俺とマリアはヴェステル迷宮二階で戦車を倒したあと、扉を開けて小さな部屋に辿り着く。入って右手には、ある女神を模った石像が在った。
陽のエレメントを司る女神アポローネ。ウェーブヘアを足首まで伸ばす彼女は優しく微笑み、両手を広げている。まさに太陽みたいな慈愛を以って俺たちを歓迎しているようだ。
部屋の造りは他の小部屋と変わらず、レンガ造りでカビの臭いが漂う。けれど魔物の気配は一切感じられないどころか、守られているような感覚だった。それに、この部屋に入るまでずっと感じていた重圧も存在しない。一気に身体が軽くなった俺は思わず床に身を投げてしまうが、マリアは流石にそんなことをしなかった。
無機質な天井からマリアへ目線を向ける。彼女は壁沿いで三角座りをしたあと、殻に閉じこもるように頭を埋めようとしていた。
「犠牲者たちを苦しめたのは、あたしの責任よ。あの人たちは、銀月軍団を倒すために奮闘してくれた戦士たち。ギルドや防衛部隊に、騎士団の皆……誰もが捕虜になって、皮を引き剥がされたのよ。もしあたしがしっかりしていれば、彼らが兵器として利用されることは無かったはずなのに」
「自分を追い込むのはそれぐらいにしろ。彼らだって、国を護るために戦うことを選んだわけだし」
「ええ。それはわかってるけど……もっと良い方法があったはずなのよ」
「例えば?」
「………………」
この状況下で思い浮かぶ方が逆に難しいだろう。彼女は罪悪感に身を委ねる余り、言葉を放つ様子が見られない。
だから俺は天井を見つめたままこう言った。
「俺たちが彼らの分を生きよう」と。
「今は大変な状況だが、それでも誰もが前を向こうとしている。戦士であろうと、そうでなかろうと。お前が本当に我儘だったら、ああはならねえよ」
「あたしはただ、シェリーやアイリーンと一緒に過ごせたらそれで良いのよ……もしあたしが『ティトルーズ家に生まれなかったら』って何度恨んだかわからないわ。もしシェリーみたいに自由に過ごせたら、窮屈な生活をしないで済むはずなのに」
「それなら、シェリーちゃんと出会えてなかったかもしれないぞ。俺だって人間として生まれてたら……」
『……なんで……なんで俺は悪魔なんだよ!!!!』
何度も繰り返される夢。その中で俺は、あの銀髪の女との別れを惜しむように泣き叫ぶのだ。たかが夢なはずなのに、その先の言葉が出てこなくて……「何でもねえ」と取り消した。
重い沈黙がしばらく続いたあと、彼女の嗚咽が聞こえてくる。丸まった背は俺を起き上がらせ、彼女の隣へと足を運ばせた。真横で胡坐を掻く俺は、泣きじゃくる彼女にハンカチを差し出してみる。
「何よ……」
「これも隊長の使命だ。今日のことは忘れてやるから、遠慮なく使え」
「……身勝手な男ね」
そういう割には、丁寧に受け取ってくれるよな。彼女は俺のハンカチで涙を拭ったあと、顔を上げて前を見つめる。腫れた目と赤くなった鼻先は、彼女なりの苦労を物語っていた。
「不思議ね。ルドルフの前だと肩ひじを張っちゃうのに、あなたの前だと気にならない。ううん、正しくはあなたがそうさせているの」
「あいつと上手くいってないのか?」
「そういうわけじゃないけど……時々疲れるの。親切にしてくれてるのに、あたしは彼に何も返せなくて」
「別に無理に返さなくて良いんじゃないか? 好きなようにやってるだけなんだから」
「違うわ……その……夜が、嫌なのよ」
夜……か。昼は優しい代わりに、激しく求めてくるタイプなのか? まあ、妹のルーシェもヤバそうな女だったし、兄もその気があるのだろう。
何となく察した俺は敢えて口を挟まないことにした。
「ごめんなさい。困らせちゃったわね」
「良いさ。隊員同士なんだし、困ったことがあれば何でも話してくれよ」
「あなたに話すことなんか何も無いわ」
「全く説得力ねえぞ」
雰囲気を和ませようとしているのか、口角を上げるマリア。無理に強がらなければ、絶対に良い女であるに違いないんだけどな。
いやいや、何言ってんだよ俺。あれだけ立ち向かってたんだから十分に良い女だろ。それに見た目だって悪くねえし、アリかナシかと訊かれたら……間違いなくアリだ。そんなことを考えてると、身体が勝手に疼きだす。せっかくだし、シェリーには内緒で誘ってみるか?
「寂しくなったらいつでも頼れよ」
「ちょっと! 何を言って……!」
マリアが俺の方を向き、大きな目を丸くする。その驚きぶりが俺をさらに興奮させていることを知らないんだな……。
だからそのまま彼女を床へ押し倒し、両膝で下半身を押さえ込む。マリアは膝を擦り合わせ、頬を赤らめたまま俺を見つめるだけだ。
「どうせ魔物が出てこないんだ。色々ほぐしてやるぞ」
「……そういうのは、よしてちょうだい。誰にでもしてるの?」
「んなわけねえだろ。これは、俺とお前だけのヒミ」
「たぁっ!」
「ぐあぁ!!」
死ぬ!!!!!!!!!!!!!!!
突如下半身に襲い掛かった衝撃のせいで、頭の中が真っ白になる。マリアを押し倒したはずなのに、俺がのたうち回る羽目になった。
ああ、いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい
もう俺の命は持たないかもしれん
親父、おふくろ
今まで俺をそだててくれて
「今のあたしは、力を得たおかげで十分に魔法を撃てるわよ。それとも杖で殴られたい?」
「どどどどどどっちも嫌だ! ……じゃなくて、イヤです陛下!!!」
「あら、拒否権はなくてよ? 女の子にご奉仕してもらえるんだから、有難く思いなさい。焔撃!!」
「あぎゃああああぁぁぁぁあああああぁぁあああ!!!!!!!」
おれのからだは
みごとまるこげになった
「さて。一休みできたことだし、さっさと行くわよ!」
「はい…………」
たのむ おれのじんけんをそんちょうしてくれ
やけどといたみでもだえるおれは、マリアにからだをひきずられながらへやをでた
憩いの場を後にした俺たちは、とうとう三階の階段を昇った。それから例の如く探索してみるのだが、これといったものが無いし魔力回復剤だって見当たらない。無論、酸に換えられたものが元に戻るなんていう奇跡もあるわけがない。
ただ、魔物が現れないだけ救いだろう。ひっきりなしに現れても面倒なだけだし、却って気が楽だ。
「此処が最上階だから、アイリーンもヴィンセントもいるかもね」
「早いとこシェリーらとも合流しねえとな」
「ええ。今頃この階にいれば良いけど……」
「こんなところで逢瀬か?」
「「!!!」」
背後から男の低い声が聞こえたとき、既にマリアは何者かに捕まっていた。
「鍵をよこしてくれれば、女王を解放してやるぜ」
全身傷だらけで褐色肌の青年。彼がマリアの首に剣を掛ける中、他の野郎どももぞろぞろとやってきた。
「誰だお前らは!」
「見てわからねえかぁ? わしらは魔術剣士ってヤツだよ!」
魔術剣士――それは、剣に魔術を込めて戦う人々のことだ。そんな彼らが何故こんなところに……?
首領であろう傷だらけの青年は、此処にいる理由を話した。
「ヴィンセント様より、『侵入者を始末せよ』という通達を受けた。抵抗すればどうなるか……わかっておるな?」
「この女には、此処でぜんっぶ見せてもらうぜ! あんただってホントは期待してたんだろ?」
確かに俺だってマリアを襲ったが、こんなことは俺の趣味じゃねえ。
だけど、さっきの鍵は俺とマリアが苦労して得たものだ。簡単に渡せばアイリーンの救出が遅れるし、何よりも仲間たちの信頼を失っちまう。
「アレックス……あたしのことは良いから、早く逃げて!」
「バカ野郎! お前を置いてくわけねえだろ!」
「でも、アイリーンが……!」
「黙れ」
「あぁああ!!」
マリアを捕える男は、彼女に電撃の魔法を掛ける。マリアは稲妻に縛られ、全身麻痺を起こし始めた。
「可愛い声してるな~」
「あんちゃんはそこで見てろよ」
「うう……っ」
マリアが痺れに苦しむのを良いことに、大股で近寄る男たち。
『それ以上はやらせまい』と鍵を取り出し、彼らに近づいた瞬間――。
「影嵐」
冷淡な女の声と共に、ダガーのような黒い影が男どもに迫る。
鋭利な影が後頭部から血を噴出させると、糸が切れた人形のようにあっさりと倒れてしまう。
「なっ……! 貴様、いつの間に!?」
驚く余り、マリアの首から剣を離してしまう首領。痺れが和らいだマリアは、ある者を見て息を呑む。
俺の背後からやってきたのは――
囚われていたはずのアイリーンだった。力だって解放させたままだ。いったいどうやって此処へ……?
「アイリーン!!」
「陛下!」
「くそが! 出てこい!!」
再会を阻むのは、瞬時で現れた複数の魔術剣士たち。
誰もが俺やマリア――ではなく、アイリーンを囲い始めたのだ。
「卑怯な真似をしやがって!」
「隊長、この程度の数は自分の敵ではございません」
「でも……!」
マリアが呼び止めようとした瞬間、アイリーンは屈んだと思いきや一気に跳躍する。
「はっ!!」
彼女は長い脚をスリットから露わにすると、身体を回転させて衝撃波を放った!
「うあぁ!!」
「ぐぉおお!」
闇の波動はザコどもは勿論、首領をも巻き込む。
彼らが痛みに苦しむ中、アイリーンは数メートル先の床へ着地して手招きした。誘惑する相手は野蛮な男たちだ。一斉に襲い掛かる中、彼女は冷静に弄ぶのみ。いくら彼らが魔法も使えるといっても、俺からすれば乱暴に剣を振り回しているようにしか見えなかった。
「やっちまええええ!!!」
「おおおおおお!!!」
剣身に焔や樹など、あらゆるエレメントを宿す剣士たち。
彼女の身体を切りつけんと大きく動く彼らだが、狭い通路のせいで同士を傷つける羽目になる。
「おい、何すんだよ!」
「知らねえよ、此処が狭いのが悪ぃんだよ!!」
「隙あり!」
アイリーンは剣技と魔法を華麗に躱した後、男たちの身体に次々と拳を叩き込んだのだ。中には剣を振り下ろす輩もいたが、すぐに下に避けて足払いを決める。そして自身に落ちようとする剣を拾うと、舞うように残党の身体を分断した。
「いぃ……ひぃぃい」
「まだ陛下に近づく気?」
アイリーンが煽れば、数人の男が泣きながら走り去る。結局残ったのは首領のみで、堂々と佇んでいるつもりでも足が竦んでいるのが判った。
彼は恐怖を誤魔化し、アイリーンの前で剣を振り上げた。清魔法を宿した刃からは彼女の背丈を超える程の波が押し寄せる。だが、そこで物怖じする彼女では無かった。
「反射壁!」
波がアイリーンの身体に触れる直前、黒い膜が彼女を覆う。清魔法はその膜に呑まれたかと思いきや、不気味な音を立てて跳ね返した。
「ウソだろ……おわぁぁああ!!!」
波は使用者を呑み込んで後ろへ倒す。
瞬きすれば、アイリーンは既に彼の前に立っている。男は「許してくれ」と何度も乞うが、陛下を人質に取った罪は決して軽くはない。
三日月のような軌道が男の胸を抉り、血飛沫が天井に付着する。天に伸びた彼の手がガクリと落ちると、白目を剥いたまま息を絶った。
マリアはアイリーンの元へ駆けつけ、彼女の胸の中に飛び込む。しがみつき、顔を埋める様子には国王の面影が何処にも無い。ただ母との再会を待ちわびた少女のように泣き声を上げるのみだ。
「あぁぁあ、心配したんだからね……」
「もう大丈夫よ。貴方たちこそ無事で良かったわ」
桃色の髪を優しく撫でるアイリーン。
しばらく再会の瞬間を噛み締めたあと、三人で迷宮の探索をすることにした。
此処は三階の一部にある倉庫だ。先ほどの魔術剣士の溜まり場でもあったようで、パンの食べかすや埃、ガラスの破片などのゴミが不衛生な印象を与える。棚には数本の瓶が陳列されているが、不思議と取る気になれなかった。なんせ治癒薬だと思ったら、剣士の――振り返るのはよそう。
俺とマリア・アイリーンは一旦その部屋で小休止を取りつつ、互いの近況を報告し合う。そこでアイリーンに対し『どう抜け出したのか』を尋ねると、次のように会話が続いた。
「監視者を招いた後、殴り倒して鍵を強奪いたしました。それから魔物を始末しつつ、探索を続けていると陛下たちらしきお姿がお見えになって……」
「今に至るってわけね」
「はい」
「その鍵って牢獄のための、だよな? じゃあ、俺らが二階で手に入れたヤツは?」
「おそらくヴィンセントのいる部屋に使うものかと。少しでも時間を稼ぐために貴方がたを弱体化させ、戦車を召喚したと思われます」
「それにしても随分と悪趣味だったわ……兵器を勝手に奪った挙句、仲間たちを利用したんだもの」
「全てはジャックの仕業でしょう。牢獄に来た彼は自分を覗きに来たあと、耳元でこう囁きました」
『月花は陰で咲いていろ。いずれ貴様も、あの女と同じ道を歩ませてやる』
「『月花』に、『あの女』……。ねえ、それってまさか……」
その時、複数の足音が通路を響かせた。
声は一切聞こえてこない。しかし、淡々としたリズムは俺に危機感を持たせる。
俺はマリアに後ろへ回るよう促すと、アイリーンと共に扉の前に立ちはだかった。
長剣の柄を握り締める右手が急速に汗ばむ。
扉の向こうにいる者たちは、俺たちの事を気にも留めないだろう。
ドアノブがゆっくりと回転し、木材の擦り切れた音が鼓膜を揺さぶる。
扉がついに開かれたとき。
俺とアイリーンの息を大きく吸う音が――
偶然にも重なった。
(第八節へ)
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