【前回のあらすじ】
月の神殿 中枢部に辿り着いた純真な花。誰もが機械人形ヴァルカとの戦いを繰り広げる中、少女と化したアイリーンは恐怖に怯えていた。一方、アレックスは鍔迫り合いの末、ヴァルカに追い込まれるが──。
ヴァルカのハルバードは俺の大剣によって分断されるも、彼女は抵抗を続けるようだ。
機械とは思えぬ気迫で剣を弾き飛ばし、短くなった武器で間合いを詰める。
「接近までおよそ九十八センチメートル」
しかし、俺が死を覚悟した刹那。
金属音の擦れる音が、最悪な結末を打ち砕いた。
「アイリーン!?」
「絶対……負けない!」
あれだけ怯えていたアイリーンが俺の前に立ち、幻影の鉤爪で剣撃を受け止める。
ヴァルカはふと目を見開かせたが、冷徹な声と共に圧力を掛ける!
「風圧向上」
「ひゃああ!」
氷のような視線をアイリーンに注ぐ機械人形。アイリーンはその眼差しに逆らえず、後方へ大きく吹き飛ばされてしまった。
「くっ!」
俺は地面を蹴って両手を広げた後、宙を舞うアイリーンを抱き留める。かなり体力を消耗したようで、小さな肩を大きく上下させていた。
「アイリーン、抵抗の理由を提示せよ」
「陛下は、そんな人じゃないもん! めちゃくちゃだけど、とっても優しい人だもん!!」
アイリーンはヴァルカを睨み、言葉に怒りを込める。心の奥底では、きっと恐怖に満ちているに違いない。だとすれば、このまま俺の手で決着を付けるしかないだろう。
俺は立ち上がろうとするが、アイリーンはすぐに「いいの」と制止のジェスチャーをする。
「大丈夫、今ならきっと……! アルテミーデ様、力を貸して!」
彼女が高らかに叫んだ時、冷ややかな声が頭上から響き渡る。
少女の前に降り立ったのは、切れ長な目を持つ長髪の女性。月の女神像と一致するその女こそが、月神アルテミーデだった。彼女は三日月を模った杖を片手に、アイリーンを見下ろす。
「守りたい者のために、命を削る覚悟はあるか?」
「勿論!」
「ならば……その呪い、解いてしんぜよう」
アルテミーデが杖を掲げると、紫色の粒子が先端に収束。
その粒子は交差しながらアイリーンの元へ向かうと、彼女の身体を淡く包み込んだ。
光に包まれたアイリーンは静かに目を瞑り、祈りを捧げる。
彼女がシルエットと化した矢先、徐々に元の身長へと戻ろうとしていた。
短かった髪は、芽が育つように伸びる。
そして肉体が完全に戻ったとき、彼女は自身とほぼ同じ高さの女神を見つめた。
「覚悟はできているわ」
「うむ」
アルテミーデは力強く頷くと、再び杖を掲げる。
杖の先端に集まる光は先程より強く、目が眩む程に煌めいていた。
「《月光の花姫よ、我と契約せよ》」
月神が言葉を紡いだ後、靄となって掻き消える。
直後にアイリーンの身体が光り、彼女は苦鳴を上げ始めた。
「うっ……あぁぁぁああ!!!!」
アイリーンは脇腹を抱えながらも、両足で地を踏みしめる。やがて右脚が光ると、彼女は歯を食いしばってヴァルカに迫った。
「対象者が時速170キロで接近。接触まで残り──」
体勢を立て直すヴァルカ。
だが──彼女の言葉は、アイリーンの呪文によって遮られる!
「煉毒飛翔脚!!!」
月光の花姫は大きく跳躍し、右脚を前に出す。
その足に宿るは毒の霧。ハイヒールで蹴飛ばした後、霧がヴァルカの全身に絡みついた!
「融解により、甚大な損傷を確認。勝率二十%低下」
毒は白肌のような塗装が剝がし、鋼の肌を露わにする。腕や顔の一部が爛れた彼女は、まるで火傷を負ったかのようだ。
一方で切り札を使ったアイリーンは、代償の痛みにより蹲っている。俺は真っ先に彼女を支え、シェリーに声を掛けた。
「く……! あいつは、これで……!」
「もういい! シェリー、彼女を治せるか?!」
「はい!!」
シェリーがアイリーンの元へ駆けつけると、俺は入れ替わるように持ち場を離れる。
「制御不能、制御不能。稼働停止まで残り十五秒──」
俺がヴァルカとの距離を詰める中、彼女の全身に毒が回ったようだ。
辿り着いた頃にはその十五秒が経過し、片膝をついたまま首が垂れ下がる。ぶうんと唸るような音が響くと、彼女は完全に停止した。
「これで、終わったの……?」
「そのようなのです。はぁ、しんどかった……」
呆然と立ち尽くすアンナに、脱力するエレ。その傍ら、シェリーとアイリーンは女神像に近づいていった。
シェリーは片手を突き出し、石像に語り掛ける。隣に立つアイリーンは、騎士の如く跪いて敬意を示す様子だ。
「アルテミーデ様、あなたのお力を暫しお貸し下さい」
女神像の胸元に埋め込まれたオーブは、シェリーに応えるように淡く光る。紫の宝玉は石像を離れて宙に浮くと、そこから女神の声が聞こえてきた。
「我々の居所は、銀月軍団の瘴気に侵された。他の者──此処では元素の女神を指す──も同様に嘆いておられる。速やかに奪還し、我が故郷を救済せよ」
「はっ」
シェリーが短く返事をすると、オーブは彼女の手元へ舞い降りる。そのとき彼女は苦しそうに瞼を閉じ、手放さぬよう必死に抱え込んだ。
「セリーナさん……!」
あの感じ、前世の記憶が過ぎったに違いない。シェリーは一瞬だけふらつくが、何とか持ち直したようだ。
「シェリー!」マリアがすぐに駆け付け、幼馴染の身体を支える。
「何か思い出したの?」
「うん……また、アリスの事をね」
「セリーナってのは仲間か?」
「ええ。シエラと同じく、元祖“純真な花”の一人──月の花姫よ。彼女の亡骸を長いこと探してるけど、未だ見つかってないの」
「他の奴らは?」
「回収して、きちんと火葬したわ。墓石もそれぞれの故郷に置いてね」
シェリーの背に手を添え、静かに語るマリア。その横顔は、悲しい歴史があった事を物語っていた。
その間にシェリーは落ち着いたのか、「ありがとう」とマリアの手をやんわりと払い除ける。
「詳細は私からでもお話できますが、あれを思い出すのは今でも……」
「……辛いようだけど、女神様が当事者で在る以上は仕方ないわね」
マリアが唇を噛んだ時、背後で何かの気配を覚える。
振り向けば、停止していたヴァルカが徐々に立ち上がり始めたのだ。
「制御起動開始。これより、月の神殿を離脱します」
ヴァルカは俺たちに背を向け、武器を片手に半歩踏み入れる。
しかし俺は、ある考えがあって彼女を引き留める事にした。
「待て」
「何か御用ですか?」
俺の言葉で振り返るヴァルカ。亜麻色の髪がふわりと揺れ、爛れた顔をこちらに向ける。
「本当に人間として生きたいなら、直ちに降れ。それとも、引き続きジャックの奴隷として生きるか?」
「私ハ……奴隷ナンカジャ、ナイ」
「奴隷だ。お前が抗わない限りな」
「……違ウ。私モ人間。御主人様ガ、ソウ言ッテイタ」
「じゃ、あいつがお前の話を聞いてくれたことはあったか? お前があいつに何かしたとき、礼を言われたか? お前が不調のとき、あいつは気に掛けてくれたのか?」
「………………」
ヴァルカは俯き、黙り込む。重苦しい沈黙がしばらく続いた末、顔を上げる彼女の口から予想通りの答えが返ってきた。
「そのような記憶は存在しません。帰還後、マエストロは私を廃棄するでしょう」
「だったら戻らなくて良い。まずは本当のマエストロに謝るんだ」
「良いわ、アレックス。後はあたしが」
マリアは俺の隣に立ち、向かいのヴァルカに向かって話し掛ける。
「ヴァルカ、あなたを利用しようとした事を謝るわ。『もうあっちに戻らない』って約束するなら、その身体を治してあげる。勿論、出かけるときはあの男に見張ってもらうけどね」
「えっ、俺!?」
嘘だろ……お目付け役もやらされるとは思ってもみねえぜ。やった事ないわけじゃないから、別に構わんが。
「マエストロをルーセからヴァンツォに変更」
「いや、ご主人は俺じゃなくてマリア──」
「良いんじゃない? また女の子の友達が増えて」
「あのなあ……」
「マリアさん、本当に彼女を生かしていいの?」
「大丈夫よ、こうしておけばもう暴走しないはずだから。それよりアレックス、ヴァルカを出口まで誘導してちょうだい」
「おう」
懸念していたアンナは、マリアの言葉を聞いて胸を撫で下ろす。親睦を深めるのに時間を要するだろうが、ヒイラギの時のようにいずれ馴染むに違いない。
俺は左奥にある通路を目指し、花姫と共に中へ入る。そこでは、足下にある巨大な魔法陣が一室を照らしていた。
「これが脱出口ですわね」
「では、早速乗るのです」
シェリーとエレを皮切りに、俺たちも後から魔法陣に乗る。誰もが意識を集中させると、一斉に亜空間へ飛ばされるのだった。
パステルカラーの建物が立ち並ぶ、月の都アルテミーデ。依然として曇り空であるものの、雨が止んで石畳の随所には水溜まりができていた。
俺たちは再び教会に転移された後、マリアが通信機を介して騎士団に連絡。彼らと合流した末、ヴァルカは保護される事となった。
それから花姫たちと共に街中を歩き、今に至る。アンナやシェリーが街並みに感嘆する中、アイリーンは溜息をついた。
「はあ……あんな姿になった時は焦ったわ……」
「でも可愛かったわよ。アイリーンって、昔はやんちゃだったのね」
「もう、忘れてください……! 呪いのせいでああなっただけよ!」
「うふふ。あのまま連れて帰れば、ベレがきっと喜ぶはずだったのです」
「断るわ。今度あの魔女に出会ったら、絶対ぶっ飛ばしてやるんだから!」
拳を作り、復讐を誓うアイリーン。マリアとエレが『あのままでも良かったのにね』と顔を合わせると、アイリーンは「もう!」と口を尖らす。それでも、呪われる前と比べて何処か吹っ切れているようだ。
「全く……自分ったら、隊長に抱っこされるなんて」
「あの時はしゃあねえよ。オートマタはもう怖くねえか?」
「心も幼児退行したせいで怯えちゃったけど、もう大丈夫よ。恥ずかしかったけど、改めて礼を言うわ」
アイリーンは頬を赤く染めたまま顔を上げる。一時は一線を超えそうになったんだ。何だか俺まで恥ずかしくなってくるよ。
「あっ、見て! 美味しそうなスープ屋さんがございますわ!」
「此処行きたーい! ねえマリアさん、せっかくだから寄ろうよ!」
後ろを歩くシェリーとアンナが楽しそうにはしゃぐ。俺らが横切ろうとした店は、玄関に水色のオーニングテントが張られた店。窓から漏れる優しい灯りは、戦いで疲れた俺たちを引き留める。
「悪くないわね。此処の瘴気を取り除いた事だし、一休みしましょうか」
「やったー!」
「さあ、早く入りましょ!」
アンナとシェリーは大いに喜んだ後、小さな階段を駆け上がる。彼女らが扉を開けると、微かな暖気が皮膚に染み込んだ。
(第八節へ)
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