〈それでは、先に砂浜でお待ちしていますね〉
マリアの別荘で花姫たちと夕食を取った後、俺は彼女らと他愛ない時間を過ごしてから部屋に戻った。
時刻は零時前。シェリーからのメッセージを受け取った俺は、サーフパンツとシャツという出で立ちで別荘を後にする。砂浜へ飛んで向かうと、大きな満月に照らされたシェリーが佇んでいた。
流れる髪を下ろし、黒い薄手の上着を羽織る彼女。後ろに手を組み、宛もなく歩き回っているようだ。
まだ俺に気付いていない……。ならば、たまには驚かせてみようか。
踏み締めるたび、足の裏がサラサラとした触感で浸されていく。砂の心地良さに身を任せつつ、俺は彼女の背後に回り込んだ。
「待たせた」
「きゃっ!」
俺が後ろから抱き締めると、彼女の肩がビクッと上がった。繊細な生地が皮膚を擦る──その感覚の正体は、レース生地だ。
いったん離してやると、シェリーは照れながらも此方に向き直る。ひざ丈までのロングカーディガンを見せるように、「どうですか?」と両手を広げてきた。
花や葉を模った上品な柄の下、白い水着と雪のような素肌が垣間見える。程よい透過が背徳感を煽るせいで、良からぬ思考をつい巡らせてしまう。
もしそんな事でもすれば、お前は必死に我慢するだろう。それがまた良い。穏やかな波を伴奏に、最高の夜想曲を奏でたいものだ。
せっかくだから、レース越しで水着を眺めてみよう。
やや大きめな胸を覆う白い生地。大事な部分を隠していながら谷間をしっかり露出。あばらに向けて交差したバンドが、くびれを強調していた。
下半身に視線を移せば、非対称的なデザインが目に留まる。腰部分で結ばれた細いリボンなんて、『解いてください』と言ってるようなもんじゃないか。
嗚呼。あらゆる妄想が加速するせいで、唾を呑み込まずにはいられない。どう考えても水に怯えるヤツの水着じゃないよな? それとも、わざわざ俺のために用意してくれたのか?
「こんなところで待ってて、怖かったよな?」
「いいえ。あなたといられるなら、水も怖くありませんわ」
肩に触れ、彫刻のような顔を覗き込む。すると彼女は上目遣いをしたまま、細い指先で俺の頬に触れてきた。そのまま首から胸へとなぞられ、むず痒くなってしまう。
しかし指を胸元で停めると、丁寧にボタンを外して脱がせてくる。同じく水着姿になった俺はそのシャツを足下に捨て、頬を引き寄せるのだった──。
「あの……来て下さい」
俺から唇を離した後、シェリーが突如手首を掴んでくる。俺たちの足首を水が絡め取ると、蒸し暑さで高まった体温を徐々に下げてくれた。
煌めく水面を道標に、まっすぐと歩いていく。
水中に収まる足が捉えたのは、緩やかな斜面だ。そこが浅瀬の終わりであるかのように、シェリーは足を止める。月光に背を向けて俺を見つめる彼女は、影のせいか神秘的に映ったのだ。
「怖かったら言えよ」
「はい」
随分と積極的になったものだ。初めて会った頃と大違いじゃねえか。
青紫に彩る空に、幾多の星々。この空を阻む雲は何処に在ろう。
この場所にいるのは、俺と恋人だけ。別荘どころか、他の誰か──いや、現実すら忘れてしまうほど幻想的な世界だ。
「アレックスさん……」
彼女に名を呼ばれ、指が俺の胸を伝う。皮膚が直に触れるたび、鼓動が更に高まっていった。
そこで俺はもう一度唇を重ね、今度こそ舌を絡ませる。レース越しで触れる度、彼女の荒い吐息が耳に届いた。
いつもは俺に身を委ねるシェリーだが、今日ばかりは違うようだ。巧みな手付きで誘惑される俺は、ついに不意を突いてみせる。
流石の彼女も予想できなかったか、ついに甘い声が漏れ出した。それでも堪えるシェリーは、支配欲を十分に満たしてくれる。例え彼女の爪が皮膚に食い込もうと、今の俺にとって快感でしか無い。
「────っ!!」
力が抜け、バランスを崩しそうになるシェリー。俺が今一度抱き留めると、彼女は狭い肩を何度も上下させた。
「次は二人で来よう」
「…………はい」
耳元でそう囁くと、シェリーの身体が再びピクッと反応する。俺はそのまま彼女を抱き上げ、先程の砂浜へと戻ることにした。
白い絨毯に降ろされた彼女は膝を抱えて、俺を目で追う。一方で俺は砂に埋れたシャツを拾って叩くと、ボタンを嵌めずにさっと羽織った。
「お前、星に詳しいか?」
「軽くかじった程度ですが……」
「十分だ」
俺も彼女の右隣に腰掛けると、輝く夜空を見上げる。こうして見ると、俺たちヒトは小さく見えて……争い事もどうでも良くなってしまうな。
まるで、違う世界と繋がっているような天の川。同じく空を見るシェリーは「あっ」と可愛く声を上げ、紅く光る星を指差した。
「あれがラムダ星ですわ。で、その隣がオメガ星と言いますの」
ラムダ星の隣にある青白い点──それがオメガらしい。夏の夜空はしょっちゅう見てきているが、名称までは知らなかったから新鮮だ。
これら以外にも、シェリーは色々教えてくれた。数えきれない程あるこの星の中で、星座が幾つもあると云うことも。なかなか憶えきれないが、楽しそうな彼女を眺めるだけで幸せだった。その無邪気ぶりが愛おしくて、つい肩を抱き寄せてしまう。
「お前と一緒で良かったよ」
「私も、あなたの隣にいられて嬉しいわ」
顔の距離が近くなり、またもやキスしてしまう。もう何度目だろうか。この際だし、七のルビーでしか会えない王子と姫に嫉妬でもさせてやろう。
程無くして見つめ合う中、俺はシェリーにこんな話題を振ってみた。
「シェリー」
「何でしょう?」
「たまにはさ、二人だけで遠くへ出かけようぜ」
「はい。戦いが終わりましたら是非──」
「それじゃあダメなんだ。遅くても来週だ」
「えっ!?」
俺が言葉を遮ると、彼女は目を大きく見開かせる。
「戦禍ってのは、何が起こるか判らねえ。俺の同志も家族と『戦いが終わったら』なんて約束したが、彼が帰ってくる事は無かった。……そうして残された奴が後悔する様を、俺は沢山見てきたよ」
「…………でしたら、今週末に出掛けませんか? アレックスさんのお好きな場所へ」
好きな場所、か──。色々あるっちゃあるが、せっかくならロマンチックな所が良いよな。
……そうだ!
「なら、リタ平原に向かおう」
「リタ平原? そこってまさか……!」
「ああ、その『まさか』だ。けど、俺が一緒に行きたい相手はお前だ。どんなにあいつの記憶と能力を継ごうと、俺は“シェリー”と思い出を作りたい」
「……アレックスさん……!!」
流星の如く、雫がシェリーの頬を伝う。だが、彼女はすぐに腕で瞼を擦ると、慈しみのある笑みを俺に向けた。
「喜んで行きますわ。勿論、お弁当を作りますからね」
「ありがとう。何なら、後日“花火の宴”にでも行こう。思い切って東まで行くぞ」
「はい! ちょうど浴衣を持っていますから!」
そう、これで良い。ミュール島で何が起きるか判らないからこそ、少ない休暇を彼女と過ごしたいんだ。
「よし、行くか」
嬉しくなった俺は立ち上がり、シェリーに手を差し伸べる。彼女が俺の手を取ると、そのまま別荘近くの坂まで足跡を刻んでいった──。
「うう、やっぱり恥ずかしいですわ……」
「たまにはこういうのも良いだろ」
俺たちは各々の部屋に戻り、通信機に耳を当てる。ベッドで仰向けになる俺は、もう一つのお楽しみを享受していた。シェリーも愉しんでくれたようで、布を擦る音がスピーカーから聞こえてくる。
「他の皆さんに、聞こえてないかしら……」
「大丈夫だって。あれだけ遊んだんだから、今頃爆睡してるさ」
「……そうだと、良いのですが……。第一、場所はきちんと選ばなきゃダメですよ?」
「どうしても収めたかったんだよ。ちゃんと目に焼き付いてるうちにな。それに、お前も何だかんだで夢中になってたじゃねえか」
「そ、それは……!!」
「やっぱり俺らは似た者同士だ。一緒にいれば何するか判らねえ。そうだろ?」
「あ、あなたが私をそうさせたんです! 私は、その……あなたに合わせてるだけ、ですわ!」
「やっぱりお前も嘘つくのが下手だな」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
シェリーは今頃、顔を真っ赤にして俺を睨んでいる事だろう。……本当に、絵心以外はアリスにそっくりだよ。
だけど、結局アリスとシェリーは別人だ。
再び大切な場所に足を運んで、今度こそ愛を誓おうじゃないか。
そんな事を思いながら、どちらかが眠るまで話に花を咲かせるのだった。
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