騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第七節 ラピスラズリのペンダント

公開日時: 2021年6月6日(日) 12:00
文字数:3,715

 俺にはシェリーという女がいながら、今は亡き初恋相手アリスで考えを巡らすなんてな……。こんな夜中に何をしているんだ。

 時刻は午前三時──不気味な程に静けさが漂う時間帯だ。本当はレコードを掛けたいところだが、音量を絞っても近所に聞こえてしまうだろう。


 現実に戻った俺は再びアリスの日記を手に取り、次のページを捲ってみる。


6th.Tor, A.T.26


 今日のアレックスさん、なんだか冷たかった……。

 あのぶっきらぼうな態度には慣れてきたはずなのに、今はすごく気になってしまう。もしかして嫌われちゃったのかな。それとも、今までの事は嘘だったのかな?


 やっぱりちゃんと謝らなきゃダメだ。『あなたを好きになってごめんなさい』って。私なんかに好かれたって、迷惑だものね。


 あと二ヶ月末で契りの儀式だし、これも神様が定めた運命だから仕方ないのよ。


「契り……」


 その意味が何を指すか、あまり考えたくないものだ。

 彼女との恋物語が、いよいよ佳境に入る──俺の勘がそう囁いた。


 だけど──。


「やっぱり、知りたくねえよ」


 この綴りを見れば見るほど、根性無しの自分を恨みたくなるんだ。

 判ってる。アリスとラウクが結ばれなければ、末裔シェリーが生まれなかった事に。


 それでも……苦しいものは苦しいんだよ……!








 ──午後一時頃。ティトルーズ暦二十六年、六のトルマリン。


「本日もお疲れ様でした! こちらが報酬ですので、現金は銀行で引き出してくださいね」

「おうよ」


 ミノタウロスを倒した俺は、証拠品であるツノを持ってギルドのカウンターへ向かった。いつもの受付嬢に手渡すと、一枚の小切手を差し出される。この長方形の紙切れに記されたのは、数桁に及ぶ高額の値だ。報酬額を確認して財布にしまった後、彼女の好奇な目線に気付く。


「ヴァンツォさん、最近優しくなりましたね」

「何のことだ」

「さては……好きな人ができたとか?」

「!?」


 心臓が飛び上がるような感覚。同時に、知らない手が自分の心に入り込むような不快感を覚えた。周囲の囁きが俺の背に刺さるが、気に留めない事にする。


「ギルドに関係ねえだろ」

「そりゃそうですけど。三ヶ月くらい前まではツンツンしてましたし」

「ほっといてくれ」


 これ以上詮索されるのは嫌なのでカウンターから離れる。受付嬢は依然と残念そうな反応を見せるも、俺にはフォローする余裕など無かった。



 だがギルドを出た直後、黒い影が右から飛び込んでくる。「あっ」という声と共に近づくのは、他ならぬアリスだ。受付嬢に詮索されて苛立っていた俺の足は、勝手に外側を向く。しかし彼女はフードの下から笑みを見せ、俺に話し掛けてきた。


「アレックスさん、こんにちは」

「なんだよ。用があるなら手短に済ませろ」


 ……いくら何でも、こんな物言いは無ぇよな。刺々しい返事がアリスを傷つけたようで、表情が曇りだす。そして彼女の震える声は、青い俺の胸を一気に締め付けた。


「……ただご挨拶したかったですのに」


 この時、俺は彼女になんて声を掛ければ良いか判らないでいた。『決して遠くないうちに会える』──そう言ってくれたのは彼女なのに、感情に身を任せて無下にしてしまったのだ。

 だけど、そこで俺が弁解する余地など無い。アリスはゆっくりと俺の前を横切り、ぼそりと呟いた。


「それでは……ごきげんよう」


 彼女は決して俺の方を向かなかった。──まるで、涙を隠すように。

 無論、惚れた女が去っても公衆の面前で追いかける余裕など何処にも無かった。誰もがこの城下町を行き来する中、立ち尽くすしか能が無い。


 俺は、どこまでもバカだった。




 ──午後一時半過ぎ。


 宛もなく市場を歩いていると、生鮮食品の生臭さや農作物の芳醇な香りが随所から漂ってくる。誰もが生きるために客を誘惑し、誰もが生きるために対価を支払う。そんな日常的な光景が絶え間なく視界に入ってきた。


 その中で、蒼い光が俺を引き止めたのは気のせいだろうか。方角は西だ。光の大元は一軒の屋台にあり、シワだらけの老婆が静かに佇んでいる。俺の足が勝手にそっちへ赴くと、腰の曲がった彼女が声掛けてきた。


「おや、いらっしゃい」


 老婆のしわがれた声は今にも喧騒に呑まれそうで、しかし何処か温もりが感じられるのだ。俺はきっと間抜けな表情をしていただろうが、彼女の声が緊張を解していく。


 せっかくなので、テーブルに展示された商品にさっと目を通した。皿や壺などの陶器が立ち並び、どれもが目を見張るような価格だ。けれど特に柄をあしらったわけでも無いし、色合いも土色や白と素朴なものばかり。おまけに不均衡な形状と、お世辞にも『高い金を払ってでも買いたい』と思えないものばかりである。


 そんな中やはり目に留まったのは、木材の台座に提げられたペンダントた。黄金のか細い鎖が繋ぐ先には、青々と光る宝石が埋め込まれている。その輝きは、アリスの大きな瞳を彷彿させた。


 ……ん? アリス?

 ちょうど小切手を所持する俺は、ある考えが脳裏をよぎった。老婆もそんな俺を察したようで、穏やかな調子で話し掛ける。


「これはラピスラズリだよ。誰かへのプレゼントかい?」

「ああ。……さっき、酷いことをしちまってね」

「そうかい、若いうちならよくある事さね。なら、この額の半分を出してくれたら良いよ」


 切れ長な碧眼から欺瞞が感じられない。初めて会ったばかりなのに、不思議と信頼できるのだ。

 彼女は手をかざし、麻紙に書かれた値段を指す。確かに高額だが、俺なら全然払えそうな桁だ。それなのに、何故半分しか求めないのだろう。


「それじゃ商売にならねえだろ。ちょうど小切手を持ってるし、定価で出せるぞ」


 しかし、老婆は「まあまあ」と微笑むだけだ。俺のような客に半額を提示するのには理由があるらしく、話を続ける。


「みんな、『まけてくれ』って言うんだよ。けどね、お前さんの眼差しはうちの旦那にそっくりだ。さ、欲深いお客さんに取られる前にとっとと買いな」


 彼女の旦那はいったいどんな眼差しをしていたのだろう。まあ、そう言うって事は決して悪い意味じゃないのかもな。


「……わかったよ、そういう事なら」


 俺はついに財布から小切手を取り出し、革製のカルトンに載せる。すると、珍しいものを見たかのように「おや?」と目を丸くし出した。


「今日の御礼。受け取ってくれ」

「あはは、お前さんは優しいんだね。……そんなとこも、旦那にそっくりだ」

「勘違いするな。俺のきまぐれだよ」


 老婆は笑みを浮かべながらも手先は小刻みに震えている。それは緊張から来るものではなく、老衰によるものだと直ぐに判った。

 それでも彼女はペンダントを手に取り、小さな箱の中に丁寧に詰めていく。最後に青い布で包み込むと、水色のリボンでしかと縛り付けた。


「じゃ、頑張りなさいよ」

 温かい言葉と共に品を差し出す彼女。品を受け取る刹那、この店主の温もりが掌を伝った。


「こっちこそありがとな」


 俺はこの言葉を最後に、屋台を去る。魔物を狩って疲弊していたはずが、彼女のおかげで一気に漲ったのだ。

 そんな俺のやるべき事はただ一つ──アリスを探す事。きっと彼女の事だ。まだ国内を徘徊しているに違いない。


 これを渡すまで、あいつを探してみせる。何が何でも渡すんだ。

 そう意気込んだ俺は早速地面を蹴り、フィオーレの中を縦横無尽に駆け回るのだった──。






「くそ、何処にいるんだ?」


 どれくらいの時間が経った事だろう。空は緋色に染まり、烏がかあかあと声を上げる。そんな中、俺の中で苛立ちが再び込み上がっていた。

 何処を探しても、アリスがいないからである。どんなに飛んで移動しても、手がかりすら見つからない。空を飛ぶためだけに力を解き放ったりもしたが、ただ疲弊するだけだった。


 結局フィオーレの噴水広場に戻った俺は、泣く泣く付近のベンチに腰掛ける。人が多いにも関わらず、水の音がよく聞こえるものだ。

 この時間なら、彼女はもうミュール島へ帰っている事だろう。悔しいが、今日は諦めるしかない。


 例え何日掛かっても良い。

 彼女にきちんと謝って、ペンダントを贈る事ができれば──。








 ──午後三時頃、フィオーレ。ティトルーズ暦二十六年、十のトルマリン。


 あれから四日経ってもなお、アリスには会えなかった。

 覚悟を決めてはいたが、こうも続くと希望が薄れていくものである。


 もう彼女には会えないのだろうか。否、絶対に会える。確かに酷い事を言っちまったが、彼女もきっと同じ気持ちだ。

 頼む、頼む、頼む。確実に俺らが再会できるなら、神にもすがろう。臓物を求めるなら、いくらでもくれてやる。


 今度こそ、彼女アリスに会わせてくれ──!!



 私の想い 気づいてくれますか



 その美しい歌声は、俺の足を止めた。噴水広場に目を向ければ、国王の石像が見えぬ程の人だかり。誰もが弦の音と女の声に聞き惚れ、立ち尽くしているのだ。


 俺は足音を立てぬよう、静かに人混みへ近づく。声がはっきりと聞こえてくるも、姿を拝めそうにない。

 正面を見てみると、人と人の間には僅かな隙間があった。俺がそこへ押し入ると彼らはキッと睨むが、流石に手を上げる度胸は無いらしい。それを良いことに、やや強引気味に前へ踏み入った。


 ところが、声の正体を目の当たりにした時。

 思わず息を呑んでしまったのだ。


 何故なら──




(第八節へ)






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