシェリーの方から切れた。恋人かのじょがサプライズで来てくれるのは嬉しいが、何から手を付けよう……。


 何となくアリスの日記を手に取ると、羊皮紙に張り付いた滲みが目に留まる。その綴りは俺の胸を締め付けるが、『今は違う』と敢えて首を横に振った。



「安心しろ、アリス。俺たちはいつだって一緒だ」



 指の腹で肉筆をなぞる傍ら、自然と顔が綻んでいく。



『私もあなたが大嫌いです』



 俺もお前も、嘘をつくのが下手だよな。

 宥めるように栞紐を挟むと、汗でよれた記憶を静かに閉じた。




(終話へ)






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