自然の絨毯に背中を預け、深緑の茂みを眺める。真上の陽光を浴びていると、横で甘い声が俺を呼んだ。
銀髪を項まで伸ばした女は、瑠璃色の瞳を以って俺を覗き込む。身体は曲線を美しく描き、肌は雪のように白い。優しい笑顔がただ愛おしくて、その柔らかな頬に触れたくなった。
あれだけ愛し合ってたのに、もはや抱き締める力すら残っていない。彼女は俺の全身を眺めたあと、隣に横たわって甘えてきた。俺は自身の右腕に彼女の頭を載せる。
「いつまでもこうしていたいですわね」
「そうだな」
黒い睫毛は眼に刺さりそうな程長く、唇は桃のように色づいていた。それらに加えて鼻先が高いのだから、こんな美しい女を見るたび理性が狂いそうになる。
どうしようか。もう少し一休みしたらまたぶつけるのも悪くない。彼女も同じ考えなのか、俺の矜持を指先でなぞってきた。
「お前も好きだな」
「あら、それはあなたも同じではなくて?」
以前は喧嘩ばっかりだったのに、今じゃ冗談を言い合えるような仲だ。俺はそんな無邪気な彼女を黙らせたくて、頬を引き寄せ――
「……はっ」
瞼が勝手に動き、白い天井が視界に飛び込む。そこまでは自宅と同じだが、後頭部や背中に当たる硬い感触で『違う場所にいる』と判断した。
俺は生きているのか……?
答えは自身の右手にある。誰かの温もりと、時折甲に当たる雫。
顔を横に向ければ、そこには頬を濡らすエレがいた。
「あ……っ! アレックス様!」
まるで奇跡を目の当たりにしたような表情。いや、まさに奇跡か。なんせ心臓を撃たれたはずなのに、こうして生きているんだものな。安心したのか、彼女の温もりがより一層強まる。
「よかった……陛下からお話を伺ったときは、どうなるかと……」
「此処はどこだ?」
「お城の医務室なのです。先ほどお医者様が治癒してくださったのですよ」
「そうか……さっきは心配かけて悪かった。アイリーンちゃんは無事か?」
「ええ、あちらにいます」
まだ視線を向けることぐらいしかできないが、とりあえず見てみよう。上体を起こし、同じく胸元を包帯で巻かれたアイリーンが確かにいた。
アイリーンがシェリーと話し込むなか、偶然にも俺と目が合う。そして彼女は「あっ」と声を発し、話し掛けてきた。
「隊長、お目覚めになられたのですね」
「何とかな」
互いのベッドはそれなりに距離はあるが、会話はできないことはない。
シェリーも俺を見て目を見開くが、向かうべきかたじろいでいるようだ。アイリーンが目線で合図することで、俺のほうに近づいてくる。両手に胸を当てる仕草から、不安が伝わってきた。
「アレックスさん……」
「自分を責めるな。それより今は、アイリーンちゃんやマリアちゃんと話してこい。俺は大丈夫だから」
「……ありがとう」
シェリーが再びアイリーンに少し話し掛けたあと、駆け足で医務室を去った。
室内で静かな時が流れる。医務室特有の緊張感だろう。それではなかなか休まらないので、俺は敢えてその空間を破ることにした。
「起き上がって平気なのか?」
「ええ。背を刺されたとはいえ、軽傷でしたから」
こちらからすれば重傷を負ったように見えるが、本人が何ともないのならいいか。
「それよりも……陛下を護衛いただいたこと、心より感謝申し上げます」
「いいって。当然のことをしたまでだ。マリアちゃんとシェリーちゃんが上手くやってくれれば、それでいい」
「そうですね……」
「皆様、助けにいけなくて、すみません……」
「誰のせいでもねえ。強いて言うなら、全てはあのジャックの仕業だ」
あいつ、シェリーの前に現れてはすぐ消えてしまうんだよな。どうにか尻尾を掴めないものか。
頭を悩ませていると、エレが唇を震わせていることに気づく。
「……もしかして、ベレは捕まってしまったのかしら。ジャックもベレも、ちょうど三年前に消えているのです。ずっと探しても見当たらないですし」
「その可能性はあるかもね。加えて、陽の花姫を探す必要があるわ。彼女が見つかれば、自分たちももっと動きやすいのだけども」
「…………」
エレは『それどころではない』という風に無言を貫く。だから俺は、「エレちゃん」と呼んで彼女の手を握り返した。
「ベレちゃんを必ず見つけ出そう。そのためなら俺は……いや、俺たちは最後まで付き合う」
「ありがとうございます……! わたくしも、あなた達のために全力を尽くすのです!」
エレは嬉し涙を流しながら、俺の身体にしがみついた。一方で、アイリーンは俺の言葉を受けて首を縦に振る。
ただ銀月軍団を倒すだけでなく、花姫たちの心もケアをする。
それもまた、隊長の役目だと強く思った。
しばらくは各々で自由に過ごしていた。隣のベッドでアイリーンが本を読む中、エレは俺の頭をずっと撫でている。ゆっくりと滑らす細い指先と掌が心地よくて、このまま眠りにつきそうになる。
その時、誰かの急ぐような足音が遠くから聞こえてきた。それは段々と近づき、この扉の無い医務室へと入り込む。同時にエレは自身の手を止め、俺から離れた。
「失礼。ヴァンツォ殿に話があるんだ」
息を切らす男は、ルドルフ皇配殿下だ。この合間で目が一気に覚めたのは言うまでもない。長い金髪を結う彼はエレと入れ替わるように立ち、こう仰る。
「さっきはありがとう。君がいなければ、マリアはあのまま撃たれていたかもしれない。だから……心から感謝している」
彼は冷静な態度で片膝をつく。しばらく頭を下げたあと、再び立ち上がって背を向けた。
「邪魔してすまなかった。……どうか、シェリー殿を上手く制御してやってほしい」
「制御?」
「ああ。君はよく彼女と一緒にいるようだし、それはいずれわかるだろう。では」
『制御』――引っかかる単語だ。俺の疑問に答えることもなく、ルドルフは淡々と去っていく。おそらくさっきの豹変に関することだろうが……。
「…………」
エレが無言で隣の椅子に座り直し、もう一度俺の右手を握ってきた。ツンとしているように見えるのは気のせいだろうか?
「何か困ったことがあれば、わたくしを頼ってください。わたくしは、常にアレックス様のそばにいますから」
「ありがとな」
会ってそんなに日にちが経ってないというのに、なぜ彼女はここまで献身的なのだろう。ほんのちょっとだが、心を突き動かしてくる。今はあまり身動き取れないんだ。ここはお言葉に甘えて彼女に頼ろう。
俺が頷いたあと、エレは足元のカバンから林檎と果物ナイフを取り出した。
「あの、アイリーン様もよかったら一緒に食べませんか?」
「あら、ありがとう。せっかくだから頂くわ」
「アレックス様の分も必ずご用意しますからねっ」
「良いね。ちょうど小腹が減ってたし、俺も貰うよ」
もしかしてリヴィ産の林檎かな? あそこは名産地と云うし、間違いなく美味いに決まってる。
そう期待を抱きながら上体を起こしたとき――
「きゃ!」
エレの小さな悲鳴と、林檎が滑り落ちる音が聞こえてきた。彼女の指先から垂れるのは、林檎よりも赤い鮮血だ。
「すみません、ちょっと指を切っちゃって……」
ナイフをテーブルに置き、小さな切傷をじっと見つめるエレ。
こんなとき、薬があればいいのだが――
……ってアイリーンは!? 薬を探すついでに辺りを見回すが、それらしきモノは見当たらないし彼女の気配も無い。
なら……やむを得ねぇな。
「手を出せ」
「え?」
差し出された手を取り、溢れる血を自身の唇で吸い上げるほかない。血の味が口の中で染み込んで……まるで吸血鬼だ。
「あ、アレックス様!?」
すまん、エレ。もう少しで落ち着くから。
考えるなアレクサンドラ。お前には本命がいるだろ。
そろそろ血が止まる頃か?
唇から一旦指を離し、切り傷だけを見つめる。
「まあ、こんなもんだろう」
ふと顔を覗き込めば、彼女は恥じらうように顔を赤らめていた。頼むから、そんな目で俺を見ないでくれ……。
しかし、それも束の間。アイリーンが救急箱を持ってきたことで妖艶な空気が消え、手当に入る。
「二人とも、時と場所を考えなさい」
「……すまん」
「ごめんなさい、です」
まあ、彼女からしたら居たたまれないよな。
陽が落ちて、そろそろ夜になる頃だ。白いカーテンは、橙色に染まったキャンバスのように窓辺を覆う。
その一方で、エレは立ち上がってカバンを抱えている。そろそろ帰る頃なのだろう。
「エレちゃん、今日は助かった。時間あるときでいいから、また頼っていいか?」
「はい! 明日も来ますからねっ」
そうして彼女は満面の笑みを浮かべ、静かに開口部をくぐり抜けた。
足音が遠くなると、アイリーンが俺に話しかける。
「彼女、随分と懐いていますね。ですが、曖昧に接してはなりませんよ?」
「わかってるって」
アイリーンもまた笑顔だが、言葉には厳しさが込められていて胸が痛い……。
俺が反射的に視線を逸らしていると、二つの影がやってきた。その影の正体は目を腫らす少女たちで、俺はどう話し掛けるべきかわからずにいる。
「陛下に……お嬢様!」
「アレックス、アイリーン……さ、さっきは……ありがとう」
マリアは何とか俺たちと目線を合わせ、どもりながらも礼を言った。傍らにいるシェリーは、両手を揃えて頭をゆっくりと下げる。
「マリアの言葉にきちんと耳を傾けるべきでした。そうでなければ、こんなことには……」
「いいんだって。俺たちはこうして生きているし、それよりお前らが仲直りしてくれたらそれで幸せだ。あと、さっきは大丈夫か? 随分苦しめられただろうから、ゆっくり休めよ」
「……アレックスさん……! ごめん、なさい……!」
彼女はその場で座り込み、顔を覆って嗚咽を上げ始めた。するとマリアが俺のベッドに近寄り、耳元でこう伝える。
「ルドルフから『ジャックと会ってはならない』と命じられたの。今のあたし達にとって、あいつは危険すぎるからって」
「……それは俺も賛成だ」
彼女の言う通りだ。もしジャックがシェリーに曖昧な態度を取らなければ、こんなことにはなってないだろうから。
「それで、あなたに頼みなんだけど」
「なんだ?」
マリアの口から出た言葉は、俺にとって願ってもみないものだった。
「シェリーを見守ってくれないかしら?」
◆ルドルフ・アングレス(Rudolf=ANGLES)
・外見
髪:ブロンド/ロング/ひとつ結び
瞳:ターコイズ
体格:身長176センチ
備考:左目の下に泣きぼくろ
・種族:人間
・身分:貴族
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