※この節には残酷描写が含まれます。
アンナのヤツも、なかなか印象に残る子だ。一人称が『ボク』で、小柄な身体とは裏腹に大食らい。でも、明るい話し方の中にどこか翳があるように思える。そんな彼女が秘める陽の力は、とても凄まじいものなのだろう。
そう考えながら、いつものように訓練場に向かっていたある日。廊下に立つ使用人たちと挨拶を繰り返す中、視界が小さな金属の存在を捉えた。
それは、チェーンが切れたオーバル形のロケットペンダント。蓋は開いたままで、一枚の写真が埋め込まれているのがわかる。金髪でロングツインテールの少女。青い瞳の下には泣きぼくろがあり、どこか殿下に似ている。蓋の裏に刻まれた名は『Luche』。彼女はもしかして……以前アイリーンが言っていた彼の妹だろうか。
俺はペンダントを拾い上げ、懐にしまう。彼に渡してから訓練場に向かおう。
殿下の部屋の場所は、アイリーンから事前に教えてもらっている。アドバイスを頼りに足を運んだその先には、他の扉と違って唐草模様を描いたそれがあった。金色のドアプレートに刻まれた『Rudolf』という文字が、確信をもたらす。公的な自分に切り替えるべくひと呼吸したあと、拳の裏でドアを三度叩いた。
扉を開けてくれたのは、一人の執事……かと思いきや、殿下ご本人だ。ペンダントを届けたことをお伝えすると、「入ってくれ」と応えて頂いた。
深緑で彩られた壁に、漆を塗った書斎。書斎の背後には大きな格子窓があり、その向こう側で青空が広がっていた。俺は部屋の中央かつ持ち主の前に立つと、えんじ色の絨毯の上で跪き両手で手渡す。目を瞑って頭を下げる中、彼が「ああ」と感嘆の息を吐いたのが聞こえてきた。
「ずっと探していたんだよ。見つけてくれてありがとう。顔を上げてくれ」
自身の手元からペンダントが離れたのを確認して、元の姿勢に戻る。やや目下に立つ彼は、両手でペンダントを握り締めながら微笑んでいた。
殿下は、濁りのない窓へゆっくり向かう。ペンダントと窓を交互に見つめるその仕草は、まるで空の上に住む妹を想うかのようだ。
「妹を殺した力に頼るなんて、皮肉な話だ。ルーシェ、今もそこから見守ってくれているのかい?」
『妹を殺した力』――。それは、シェリーたちの身に起きた一件を指しているのだろうか。とにかく恨みが伝わる一言だ。空から返事が返ってくることはない。だが、妹の写真を見つめているであろう彼の背は悲しげに見える。
それでも、シェリーに対して放った『制御』という単語に、眉を顰めずにはいられないのだ。『撤回していただく』という意味も込めて、俺は「お言葉ですが」と一言添えてみる。
「本当にシェリーがご令妹様を殺めたのでしょうか。俺には……想像できかねます」
「……君はその場にいなかったから言える。私もマリアも、アイリーンも、この目で見たんだ」
苛立ちがこもった声音と共に、殿下が振り向く。切れ長の碧眼を尖らせたまま、彼は言葉を続けた。
「家族を殺されてもなお赦す人がどこにいると云うんだ? それがわからぬ奴と話す暇など無い」
「………恐懼に堪えません。失礼いたします」
まあ、そういう反応、だよな……。
異論を拭うようにもう一度跪いたあと、静かにドアノブへ向かった。
俺だってそうだ。もし家族を殺されたら、そいつを赦すわけがない。でも、やっぱりシェリーがそんな人だなんて思えないんだ。俺はまだ彼女と深い話ができるほど親しくないし、真実を知らないだけなんだって。
廊下を歩きながら、無念を絨毯に落としていく。しかし、背後から忙しない足音が静寂を破ってきた。足音の正体は、メイド服を纏うアイリーンだ。彼女が片膝をつくことで、今度は俺が目上の立場であることを認識する。
「何があったのか?」
「アンナの部隊が銀月軍団の攻撃に遭い、壊滅寸前でございます」
「何だと!?」
壊滅寸前……!? 銀月軍団が相手じゃ、放っておけばまずいことになる。ちょうどその時、エレにシェリー、マリアの三人が駆けつけてきた。
「アレックス様! 今すぐ出撃しなければ……!」
「わかってる。場所はどこだ?」
「ヤツらは樹海で暴れているそうよ」
「もしかして、あの蒼い森のことか?」
「ええ。グリフォンを召喚して現地に向かうわ!」
マリアに続いて屋上へ向かうと、そこには複数の巫女たちと巨大な鳥グリフォン――以前討伐したヤツとは別物だ――が佇んでいた。俺たちが怪鳥の背に乗ると、彼は咆哮して目的地へ飛び立ったのだ。
怪鳥から飛び降ると、藍色の木々が視界に広がる。他の森と比べて暗いが、木漏れ日のおかげで松明が無くても移動しやすい。もし異変が起きなければ、海底の絵画みたいにとても綺麗な世界なんだが――。
その耽美な空気は、少女の甲高い悲鳴によって破られる。
「おい、今のは……!?」
「あちらですわ!」
シェリーが指さす方角は東だ。声の主を見つけんと走るにつれて、喧騒が大きく聞こえてくる。
そして――俺含め、隊員の誰もがその惨状に息を呑んだ。
数歩先で、魔術師ら三人の戦士が血を流して倒れている。
さらにその先には、二人の少女が銀月軍団の一員であろう人物と対峙していた。
「なんてことなの……。あなた達は敵を始末して。あたしは救助に回るわ」
「わかった。頼む」
マリアがそう言ったあと、ただちに彼らの元へ駆けつける。すると背後から騎士や執事たちも現れ、横たわる戦士らを担ぎ始めた。
さて、対象を戻そう。
大剣の柄を握り締め、睨みつけるアンナ。その隣には、両腕を切り離されたポニーテールの少女がいる。後者は今も呻き声を上げてうずくまっていた。
アンナの前に立つ誰か……どこかで見かけたことがあるな。深紅な色でセミロングヘアーの猫耳。大きな瞳とモノクロームな令嬢服。……もしかしてあの猫野郎も仲間なのか?
右腕に嵌められた鋼鉄の塊――それは、無数の歯車が高速回転する小型チェーンソーだ。背負われた機具から蒸気を発することで、刃を唸らせているのだろう。白のブラウスと銀の長い刃を彩る、赤の無作為な点々と筋。視界に入るこれらの情報が、ここで起きた惨劇を見事物語っていた。
呑気そうに佇む猫に対し、アンナは声を張り上げる。
「よくもルナを……絶対に許さない!!!」
「へえ。抵抗するなら、君の脚を切っちゃおうかな♪」
相変わらず耳障りな甘い声と共に、細い右腕が上がる。チェーンソーはアンナの脚を確実に捉え、今にも振り下ろされようとしていた。
俺が前に出ようとしたとき、誰かが腕を強く引っ張る。
「ここはわたくしが……!」
エレは新緑色の瞳に決意を秘め、大弓を握り締めていた。
「任せていいか?」
「はい!」
彼女の手が俺から離れると、弓と同じくらいの矢が虚空から生まれる。
エレが狙うのは、鋼鉄の柄から生えた長い刃。
彼女の構えや指先からは、迷いが一切見られない。
「当たって!」
エレの掛け声と共に、大きな矢が真っ直ぐ飛ぶ!
「にゃ……っ!」
矢は見事刃を真っ二つにし、蒸気の玩具をガラクタに変えた。それは猫を動揺させるのに十分なアクションと云えよう。
「行くぞ!」
「「はい!!」」
アイリーンは猫の前に、シェリーは少し離れた場所に立った。
そんななか、俺は彼の後ろに回り込む。
彼の腰辺りから伸びた、赤毛の長い尻尾。
枝垂れたそれの先端を、長剣で切り落とす!
「にゃぁあああぁぁぁあああ!!!!!」
悲鳴と共に鮮血が舞い、猫がのたうち回った。
「悪趣味の塊はとっとと失せろ。アイリーン!」
「ええ!」
アイリーンが飛びつき、彼を天高く蹴り上げる。
「たぁぁあ!」
「にゃうぅ!!」
猫が宙に舞う刹那、シェリーがロケット型光弾発射器を具現化。
彼の存在をスコープに収めると、トリガーを引く!
鼓膜が破れそうな程の爆発音は、近くに棲む鳥の群れが一斉に飛び立つほど。派手な銃声と爆発から威力の高さを窺える。……もし彼女が暴走したときに使われたら、城ごと吹き飛んでいたかもしれない。
「エレさん!」
「はいっ!」
猫野郎というバトンは、シェリーからエレへ受け渡される。
大きな矢が再び生まれるが、今度は翠色に光っていた。
「やっ!」
彼女は弓矢を掲げ、空中に向かって射る。
彼方へ飛んだ一本の矢は雲をすり抜けた直後――
無数の矢が降り、猫の全身をハリネズミに仕立て上げた。
身体中からは血を噴き出し、機具の存在意義は既に失われている。彼は片手で腕の傷を覆い、両膝を草原に付けた。
アンナはその隙に近寄り、大剣を猫の顔に向ける。
切先が鼻に触れそうな距離。
彼は無駄に大きな紅い瞳を潤ませながら、両手をゆっくりと上げた。
「ゆ……許してにゃ……」
「誰が赦すものか。ルナにあんな酷いことをしたんだ。お前なんか、この剣で……!」
「……にゃっはははははは!!!」
突如、猫が中性的な笑い声を轟かせる。明るい声音に秘めた狂気は、アンナのみならず俺たちにも戦慄を与えた。
「ねえねえ? 僕が降参すると思った~? 本当は人を殺したことにゃいんでしょ? 散々男の子っぽく振舞ってるくせに、口先だけは達者の臆病にゃおんにゃのこにゃんだね~~~!! こんにゃお姫様に惚れる王子様が何処にいるというのにゃん??」
「っ!!」
アンナは手を震わせながらも、大剣を両手で持ち上げる。
「……お前なんか、消えろぉぉぉおおおぉぉおお!!!!!」
大剣と、分断された刃の衝突。一秒ほどの刹那で、幾度も摩擦を起こしていた。
どちらの武器も重いはずなのに、軽々と攻防を繰り返す。蒸気の煙で俺たちの視界が少し遮られるも、彼らは刃での対話をやめなかった。
「にゃ~ん! おんにゃのこは大っ嫌いだけど、狂ってる子はと~っても可愛いにゃんね! 君がどんどん壊れてくれれば、僕とお友達ににゃれるのににゃぁ~ん」
「うるさいっ!! ボクはお前と違ってまともだっ!!!」
「ああそう? でもそう思ってるのは君だけかもにゃん!」
猫野郎の武器がアンナの大剣を弾き飛ばす。
彼女の体勢が崩れるうちに、彼の身体が浮いて蹴りの姿勢に入った。
ここは俺が――!!
――ズガァッ!!
「アレックスさん!?」
シェリーの、声……?
身体の前面に重い衝撃が走り、身体が後ろへ吹き飛ぶ。
倒れるな俺!!
俺は一回転して受け身を取ったあと、猫目掛けて突進した。
今度は俺と彼が刃を交える番だ。
金属音が連続する中、チャンスを窺っていく。
……見えた!
――ズシュッ。
「ぐほぉおお!!」
長剣で腹を貫けば、少年のような声と共に鮮血が吹き荒れた。
剣を勢いよく引き抜くことで、彼が前に倒れる。その時、祈りの姿勢を取るシェリーが視界に入った。彼女が祈り始めると、アンナの足元に橙色の魔法陣が展開される。
「こ、これはいったい……?」
「アンナ、願いを込めて! そうすれば、あなたに力が宿るわ!」
シェリーの言葉を受け、アンナの大剣を握る手が強まった。
眩しい光がアンナを包み込み、彼女は高らかに叫ぶ――!
「ボクは、友の腕として生きるんだ!!!!」
――バキィィイ!!
「にゃん!?」
強い意志が放つ光は、猫の盾である機具を見事粉砕。
俺たちの視界に映り込む少女は、橙色の花びらに包まれ――違う姿へと変化していた。他の花姫同様、花びらが次々と衣服や鎧を形成させていく。
そして、目の前には陽の花姫として目覚めたアンナがいた。剣士らしく、しかしどこか可憐な色をした鎧だ。頭上の黄色いリボンが彼女の美しさを引き立てている。
「そ、そんにゃ……」
「やぁぁぁああああ!!!」
アンナが大剣を構え、彼に迫ったとき――
剣身は上半身を貫いた。
「う、あぁぁ……!!!」
それは、先ほどまでの甘い声とは全く違う呻き。低い男の声が聞こえると、今度こそ前に倒れ込んだ。
直後、森の奥から誰かの足音が聞こえてきた。小さい影はだんだん大きくなり、姿を見せていく。血だるまの猫に近づいたのは、メガネをかけた黒いコートの男だ。
「おやおやジェシーさん、そんな機具を以ってしても負けるなんて。とんだ間抜け猫ですね」
その間抜け猫――ジェシーはメガネの男に応えることもないが、男は仕方なさそうに担ぐ。
俺たちのこと、気に留めないのだろうか? あいつを担ぐということはそういうことなんだろうが……。
「全く。これだから魔法を使えない者は……」
「待て!!」
アンナが怒鳴り、男たちへ近づこうとする。
しかし、今は深追いしても被害が増えるだけだろう。俺は咄嗟に「戻ろう」と言って彼女の肩を掴んだ。怒りに駆られる彼女は、大剣を地面に突き刺して膝をつく。
「…………クソっ!!! こんなことしたって、ルナの腕は戻ってこないんだ……ボクがもっとしっかりしていれば……!! うあぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」
『蒼い森の黒猫と会った者に不幸が訪れる』
この出来事は偶然か、ジンクスか――。
答えはわからない。
最後の花姫は陽の力を得てもなお、涙を流すしか術がなかった。
(第三章へ)
◆アンナ(Anna)
・外見
髪:テラコッタ(茶色)/ショート/やや外ハネ
瞳:ライトグリーン
体格:身長153センチ/B79
・開花時の外見
髪飾り:前方に大きなリボン(クリームイエロー)
鎧:こうじ色
・種族・年齢:人間/17歳
・職業:剣士
・属性:陽
・武器:大剣
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