【前回のあらすじ】
清の都ウンディーネを統治するアングレスの豪邸は、竜人アリアによって占有される。アレックスらは同じく亡霊と化したルドルフを撃破後、アリアが待つ広間へ辿り着いた。
空間を操るアリアは、清の力を以ってアレックスらの動きを封じる。幸いにも解放された彼らは反撃に移り、中でも元銀月軍団の配下ヴァルカは前線に立とうとしていた。
故郷を凍らされた民を、そして再び囚われたシェリーを救うべく、悪魔騎士は仲間と共に立ち向かう。
ジェイミーとアリアが対峙する傍ら、ヴァルカの手中には既にハルバードが収められていた。
アリアはヴァルカの方を見遣り、自身の顔の前に右手をかざす。
刹那。中空に青白い亀裂が幾つも走り、空間の裂け目からは氷柱が大量に降り注いだ。
「離反者は元来始末するつもりでいた。特に、殺戮兵器はね」
ヴァルカに迫る氷の刃たち。
彼女は唖然として見上げたまま──かと思いきや、次の行動に出た。
「阻止」
ハルバードを縦に持ち、目を瞑るヴァルカ。
炎の波は彼女を囲うように荒れ狂い、中空へと昇り行く。炎は轟音のような唸りを上げるも、その熱気は程好いものだ。氷柱の雨を呑み込むに留まらず、俺たちの周囲をも溶かしていくのだから。
「アリア・アングレス、私たちの勝率は九九・八%」
「その自信はいったい何処から?」
「俺様たちの方が上って事さ!」
ジェイミーは両手で空気を包み込むような姿勢を取る。すると手中に翡翠色の光球が宿り、そこから漏れる光の筋は炎の波を囲い始めた。
炎は緩やかに渦を描いたと思いきや、急速に広がり始める。灼熱の衝撃波がアリアを呑み込むと、ジェイミーはヴァルカに指示を出した。
「う……っ!? 何が、起こって──」
「ヴァルカ! 今だ!!」
「感謝します、ジェイミー」
アリアは為す術も無く焦がされ、憔悴を見せる。
その間ヴァルカは彼に迫り、右肩に向かって斧槍を振り下ろした!
「追撃」
「あがぁあぁあ!!! こんなの……あり得ん!!」
斧がアリアの右肩に喰い込み、鮮血が噴出。霜が降りた床には紅の点々が浮かび上がり、鉄の臭いが鼻腔をくぐる。
しかし彼は抗うようだ。左腕を震わせ、ヴァルカに向けてゆっくりと掲げる。
その瞬間、ヴァルカは武器を握り締めたまま後ろへ吹き飛ばされた。俺を含む誰もがこの光景に驚くが、当の本人は空中で自ら一回転。
受け身を取る刹那。大きな矢のような物が直線を描き、アリアの左脚を貫いたのだ。
「きあぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!」
女性かと思わせるアリアの悲鳴。彼の脚を貫いた正体はハルバードであり、脹脛からは赤い傷が縦に走っている。
あの冷酷な振る舞いは何処へやら。アリアが両手を足元へ伸ばし、斧槍を引き抜こうとした瞬間──!
「せいっ!」
「うぎゃぁ!!」
今度は刀が放たれたと思いきや、アリアの右腕は既に宙を舞う。
ふと背後を見れば、垂れ下がる袖で汗を拭くヒイラギの姿が在った。
「ふう、こんなモンか?」
「お、おいアレを見ろ!!」
珍しくロジャーが焦っている……? もう一度アリアのいる方へ視線を戻せば、氷色の炎が彼の身体を包み込んでいた。
彼は青緑色の目を光らせ、俺たちを睨みつける。彼を包むそれは決して炎ではない。魔族ならではの瘴気だ──!
「……全て、殺す」
言葉に憎悪を添えた瞬間。
彼の身体が青白く光り、刺々しい冷気が再び俺らに襲い掛かる! それでも俺はこの目でアリアを捉えると、彼の身体に異変が生じていた。
「今度は何だよ!!」
ジェイミーの言葉が寒さに呑まれ、声が遠いように感じる。
一方で、アリアの繊細な体躯は徐々に爬虫類のような魔物に変形。緑を帯びた金髪は毛並みに変わると、魔物の全長は三メートル、いや五メートルにまで膨張した。彼が巨大な翼を広げた時、俺の予測は確信へと変わる。
「結局は邪神の息子って事か」
目の前に現れたのは、竜としてのアリア・アングレス。失われた右腕部分からは赤黒い断面が見えるも、もう一つの腕は今にも俺らを捕えんとする。彼の目には激昂が宿っており、鋭い牙が獰猛さを物語っていた。
その時に俺の脳裏をよぎったのは、メルキュール迷宮で戦った清の邪神。彼の肉体は、否応なしに以前の戦いを想起させた。
「避けろ」と指示しようと口を開けた瞬間、少女の影が立ち塞がる。
彼女はボブカットの髪を揺らし、再び竜と対峙しようとしていた。
「よせ、ヴァルカ!」
「皆、早ク逃ゲテ!!」
俺らに背を向けるヴァルカは、ハルバードを振って炎幕を展開。
だが同時に吐かれた酷寒の炎は、呆気なく焔魔法を凍り尽くしてしまう。
無論、アリアの攻撃はそれで終わりでは無かった。
竜の左腕は凍った結界を突き破り、小柄な身体を鷲掴みにする。手中で抵抗するヴァルカだが、竜は構わず彼女を口元へ運んでいく。もしこちらが何もしなければ、彼女は間違いなく──。
「……俺に行かせてくれ」
「アレク!?」
予感した未来は真っ先に四肢を突き動かし、大剣を握らせる。
そして足は地を蹴り上げ、この身体を高く跳躍させた!
「うぉぉぉおおぉおおぉおお!!!!!」
狙うは竜の腕。
柄に魂を込め、骨っ節を一閃してやらぁ!!
──アァァアアァァァァァァァアアアア!!!!!
縦に描く白銀の軌道は、鱗に包まれた左腕を見事切断。まさに大剣が俺の願いを叶えてくれた瞬間だった。
アリアが熾烈な痛覚に悶える間、機械人形は手中から滑って落下。俺の脳裏は一瞬真っ白になるが、彼女の落下地点に樹の氣が宿って事無きを得る。
「損傷率は八%。よって、稼働を継続します」
「ふう……これで借りは返せたかな」
もしジェイミーが魔法で受け止めなけりゃ、ヴァルカの損傷率はさらに上がっていただろう。
しかし、今は仲間と話す余裕など無い。俺は片膝を曲げて着地した後、すぐさま仲間の方へ後退。両腕を失った竜は雷鳴のように唸ると、鋭利な視線をシャンデリアに注いだ。
シャンデリアから垂れ下がる氷柱は、角度を変えて砲台へと変形。
吹き抜けの氷柱も例に漏れず、全ての砲口が俺たちを睨み始めたのだ。
「な、どういう事!?」
「落ち着けヒイラギ。……ここは俺とお前、ジェイミーで凌ぐぞ」
ヒイラギの尊大な口ぶりが砕けるのも無理もない。いくら元銀月軍団のメンバーと云えど、氷柱が砲台に変わるなんて誰も予想できないのだから。
幸いにもヴァルカはロジャーに導かれ、守られている様子だ。
俺とジェイミー・ヒイラギで三角を描くように囲った瞬間、棘のような口径から一斉に雹が注がれる!
「くっ!」
ヒイラギが苦しそうに声を漏らすも、扇子で仰ぐ事で何とか凌げているようだ。俺が大剣で雹から守る一方、ジェイミーは纏めて焔魔法で溶かしているらしい。
「んだよこれ! 聞いてねーし!」
「お前ら、絶対に手を止めるな! 蜂の巣にされるぞ!!」
判ってはいたが、本当に骨の折れる防衛だ。幾ら防いでも吹雪のように撃ってやがる。
そんな中、ロジャーはヴァルカを護っているのだろうか? 僅かな間隔を機に後方を見ると、無表情な彼女がただ立ち尽くすのみだ。
まさか何処かへ消えたのか?
違う、あいつには何か考えがあるはずだ──!
その時、冷ややかな視線が俺の背に突き刺さる。
振り向けば、親に似る竜は俺を睨みつけていた。
「我が母……そして我が父の仇…………」
断片的に紡がれる中性的な声。彼は翼を広げ、双方に魔法陣を展開させる。
青く光る魔法陣に既視感を懐いた瞬間、大柄な人影が竜の頭に乗り出したのだ。
「後ろがガラ空きだぜぇ? ドラゴンさん」
ロジャーは太い両脚でバランスを保ち、両手で曲刀を握り締める。
その曲刀を勢いよく直下させると、竜の左目は肉の弾けた音を立てて赤い花弁を撒き散らした。刀に宿る炎は脳をも焦がし、二つの魔法陣は呆気なく霧散。嫌な予感はこの魔術剣士によって消え去ったのだ。
──ギアァァァァァアアアアァァァ!!!
竜の悲鳴がけたたましく響く中、ロジャーは刀を引き抜いて宙へ一回転。
彼が着地した頃には、砲撃は嘘のように止んでいた。
「さあアレックス!! 『苦しい時のなんちゃら』って言うだろ!!」
苦しい時の……なんちゃら?
思えば、さっきから右手が妙に冷たい。甲を見れば、そこに刻まれた清の紋章が光り続けていたのだ。
……そうか!
俺もまた、エレメントの女神と契約している身。ならば、花姫たちと同じことをやる時だ!
「ウンディーネ! もう一度俺に力を!!」
右手を掲げ、力を授けてくれた女神の名を叫んでみせる。
直後、青い光の粒子が目の前に集まり、女性の姿を形成しだした。
「お待ちしておりました、主様」
纏め上げた薄水色の髪に、ドレープで覆われた豊満な肉体。
凛然と佇む彼女は、メルキュールで出会った清神と見事一致していた。
ウンディーネは俺の身体を抱き寄せ、上目遣いをしてくる。その誘惑のせいで胸は高鳴り、身体の奥が一気に熱くなりだしたのだ。
「おい、今どういう状況か──」
「貴方には私がいるのに、何故姫にご執着を? ……でも、貴方がお望みなら力を与えてやらなくもありません。その代わり……」
物静かで、しかし妖艶な声は、一音一音が本能を昂らせる。
そしてとどめを刺すかの如く、言葉の続きを耳元で囁き始めた。
「私に触れなさい。唇の疼きを満たして差し上げましょう」
……認めたくない。シェリーが呪いを受けてから、長らく唇が恋しかった事を。あれからは騎士らしく手の甲にキスしてきたが、それでもあの柔らかな感触には勝てないんだ。
何があろうと、俺の心にシェリーがいる事に変わりは無い。けれど此処でウンディーネに触れぬ限り、俺は新たな力──契約奥義を永遠に受け取れないだろう。
許してくれ、シェリー。
呪いが解けた暁には、溺れる程のキスを約束しよう。
「あっ……!」
この際だ。指先でウンディーネのシャープな顎を引き寄せ、強引に唇を塞いでみせる。
悲しきかな、身体は嘘をつかない。舌を入れた瞬間、風船が弾けるように一人の女を堪能し始めた。
だが俺自身を襲うのは快楽では無く、無慈悲な冷気。それは痛みをももたらし、肌が乾いていくような感覚だ。
これこそが、契約奥義の代償かもしれない。アイリーンも、マリアも、エレも、みんな痛みを経験してきたんだよな……?
ついに指の感覚は麻痺し、関節を動かせずにいる。もはや舌を動かす事すら儘ならない今、彼女から手を離すが──震える声は、脳内に入り込んできた。
『やめないで……その手で、私をもっと満たして……』
氷を水で溶かすかのように、皮膚感覚が戻っていく。言葉通り彼女の肢体に触れると、痛覚が徐々に和らいでいった。
「ま、マジ無理……」
「あはは、随分と大胆なこった。大丈夫か? いたいけな坊や」
後ろでは、初心なジェイミーが卒倒してしまったらしい。俺だって本当は恥ずかしいが、こうでもしないと竜をきっと倒せそうにないだろう。……って、何を言ってるんだ俺は──。
「はあ……」
唇を離したのはウンディーネからだ。彼女が息を漏らした直後、俺を包み込む冷気は“涼しさ”に一変。右手には冷たくつるつるとした感触が生まれ、水色の光が大きくなろうとしていた。
「念じなさい。『眼前に立ちはだかる邪を滅ぼさん』と」
「……ありがとう」
不思議だ。相手が女神とはいえ、女と接吻した事に変わりは無い。
だが快楽が闘争心に換わった今、この五メートルの清竜を一人で倒せる気がするのだ。
やがて光が形成させたモノは──氷で造られた、巨大な盾。
透き通ったそれを覗き込むと、表面には清の紋章が彫刻されていた。重さは俺にとっちゃ丁度良いが、非力な者は決して扱えそうにない。全長だって俺の頭をも隠せる程だ。
あの気まぐれな女神はとっくに姿を消している。邪悪に満ちた清竜は痺れを切らしたのか、口元からは白い煙が漏れる。
そこで俺は左手に収まる大剣を床に棄て、長剣に持ち替えた。部屋中の砲台は俺の方を向くが、もうどうって事ねえ。
「捻り潰す……私の、全てを以って!!」
満身創痍のアリアは、理性を失くし荒れ狂う他ないようだ。
彼が開口した刹那。盾を前に突き出し、全速力で駆け抜ける!!
「御主人様の反撃により、勝率が上昇」
「へぇ。オレには敵わんが、様になってやらぁ」
冷気の炎が俺を捉え、大粒の雹が高速で降り注ぐ。
だが、何もかも無駄だ!!
盾は全ての雹を弾き、炎を更なる氷点下で凍り尽くす。
彫刻と化した炎は、突進により瞬く間に粉砕。よって、竜との距離を詰める事に成功した。
「んなのアリかよっ!?」
「……その力、本来は母が持つべきもの。何故貴方のような悪魔が……!!」
「簡単だよ。清神が俺に惚れた」
もうどうにでもなれ。今はあーだこーだ言っている暇など無い。
俺の言葉はアリアの怒りを買ったらしく、翼をもう一度広げ出す。再び展開された双方の魔法陣は、今度こそあの攻撃を繰り出してきた。──憎しみを、次の言葉に添えながら。
「不埒だ!!!!」
魔法陣から放たれたのは、氷で生み出された特大槍。二本の槍は直線に沿い、俺を確実に狙う。
だが、この竜は知らないだろう。盾を持つ以上、練習台にさせられるという事を──!
「ふっ!!」
右手に力を込め、勢いよく横に払う!
前面、そして側面に弾かれた槍はすぐさま地に落ち、卵のようにすんなりと割れてしまったのだ。
俺は間髪入れずに、盾を水平に投げ飛ばす。
隙だらけのアリアは溝で受け止める恰好となり、唾液が雨のように注がれる。
やるなら今だ!
「爆破!」
盾は前触れも無く破裂し、白銀の爆発が空間を埋め尽くす。その冷気は言葉にならぬ程のようで、ジェイミーはすぐさま炎の結界で仲間たちを護ったようだ。
これまで触れてきた盾の中で最高の使い勝手だ。“守り”が性に合わない俺でも、痛みさえ我慢すれば巧く扱えるだろう。
「が……っ!!」
「ジェイミー、とどめは任せた!」
「へ!? お、おう!」
街一つ凍らす竜は氷漬けとなり、何もできずにいる。
友に敵の命運を託すと、彼は指を鳴らして強大な魔法を呼び起こした。
窓ガラスが震える程の轟音。
光が灰色の雲を裂いた瞬間。雷と化し、神聖なる天井を突き破る! 雷撃が竜の身体を貫くと、彼は哀れな人間の姿へと瞬時に戻されたのだ。
「まだやる気か!?」
「んや、もう大丈夫だよ」
ヒイラギが弓を構えるも、ジェイミーが制止。
友が言うように、両腕を失った人間は後ろへと倒れ込んだ。
「……なんて、事だ……私は、天にも……裏切られ……」
掠れた声で呟くも、最後まで紡がれる事は許されなかった。瞼が閉ざされる事は無く、潰れた左目からは紅い涙が溢れ出す。
ヴァルカはそんな彼に静かに歩み寄ると、屈んで首筋に触れ出した。
「生存反応なし。十秒後、場内の氷が融解します」
……言われてみれば、もう部屋中の氷が解け始めている。もしシェリーが活動できていれば、ミュールの奇跡で元に戻せたのだろうか……?
「さっさと行ってこい。恋人さんも解放されたらしい」
ロジャーに肩を叩かれ、正面を見据えてみる。するとシェリーを拘束していた枷も水と化し、彼女を前へ倒れさせた。俺は反射的に彼女の名を呼び、盾を解いて奥へ駆け抜ける。
「シェリー!!」
頼む、無事でいてくれ。
別れを切り出された以上、きちんと話がしたいんだ──!!
(第十二節へ)
◆アリア・アングレス(Aria=ANGLES)
・外見
髪:緑がかったブロンド/ロングストレート
瞳:ターコイズ
体格:身長184センチ
備考:牛のようなツノ/尻尾・翼は青緑色/性別不詳
・種族・年齢:竜人/11歳※
・属性・能力:清/竜に変身可
・武器:魔術(主に空間操作)
※本来竜人における10代は幼年を指す。しかし、ある人物の力を経て成年の姿へと変化した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!