「……また会ったわね、人殺しども」
天の宮殿の省察所では、ルーシェも囚人として収容されていた。家具が並ぶこの部屋は一見宿舎だが、あくまで天界における牢獄だ。
俺達の前に立つガブリエラは、窓際のソファーに腰掛けるルーシェに対し緊張が緩んだ様子で話しかける。
「ハロー。君の友達、連れてきたよ」
「と、友達……? こんな連中が、友達ですって!?」
俺らとルーシェは因縁関係だ。楽園にいるガブリエラならその事も知っているはずだが、場を和ませるために冗談を言ったのだろう。だが彼女は皮肉と解釈したのか、即座に立ち上がり声を荒げた。
「冗談じゃないわ! 所詮天使からすれば私達の戦いなんてただのごっこ遊びよね。とにかく、さっさと出てって頂戴。鬼畜と取り合うくらいなら、此処で捕まってる方がマシだもの」
「話を聞きなさい、ルーシ……」
マリアが呆れた様子で幼馴染に呼び掛けようとした瞬間、ガブリエラの身体が突如光り出す。温かな光に包まれる彼女は、白いドレスを身に纏い天使の羽をはためかせていた。
直後、その女は冷ややかな声音で独特な言語を放つ。
「────」
ガブリエラと思しき天使が言葉を放った時、ルーシェの頭上から雷が落ちてきた。電流を流されたルーシェは短い悲鳴を上げ、四つん這いに伏す。ガブリエラが放ったのは、雷撃に該当する魔法なのだろう。
「なんで、よ……」
ルーシェが苦痛に悶える傍ら、ガブリエラは元の姿に戻る。あたかも首が凝ったと云わんばかりに左右に振ると、愚痴混じりの忠告が漏れた。
「はー、これ疲れるんだよぉ。そーゆーわけで、また暴れたらマジで怒るからね!」
こいつ、本当に天使だったんだな……。シェリーはさておき、マリアもぽかんと口を開けたままだ。
ガブリエラは俺らを気にも留めず、「後はよろしくー」と加えて部屋から立ち去る。彼女が去ると空気の重みが増し、誰もが口を結ぶ状況と化した。
「……何よ……用があって此方に来たんでしょ?」
ルーシェは痛みが落ち着いたらしく、ソファーに再び腰掛ける。俺達から目を逸らすも、語調は先程よりも柔らかい気がした。
そこで俺が用件を言い掛けるが、前に出たのはシェリーとマリアだった。
「ルーシェ。君には人間界に戻って、アルディさんの所で匿ってほしいの」
「か、匿う……?」
ルーシェが目を丸くすると、マリアが付け加える。
「ルドルフもアリアも、もう人間界にはいないわ。ジャックはいずれ、あなたの心にもう一度付け込むでしょうね。本来、魂は天界に在るべき存在。だからこそガブリエラにこの事を話してあるわ」
「……どこぞの下衆どもがお兄様やアリアを手に掛けた事なんて、とっくに知ってるわ。今度はデルフィーヌ様の名を使うなんて、どこまで腐ってるのかしら」
「う……」
「気にするまでもないさ、シェリー。俺らが騙してるかどうか、手紙を読んで確かめりゃ良い話だからな。そうだろ、マリアちゃん」
「ええ。筆跡を真似できる程、あたしらは良くできてないからね」
マリアが懐から取り出したのは、一通の白い手紙。封筒からは、“香水草”と呼ばれる花の甘い香りが仄かに漂ってきた。
ルーシェもその香りをよく知っているのだろう。手紙を見つめ何度も瞬きさせた後、眉間に皺を寄せて封筒をぶん取った。
「…………ふん。どうせ防衛部隊で仕入れた薬草の知識で誤魔化してるんでしょ。本物かどうか、私が読み上げてみせるわ」
細い指先で封蝋を剥がし、さっと開封するルーシェ。そして便箋が露わになった時、香りがまたしても鼻腔をくぐってきた。
彼女は軽く咳ばらいをした後、淡々としたトーンで読み上げる。だがその内容は、俺にとってアルディの印象を大きく覆すものだった。
親愛なるルーシェ
お前がこの世を去り、もう十二年の時が経つ。今年のルーンに、人間界へ舞い戻ったと聞いたさ。だが、この身体はもはや融通が利かぬ。もし私が若ければ、胸中の不安を掻き消せただろう。お前を救えなかった私を、どうか許したまえ。
ルーシェ、お前は既に私という存在を忘れてしまっただろう。だが、償い終えた後は再び戻るがよい。相応しい依り代を以って、私めが新たなる生を授けよう。
今一度胸に刻め。私にとってお前は友であり、娘に近しい存在でもあるという事を。
デルフィーヌ・アルディ
「…………っ……」
ルーシェは途中から声を震わせ、瞳から大粒の涙を零す。手紙の内容を読み切ると、彼女は嗚咽を上げて蹲った。
「んなの……でたらめ、よ……」
「これで判ったでしょ、手紙が本物だって事に」
マリアは手を腰に当て、勝ち誇るように口を挟む。俺とシェリーはアルディの意外性に驚きを隠せないが、マリアは(アルディと)旧知の仲だもんな。
「シェリー、伝えたい事があるんでしょ?」
「う、うん!」
マリアに呼び掛けられ、背筋を伸ばすシェリー。それからひと呼吸すると、ルーシェの前に屈んで静かに語り掛けた。
「ルーシェ……今までごめんね。君の人生を滅茶苦茶にしたのは、全部私なんだ。お兄様や、アリアを喪う事になったのも──」
「もう、良いわよ……! どうせ、お兄様はマリアしか見てないし……アリアだって、本意なんかじゃないし……!!」
「どういう事だ?」
「この身体は、お兄様を捧げるためのモノだった。……でも邪神に攫われ、地獄で純潔を奪われたのよ。楽園の連中は誰も助けに来てくれなかったし、何が天使よ。……アルディ様の元でもう一度やり直せるなら、特別にぜんぶ水に流してあげる。だけど……だけど……っ!!」
ルーシェが感極まろうとする瞬間、シェリーは彼女の身体を固く抱き締める。ルーシェは胸に顔を埋め──ついに、宿敵を抱き返した。
「あなたがその力を持ってるせいで、もう“友達”なんて言えないじゃない……!! 私をズタズタにした女神なんか、大っ嫌いなんだからぁ!!」
「……私も君も、ずっと友達でしょ。確かに私たちは敵同士だったけど……それこそ私の望んだ事じゃない。今度は清の花姫としてじゃなくて、普通の女の子として生きてほしいの」
「言われなくても、判ってるわよ……!」
もしシェリーがアリスの継承者で無ければ、この二人はもっと幸せに生きられただろう。マリアだって、不死の薬を飲む必要が無かったはずだ。
神は常に気まぐれで、時に一つの魂に宿命を背負わせる。ルーシェが生まれ変わった時、今度こそ彼女を見過ごしてくれるのだろうか。
友達同士の抱擁を見つめる俺とマリア。傍らに立つ彼女は、アルディについて俺に話してくれた。
「アルディ……ううん、デルフィーが大魔女と囁かれる理由は、人造人間を生み出せるからよ。魔術機関が自慢のティトルーズでも、ホムンクルスを生むなんて至難の業。もしその存在が世に知れ渡れば、誰もが彼女の元へ押し掛けるはずよ」
「でも、シェリーが言うには足が悪いんだろ? 使い魔を籠らせたら、どうやって材料を採りに行くんだ?」
「あの人の造るホムンクルスは質が良いから、人間と然して変わらないでしょうね。“印”さえ知られなければ……」
「ま、目立たない場所に在ればバレねえもんな」
「そういう事よ」
マリアが話す通り、人造人間の質は創造主の腕に依るものだ。上質なホムンクルスと人間を区別する方法は、前者の身体に刻まれた“印”を見つける事にある。
印の位置次第でそいつの人生が変わると云っても過言では無く、顔に刻まれていた場合は一生人目に触れず過ごす事になろう。
国によっては、ホムンクルスの創造を許さない所も在る。ゆえに、(マリアの話によれば)アルディはその能力のせいで故郷から迫害を受けた身だ。ティトルーズ王国に限ってはそんな事は起きないだろうが、印を知られない方が何かと楽である。
俺とマリアでそんな話をしていると、背後のドアが開かれる音がした。俺達が振り向くと、先程部屋を去ったはずのガブリエラがさっぱりとした様子で此方を見ている。
「ほーら、顔を上げてルーシェ。今から解放の儀式だってさー」
「……ついに来たのね」
「勿論さ! いつまでも此処に置くのは可哀想だしね。じゃあ、君たちも付いてきてー」
颯爽と廊下へ向かうガブリエル。こうして見ると、先ほどの姿がまるで嘘のように思えるな。
彼女を先頭に俺とマリア、そして後からシェリーとルーシェが歩き出す。エレベーターの在る場所へ辿り着くと、一同は一つの狭い空間に飛び乗った。
(第四節へ)
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