※この節には残酷描写が含まれます。
黒橡のコートに身を包む、長身で茶髪のメガネ男。
俺とアイリーンは彼から逃れるべく城近くへ辿り着いたが、二体のオークに行く手を阻まれた挙句追いつかれてしまった。
「さすが魔術戦隊だけの事はありますねぇ」
「ヴィンセント……アイリーンに何の用なの?」
俺たちの背後に立つマリアが、ヴィンセントと呼ばれた男を睨む。しかし彼は女王の剣幕を物ともせず、歓迎するように両手を広げてきた。その目線をアイリーンに向けるも、当の本人は怪訝な表情をしたままだ。
「イリーナ、私を憶えていますか? さあ! その下劣な悪魔を捨て置き、私と再びやり直しましょう」
「悪いけど人違いよ。それに、貴方のような不気味な男に全然興味が無いの」
アイリーンは両手で拳を作って構えてみせる。一方でヴィンセントは「そうですか」と嘲笑うように言うと、自身の背丈と同等の長さを誇る杖を召喚し出した。その形状は水晶を三本のねじれた角が囲うというもので、気味悪さを強調させた。
「そう睨まないでください。じっくりと、思い出させてあげるだけですから」
「それは俺を倒してからにしな」
彼は怪しく口角を上げるのと同時に、杖の先端をアイリーンに向ける。だから俺は対抗するようにアイリーンの前に立ち、刃をヴィンセントに見せた。
しかし彼は何かを隠しているようで、深緑の藪に目を向ける。それに気づいたのか、藪からは枝葉の擦れる音が聞こえてきた。
「ジェシーさん、そこにいるのでしょう?」
「はいにゃー♪」
いったいどういう跳躍力なんだこいつ!?
勢いよく宙を舞うのは、少女のような半人半獣のジェシー。猫耳を生やした彼女――いや、彼は紅いセミロングの髪を揺らし、脇を締めたまま両手で拳を作っていた。……野郎のくせにウインクしやがって、虫唾が走るぜ。
だが、彼はそのままマリアに狙いを定め、かぎ爪を彼女の顔に向ける!
アイリーンは目を見開き、マリアの元へ向かおうとするが――。
「防御壁!」
ドーム型の結界がマリアを囲い、ジェシーの小柄な身体を弾き飛ばす。その時に「にゃんっ」という情けねえ声が聞こえてきたが、敢えて聞かないことにしよう。
ジェシーの身体が着地する刹那。
アイリーンは目にも留まらぬ速さで跳躍し、長い脚を以って彼を蹴り飛ばす!
「いやぁ~~~~~!!!」
「うるさい猫ね! これでもどう?」
彼女が完全に主導権を握っているし、ジェシーへの攻撃は任せて良いだろう。
俺がヴィンセントの方を向き直ったとき、マリアが隣へ駆けつけてきた。
「あたしとあなたでこいつを倒すわよ」
「おうよ」
普通の魔術師なら俺一人でも十分だが、この不審者からはただならぬ気迫を感じる。ジェシーと組んでいるってことは銀月軍団の一人だろうし、上級魔術師でもあるはずだ。
「自ら国王が挑むとは……随分と廃れましたね。それも蒸気に頼っているせいですか?」
「あれはあくまで手段よ。この国の主軸が魔術であることに変わりは無いわ」
「そうですか。ならば、さっそく証明して頂きましょう!」
ヴィンセントが杖を持ち上げ、両手で回転させる。浅緋色に光り出した顔の一部は、まるで火傷の痕のようだが――。
「はぁああっ!!!」
彼が杖を振り下ろした瞬間、幾つもの火の弾が高速で迫りくる!
俺が反射的に剣身を向けて弾く一方、マリアも防御壁で身を防いでいた。
「手が早いこと……。アレックス、《あなたの剣に力を注ぐわ》!」
此処に来て隠語を使うマリア。戦術における隠語は、魔術師と連携を取るのに必要不可欠だ。他国の言語と織り交ぜたそれは修得するのに労力を要するが、腹に背は変えられない。
彼女が杖をかざすと、黄金の粒子が俺の長剣に集まる。そして剣身を煌かせると、俺は突進し始めた。
ヴィンセントは自身の背後に二つの碧い球体を召喚後、空中へ急上昇。碧い光は俺の眼を眩ます程の輝度だ。
それでも俺は翼を広げ、彼を追う。引き続き俺に身体を向ける彼は、次々と漆黒の光線を放ってきた。
時に躱し、時に砕く。
破壊するたび重苦しい氣を感じ取るが、マリアが宿してくれた陽の付与はそれを上回る。
距離は徐々に縮んでいく一方だ。
あと一人分詰めれば――!
「出でよ! 幻想の人形!!」
焦って避けることもままならないってか?
そのまま斬りつけ――
「ぐあ……っ!」
何だ、この灼けるような痛み!?
背中をじりじりと焦がすせいで苦しい……!
「「アレックス!?」」
地上から二人の声が聞こえてくる。だが、激痛に喘ぐ俺はただ逆さまに落ちるほか無かった。
「隙ありだにゃ!!」
「きゃああ!」
マリアの、悲鳴……?
もう一度飛ぼうと念じても、頭の中が酷く熱い。
俺の身体は火に包まれていないのに……全身を焼かれるような気分だ。
その時、あらゆる単語が断片的に思い浮かぶ。
火傷のような痕。
イリーナ。
焔の、力。
まさか、こいつ――――。
「彼女が味わった痛み、あなたにも体験して頂きましょう」
頭が打ち付け――られるかと思いきや、黒い水が俺の頭を呑み込む。
ただちに全身を放り投げられると、灼けるような痛みがさらに加速した。
「んぐぅぅううう!!!!」
見えぬ炎は皮膚を貫き、骨をも焦がす。
例え瞼を閉じても眼球は焼かれ、鼓膜がじわじわと溶けゆくのだ。
やめろ、やめてくれ!!
俺はまだ死にたくねえんだ……!
助けを求めたくても、水の中じゃどうにもできねえ。
本当に、このままだと――。
――バシャアァァ。
「……ぐはっ」
いったいどうなってるんだ? さっきまで俺は焼かれたはずなのに、痛みが嘘のように存在しない。ただ、先ほどの黒い水のせいか身体がとてつもなく重い。枷が嵌められたような感覚は、首を動かすことすら困難にさせる。
だが、俺の視界にはあってはならない光景が広がっていた。
「さあアイリーン。大人しく僕たちについて行けば、この女を解放してやるよ」
マリアの首を片腕で締め付ける、全裸の猫男――それがジェシーだと認識するには、少々時間を要した。紅の毛を持つ猫男は、細身でありながら筋肉を露わにしており、割れた腹筋を目立たせていた。彼の声は少女らしさとは無縁で、本来の性を物語るほどの低さである。
こんな時に俺が動けたら……!
「っ!」
重い身体を何としてでも起こそうとしたとき、硬い棒状の何かで溝を突かれた。
「そこで見ていなさい。あなたの仲間が降伏する様を」
杖の石突部分で踏みにじり、レンズ越しで俺を見下ろすヴィンセント。細い先端は俺の胃を圧迫し、唾液を大量に吐かせた。
一方でマリアはジェシーの腕を掴んで抵抗するも、身動きが取れないようだ。彼の長い爪はマリアの頬や眼球近くをなぞり、彼女に恐怖を煽る。
「ほら、早くしなよ。さて、どっちから先に抉ろうかな~?」
「……陛下を傷つけないなら、今すぐ貴方たちの元に降るわ」
「ですよね~♪ 彼女が傷ついたら、責任がぜーーーんぶ君に行くもんねっ」
違う。彼女は保身で言ったのではなく、本当に国王を護るために選んだのだ。いくら武術に長ける彼女でも、この脅迫には逆らえないはずだ。
ヴィンセントが俺の胃から杖を離したので、今度こそ上体を強引に起こす。黒い影が徐々に近づくのに対し、無言のまま佇む彼女。……いや、半歩下がる片足が恐怖を示していた。
「眠れ」
差し出したのは例の杖ではなく、左手だ。
アイリーンが視線を彼の掌に向けた瞬間、瞼が閉じて糸が切れたように倒れる。
「いやぁあ!! アイリーン!!!」
半ば錯乱状態で叫ぶマリア。
彼女がジェシーから離れようとしたとき、鋭利な爪は女王の頭蓋骨に食い込んだ。
勢いよく引き抜かれた爪は紅く染まり、肉片が滴り落ちる。
白目を剥いたマリアも倒れると、ジェシーは元の姿に戻って笑顔を振り撒いた。
「へっへーん、予定調和だにゃ♪」
これは夢、だよな……?
アイリーンが眠らされ、マリアは――
嘘だ。そんなの嘘だ。
アイリーンは『陛下を傷つけないなら』という条件を提示したはずだ。
どうすれば良いんだ。
この国の女王がこんな形で最期を迎えるなんて、聞いてねえよ。
俺は隊長失格だ。
あの時、俺が背後にも気を配っていればこんなことには
「マリアァァアア!!!!」
シェリー……!? それに、アンナやエレまで来てくれたのか?
既に開花した彼女らは、倒れたマリアを気に掛けるように囲う。ちょうどタイミングが重なったのか、騎士団の人々も駆けつけてきた。特にシェリーは、涙を流しながら幼馴染の身体を揺さぶっている。
此処にはもう、ヴィンセントもジェシーも、アイリーンもいない。
頭の中が真っ白な俺は、何もかもが目に入らなくて再び力が抜けてしまったようだ――。
(第三節へ)
◆ジェシー(Jecy)
・外見
髪:濃緋色/ストレート/セミロング/頭部のてっぺんにアホ毛
瞳:髪の色に近い
体格:身長155センチ
備考:猫耳/尻尾が途切れている(第二章第九節にて)/男
変身時:獣人/素の声(低め)
・種族・年齢:猫/不明
・攻撃手段:小型チェーンソー/爪(第四章時点)
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