リヴィの宿で一泊した翌日、俺たち純真な花はエレを先頭にガルティエの遺跡へ移動した。
そこは直方体の石壁が無造作に並ぶ場所で、刀を用いたようにほぼ真っ直ぐに切れている。加えて柱や壁に纏わりつく苔や蔦が、この地の風化を感じさせた。
ヴェステルやメルキュールといった迷宮と比べて、規模は小さいように思える。しかしその分、淀んだ空気もより濃く感じるものだ。それがエレたちにとって思い入れのある地なら、ヒイラギはますます手強い事が予想される。
「エレちゃん、足元に気をつけろよ」
「はい」
踵で踏むたびに、草の擦れる音が聞こえてくる。昨晩から続く雨は土を湿らせ、空を更なる灰色に染め上げた。だからといって傘を差すこともレインコートを着ることもできない。今はただ、この小ぶりの雨が酷くならない事を願うばかりだ。
「何か来ますわ……!」
早速、魔物の気配か。シェリーの言葉に合わせて、この柱だらけの地で立ち止まる。
そして、奴らは柱の陰からぞろぞろと現れた。
尖った耳に艶を失った白髪、焼け爛れた青白い肌──と、察するにゾンビと化したエルフたちだろう。引きずるほどの長髪から短髪のヤツまで長さは様々だ。特に後者は、死後の儀式で切られた者と推測される。死者の髪がどう用いられるかについては……(エレから話を聞いてはいるが)いま急いで話すことではない。
最初に迫ったのは、まさに髪が長過ぎる女だ。顔を覆われた彼女は両腕を伸ばし、偶然か必然かシェリーに向かって突進する。しかし、狙われた本人はいたって冷静に拳銃を構えていた。
シェリーは魔力変換銃を両手で握り締め、躊躇わずに銃声を数発響かせる。ゾンビは顔面の数箇所から血を噴出させて前に転倒。倒れても未だ手を伸ばすゾンビに対し、エレが容赦なくダガーで背中を突き刺す。
これで一体目は消えてくれたが、不死者はまだ蔓延っている。直後現れたのは、男の体格を持つゾンビだ。
彼は口を大きく開けて俺の方へ駆け寄るも、ぬかった道で滑って足を挫く。俺は雨の恩恵に感謝しつつ、長剣で眠らせてやった。
「ふっ!」
後ろから聞こえてきたのは、アイリーンの掛け声だ。彼女はゾンビの首を脚で挟み地面へ叩きつけたあと、鉤爪の幻影で心臓を貫く。
その反対側では、アンナが亡霊を大剣で切り裂いていた。実体を持つ亡霊の血は、人間と違ってインクのように黒い。ガルティエの遺跡って、こんなに不死者が存在する場所なのだろうか?
次々と襲いかかる魔物を切り裂いていると、エレが大弓を操りながら話す。
「彼らはおそらく、壊滅期の被害者たちなのです。誰かが天界から呼び出したのでしょう」
「だとすれば、ジャックの仕業だろうな」
言ってるそばから、被害者どもが囲ってきやがった。これじゃあ、いくら潰したってキリがねえ……。
その時。マリアは俺達の中心に立ち、片手で杖の柄を握りしめる。その水晶を包む焔のオーラは陽炎を生み、たちまち熱気に包まれた。
「此処はあたしが締めるわ。……焔嵐!!」
彼女が杖を掲げた瞬間、俺たちの周囲で炎幕が生まれる。
その炎幕は渦を巻いた矢先、大きな火球に分裂。火球は不死者たちに向かうと直ちに焼き尽くした。ゾンビの唸るような断末魔に、亡霊が持つ生前の喚き声。それらが重なって木霊すると共に、肉体が一斉に掻き消えた。『不死者は焔魔法に弱い』と聞くが、上級魔術師からすればこの程度は造作も無いのだろう。
「……火で苦しんだ者を火で鎮めるのは気が引けるけど、これしか無かった」
「陛下のお考えに間違いは無いのです。ですから、わたくしからもお礼を言わせて下さい」
感傷の色を見せるマリアに対し、両手を揃えてお辞儀をするエレ。お互いの言葉からは、死者を思いやる慈しみをしかと感じ取った。
「……それでは、探索を再開いたしましょう。エレ、引き続き案内をお願いしても良い?」
「了解なのです」
アイリーンの言葉にエレが頷くと、俺たちは柱に囲まれた地を後にした。
次に俺たちが向かったのは、小さな神殿のような所だ。大きな石が天井と壁を形成させるこの場所は、人為的と云うより自然的に造られたもののように見える。
例えば、いま俺らが歩くこの場所。まるで蓋を少しずらした容器のように、端から光が漏れている。時に蝙蝠が数羽飛び立つが、此方を気にせず横切る辺り敵意が無いように思えた。
お世辞にも広いとは言い難い場所だが、湿気がやや控えめなおかげで一応の寝泊まりはできそうだ。所々で横倒しになった石板もあるし。
この薄暗い空間を見回しながら歩いていると、エレが突如立ち止まる。彼女は「あったのです」と左奥の壁に目を凝らして歩み寄った。
「どうしたの?」尋ねるアンナ。
「この壁を見て下さい。探索には関係のない事なのですが……」
エレが指すのは、壁に走る無数の傷。低い位置に刻まれたそれらには『何か大きな意味があるのでは』と思ったが、ある事をすぐに思い浮かべる。
「身長を測ってたのか」
「はい。この場所そのものを、わたくし達は秘密基地としていたのです。おうちに居るのが辛かったときは、いつも此処へ遊びに来ていたのですよ。ままごとをしたり、お花の冠を作ったり……ね」
「ひょっとすると、ベレはこの周辺でうろついているかもしれないわね。……貴女を求めて」
「もしアイリーン様の仰る通りでしたら、どうしてわたくしを此処へ……」
「……あまり良い目的では無いように思えますわ。手下を手配してでも私を狙うように」
「でも、妹さんならきっと判ってくれるよ。だってあの時──花姫たち四人でペルラ村を救出した事──、エレを突き飛ばしたけどちょっと悲しそうな顔をしてたもの」
「そうね。あたし達には容赦無いけど、姉には必要以上に手を出さなかったわ。逃げられたとはいえ、射撃で精彩を欠いていたのは事実ね」
「……こればかりは、わたくしの目で確かめるしか無いのですね」
花姫たちがヒイラギと戦っていた頃、俺とシェリーはメルキュール迷宮にいたから断片的にしか汲み取れない。けれど、いくら銀月軍団の手下になったとはいえ、やはり血縁に手を出すのは気が引けるのだろう。そこを上手く突けば、さほど血を流さずに済むと思いたいが……。
「さて、そろそろ此処を出ましょう。もう少しだけ続くのです」
「続くって……あの狭い道に入るんだよな?」
「勿論なのです。その先にわたくし達エルフにとって大切な場所があるのですから」
此処の出入り口は一箇所だけだ。俺たちはそこから外に出ると、右に曲がって次の場所へ移る。直後、マリアは眼前に広がる光景を見て呟いた。
「いったいどうやったら、こんな物ができるのかしら……」
目の前にそびえ立つ二枚の高い壁。その壁と壁の間にある通路は、成人一人分しか入れないだろう。その先に聖地(推測)を作るエルフも考えるものだ。
「俺は一番後ろに回ろう。エレちゃんは引き続き前を歩いてくれ」
「良いのですよ」
エレ、アイリーン、マリア、シェリー、アンナ、そして俺という順で通路に入る。エレは平然とした様子だが、バランスを崩さぬよう壁に手を当てて歩く者もいた。地面は砂利道になっているようで、凹凸が靴越しで伝わってくる。
誰もが粛々と歩く中、マリアはこのような場所だと歩行速度が若干鈍いように見える。……それもそうだよな。日頃城に籠もってるわけだし、戦闘や探索経験が浅くてもおかしい話ではない。そのためか、アイリーンは度々振り向いて主の様子を確かめていた。
『『────』』
気のせいだろうか。狼達の鳴き声が遠くから聞こえてくる。俺は反射的に後ろを向いて気配を確かめてみるのだが、それらしき存在は何処にも見当たらない。アンナはそんな俺に気付いたようで、「大丈夫?」と尋ねてきた。
「この近くに狼がいる。お前も耳にしなかったか?」
「ボクも聞こえたよ。それに月の魔力だって感じる……。エレ、この先──」
「はい、わたくしも聞こえたのです。……あちらですね」
既に通路を抜けたエレ。彼女は俺らに見せるように、人差し指を口元に当てる仕草を行った。
通路の先で再び広がる地。緑の木々に囲まれた其処は、縦に伸びる石板が至る所で埋め込まれていた。
俺らの数メートル先に見えるのは、黒い毛並みを持つ狼の群れ。何かを囲っているようで、隙間から白い何かが憔悴しているように見えた。
森に存在する白い生き物。心当たりがある俺は、小声でエレに尋ねてみる。
「狼が囲ってるのは、ケセランパサランか?」
「そうですね。あの子は戦闘能力があるわけでも無いので、食べられるのも時間の問題でしょう」
「それならボクが行くよ」
「よせ、あの中に突っ込むのは危険だ。エレ、お前の矢で気を引く事はできないか?」
「任せて下さい。アンナ様、その間にあの子を助けていただけませんか?」
「うん! 誘導を頼んだよ」
作戦がスムーズに決まったところで、エレは大弓を虚空から召喚。彼女が一本の矢を空に向ける間、アンナは自身に陽魔法を掛けた。
「光速」
彼女が足元に向けて片手を伸ばすと、白い粒子が両足首を包み込む。
一方で、矢が中空で弧を描き地面に落下。鏃が土に突き刺さったとき、狼達は一斉に矢の方へ向かった。
だが、それは罠だ。一匹の狼が矢に近づいた瞬間、碧色の爆発が起きて彼らの身体が吹き飛ぶ。
その間、アンナは一秒にも満たない速さで此方へ戻っていたのだ。樽の半分はあるであろう、白く丸い生物を抱えたまま。
狼達は俺らの存在に気づかぬまま、その場から退散。隊員の誰もが、アンナの腕の中にいる生き物に目を向けた。
「まあ、なんて可愛らしいのでしょう!」
シェリーは顔をほころばせ、その毛足の長い生物の頭を優しく撫でる。……正直、彼女に撫でられるこいつが羨ましかった。
厳密に云えば、このケセランパサランはただの生き物では無く魔物の一種だ。身体的特徴は、白く長い毛と丸い身体。毛に埋もれてよく見えないが、一応は手足が生えている。大きくてつぶらな瞳に小さな嘴と、世間ではひよこのように見えるらしい。
また、どういう根拠か『とうの昔に絶滅した妖精の生まれ変わりではないか?』と囁かれることもある。
「ねえケセラン、この周辺でダークエルフを見なかった?」
アンナがケセランの身体を自身に向けて話し掛けると、極端に短い手を伸ばして西の方を指す。その様子に、シェリーは終始にやけたままである。
アンナは「じゃああっちなんだね!」と言って、俺らの存在を忘れて先へ進んだ。
「アンナもお嬢様も、可愛いものには目が無いのね」
「いくら無害だからって油断しすぎだ」
きっと彼女らは、アイリーンと俺の会話が聞こえてないだろう。
マリアとエレがくすくすと笑う中、残る俺たちもアンナに付いていく──。
しばらく西を歩くと、少しばかり迷路に似た場所に辿り着く。小さな迷宮をすぐに突破できたのは、この白い魔物のおかげだ。
だが、その先からは只ならぬ魔物の気配を感じる。先程の不死者と違ってかなり強敵な予感しかない。
ケセランは言葉を放つ事は無いものの、身振り素振りで俺たちにこの先を説明する。そしてアンナの腕の中から跳んで湿った土に着地すると、両手を上げて翠の粒子を撒き散らした。
その粒子が俺たちを包み込み、全身を漲らせる。何となくだが、今の俺たちなら上位魔法を多く使える気がした。
「うわあ、魔力が戻った! ありがとね、ケセラン!」
膝を軽く曲げ、満面の笑みを浮かべるアンナ。ケセランが頷くと、よちよちと何処かへ歩き去った。
「……あの門ね」
マリアは、概ね五メートル先にある石門を見つめて呟く。柱と柱の間には結界のような隔たりがあり、蔦が張り巡らされていた。
俺たちは武器を構えたまま、短い草の上を一歩ずつ歩く。
ついに門の前に着いたとき、蔦が無数の眼を見開かせ蔓を増殖させた。
「な、何!?」
アイリーンを始めとした花姫たちが驚嘆する。その間にも、蔓は俺たちを囲うように壁を作り出した。
「……何が何でも通さねえってか」
もう一度結界の方を向くと、中心に埋め込まれた巨大な単眼が俺らを睨む。
そして──
全ての目玉は瞳孔を赤く灯らせ、閃光を一斉に降り注いだ。
(第七節へ)
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