騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第六節 船の上で

公開日時: 2021年6月17日(木) 12:00
文字数:5,002

 ──客船のバルコニーから。


 エク島へ向かう当日。午前五時にシレーナ港で花姫フィオラたちと待ち合わせした後、マリアが用意してくれた小型の客船で出港した。


 先頭にある弥帆柱やほばしらは、一角獣ユニコーンを彷彿させる。前方と後方には二本の帆柱があり、うち前方には帆桁がクロスするように取り付けられている。各々に黒い綱を括り付ける事で、船全体を引っ張り上げているようにも見えた。

 客室と煙突は、帆柱に挟まれるように位置する。丸太にも似た二つの赤い筒からは、白雲のように煙をもくもくとふかしていた。客室は煙突の前に設置され、中には個室や食堂・医務室・簡易会議室がある。ただ『客船』とは云うものの、軍用なのでカジノなどの娯楽施設は存在しない。


 早朝になれば、職人たちが漁に出るはずだ。しかし朱い地平線を駆けるのは、今の所この純白で装飾された船だけ。水面には一筋の光が差し込まれ、今にも夜色やしょくから空色に変わろうとしていた。

 こうして日の出を見るのはいつぶりだろう。ヘプケンを離れた時以来かな──と、手すりに片手を添えながら眺めていると、右後ろから小柄な気配が駆け寄ってきた。


「見てみて! 太陽が昇り始めてるよ!」


 とした声を上げ、東の空を指差すのはアンナだ。橙色のワンピースを身に纏う彼女は、風に飛ばされぬよう余る手で麦わら帽子を押さえる。土色の毛束とスカートが微かに揺れると共に、潮の薫りが鼻腔に入り込んだ。

 アンナの声を聞いたのか、再び誰かの足音が聞こえてくる。それは振り向く間も無く、俺の左腕に絡みついてきた。


「アレックス様と一緒にこんな光景を見られるなんて、幸せなのです」


 花柄のカットソーに、七分丈のスキニーデニムという出で立ちのエレ。短い裾から白い肌を覗かせる辺り、バカンス感覚が抜けないのだろう。

 それはそうと、アンナがこちらを見て何やら口を尖らせている。眉根を寄せ、桃色に色づく頬から嫉妬が窺えるが、まさか彼女が俺に惚れてるわけ──



「お・は・よ♡ 良い朝だな」

「おわぁ!!」



 やべっ、落ちる──!! 突然の低声が鼓膜を支配するせいで、思わず海に身を投げそうになる。幸いエレたちに支えられたが、此処で溺れたら洒落にならないぞ……。


「ベレ! アレックス様が落ちたらどうするの!?」

「何を言う姉貴。朝の挨拶は大切だと教わらなかったのか?」


 俺を驚かせた女の正体はヒイラギだ。格好はエレと似るものの、ボトムの丈が長い代わりに肩も露出させる。墨のような毛束がふんわりと靡く中、彼女は勝ち気な笑みを浮かべた。

 ヒイラギは黄金の瞳でアンナを見ると、近づいて帽子を取り上げる。アンナが「あっ」と声を漏らすも、ぺたんこになった髪を荒々しく撫で始めた。


「お嬢ちゃん、よく眠れたか?」

「ちょ……子ども扱いしないでよっ」


 抗うアンナだが何だかんだで、まんざらでもない様子だ。この二人が仲良しなのはちょっと意外に思ったが、アンナがエレと親しい以上それも有り得る話か。ちなみに、と訊かれたら間違いなく前者。何とは言わない。


「眠れないときはうちの所へ来い。添い寝してやるぞ」

「だからボクはそういう歳じゃないんだってー!」


 ……いかん、朝から妙なこと考えてたら戦いに支障が出る。それに、顔に出したらシェリーに何されるかわからんからな……。


 ちなみに何故ヒイラギがこの船上にいるか。経緯は少し前に遡る──。


『お待たせなのです!』

『あら、エレ……って、その袋は何かしら?』


 シレーナ港で待ち合わせする中、エレは巨大な絹袋を引きずりながらやってきた。上下に動くその袋の中には、まるで誰かが入っているかのよう。マリアを始め誰もが訝しげに見つめていると、エレがこんな事を言い出した。


『ベレが“うちも連れてけ”とうるさくて……でも早起きが苦手なので、こうして連れて行くしか無かったのです』


『陛下、如何なさいますか?』

『……執事たちに迷惑を掛けないなら良いわ』


 ヒイラギもまた戦力になるが、それ以上に男好きが災いするかもしれない。それはマリアも同じことを思っていたようで、『不本意だけど』と言わんばかりに溜息をついた。この時ヒイラギは起きる気配が一切無かったため、エレが個室に放り込んだのである。


 ヒイラギは熟睡できたのか、上機嫌でエレやアンナと会話する。

 その時、白のチュニックにホットパンツという眩しい出で立ちの少女──シェリーがやってきた。程よく膨らんだ胸を布で覆い、透き通ったベールでくびれを包み込む。くっきり見える谷間にすらりとした太腿と、密かに俺を誘っているとしか思えなかった。


「皆さん、おはようございます。朝食の準備ができましたわ」

「わーい!」

「アレックス様も早く!」

「ああ。後で行く」


 アンナが喜んで屋内に向かうと、エルフ姉妹ものんびりと後を追う。

 彼女らが客室に向かった事で、賑やかな空気から静かな空気に一変。シェリーと二人きりになった俺は彼女の腕を掴み、壁際へ追い込んだ。


「わ……っ!」


 シェリーの声が誰にも聞かれぬよう、唇を塞ぐ。舌を絡ませると、彼女はよがるように腰を動かした。

 誰に見られるか判らないスリルに身を委ね、さり気なく弄ぶ。けど、長くこうしてはいられない。彼女のリアクションがピークに達する直前、唇を離すことで唾液が糸を引いた。


「行くぞ」

「もう、意地悪すぎますわ……」


 瞳を潤ませるシェリー。続けたいのはだが、誘惑を断ち切るように俺から距離を置いた。



 洗練された廊下を歩き、左手にある両開きの扉を開く。俺とシェリーが辿り着いたのは食堂だ。窓一面に広がる海を背景に、赤い絨毯を踏みしめる。白い柱が疎らにそびえる中、花姫たちは円形のテーブル席に着いていた。中央に位置するそこで空席に座ると、向かいのアンナが首を傾げる。


「二人とも何してたの?」

「作戦会議だ」


 マリアやアイリーンを除く一同が目を丸くするが、それは気にしないでおこう。

 ちなみに俺の左隣にはエレ、右隣にはシェリーが座っている。僅かの時間でも恋人と一緒に座れるのは、実に嬉しい事だ。


 地中海を想起させる食べ物が、白のテーブルクロスを隙間なく埋める。中でも目についたのは、木製プレートに並べられた副菜だ。チーズやトマト・キュウリなどが置かれる傍ら、籠の中にパンが積まれている。


「やっと二人が戻ってきたし、そろそろ食べましょ」


 マリアがそう言うと、一斉に食材への敬意を告げる。彼女らは他愛ない会話をしつつ、各々が気になる食べ物に手を伸ばした。


「海を見ながら食事ができるなんて、ますます美味しくなりますわね」

「そうだな」


 いくら軍用と云えど、ティトルーズ王家の美的センスが光る場所だ。この豪華な空間は俺たち庶民にとってあまりに貴重であり、誰もがこの瞬間を噛み締めているかのよう。


「それにしても、アンナはよく食べるわね」

「いったい何処に入れてるんだ?」


 大食おおぐらいな少女に疑問を投げ掛けるのは、アイリーンとヒイラギだ。他の隊員たちも視線を注ぐが、当の本人は食事に夢中で全く気付いていないらしい。


「本来の目的はあくまで救助だけど、何処かの誰かさんが一番張り切ってるわよね」

「えっ!?」


 アイリーンの視線が、上品にパンを食すマリアに移る。女王本人の身体がビクッと跳ねたあと、顔を赤らめて声を張り上げた。


「べ、別にあたしは楽しんでなんかないわよっ!」

「『エク島へ向かう』と言って、真っ先に“格好良い水着”をお求めになりましたよね? 随分と過激でしたが」


「だってシェリーがいるんだもん……そりゃあ……」

「そういや、マリアの水着姿は暫く見てなかったね」

「陛下もアイリーン様もセクシーですし、とても楽しみなのですよ!」


「ま、マリアさんっていつも過激な物着てるの!?」

「んぐっ!」


 アンナのが飛び交ったせいで、食べ物を喉に詰まらせてしまう。両脇に座るシェリーとエレは慌てて俺に水を差し出してくれた。


「わぁ!! 大丈夫ですか、アレックスさん!?」

「はわわ、水を飲むのです!!」

「…………ありがとう、助かった」


 おかげでまた命を取り留めたものの、アンナのヤツ(飯に夢中で)聞いてなかったんだな……。『マリアの水着がとてつもなくヤバい』という会話は耳に入れてたが、『いつも過激な物着てる』となるとニュアンスが変わってくる。……別に、『そんなマリアも見てみたい』なんて思ってねえぞ?


 ただ、本当に楽しみじゃなかったら、もっと簡素な施しだったに違いない。仕事を大事にしつつ、隊員たちに僅かでも憩いを与える。俺以上に隊長らしく、どの国の王よりも部下思いだと思った。


「全く、アレックスは本当にモテるわね」

「天然ジゴロな隊長……殿下も面白い男性を選ぶものです」


 マリアとアイリーンが他人事のように俺たちを見つめる。美人に囲まれるのは大いに嬉しいが、そんな風に言われてもさして喜べないのもまた事実だった。




 皆で食堂を後にすると、各々が自室へと足を運ぶ。俺もその一人だったが、通信機の振動が俺を呼び止める。


〈良かったらボクの部屋に来てくれない?〉


 意外な事に、メッセージの差出人はアンナだった。思わず声を漏らしそうになったが、グッと堪えて直ちに彼女の部屋へ向かう。

 花姫たちがゆっくりと歩く一方で、アンナだけは先に部屋へ戻ってしまったようだ。いったい何があったのか──いや、何をされるのか判らない。不安と高揚を同時に募らせる自分がちょっと嫌だった。


 木製のドアが向き合うように存在する中、俺は『B05』と刻印されたドアの前に辿り着く。何もおかしな点は無いはずなのに、何故緊張してしまうのだろう……。


「よし……」

 息を大きく吸ったあと、穏やかにドアを三度叩く。するとドア越しで「ひえっ!」という短い悲鳴が聞こえ、ノブが回りだした。


「来たぞ」

「…………」

 僅かな隙間から顔を覗かせるアンナ。彼女は無言で頷くと、指先で『中に入って』と合図してきた。


 周囲を見回し、誰もいないことを確認。そっと部屋の中へ入ると、奥に伸びた空間にはベッドやソファー・書斎机が所狭しと配置されていた。

 アンナは灰色のソファーに座ったあと、丸いクッションを抱きしめて顔をうずめる。俺はその様子に少々戸惑ったが、平静を装い隣に腰掛ける事にした。


「なあ、どうしたんだ?」

「…………」


 アンナは未だ無言を貫くが、少しずつ顔を上げて上目遣いで見つめてきた。クッションを手放さぬまま、恐る恐ると口を開く。


「目を瞑って。そしたら、口を開けて……」


 えっと……目を瞑り、口を開く……?

 何をされるのか判らないが、とりあえず指示に従おう。


 ──ってこれ、傍から見れば俺が奇妙なヤツじゃないか? この状態で誰かに入られたら、『隊員に手を出している』と思われかねない。

 直後、洋紙を剥がすような音が聞こえてきた。口の中に何かが放り込まれ──もしかして……飴? 舌の上で甘い何かが、イチゴのような味が染み渡る。そこでアンナは「いいよ」と言ってくれたので、口を閉じて飴を舐め回した。


「ごめんね、こんなことで呼び出しちゃって……」


 眉を下げ、顔を赤らめる彼女は俺から視線を逸らす。食いながら話すのは憚るので、『ありがとう』という意味を込めて頭を優しく叩いた。

 敢えて相手の反応を窺わず、ソファーから離れる。引き留めるかと思ったが、ドアノブに手を掛けてもなお彼女は動かぬままだ。


「こちらこそありがとう」


 どうやら俺の思いが伝わったらしい。振り向きざまに頷いた後、今度こそ個室のある廊下に出た。


 さて、到着までどうしようか。本音を言えばシェリーの部屋に行きたいが、出入りする様子を誰かに見られてはいけない。それに、良いところで着いても後味が悪いだけだ。だから俺も自室に戻って任務の確認をしよう。

 そう思ってB00──自室の番号──へ戻ろうとした時、アイリーンが正面からやってきた。給仕服のスリットから脚を覗かせ、パンプスで床を踏み鳴らす。彼女は俺と目が合うと、何かを企むような笑みを見せた。


「ちょっとだけ部屋に来て」


 いきなり誘われて凍り付く俺。しかし半ば強引に腕を引っ張られ、個室へ連れて行かれてしまう。


 そして彼女は、狭い部屋の鍵を掛けた後──

 胸元の赤いリボンをするりとほどき、ボタンを上から一段ずつ外し始めた。



「さあ、ご主人様……じっくり見て良いのよ」



 蕩けたような表情で俺を見つめるアイリーン。

 大きな胸元が露わになった刹那、俺は再び劣情に苛まれる事となる──。




(第七節へ)






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