二つの尖塔が目立つ荘厳な建物は蝋燭に照らされ、白金の輝きを放っていた。
この場所こそが“セレスティーン大聖堂”だ。ミュール教の信者なら一度は行った事のある場所とされており、俺も確か足を運んだ気がする。しかし女神の末路が脳裏を過ぎるせいか、あまり長居できなかったのだ。
「……やっと思い出した」
シェリーの部屋で起こったフラッシュバック。蒼いステンドグラスの正体はこの大聖堂であり、ティトルーズ城の礼拝室でも見掛けた事があった。蒼はミュール族の象徴──その光は、“燐光”とも呼ばれている。
ただ、大事なのは思い出すことではない。ここに囚われているシェリーと酒場のマスターを助けることだ。マリアたちの支援により、武器や防具を一新。彼らが勇気を与えてくれたおかげで、身体は自然と大きな扉へ近づいていく。
俺の身長を超える、両開きの黒い扉。両脇に掛けられた蝋燭は、女神を模した彫刻とミュール教の紋章を映し出す。俺はその紋章を塞ぐように両手で扉を押さえ、そのまま前に重心を掛けた。
「うっ……」
想像以上の重さに、思わず声を漏らしてしまう。いくら男の俺でも、この門を開けるのに精一杯だ。
だけど、もう少しだ。このまま重心を掛けてやれば──!
「ふう……」
俺を出迎える神聖な空間。正面奥には先程と同形状の扉が在る一方、廊下が左右に分かれていた。俺の記憶が正しければ、正面の扉の先に内陣があったはず。
しかし、あのジャックが易々と行かせてくれるとは思えない。それに此処から扉まで数メートルある中、不穏な気配が俺に長剣を握らせた。
高い天井を見上げてみれば、二つの影が揺れ動く。彼らは正体がバレぬよう、淡い灯りから外れて隠れている。
まずは左の敵からだ。右手に魔力を込め、小さな氷の弾を放つ。その塊が影に当たると、『ぐへ』という間抜けな呻き声と共に何かが落ちた。どうやら骨が折れて動けないようなので、もう片方に標的を移そう。
右の影も倒すと、同じような声と共に落下。その隙に二つの敵を斬りつけると、息の根が止まって血が流れ出た。
さしずめ、彼らは小人といったところか。一般的なドワーフと違って痩せこけていて、四肢も極端に細い。貧困に苛まれた証と見て取れるが、敵対する以上情けは掛けない。
もう一度天井を見上げ、残党がいないか確認。まずは右の廊下へ向かう事にした。
数段程度の階段を上ると、薄暗い廊下が地続きする。まるで血を落とし込んだような赤い絨毯は、状況が状況なので不気味と感じる。
いくつもの分岐があるが、此処は手前の角を右に曲がってみよう。
ちょうど壁に沿って歩けば、左手と正面に道がある。此処はとりあえず後者へ──
「って、行き止まりかよ」
こういう場所の足下には何かがある事が多いが、此処には何も無い。仕方なく引き返し、今度こそ例の道を進むことにした。
少し歩くと、アーチ窓が連続する回廊に辿り着く。月明かりに照らされて幻想的な印象を受けるが、それは自身が狙われやすい事の裏返しでもある。
息を潜め、速やかに進もうとした矢先。
向かい側から人影が見えた。
「ティトルーズ王国なんて滅んじまえ!」
「これからの時代はルーセ様が作るのだ!!」
燕尾服や甲冑に身を包む男たちが五人──騎士は勿論、機関銃型の魔力変換銃を持つ紳士も立ちはだかる。
「……国王を裏切るとは、憐れな連中だ」
最初に仕掛けてきたのは、機関銃を構える元執事。しなやかな指先でトリガーを引き、反骨精神をばら撒いた。
光弾の群れは緩やかに弧を描き、俺に狙いを定める。さすが王を護衛しただけの事はあるな。
だが、そんなもので俺を殺せまい。隙間を縫って距離を詰めると、切っ先で彼の命運を断ち切った。
誰もが『洗脳された』と思ってはいたが、本当に離反者が出るなんてな。そうなった以上は、全て斬り伏せる。
「のわ……っ!」
よし、難なく四人を倒した。あと一人は──
「く、来るな!」
残る騎士は長剣を握ったまま手を震わせている。そこで俺は脚を高く上げ、彼の顎に衝撃を与えた。剣は回転しながら宙を舞い、切っ先が床に打ち付けられる。剣身が真っ二つに割れると、騎士は恐怖のあまり腰を抜かした。
「ああああ…………!」
騎士は尻餅をついたまま俺を見つめるのみ。そんな彼の喉元に切っ先を突き立てると、突如喚き出した。
「い、命だけは取らないでくれ!! 何でも話すから!!」
「内陣への鍵はどこだ」
「……その……アマンダ、様が……」
「アマンダが? ヤツもこの聖堂にいるのか?」
「は、はい! 聖具室にいらっしゃいますが、そちらも鍵が必要で、えっと……儀式室に、いいい行かねば!!」
言葉が支離滅裂になってきてるが、大体はわかった。
儀式室で何かしてから鍵を手に入れ、聖具室にいるアマンダを倒す。で、内陣への鍵を彼女から奪えば良い──という事か。また遠回りをさせるのだな……。
俺が騎士の腹を蹴飛ばすと、彼はそこで気絶。執事の手元からマシンガンを奪って担ぐと、内陣とは反対の方へ歩を進めた。
くそ。体力温存しなきゃならねえのに、勝手に急ぎ足になっちまう……!
しばらく回廊を駆けていると、真横から魔族のような存在が飛び込んできた。
「ふひひひひひひひ」
今度はリトルデーモンか? 紫色の肌と赤い蝙蝠の翼・六本の腕だけ見ればヤツ──意識の中で戦ったデーモン──とほぼ相違無い。しかし、その身体は鉛筆のように細く、特段強い瘴気すら感じられなかった。
この小さな魔人は、貧弱である事を棚に上げるかのように俺を嘲笑う。それから短い柄の槍を両手で回すと、矛をこちらに向けた。
「俺に何の用だ?」
「へっへ。人間ぶったって、あんたも所詮同族だろ? さっさとルーセ様んとこに降っちまいなよ」
「クズな男に従う趣味はない。邪魔をするなら容赦しねえぞ」
「まあまあ、そうかっかすんなって。ルーセ様から聞いてるぜ。あんた、人間ばっか喰って捕まったんだってね」
「それも昔の話だ」
「本当は今も喰いたい。そうだろ?」
上目遣いをするリトルデーモン。だが、相手が雄である以上何一つ揺らぐ事は無い。
「当分はいらねえよ。あと千年は生きられそうだしな」
「なら、その1,001年後からはどうする? 伴侶を置いて地獄に行くのか?」
「『置いて』?」
「がははははは! そっか、あんた知らねえもんなぁ。頭ん中がお花畑なこったぁ」
彼は槍を手放してまで腹を抱え出す。暫し笑い転げた後、「じゃ、教えてやるぜ」と信じがたい事を述べてきた。
「あんたの伴侶、死なねえよ。オレはちゃーんとこの目で見てきたぜ? あの女、『それだけは嫌』と泣いて許しを乞うてたんだ。けど、今更謝ったってもう遅い。ルーセ様は、(シェリーが)不死の薬には手を出さねえ事を知った上で首にブスリとやったんだよ! あーっははははは! これだから女子供の悲鳴は聞いてて愉しいぜぇ!」
……絶対に信じねえ。こいつは真実と見せかけてデタラメな事を言ってるだけだ。第一、魔族というのは嘘をついて生きる奴が多いんだ。俺が惑わされるわけ──
「……っ!!」
「隙だらけだぜ、悪魔さん?」
それはほんの一瞬だった。鋭い痛みが腹部を抉り、思考を真っ白にしていく。視線を落とせば、いつの間にか槍が刺さっていたのだ。
デーモンに槍を勢いよく引き抜かれ、口から大量の血が溢れる。痛みが増すにつれ、俺はいよいよロクに立てなくなった。
床上で蹲る俺に対し、デーモンは再び嗤い出す。
「ひゃっはははははは! 引っ掛かってやーんの!! どーせ『オレがちっこいから』と侮ってたんだろぉ? ふひひひひひひ!!」
「…………失せろ」
「へ?」
屈辱に支配された俺は、痛みを忘れて立ち上がる。
そして剣で横に払うと、デーモンの首は赤い軌跡を描きながら遠くへ転がった。
「……シェリーは、不死の存在なんかじゃねえ」
偶然にも血走った目と合うが、その開いた口が動く事は二度と無い。俺は眼前が血の海になっている事を忘れ、片手で脇腹を抑えた。
「傷を、癒やさねえとな……」
生暖かいものがどくどくと溢れ、意識を朦朧とさせる。それでもなお、俺は空いた手で懐を探った。細長く硬い感触を取り出し、実物を目視。それは、出発前にジェイミーから貰ったガラス製の小型注射器だった。
バレルを満たすオレンジ色の液体は、高速回復剤と呼ばれている。治療のためにわざわざ鎧を脱がなくても良いよう、開発されたのがこの薬だ。高価である分、身体の傷や大半の病はこれで治せる代物だ。
針を首に突き刺すのと同時に、親指でプランジャーを押し込める。首には刺される痛みが、全身に灼けるような痛みがたちまち広がっていった。
「があぁあ!!!」
あと少しだ。あと少し耐えれば、傷が癒えていく──!
回復剤はようやく脇腹の傷口を塞ぎ、あらゆる痛みを拭い去ってくれた。
一段落してから注射器を引き抜き、乱れた呼吸を整える。こうしている間も、シェリーたちはジャックに傷めつけられてるに違いねえ……!
身軽になった身体を起こしては、空振りで血糊を払う。血は白い壁に付着し、雫となってだらりと滴った。
デーモンの戯言に耳を貸すな。真実はこの目で確かめれば良い。
俺は不憫な屍たちを残し、三叉路に出る。横一面に敷かれた絨毯が俺を呼び寄せ、まだ見ぬ先へと導いた。
──夜は、さらに深みを増していく。
(第三節へ)
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