「……っ」
「アンナ?」
「アイリーン、さん……」
「喋らなくて良いわ。回復剤がまだ回って──」
「ううん、大丈夫……。それより、あの人が……ジェイミーが……ジャックと一緒に、何処かへ行っちゃったの……。ボクが早く開花すれば、あんな事に……」
「……はっきり言って、花姫一人ではジャックに太刀打ちできないわ。でも、ジェイミーがあいつと一緒に行動するなんて考えられないわね」
「ジャックに、植え付けられてたんだ……ルナたちもそうだったように、覚醒の種を……」
「──!?」
「きっと、皆に知られたくなくて……それで、ボク達の前から姿を……」
「……なら、クロエに行方を追わせるわ。この部屋が散らかってるのも、あいつらのせいってわけね」
「…………(頷く)」
「貴女をこのまま城へ連れて行く。使いが来るまで身体を──」
「ねえ」
「何?」
「ボク達は……あの人と、戦わなきゃいけないの……?」
──天界、楽園上空。
俺とシェリー、マリアの三人は天の宮殿でガブリエラたちと別れた後、庭園で待ってくれていた馬車に乗り込み、宮殿を離れた。魂を人間界に送り込むための儀式は、天使以外の立ち入りが許されていない。その為、ガブリエラやルーシェとは在る階で別れ、その後は(他の)天使の導きで庭園まで辿り着いた。
そして馬車で揺られる俺達は、楽園都市から視えた虹へと向かう。天使曰く、そこへ飛び降りれば人間界へ戻れるそうだ。
俺の隣にはシェリー、向かいにはマリアが腰掛ける。目を腫らすシェリーは幼馴染との和解を果たした安心からか、呆然と窓を見つめていた。窓辺に映る青空と白雲は、今の状況に相応しいのかもしれない。
彼女に水を差すわけにもいかないので、俺はマリアの方を見つめアルディについて話題を振る。
「しかしアルディがルーシェにあんな事言うなんてな。俺からすりゃ、当たりのキツいおばさんって感じだったぞ」
「それはあなただからではなくて?」
「どういう意味だよ」
相変わらずこの女は喧嘩腰だ。それがシェリーのツボに入ったのか、優雅にクスクスと笑い出す。
「確かにちょっと怖い方でしたが、きっと警戒心の強い御方かもしれませんわ」
「そうね、半ば故郷を追い出されたようなものだし。まあ、あたしも彼女と何度か喧嘩したけどね」
「お前らがぶつかった日には、世界が終わりそうだな」
「何ですって!?」
「まあまあ」
マリアとアルディの大喧嘩で、銀月軍団が怯んでくれりゃ良いんだけどな。マリアが頬を膨らませ俺を睨むが、面倒なので此方から話題を替えてみた。
「それにしても、ガブリエラちゃんには色々と驚かされたぜ。ありゃジェイミーの友達になれそうだが……」
「人間界に降りられないのがネックね。あなたが楽園に居た頃はどんな見た目をしていたの?」
「もうちょっと上品な服装だったけど、性格は今と変わらないよ。それでも、お怒りの時はさっき──ルーシェに罰を与えた時──の御姿になるけどね」
「不思議なもんだ。まるで人が変わったみたいっつーか……」
「あなたやベレのような魔族は、覚醒する時に性格も外見も変わるでしょ。天使にもそれがあるのかもしれないわね」
「……魔族……」
マリアの言葉を受けて思い出されるのは、ジェイミーの顔だ。飄々とした振る舞いで魔法を放つ彼だが、果たして俺らのように覚醒の概念があるのだろうか。
「どうしました?」
「いや、何でもねえ」
「ふうん。……それにしても、ルーシェはこれで幸せに生きられるかしらね」
「そうだと、思いたいな……。次に会う時は、もう違う存在かもしれないけど」
「流石に“ルーシェ”なんて呼べないだろうが、その方があいつも前を向けるだろ」
「……はい!」
俺の言葉に頷くシェリー。その笑顔はどんな空よりも美しく、思わず頭を撫でてしまいそうだ。
ふと窓辺に目を向けると、大きな虹が此方へ迫っていく。マリアは「あっ」と声を漏らし、先ほどの天使に言われた事を述べた。
「そろそろじゃない? 此処から降りるんでしょ」
「ホントだ!」
眼下に在る七色の橋は、横一面に広がる大陸を薄らと映す。その大陸の形は、俺達が暮らすオルガとほぼ一致。しかし虹から視線を移せば、先程俺たちがいた楽園都市が視える。この場こそが人間界と天界の境目なのだろう。
といっても、マリアとシェリーは未開花の状態だ。このまま飛び降りれば、(いくら天界と云えど)あまり洒落にならないかもな。
「マリアちゃん、シェリー。俺と手を繋いで降りるぞ」
「…………不本意だけど、そうするしかないようね」
シェリーは微笑を浮かべ、嬉しそうに左手と絡ませる。一方でマリアは顰め面だが、一応は俺の右側に立ってくれた。
俺が余る右手で扉を開けた瞬間、マリアも同じく手を繋ぐ。それから意識を集中させ、息を深く呼吸した。
「じゃ、行くぞ……」
「はい……!」
いったいどういう原理か判らんが、馬車は上空で停まってくれている。俺はマリアらの手を握り締め、思い切り地面を蹴った!
「とうっ!」
「ひぃ……!!」
空中落下。マリアの声が裏返る一方、シェリーは長年の訓練からか表情一つ変えず虹を見つめる。両者から甘い香りが漂うが、此処で手を緩めば彼女らが落ちてしまう。
ついに虹の中へ入り、天界へ向かう前に起きた眩い光に包まれる。冬とは思えぬ熱気の中で翼を広げた瞬間、意識が急速に奪われ──
────────────。
──────────。
────────。
──────。
────。
「……あれ」
自身の背を受け止める柔らかな何か。ひとまず上体を起こしてみると、此処はティトルーズ城の医務室だった。この部屋に佇むのはアイリーンのみ。隣のベッドにはマリア、向かいにはシェリーが横たわっている。
どうやら、魂が抜けた肉体は此処へ運ばれたらしい。俺が無事である以上、彼女らも早く気が付いてくれると良いのだが──。
「陛下、お嬢様」
「アイリーンさん……ご心配をお掛けしましたわね」
「それより、皆は?」
良かった、二人も間もないうちに起きてくれた。アイリーンの淡々とした振る舞いは、『無事に戻れる』という信頼の証か。
俺が尋ねると、彼女は廊下の方を向き会議室の在る方角を指し示す。
「そういう事か」
「皆様も不安な気持ちにさせる訳には参りませんから」
「『皆様も』……? どういう事ですの?」
「……それにつきましては、後程ご説明しましょう」
シェリーの問いに一瞬だけ口を結ぶアイリーン。俺達はベッドから下りて服装諸々を整えると、そのまま軍議室へ向かった。
「陛下、今回は自分が」
「よろしく頼むわ」
いつものようにマリアが中央の席に腰掛けると、アイリーンは一礼する。周囲で座するのは花姫たちにヒイラギ。……だが隅に座るある少女だけは、怯えている様子だった。
「アンナ?」
「…………」
マリアが声を掛けても、アンナは机を見つめるのみ。いや、心ここに在らずといった状態だろう。
その時、アイリーンが狼狽えたのは決して気のせいじゃない。彼女は一旦咳払いすると、「それでは」と説明を始めた。
「隊長がたが天界へ向かわれた後、彼らの肉体を医務室へ運ばせました。その際、残る花姫たちは解散し、各自で事前準備を促したのです。然しながら、ジャックはアンナの自宅を襲撃しました。丁度ジェイミーは彼女といらしたものの、覚醒の種に逆らえずジャックと共に行方をくらまします」
「ちょっと! 覚醒の種ってどういう事よ!」
「あの御方がそんな目に遭うなんて、有り得ますの!?」
「経緯については俺が話そう」
マリアとシェリーが困惑するのも無理も無い。そこで俺は灼熱の渓谷で起きた事を話した上で、冷静になるようやんわりと窘めた。
「それで、皆を急きょ此処へ呼び寄せたわけだな」
「左様でございます。そしてアンナから連絡を受けた自分は、彼女を王城へ退避させ、クロエに尾行させました」
「──という話を、さっきうちらも聞いたんだ。そうだろ、姉貴?」
「ええ。……アイリーン様、ジェイミー様たちはどちらへ?」
「南東に位置する陽の神殿よ。そこには最後のオーブが在るわ」
「あの快楽主義な蛇なら、彼に護らせるでしょうね。そして、あたし達がぶつかる様を肴に……」
「…………そんな事は、させない」
ぼそりと呟いたのはアンナだ。一同は彼女の方を向くが、本人は顔を上げぬまま言葉を続ける。
「ジャックの狙いは、ボクだ。だから……ボクが死ねば、ジェイミーもきっと……」
「……誰も死なせねえさ。戦いは、避けられねえがな」
「…………っ」
アンナが肩を振るわせ、瞳から雫が零れる。隣に腰掛けるヒイラギはアンナを抱き締めつつ、話を切り出した。
「あそこはジェシーが護ってるはずだが、猫も蛇も気まぐれだからな」
「オーブが旧ルーセ城の鍵となりますから、強力な存在に警備を任せるでしょう」
ジェシーは、かつて俺らと対峙した半人半獣──銀月軍団の一人だ。肩まで伸びた赤い髪に令嬢服といかにも少女らしい格好をしたクソ野郎も、長い事見ていない。最後に見たのは、エンデ鉱山に向かった夏だろうか。
「ですがそれは、この国の何処かにいるという事になるのです。早く彼をも倒さねば、何が起きるか判らないのですよ?」
「エレちゃんの言う通りだ。とはいえ、クロエちゃんですら追えない以上は後手に回らざるを得ない」
「それに、早くジェイミーさんを止めないと……アンナのためにもね……」
シェリーが悲し気な目線をアンナに送る。そこで俺はアンナに聞こえぬよう、アイリーンにこっそりと質問してみた。
「アンナちゃんに何があった?」
「ジャックに攻撃されたの。それに加え……精神干渉もね」
「な……っ!?」
精神干渉はジャックの得意分野──俺が知る限りだと、その被害に遭ったのは俺とシェリーだ。魔族や神族ですら苦痛だってのに、人族が喰らえばどうなるか考えたくもねえ。
「辛い過去を思い出したせいで、ずっとあんな感じよ。自分たちに何かできれば良いのだけど……」
「…………」
『腸が煮えくり返る』とはまさにこの事か。もしいつものアンナなら、『ボク達で目を覚まさせよう!』と言うはずだからな。
「……聞いてくれ」
シェリーを始め、誰もが俺の方を見る。いま自分が何を伝えるべきか、もう判っているさ。
「相手は不死の存在にして吸血鬼──俺一人でも破れねえ存在だ。一旦オーブの事は忘れろ。挑む覚悟があるヤツだけ来い」
「…………何処までもついて行きますわ」
胸に手を当て、真摯な眼差しで俺を見据えるシェリー。恋人が最初に決意を示してくれるのは、俺にとっても非常に心強い。その次に応えてくれたのは──
「わたくしも行くのです。その……アンナ様の、未来の王子様なのですから!」
「うちはこの場に残ろう。どうも胸騒ぎがしてね」
「良いさ。マリアちゃんにアイリーンちゃん……ずっと俺たちと戦ってきてくれたが、お前らには大切なモノがあるはず──」
「行くわよ、あたし達全員で純真な花だもの。そうでしょ?」
「はい、全力で陛下をお守りします」
「ありがとう。最後に……」
力強く頷いてくれた二人。俺はもう一度アンナの方に視線を投げ掛けると、極力柔らかな語調で尋ねた。
「お前に一番無理をしてほしくない。転移装置でまた移動できるからな」
「…………ボクこそ行かなきゃ、ダメだよ……。だって、ちゃんと……返事してないから……」
「なら、尚更『ボクが死ねば』なんて言うもんじゃねえ。……お前に足りてねえのは、守られる勇気だよ」
「お友達を全力で守るのですっ!」
「……ありが、とう……」
「じゃあ決まりね。皆、陽の都へ転移したら真っ先に物資を調達するわよ」
「「はい!」」
陽の神殿は、俺が二十年滞在していたへプケンの付近に位置する。常に温かいので冬には丁度良い場所だが、戦う時は空気の乾燥がネックだ。そこで俺は「補給できる物も買おう」と付け加えておく。
現時点で陽の都で被害報告が無いものの、最後のオーブを取ってしまえば銀月軍団がどう動くか判らない。回収した後は、暫く街の様子を見る事にもなった。
こうして軍議が終わると、花姫たちは毅然とした態度で会議室を去る。しかし、アンナだけは席を離れぬまま。きっとジェイミーに対して思う事があるのだろう。
広々とした部屋が静まり返る。丸まった背をこの目で捉えると、本人は視線に気づいたようだ。
「……何?」
「悩み事なら聞くぞ」
「……ほっといてよ。それとも……」
アンナの刺々しい反応は、自宅前で介抱した時以来か。けれど、あの頃と違って朗らかな雰囲気は在らず、瞳にハイライトが無いようにも思えた。
冬の陽は沈むのが早い。まだ三時ごろだと云うのに、茜色の水平線が垣間見えていた。
「ボクが此処にいて、悪いの?」
「んな事言ってねえだろ。まあいい、きちんと休めよ」
「…………」
……これ以上話し掛けても、彼女が不快感を示すだけだ。俺はある少女の存在を思い浮かべると、その言葉を残して会議室を後にした。
(第二十二章へ)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!